韓国の「ろうそく集会」-韓国における二つの立場-

2016.12.27

私は、朴槿恵大統領にかかわる数多くの疑惑に対して韓国の多くの人々が抗議に立ち上がった行動について、韓国自身の評価の動きを注目してきました。もちろん、この行動は現在進行中ですので、確定的なことが言えるわけではありません。しかし、大きく言って、二つの傾向に分けることができるように思います。一つは、朝鮮日報及び中央日報の社説に代表される、この行動を評価する姿勢をとりながら、何とか既存の政治の枠組みの中で「押さえ込もう」とするものです。もう一つは、ハンギョレ新聞や研究者における、この行動を韓国民主化に向けた大きな動きだとして積極的に評価するものです。韓国政治にはずぶの素人ですが、私が注目した文章(強調は浅井)を紹介します。

<12月10日付朝鮮日報社説「「2016年名誉革命」完成に必要な韓国社会の法治」>

 大韓民国はここ2ヶ月間、前代未聞の国政壟断により文字通り大混乱に陥った。崔順実被告らは大統領を利用し、政府の閣僚や次官クラスの人事にまで介入しただけでなく、企業などから資金を強奪していた。国会は弾劾訴追案で朴大統領に対し「国民によって与えられた信任を裏切ったことは憲法違反」と指摘した。検察の起訴状にも崔順実、安鍾範、チョン・ホソン各被告は共犯と明記されている。その結果、国民の怒りが爆発し、大統領の支持率は4-5%と政権運営が不可能とされるレベルにまで落ち込んだ。大統領も問題発覚直後から3回にわたり談話を発表して謝罪し、早期の退陣にまで言及したが、これも受け入れられなかった。最終的に2004年の盧武鉉大統領以来、朴大統領は権限が停止となった2人目の大統領として記録された。まさに憲政史の汚点であり悲劇だ。
 一方で弾劾に至るまでの過程で、われわれが目にした国民のパワーも非常に印象的だった。集会では過激な発言や暴力が出そうになるたびに、一般市民たちがこれを制止した。不祥事など一切なく、最終的に憲法に定められた手続きに沿って弾劾に至ったのは、このような市民の力に負うところが大きかった。国と国民がそれだけ成熟したことは間違いない。これを「2016年に起こった国民による名誉革命」と呼んでも決して誇張にはならないだろう。
 しかし国の現状については誰も自画自賛に酔ってなどいられない。経済と安全保障における危機的状況が少しずつ近づいている現実を誰も否定できないからだ。この状況で大統領が弾劾され、国のリーダーシップを代行体制に委ねるという非常事態を迎えてしまったが、それだけに今回の弾劾は混乱の始まりではなく終わりとしなければならない。ところが野党「共に民主党」の文在寅元代表は「弾劾は終わりではなく始まりだ」と訴え、朴大統領に対し「即時退陣」を相変わらず求めている。野党の他の大統領候補者たちも同じだ。弾劾は憲法に定められた手続きであり、文氏を含む野党側が要求してきたことだ。責任ある政党であれば、自分たちが要求してきた法の手続きが始まれば、自分たちもそれに従わねばならないはずだが、彼らは法に定められていないことを要求している。つまり彼らは国のことを考える姿勢や態度など微塵も持っておらず、ただ大衆に迎合しているだけだ。野党は大統領が法律に反したことを理由に弾劾を貫徹したのだから、今後も引き続き法を守っていかねばならない。
 大統領の権限を代行することになった黄教安・首相兼大統領権限代行の責任の重さは今更言うまでもない。ちなみに権限代行は現状維持的な権限のみを行使できるというのが憲法学者らの一致した見方だ。しかし経済と安全保障の両面で想定外の緊急事態が発生した場合、それに対応する責任は当然、黄首相が負わねばならない。黄首相は今後、野党とも連携を取りながら、弾劾政局が一段落するまでしっかりと現状を維持してほしいものだ。
 今や大韓民国の国としての力量が試されることになった。政府は大統領がいない状態で国政を安定させねばならず、国会は国のリーダーシップが空白となった状況で、共同統治の力量を発揮しなければならない。また司法も今回の弾劾手続きを最後まで滞りなく決着をつけねばならない。どれも非常に難しい課題だ。この難局打開に失敗すれば、今回の国民による名誉革命は、逆に分裂と不安ばかりの大混乱をもたらしてしまうだろう。これだけは誰も望んでいないはずだ。
 リーダーシップがない状態で暗く荒れた海を航海する際、頼れるのは羅針盤しかない。民主主義国の羅針盤となるのは法であり、それによって国を治める法治だ。そのため政府、与野党、司法のいずれもしっかりと法を守り、法が指し示す方向に向かっていけば道は開けるはずだ。今回の「名誉革命」は国民が今後もしっかりと法を守り、違法行為を容認しない時にはじめて完成する。このことは誰もが肝に銘じておかねばならない。

