21世紀以後の国際秩序のあり方

2016.12.24

トランプ政権の登場は、トランプの気ままな思いつき発言が大統領に当選した以後も相変わらず止まらないこともあって、今後の国際関係に対する懸念を強めています。トランプ政権の暴走を許さないためにも、私たちは21世紀国際社会のあり方に関して明確な認識を持ち、積極的に問題提起していくことが必要になっています。以上の問題意識に立って、21世紀以後の国際秩序のあり方について私の基本的考えを記し、皆様の参考に供します。

<国際秩序に係わる代表的捉え方(概念)>

 国際秩序のあり方を捉える考え方としては、「システム(体系)」、「ソサエティ(社会)」,「コミュニティ(共同体)」が代表的です。すなわち、「国際体系」(international system)、「国際社会」(international society)、そして「国際共同体」(international community)です。
 最初に、私が国際政治についての基本的認識を深める上でもっとも多くを学んだブル(Hedley Bull)の"The Anarchical Society -A Study of Order in World Politics-"(1977年。邦訳『国際社会論』があります)に基づいて、国際体系及び国際社会という概念並びに両者の関係性についてまとめておきます。
 2以上の国家の間に規則的な接触(regular contacts)があり、しかも、それぞれの行動が他方にとって必要な要素(a necessary element) とカウントされるに十分なだけのインタラクション(相互作用)がある場合、これらの国家の間にシステムが形作られていると言います。そういうシステムにおいて、一群の国家が、相互関係において共通のルールによって縛られ、かつ、共通の制度(institutions)の運用を分担していると認識する場合、そこには社会が存在すると言います。
 私が個人的に重要だと考えているのは、ブルは「国際共同体」という概念については触れていないことです。ところが、'international community'という表現は早くから使われており、特に米ソ冷戦終結後は、国連(私がチェックしているロシア大統領府及び同外務省の英文WSを含む)においても、もっぱらinternational communityであり、international communityという表現にはまったくお目にかかりません。 さらに物事をややこしくするのは、日本の外務省はinternational communityの訳語として「国際社会」を当てていることです。中国においても、中国語では「国際社会」としているところが、英字紙(China Daily)においてはinternational communityを当てています。ちなみに丸山眞男も、『丸山眞男集』第15巻所掲の「「近代日本思想史における国家理性の問題」補註」において、「主権国家が、国際法の諸原則にしたがって外交関係を結び、条約・同盟・戦争などさまざまの手段を通じて、それぞれの国家利益を追求する「国際社会」(international community)は、ほぼ十七世紀のヨーロッパで形成されたので、これを一般に西欧国家体系(the western state system)と呼ぶ」と記しています。
 しかし、私自身は、「国際社会」と「国際共同体」とは明確に異なる概念として、厳密に区別して扱わなければならないと考えています。なぜならば、アメリカにおいては「国際体系」「国際共同体」という捉え方はあるけれども、「国際社会」という捉え方は欠落しているという厳然とした事実があり、しかもそれは、アメリカの国際秩序に関する思い上がった認識を反映しているからです。

<アメリカの国際秩序の捉え方>

 私はこれまでにかなりの数のアメリカの学者・研究者による国際政治、国際関係論に関する文章に接してきましたが、ごくわずかな例外を除き、'international society'として国際秩序を捉えるケースはありません。そこでは、'international system'として捉えるケースが一般的です。そして、特別な意味づけを与える場合に'international community'という捉え方をするのです。端的に言えば、アメリカは、普遍的価値及び市場経済という価値観を共有する国家の共同体という特定の意味合いにおいてのみ「国際共同体」という捉え方をするのです。私は、拙著『新ガイドラインQ&A』(1997年)で、クリントン政権の世界認識の特徴としてこの指摘を行いました。これが私の独断と偏見ではないことは、N.チョムスキーが、雑誌『フォリン・ポリシー』(2002年9月号)に掲載された文章'The Crimes of 'Intcom''で、次のように指摘していることでも分かります。

 「国際共同体」の文字どおりの意味はかなり明確である。国連総会(またはその多数派)を指すということはまず妥当なところだろう。しかし、この言葉は通常、アメリカ及びアメリカに加わる同盟国及びクライアントを表す技術的用語として用いられている。私は以下において、この技術的意味で'Intcom'という用語を使う。(強調は浅井.以下同じ)

