トランプ登場が国際政治に問いかけている問題

2016.12.17.

新年早々(1月6日)に、かつてお世話になった全国民主主義教育研究会(全民研)の中間研究集会で「アメリカ大統領選後の国際政治」というタイトルでお話しすることになっており、しばらくは自分自身の問題意識を整理することに追われて、このコラムを更新することができませんでした。申し訳ありません。自分なりに問題意識が整理できましたので、3回に分けて、作成したレジュメに即して私の考えていることを記しておきたいと思います。今回は「トランプの登場が国際政治に問いかけている問題」です。ちなみに、第2回は「「ポピュリズム」再考」、第3回は「21世紀以後の国際秩序のあり方」です。

 私としてはまず、トランプが大統領選に勝利した要因は何であったかを見極め、その上で国際政治に問われている問題点を整理するというステップを踏む必要があると思います。
トランプの勝利を導いた根本的要因としては三つの点が指摘できると思います。一つは経済と政治との間の矛盾という問題、もう一つはデモクラシーに本質的に内在する矛盾という問題、そして三つ目はアメリカの世界戦略の全面的行きづまりということです。
 まず、政治と経済との間の矛盾がトランプの勝利を導いたということ、さらに具体的に言えば、ボーダレスの新自由主義と旧態依然の政治システムとの間の矛盾が爆発したということです。旧態依然の政治システムとは、マス・デモクラシーの時代にあるにもかかわらず、アメリカに存在するのは18世紀に作られた古典的制度そのままということです。
 この点については、Foreign Policy com.に掲載されたRoberto Stefan Foaの"It's the Globalization, Stupid"が私の認識に近い分析を提示しています。その一部を紹介します。

 「世論調査のデータが示しているのは、イギリスのEU離脱(Brexit)及びトランプ勝利は偶然または折悪しくというものではなく、長期にわたるグローバリゼーション・プロジェクトにおいて深まってきた亀裂の結果であるということだ。数十年にわたり、このプロジェクトは、世界中の世論の深刻な動きを生み出し、それは国民的プライド、移民に対する反感、そして国際組織の正統性及び有効性に対する懐疑となって現れてきた。これらの事柄はグローバリゼーションに対する反逆という警告である。この反逆はすでにロシア、ヴェネズエラ及びフィリピンなどの国々の政治を規定しており、今やBrexit及びTrumpという形で出来上がった民主国家にも出現したということなのだ。」
 「世界的な市場及び制度による国家主権に対する制約により、昔であれば民意を公的政策へと流し込んだ諸々のメカニズムが弱められ、市民はますます民主政治ひいては民主的システムそのものに対して絶望するようになっている(いわゆる「デモクラシーの機能欠損(democratic deficit)」)。しかも同時に、グローバル・ガヴァナンスを担う諸制度は、人々の参加の道筋を提供することに失敗しているのみならず、市民参加によって産み出されるべき成果を提供することにも失敗している。産み出されるべき成果とは、例えば、グローバルな交易における敗者に対する補償であり、アイデンティティを守ることであり、地域的及び国民的なコミュニティの生活スタイルを守ることである。世界的統合を唱えているLarry Summersの言を借りるならば、グローバル・ガヴァナンスのプロジェクトは、「普通の人々の利益を顧みないエリートによる、エリートのために遂行された」ものなのだ。」

 また、エマニュエル・トッド『グローバリズム以後』(朝日新書)の以下のくだりも参考になります。彼は、「信仰システムの崩壊」として次のように指摘しています。

欧米を最終的に支配するようになったのは、経済的合理性ということです。それは経済的楽観主義でもあります。‥「信仰として最後のもの」と言えるでしょう。しかし、‥そこにいるのは経済的人間だけ。形而上学的な目的はごく限られたものしか持ち合わせない人間だけです。経済は手段の合理性をもたらします。しかし、目的の合理性ではない。経済は、何が良い生き方かを定義しません。だから限界があるのです。」(pp.78-79)

 また、Roberto Stefan Foaの指摘にも通じる以下のくだりも参考になります。

「(各国で民主主義が機能不全に陥っているとすれば、共通の原因があるのでしょうか。) まず表層部に共通して見られるのは、世界に広がっている経済についての思想です。‥それは自由貿易こそが問題の解決策だと考えるイデオロギーです。グローバル化が進んだ今の時代に権力を握っているのは‥自由貿易という経済思想なのです。  政党など政治的な仕組みがいろいろあっても違いは見かけだけ。‥支配的な思想はそのまま。だから何も変わらない。(中略)  (自由貿易が表層とすれば、その底にある問題は何ですか。) 深い精神面での変化です。ハイパー個人主義、あるいは自己愛の台頭とでも呼ぶべきものです。社会が個人というアトムに分解されていく現象です。」(pp.127-129)