<12月10日付中央日報社説「朴大統領弾劾以後…憲法と協治で乗り越えよう」>

朴槿恵大統領弾劾訴追案の国会可決はなるべくしてなった。「崔順実と大統領は同級であり、共同政権だと思った」という聴聞会の証人の発言のように、神聖な国家権力を民間人に譲り渡した朴大統領の主権横領は決して許されない反憲法的犯罪だった。朴大統領は昨日午後、丁世均国会議長の職印が押された弾劾訴追議決書が伝えられると同時に大統領としてのすべての職務が停止した。
これで朴槿恵政治は終焉を告げた。霧に覆われた政治も一つの峠を越えた。政局を不確実性の世界に追い込んだ最も大きな変数が消え、韓国社会は安定した局面に転換することになった。この機会を逃してはいけない。政界と経済界、社会の各勢力が心を一つにして国政を正常化しなければいけない。丁議長が弾劾案可決後、「経済が深刻な危機を迎えている。数カ月間の国政まひを整理し、これ以上の混乱はあってはならない」と民生と政治の回復を強調したのは時宜にかなった発言だ。
299人の国会議員のうち234人が朴槿恵大統領弾劾に賛成した。採決に参加した野党議員172人全員が賛成したと仮定して、セヌリ党議員の62人が賛成票を投じたのだ。予想を上回る圧倒的な採決結果が「朴槿恵以後」政局に投げかけるメッセージは鮮明だ。まず、朴大統領の政治的回復は不可能だった。セヌリ党所属議員が親朴を含めて大挙弾劾陣営に加わった。これは広場のろうそく集会に象徴される民心の厳重な審判がそのまま政界に反映されたことを意味する。
もう大統領に対する政治的審判は終わり、憲法裁判所による司法的審判だけが残っている。しかし弾劾を要求する圧倒的な民心が確認された以上、憲法裁判所がこれを翻すのは難しいと見るべきだ。憲法裁判所の審議期間も、憲裁法に上限として規定された180日を満たさないと予想するのが自然だ。12年前の盧武鉉大統領に対する弾劾議決のように憲法裁判所の判決で覆ることはないだろう。
今は政局の収拾が重要だ。政局収拾は憲法と法律に基づかなければいけない。朴大統領の早期退陣が可視化しただけに、共に民主党から出る無理な政治的主張は終えるべきだ。文在寅前代表は「朴槿恵大統領の弾劾と同時に即刻下野闘争を行う」とし、秋美愛代表は「黄教安権限代行体制は受け入れることができない。国民が推薦する首相議論する」と述べたが、ともに適切でない。国政の安定を害する発想だ。 (中略)
民主党と国民の党の両野党は国政運営に対する無限の責任を自ずと抱えることになった。立法権力が国政の中心軸に浮上した。与党が沈んだことで両野党は国家権力の空間を埋める役割を担わなければいけない。これから野党と黄教安代行体制が敵対的関係になってはいけない。絶体絶命の国家危機で議会内閣になったという姿勢で協力の政治をしなければいけない。黄権限代行と野党が常時協力する体系を構築することが安定的な国政管理につながるはずだ。早期大統領選挙体制に転換するのはやむを得ない側面がある。それなら、何が重要であり、何にまず注力するべきか、賢明に優先順位を決めなければいけない。朴大統領は議会の弾劾結果を謙虚に受け入れて自粛するべきだ。朴大統領はその間、自分の罪を懺悔して許しを請うよりも、隠して否認し、抵抗することに汲々としてきた。崔順実ゲートに対する国民的な怒りも大きかったが、これに対応する過程で失機と無責任、誤った対処方式が弾劾論に火をつけたという事実を直視する必要がある。朴大統領は今後、特別検察官の捜査に積極的に協力し、「愚かな統治行為」の記録を一つ一つ残すことを願う。(後略)