 何故「国際社会」という捉え方がアメリカでは希薄なのでしょうか。この疑問に対して適切な答を示しているのは、J.メイヨール『世界政治』(日本語版へのプロローグ)における次の記述です。

アメリカの例外主義(アメリカには他国と異なる特殊な性質や使命があるとする考え方)…の行動を説明するのは、イギリスの植民地であった時代の政治家ウィンソロップがアメリカを「丘の上の町」に例えたという有名な言葉(アメリカがキリスト教的な理想の国として世界から仰ぎ見られる存在であるという意味)に示されているように、その経験がアメリカだけではなく人類全体のモデルであるという根深い信条に求めることができよう。冷戦時代にすら、同盟国がアメリカの政策を支持するのをしぶると、アメリカはしばしば自国法を域外適用しようとした。この傾向はいまも続いていて、たとえば最近では外国人保有のアメリカの海外子会社がイランと貿易をしたとして制裁を受けた。民主主義の時代が到来するまえに形成された、諸国家からなる国際社会という観念は、本質的にアメリカの体験になじまないものなのである。

 つまり、アメリカには、アメリカが他の国々と対等平等な存在であるという自己認識、したがって国際社会という社会の一員として行動する義務と責任があるという自己規制認識が欠けているのです。そういうアメリカが、メイヨールのいう例外主義を強く主張するのが国際法に関する問題です。
 まず、国内法と国際法との競合が問題となるケースに関し、アメリカの法体系及び判例に則していえば、国内法が国際法に優先するとは必ずしも言えないとされます(加藤隆之「国際法と国内法の効力関係」)。しかし、アメリカ議会は、国際的な係争問題に関して、国際法に違反する立法を行うことがあります。最近の端的な例はイランの核開発問題です。すなわち、イランの核問題に関する国際合意(JCPOA)に基づき、アメリカはイランに対する制裁を解除する義務を負いました。しかし、上下両院は圧倒的多数で対イラン制裁法の効力を延長する立法を行ったのです。こうした事例は枚挙のいとまがありません。ちなみに、イランはアメリカ議会の行動を激しく批判し、対抗措置を辞さない構えですが、トランプ政権がこの問題に誠実に対応する保証はありません。
 また、アメリカは、対外政策遂行上の手段として国際法を援用することはありますが、自らが率先して国際法を遵守するという姿勢は希薄です。最近における代表的なケースは南シナ海領土問題にかかわるいわゆる「航行の自由」問題です。アメリカは、「航行の自由」問題での条約上の権利義務とアメリカの法的立場との間に出入りがあることなどのため、国連海洋法条約に未加盟です。ところが、中国に対しては同条約を盾にとりつつ、アメリカが採っている法的立場を中国に認めさせようとゴリ押ししています。
 さらにアメリカは、国際法を無視した行動も取ります。近年における典型的なケースは、1999年に旧ユーゴに対して「人道的介入」を名目にして行った、アメリカ主導のNATO軍による空爆作戦です。また、2011年のリビアに対する空爆作戦も同様です。つまり、戦争が違法化された(国連憲章第2条4)今日、国際的な軍事力行使が違法性を解除されるのは、安保理決議によって認められる場合か、安保理が行動を取るまでの一時的措置としての自衛権行使の場合に限られています。しかし、上記の軍事行動はこのいずれのケースにも該当しない、国際法違反が厳しく問われるものなのです。
 トランプ政権が国際法に対して従来の政権以上に軽視・無視の立場を取る危険性を示したのが、「一つの中国」原則に挑戦する姿勢を示したことでした。すなわち、トランプは、従前の大統領が「一つの中国」原則を遵守する立場から行ったことがない、台湾の蔡英文総統からの祝意表明の電話に応じ、しかも、これに強く抗議した中国に対して逆ギレし、同原則の立場を見直すこともあり得ると反発したのです。
米中両国が21世紀国際関係に占める比重を考えた場合、同原則は単に米中二国関係の基礎をなすに留まらず、国際の平和と安定に直結する比重を占めています。トランプのこのような行動が、大統領就任後も改まらないとすると、国際の平和と安定が危殆に瀕することになりかねません。
 以上から分かるとおり、アメリカが「国際社会」という捉え方を受け入れようとしないのは、アメリカは特別な存在であるという伝統的な自負心に基づいています。しかし、これから述べるとおり、21世紀世界における国際関係の大原則は、主権国家の対等平等、紛争の平和的解決、武力不行使、内政不干渉(国連憲章第2条)です。アメリカが以上の大原則を受け入れる(つまり国際社会の一員であることを承認する)ことを拒む限り、持続的かつ安定的な国際の平和と安定を展望する条件は生まれてこないのです。
 「「国際社会」と「国際共同体」とは明確に異なる概念として、厳密に区別して扱わなければならない」と指摘した私の言わんとする意味はお分かりいただけたのではないかと思います。国連等がいうinternational communityと、アメリカのいうinternational communityとでは、その意味内容はまったく別ものです。しかし、双方が厳密な定義をしないで無雑作に呉越同舟してきたために、この用語が広く拡散してしまいました。特に1990年代以後においては、世界の一極支配を目指したアメリカと、米ソ冷戦終結を受けて機能を回復した安保理(大国協調体制)及び国連事務局との自己主張の思惑が合致したことが、ますますこの用語の拡散を促しました。
 しかし、21世紀の国際秩序のあり方を考える前提として、私たちは「国際社会」と「国際共同体」とは似て非なる概念であること、私たちが目指すべきは国際社会としての秩序であることをまず確認しておきたいと思います。