 トランプが勝利した今一つの要因は、皮肉なことに、デモクラシーに内在する本質的矛盾の表れであり、その結果であるということです。つまり、マス・デモクラシーの時代においては、一方で権力の高度な集中が有効なガヴァナンスを確保するために不可欠であるという要請があります。そして他方では、そのように高度に集中された権力を主権者である人民(マス)が有効にコントロールするという要請があります。
 私のこの問題意識は、丸山眞男が『自己内対話』で、敗戦直後(昭和20年10月29日という日付があります)に書き留めた、「我が国デモクラシーの諸問題」の一つ(他の二つは、天皇制との関係及び国民の政治教育)である「いわゆるデモクラシーに内在する矛盾をいかに克服して行くか」に触発されて温めてきたものです。丸山は次のように述べました。

 「我国はポツダム宣言の受諾によって、デモクラシーへの道は唯一の国家的進路となったが、いはゆる「デモクラシーの危機」を世界的に招来せしめた諸要因の探究を忘れてはならぬ。19世紀的自由民主主義の途をそのまま歩み、デモクラシーの危機への道を驀進することの愚なるはいふ迄もない。例へば執行権の強大化は世界的現象で英米も避けえない所である。問題は権力分立によって執行権を弱体化することにあるのではなく、有効適切なる行政の迅速かつ能率的な遂行のため、能ふ限り権力を集中し、しかもかく集中された権力をいかに民衆の意思に根拠づけるかにある。20世紀的デモクラシーは多かれ少なかれ一般投票的、大衆民主制への傾向をもつ。この意味に於て、議会の権限増大によって内閣の政治力を単に弱体化させたり、中央官庁の権限の縮小によって、地方的ブロック性を強化させる様な方向は断然避けねばならぬ。
 …デモクラティック・スピリットはなによりもまづ他人に対して寛容な精神をもち、自己に対して良心の制約を課する事だ。…ハーモニーの精神を涵養せよ。デモクラシーを裏から育て上げて行くことだ。」

 この問題は、丸山は戦後日本にとっての問題として指摘していますが、彼自身が「20世紀的デモクラシーは多かれ少なかれ一般投票的、大衆民主制への傾向をもつ」と記しているように、現代のすべての国々に通底する問題です。
今日のアメリカは、「集中された権力をいかに民衆の意思に根拠づけるか」というマス・デモクラシーを辛うじてデモクラシーたらしめる根本についてはまったくなすところなく今日に至っています。そのために主権者である人民(マス)は、「他人に対して寛容な精神をもち、自己に対して良心の制約を課する」判断力を養う術はなく、マス・メディアに判断をコントロールされるし、感情に訴えるトランプのような人物に共感することになるのです。これがいわゆる「ポピュリズム」としてエスタブリッシュメントが批判・非難する問題であり、次回に取り上げる点です。