<12月16日付中央日報掲載 パク・ミョンニム延世大学教授文章「光化門抗争、光化門精神、光化門交響楽」>

光化門(クァンファムン)抗争により大韓民国は歴史の峠道に置かれている。過去の構造と価値は明白な退場命令を受けたが、新たな希望と秩序はまだ薄い局面だ。安堵と懸念が交差しているが、広場の大交響楽を生み出した指揮者のいない市民オーケストラは歓喜の頌歌につなげなければならない。大参加を十分に整理しなければならない理由だ。
1つ目に、大統領の逸脱だ。在任中続いた大統領の逸脱は'大韓民国号'全体の混沌と方向喪失につながった。道徳・価値・教育・国の品格・政治・経済・文化・憲法上の代価は苛酷だった。選挙・検証・討論による大統領選択の過程は理念・陣営・個人の好みを越えて共同体市民の最も厳正な行為に違いない。大きな苦しみを経た今、「国民弾劾」と「議会弾劾」の段階が終わった。「司法弾劾」だけ残ったが主権者と立法者の決定を尊重する純情な結末を通じて国家は迅速に正常化しなければならない。
2つ目に、主権と憲法の次元だ。民主共和国で古い法制定主体である主権者(国民)は選挙を通じて立法府と執行部に古い法執行主体の権限を共に付与する。立法府・執行部の二重正当性だ。しかし、大統領が国民弾劾にあった局面は執行部に対する主権回収状態であるため主権者と議会が協力して憲法権限を行使しなければならない状況を意味する。憲法価値復元、積弊清算、国家改革に市民社会が必ず参加すべき理由だ。大統領逸脱の懲治を先導した広場を排除したまま政党間の取り引きを通じて未来制度と改革方向を決めるならば4月革命や6月民主化抗争のように失敗は問うまでもない。議会は早急に老年・壮年・青年を含む市民社会・市民代表機構との協力政治構造を構築しなければならない。
3つ目に、社会構造の問題だ。光化門抗争は韓国社会の支配カルテルの維持・解体・調整の一大分岐点だ。87年以降、政党・財閥・官僚・金融・言論・教会・教育・法曹の上層利益同盟は不動の姿勢だった。特権支配構造、国富の共有構造でもあるこの上層カルテルに含まれなければ、なんとか食べていける程度や生計の維持さえ難しい極端な両極社会だった。しかし、教育と言論での正義の復元の努力は上層カルテルに亀裂を招いた。
梨花女子大学生と教授の抵抗は個人入試問題を越えて全体韓国社会の特権構造を水面に表した輝く小宇宙だった。世界日報とTV朝鮮の初期特ダネ報道、ハンギョレの持続的な発掘報道、そしてJTBCと中央日報の「決定的証拠」の提示はついに大統領の1次謝罪(10月25日)と検察特別捜査本部設置(27日)、そして広場ろうそく集会の開始(29日)と私設政府の役割をしてきた大統領側近3人衆と首席秘書官の大挙辞任(30日)および国政壟断の共犯者、崔順実の検察出頭(31日)に続いた。
10月24日付の報道は87年6月民主化抗争当時の天主教の正義の実現全国司祭団の朴鍾哲拷問致死隠蔽工作事件の暴露(5月18日)に肩を並べる反論不能の切り札だった。上層カルテルはひび割れたが市民はむしろ組織的に-民主化以降最大の市民組織である「朴槿恵政権退陣非常国民行動」を11月9日に建設-広場に集結した。政経癒着中断の流れ、全国経済人連合の瓦解、保守政党の分裂、検察の部分的在り方回復、一部言論の転換を含み、上層カルテルは次第に弛緩しているがあまりにも強固な既得利益構造であるため市民社会と国家公共性の全面回復による根本改革は必須だ。
最後は哲学的問題だ。これが最も重要で、これこそが哲学不在・価値不在の韓国社会に投げかける光化門の大合唱、光化門の大ハーモニーの最大の響きだ。韓国社会は民主共和国に相応しい人間学と哲学を構築できなかった。哲学は個人の内面思想の表出ではなく人間と社会と世界現実に対する理性的応答でなければならない。階層・理念・男女・世代・地域を越えて私的個人を越える公的市民としての参加を通じて全国広場は人間と共同体が追求しなければならない時代精神と価値を創り出している。カントの言う「公的理性」の状況であり、ヘーゲルが言う人間と世界が出会う「具体的普遍」であり、咸錫憲が言う「公的・私的人生の統合」の地平だ。
平和的人間連帯が引き出した普遍時代精神、すなわち公共市民哲学と公共国家哲学の誕生だ。理由は市民を、市民は広場を産み、全国広場のオーケストラのハーモニーは時代を貫く哲学を生み出した。自由・参加・連帯・公共性・平等・法治・共和・平和がこの哲学的真景の整数だ。
真実と参加、連帯と平和が産生した広場の教育効果により韓国社会が過去に戻るのは不可能だ。今日以降、韓国社会はこの時代の精神と公共市民哲学を精巧に整え、現実に制度化は知恵と能力ぐらい発展するだろう。過去をきれいに洗い流す荘厳な洗礼の瞬間をむかえるために4月革命も6月民主化抗争も失敗した偉業を粛然と決意しなければならない。