<私たちが考えるべき21世紀の国際秩序のあり方>

〇基本的前提

私たちが21世紀の国際秩序のあり方として、まず共通の出発点として確認しなければならないのは以下の4点です。
第一は、21世紀を通じて(また今後数世紀は)「主権国家を基本構成単位(成員)とする、国際法及び外交を基本的制度として営まれる国際社会」が存続するという認識に立つことです。この点は、特に「国家」について曖昧な認識が支配する日本人の私たちにとって重要なポイントです(後述)。
第二に、国際法及び外交と並んで、国際社会を成り立たせる基本的制度として認められてきた戦争は、核兵器の登場によって、もはや国際社会を成り立たせる制度として承認されなくなったことです(「戦争の違法化」.後述参照)。
第三に、戦争の違法化により、同じく基本的制度として承認されてきたバランス・オブ・パワー(BOP)ももはや21世紀国際社会においては制度としての機能を失ったということです。
第四に、戦争及びBOPを根拠に受け入れられてきた大国の役割については、21世紀的国際環境(国際相互依存の不可逆的進行・地球的規模の諸問題の山積・人間の尊厳を中核とする価値体系の普遍的承認)を踏まえた新しい役割付与が必要であるということです。この点も、「大国」という概念そのものに違和感を抱く日本人にとって重要なポイントです。

〇課題

(トランプ政権の二面性)
すでに述べたことから明らかなとおり、今後数年間の国際社会が直面する最大かつもっとも困難な課題は、アメリカの「例外主義」に対する引導渡しを如何に実現するかという問題です。ただし、トランプの強調する「アメリカ第一主義」の主張には二面性があることは見届けておく必要があります。
一つは、トランプの主張は「その経験がアメリカだけではなく人類全体のモデルであるという根深い信条」(メイヨール)とは無縁であり、商売人特有の損得勘定に基礎を置いています。しかも、アメリカはすでに世界覇権に固執するに足る主体的条件を失っています。したがって、歴史的客観的に見れば、トランプの主張は、「覇権システム」固執からの決別への一歩を踏み出した可能性があると見ることは可能です。
第二にしかし、トランプの「アメリカ第一主義」はアメリカが世界一の大国であることへの固執、したがって、アメリカの利益を実現するためには手段を選ばない強い姿勢を明らかにしたものでもあります。したがって、トランプ・アメリカは国際の平和と安定を攪乱するもっとも危険な要素である可能性もまた到底無視するわけにはいきません。そのような「手負いのトラ」を如何にして檻に閉じこめるかは、トランプ政権に対する国際社会にとっての最大かつ緊要の課題です。

(新自由主義に代わる原理)
 21世紀国際社会にとってもっとも重要な課題の一つは、如何にして新自由主義を清算するかという問題です。新自由主義は、もっとも根本において、人間の尊厳に背馳するものとして原理的に廃棄するべきものです。
戦後の国際経済関係のあるべき姿としては、新国際経済秩序(NIEO)の主張が途上国側からつとに提起されてきました。したがって、私たちはゼロからの出発を余儀なくされているわけではありません。私たちが取り組むべきことは、途上国側のNIEOに関する主張を21世紀の諸条件のもとでより普遍的で、精緻な内容に仕上げていくということになります。
 また、新自由主義は国際経済関係のみならず、国際政治関係の領域にまで自己主張し、政治を経済に従属させるまでになっています。私たちとしては、国際関係の徹底した民主化によって政治の主体性を回復しなければなりません。この点に関しても、私たちはゼロからの出発を余儀なくされるということではありません。すなわち、国連憲章の第1章(目的及び原則)が具体的な答を示しており、私たちとしてはその厳格な国際関係への適用を確保するメカニズムを構築することこそが課題です。