 トランプが勝利した第三の要因は、アメリカの世界戦略が全面的に行き詰まっていることに対する一つの答をトランプが示しているということであり、アメリカの有権者(マス)がこれに積極的に反応したということです。
 トランプ勝利の最大の要因は、歴代政権が「世界のリーダー・警察官」であろうとする戦略・政策を追求してきた結果が今のアメリカの窮状をもたらしたとして、これからは「アメリカ第一主義」で行くという主張を全面に押し出したことにあります。
 まず経済では、選後のアメリカ歴代政権は一貫して、ブレトンウッズ体制、80年代後半からは新自由主義に基づくグローバリゼーションを中心とした世界政策を展開してきました。しかし、その国内的ツケはプア・ホワイトを中心とする潜在的不満層を大量に生み出してきたのです。トランプの「アメリカに雇用と繁栄をもたらすか」「アメリカ第一主義」(例:TPP離脱)の主張はこれらの不満層の琴線に触れるものでした。
 軍事では、米ソ冷戦時代にはソ連、90年代以後は「様々な不安定要因」、そしてオバマ政権では中国、というように脅威対象を移動させながら世界覇権を追求する戦略を一貫して追求してきました。しかし、かつてのソ連はともかく、「様々な不安定要因」はしょせん作り上げたフィクションです。ましてや中国に関しては、アメリカ自身が今や中国抜きの経済は維持し得なくなっている(国際的相互依存システムの中に米中がどっぷりつかっている)中では、やはりフィクションでしかありません(軍事的米中激突はあり得ない)。
 トランプは、そうしたアメリカ軍事戦略の行きづまりを商人的感覚でかぎ取り、「アメリカにとって得か損か」という極めてドライな基準を提起しました。その商人的センスが如実に示されたのがシリア内戦に対する彼の発言でした(テロリストとアサドの双方を敵に回すのはばかげている、テロリストとの戦いにしぼる)。疲弊したアメリカ社会においては、トランプの提起がすんなりと受け入れられる素地ができていると思います。
 政治・イデオロギー(アメリカは仰ぎ見られる「丘の上の町」という確信・使命感)に関しては、正にそういう確信と使命感が以上の経済的軍事的世界戦略の原動力の一つをなして来ましたが、トランプにはそういうイデオロギーは希薄であるとしか考えられません。正に「脱イデオロギー」であるし、彼にイデオロギーらしきものがあるとすれば、商売人としての「損得計算がすべて」ということです。そのことが端的に現れたのは、「一つの中国」原則に対するトランプの突き放した姿勢(台湾と巨額の取引をしていることを無視できない)でした。アメリカのエスタブリッシュメントにおいては、今日なお「丘の上の町」という確信・使命感は健在でしょうが、大衆(マス)にとってはもはやその訴えは響かなくなった状況にあるのだと思います。
 以上のように、トランプの当選を可能にした要因を特定しますと、21世紀の国際政治において問われている問題は何か、という問に対して、二つの根本的答を示すことができると思います。
 一つはいうまでもなく新自由主義の清算です。新自由主義が「新」とされる所以は、古典的自由主義においては、「見えざる手」(市場)に委ねることによって最適の目的(価値)が実現するという楽観的確信(市場はあくまでも価値実現という目標を実現するための手段であるという認識)が座っていたのに対して、新自由主義においては、「見えざる手」にすべてを委ねることが自己目的化したという点にあります。つまり、アメリカの独立宣言以来の普遍的価値の担い手であるはずのアメリカが、今やそれとはまったく無縁な「経済的合理性」(トッド)の盲目的追求に邁進し、そのことが世界的諸矛盾を作りだしているわけです。
 したがって、「脱・新自由主義」後の国際的課題とは、国際社会の民主化(理念)、新国際政治経済秩序の構築(制度)、民意の反映(運動)ということになります。ちなみにこの提起は、丸山眞男のデモクラシーに関するまとめ(私流の整理:「デモクラシーは理念、制度及び運動から構成されており、理念における不断の自己再定義及び民衆の運動による不断の働きかけによって制度を不断に更新していく永久革命」)を応用したものです。
 21世紀国際政治に問われているもう一つの問題は、1945年以来今日まで世界を支配してきた「アメリカ覇権システム」からの決別です。  私は、トランプの登場は二つの性格があると思います。一つは、トランプの主観的意図とは関係なく、アメリカがその世界覇権システムから決別する歴史的第一歩となる可能世を示しているということです。それは、スエズ危機以後にイギリスが大英帝国を卒業していったことと比肩する出来事として、後世の歴史に記録されるのではないかということです。
 もう一つの性格は、トランプ政権の思想的・体質的限界性ということです。思想的限界というのは、トランプは相変わらず「偉大なアメリカの実現」を呼号しており、21世紀国際社会においてアメリカがおかれている客観的・歴史的位置に対する認識が欠落していることです。体質的限界ということで私が意味するのは、トランプの骨の髄まで染み渡っているらしい商人的発想であり、大衆扇動政治であり、国際社会を社会たらしめている諸ルールに対する無知と鈍感です。したがって、トランプのアメリカが「アメリカ覇権システム」に代位するシステムを構想する可能性はゼロと言っても良いでしょう。それだけではなく、トランプの商売人的勘だけに頼った政策運営の暴走を許すならば、21世紀国際社会は収拾がつかない危機と破滅に陥る危険性があるとすら思います。この課題は、日本を含むすべての諸国民に問いかけられている問題です。この点については次々回のコラムで取り上げる予定です。