<12月26日付ハンギョレ新聞掲載文章「2008年 政治的主体を自覚、2016年 国家を変えるために立ち上がった」>

 2008年に続き、2016年にも光化門(クァンファムン)ろうそく集会の現場で市民たちに会ってインタビューを進めているシン・ジンウク中央大学社会学科教授が、二つの集会の参加者たちの考えを比較、整理した文を送ってきた。シン教授は2008年のろうそく集会当時、大学院生らと共に62人の参加者に現場で深層面接し、2016年のろうそく集会ではこれまで56人に面接した。2008年の面接に参加した人は10代から50代まで多様な年齢層で、職業も学生、会社員、教師、公務員、日雇い労働者や露店商、出張マッサージ師に至るまで様々だった。2016年の面接調査は10代から30代までを対象としており、大半が高校生や大学生、会社員だ。これからの集会で40~50代の年齢層の面接を補完する計画だ。
 革命。いつからか、人々は革命と呼び始めた。市民革命、名誉革命、民主革命、ろうそく革命。これは革命なのか? はて何だろう。革命とは古い秩序が崩壊して新たな秩序が誕生する巨大な構造変動である。このような意味で、2016年の市民抗争に革命の称号をつけるのはまだ早い。しかし、多くの人がこれをあえて革命と呼ぶのには理由がある。
 そうだ。これはまだ革命ではないが、革命的な変化が起こっている。人々は、憤りと希望を共にしている数百万の市民がいることに気づき、平凡な人たちの結集された行動がどれほど巨大な波になれるかを見ており、あまりにも堅固に見えた腐敗した権力を市民の力で揺るがす経験をした。
 このような経験は歴史になかなか登場しない。韓国現代史では1960年の4・19革命と1987年6月の民主化運動がまさにその瞬間だった。その結果、独裁は姿を消したものの、2000年代後半から民主主義が後退しながら、市民たちは再び大抗争に乗り出した。2008年と2016年のろうそく集会がまさにそうだ。ここで市民は何を考え、望んだのだろうか。何が受け継がれ、何が変わったのだろうか?
 2008年のろうそく集会は1987年6月抗争以降、最も多くの人が参加して、最も長く続き、韓国社会の問題と代案について最もし烈に学習して討論した大事件だった。しかし、2008年のろうそく集会はその後忘却され、歪曲され、蔑視されてきた。その革命性と主体性が取り除かれたまま、狂牛病の恐怖に捕らわれた狂気の瞬間として記録されただけだ。
 それは真実ではない。当時、ろうそく集会に出た人々の動機は単に"牛肉"ではなかった。国民の多数が選出した権力ではあっても、その権力の間違った政策は国民の力で変えようということだった。
 「(大統領)候補時代には庶民のための大統領のようなコンセプトで。だけど、保守政権が発足した途端、財閥グループのための政策を展開しているから、騙したのではありませんか。問題はそこから始まったのです」(18・男・高2)
「李明博(イ・ミョンバク)政権の財閥のための政策と牛肉の輸入、韓-米FTA、大運河、このすべてが繋がっていたと思います。このような政策を国民の力で変えるきっかけだと思います」(40代・男・鉄道公社の職員)
「強者たちの政府、強者だけに味方する政権です。金持ちだけにやさしい。国民が主人だから、私たちの権利を取り戻さなければなりません。国民の権益を伸ばして政府を牽制できる、そのような力を」(20代・女・盲目の出張マッサージ師)
 2016年のろうそく集会で(2008年と)異なっていたのは、政府の政策、偏向性、それ以前に、あまりにも「とんでもなくて、開いた口がふさがらない」ような事実から受けた衝撃だ。チェ・スンシルという私人の無限権力やプラセンタ注射・白玉注射・バイアグラの話、朴槿恵大統領の奇妙な行跡と過去などだ。
「チェ・スンシルの操り人形だったということでしょう。とんでもないことです。気が抜けてしまったし」(17・女・高1)
「整形注射、バイアグラなどは本当に衝撃でした」(20代・女・会社員)
「セウォル号事故があったのに、髪の毛をアップにしたりして7時間も過ぎてから現れては、突拍子もないことを言っていたなんて。話になりません」(18・男・高2)
 しかし、市民らは単に朴槿恵、チェ・スンシルが原因で街頭に出たわけではなかった。本当に衝撃的だったのは、その莫大な不法や不正、権力の乱用や憲法蹂躙を可能にした巨大な談合構造だった。
「1人が誤ったことをするのはあり得ることだけど、あまりにも多くの人がそれを知りながら放置してきたのが、一番の衝撃です」(19・女・高3)
「何か積もりに積もって腐りきった政界になったのではないでしょうか。今政治に携わっている人たちも政界が汚れていることを知っているはずなのに、そこから恩恵を受けているから、沈黙してきたのではないか」(20・女・大1)
「緻密に、すべてつながっているということには驚かされますね」(18・女・高2)
「政経癒着の根が深いじゃないですか。そして行政、司法、立法がそれぞれ独立しておらず、互いに繋がっているというのが衝撃的です」(18・女・高2)
 問題は単に一人の大統領と彼女の政権ではなかった。不法国家、犯罪国家、略奪国家だった。韓国で国家とは何かと尋ねた時、10代、20代の参加者たちの答えは実に驚くべきものだった。
「国民を代表するとは思えず、いわゆる上流階級同士で遊んでいる集団のような?」(22・男・大3)
「国民の意思に耳を傾けて、保護しなければならない存在なのに、私たちを攻撃して、保護はおろか自分たちの利益を追求しているから、存在自体を認めたくないです」(18・女・高2)
「国家とは、元々国民を保護しなければならないのに、セウォル号のように犠牲にさせるだけで、財閥にだけ税金を減免して目をつぶり、税金を取って国民のために配分すべきなのに、一丸となって自分たちだけが生き残り、国民は投げ捨てる、そんなところではありませんか」(18・男・高2)  
今10代、20代の若者たちはこの国の国家を、国民を「攻撃して」、「犠牲にして」、「投げ捨てる」存在として認識しているのだ。