(参考)国連憲章第1章
第1条
1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3.経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4.これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。
第2条
 この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。
3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
5.すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。
6.この機構は、国際連合加盟国ではない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。
7.この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない。

(集団的措置)
また、21世紀国際社会においても、様々な紛争、暴力が発生する可能性は排除できません。したがって、有効かつ迅速に機能を営む国際的警察組織を構築・整備することが不可欠な要請となっていることを直視しなければなりません。
 そのためにはまず、米ソ冷戦終結後に常態化した、集団的自衛権行使(多国籍軍、NATO軍による軍事力行使)を国連憲章第7章及び第8章(地域的取極)に基づく集団的措置として安保理決議で承認するというような不正な慣行を廃止しなければなりません。この慣行はいうならば、私的な暴力団の実力行使を公的な警察権の行使として承認するということにほかならないからです。実際に、集団的自衛権行使は各国の私的利害によって動かされるわけで、その結果二重基準がまかり通る結果を生んでいます。
 しかし、主権国家からなる国際社会において、アメリカを含む大国に対しても公正かつ厳正な対応を行う集団的措置(集団安全保障体制)をメカニズムとして確立することは容易なことではありません。私たちとしては、往々にして厳しい現実に直面することを覚悟しつつ、国際法と外交を駆使して紛争・暴力の発生を未然に防止するメカニズムの構築、紛争・暴力が発生してしまった場合に備え、公的な警察権の行使としての集団的措置メカニズムの着実な整備、という二正面作戦で取り組むアプローチで臨むべきです。

〇日本の係わり方

最後に、トランプ政権をはじめとするアメリカの「例外主義」を如何にして押さえ込むか、新自由主義の清算とそれに代わる原理の創出、そして21世紀にふさわしい集団的措置のあり方という3つの課題に対して、日本は如何にかかわっていくべきかという問題について、原則的なポイントを指摘しておきたいと思います。

(憲法の21世紀的意味)
丸山眞男はつとに、核兵器が登場したことによって、戦争はもはや政治の延長であることをやめ、戦争はいかなる理由によっても正当化できない最大の悪になったと喝破しました。そういう戦争に関する透徹した考察に立って、丸山は前文及び第9条の先駆的かつ普遍的な意義を明らかにしています。私は、丸山眞男の指摘に全面的に同感です。
 また、丸山が行った憲法前文についての解明は、21世紀国際社会が進むべき方向を指し示すとともに、日本は正にその方向性を具体化するために世界の先頭に立つこと促しています。私たち日本人にとって本当に幸せなことは、私たち主権者が日本をして21世国際社会と如何にかかわらせるかという巨大な問題に関して、日本国憲法がすでに答と指針を示しているということです。

(国家・ナショナリズム・国民)
私たちが以上の歴史的・国際的な役割を担うに当たっての最大の問題は、国家、ナショナリズム及び国民に関する私たちの認識のあり方にあります。要するに、私たちは戦前の負の遺産に引きずられて、国家についての正確な認識を持っておらず、ナショナリズムについても負のイメージしかなく、したがって主権者・国民としての意識もまったく未熟です。以上の問題についても、丸山眞男の言説は非常に参考になります。

(世界認識・日本的国際観)
私たちにとっての今一つの大きな問題は、私たち日本人の多くが21世紀の今日なお、天動説的国際観を抜け出すことができていないということです。21世紀国際社会は、対等平等な諸国家の関係によって構築されています。それは平たく言えばヨコの関係です。しかし、私たち日本人の国際観は、上下強弱関係で物事を判断します。つまりそれはタテの関係です。私たちが21世紀国際社会において、日本をして重要な役割を担わせようとするのであれば、まずは私たちのなかに巣喰う牢固とした天動説的国際観、上下強弱関係でしか物事を判断しない世界認識を徹底的に払拭する必要があります。丸山眞男の言説は、以上の問題を考える上でも示唆に富んでいます。