 李明博、朴槿恵政権の10年間で、私たちはこのように"本当に悪い国家"を持つようになった。しかし、それにもかかわらず、いや、だからこそ、市民たちは、自ら国の主となり、国家を変えなければならないと考えるようになったようだ。
 2008年のろうそく集会では多くの市民が初めて集会という場に出てきて、自分自身が国の主、政治の主体であることを経験した。露天商だから、何もわからないと言いながら、最初はインタビューを断っていたある40代女性の話だ。
「私たちは露天商です。でもいざ(集会に)出てみて、参加しなければならないと思うようになりました。政府の政治についてはまだわからないけど、もし政治を誤ったりすれば、その時は私たちのような市民がまたろうそくを掲げて出てくるでしょう」
 80年代、学生時代から政治集会に多く参加してきたという40代の男性はこう語った。
「前には主催側から招請状をもらって出てきた気分だったが、今はあまりにも多くの階層が老若男女を問わず参加しているのが最も大きな意義だと思います。この巨大な都市の中でこのような連帯意識を作り出したというのが驚きですし。一見無秩序にみえる状況でも自ら守り抜く秩序、そんな姿もそうですね」
 2008年と比較すると、2016年の参加者たちは、国家と政治にさらに深い不信感をのぞかせたが、同時に以前よりもさらに強い自信と政治的自意識、楽観と希望を持っていた。
「今回集会に出て見ると、韓国は前よりもよくなりそうです。みんな敗北感に浸っていると思っていました。到底変えられないと。ところが、意外と市民がこのままではいけないと言うのを見て、我が国に対する愛情が残っているなと思いました。そこに希望を見た思いです」(20代・女・会社員)
「李承晩(イ・スンマン)、全斗煥(チョン・ドゥファン)の時も、国民が街頭に出て民主主義のために努力して結局民主主義が到来したではありませんが。韓国国民が努力すれば変わると信じてます」(18・女・高2)
「私たちが引き続き参加して、大人たちを覚醒させ、しっかりしろと言わなければならないと思います。国民が主ですが、一人では何もできません。このように集まっていけば変わるでしょう」(18・男・高2)
 国民が主なのに、国家は国民を投げ捨てた。だから、国民が立ち上がって国家を変えることにした。これがろうそくのメッセージだ。1987年以後、制度としての民主主義はこのように重い病を患ったが、民主主義の主である市民たちの生命力はますます強くなっている。
 1960年と1987年の間には27年の年月があり、1987年と2016年の間には29年が横たわっている。1980年の5月抗争以降、7年の歳月の末に1987年が到来しており、2008年のろうそく集会以来、8年が経って2016年が訪れた。これは革命だろうか? まだそうではない。もしこれが革命になるのなら、革命はもう始まった。
シン・ジンウク中央大学社会学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
韓国語原文入力:2016-12-26 08:37