丸山眞男の思想に学ぶ(公開講座)―再度のご案内-

2016.10.20.

*大阪経法大学アジア太平洋研究センター主催の公開講座「丸山眞男の思想に学ぶ」の第1回が来週(10月25日)になりました。前回のご案内の際には19名の受講希望者でしたが、今は24名に増えたという連絡を受けています。さらに多くの方に丸山思想の思想に接していただき、私の問題意識も共有していただきたく、再度ご案内する次第です。第1回の最初に、講座の全体のあらましをご説明するのですが、その内容をご紹介させていただき、皆様に私の問題意識の所在をより深く分かっていただいて、丸山眞男に興味をお持ちの方は是非この機会に足を運んでいただきたいと再度ご案内する次第です。
 なお、受講申し込みは、ネットで「市民アカデミア2016」と入力していただければ、案内が出ていますのでご利用下さい。

今回の3回シリーズのお話しには個人的思い入れがあります。それは、丸山眞男に関する幾多の先行研究に接してきましたが、私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想に関する指摘・解明に接したことがないという「不遜な思い」から、私自身の丸山理解を是非一人でも多くの方に伝え、できれば共有していただきたいということなのです。
 最近、メーリング・リストを通じて、『聖教新聞』10月5日号の「没後20年丸山眞男・思索の軌跡を知る」という記事に接しました。この記事は、東京女子大学に寄贈された丸山眞男の蔵書、草稿資料類(丸山眞男文庫)に基づく研究プロジェクトを通して、「丸山は「戦後」や「日本」という時間や空間にとどまらない、20世紀の世界を代表する知識人の一人であることが、より鮮明になってきました。…数多くの海外の著名な識者との交流が、それを物語っています。」と指摘しています。
 私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想の一つは正しく以上の指摘とつながることです。つまり、丸山の思想は、単に「戦後」及び「日本」の枠に留まらない、21世紀の世界の進むべき方向性を指し示しているということです。私は、そのことについて、今回の講座の第3回でお話ししようと考えています。
 聖教新聞の記事は指摘していませんが、私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想のもう一つは、日本の思想に関する丸山の鋭い解明です。私が実務体験を通じて膨らませた様々な疑問に対して、丸山の解明は本当に「目からウロコ」であり、私の様々な疑問を氷解させるものでした。それは、外来思想の受容に当たってそれを修正させる、政治・倫理・歴史という3分野における日本独特の考え方のパターン(「執拗低音」)の存在に関する丸山の解明と指摘です。
また、丸山は直接に言及しているわけではありませんが、丸山が指摘した「普遍を欠く日本の思想」という重要なポイントや、彼がくり返し指摘して止まなかった、私たち日本人に欠落する「個」、「他者感覚」の問題も、根底において執拗低音との関連性があることは間違いないと、私は考えています。そして、これらの問題を直視することこそが、日本政治のあり方を正す視座を持つことに直結するのだと、私は確信するのです。私はこれらの点について、今回の講座の第2回でお話しする計画です。
 さらに私は、丸山がどうして以上の重要な思想を温め、豊かに展開するに至ったのかという、彼自身の思想形成のあゆみについても、かねがね関心を抱いてきました。特に私は、丸山に対して「西洋主義者」であるというレッテル貼りが行われ、また、丸山が福沢諭吉の思想を高く評価することにも厳しい批判が行われてきたことに対して、強烈な違和感を覚えてきました。これらのレッテル貼り、批判は、私に言わせれば、丸山の思想形成のあゆみを理解していないことから来る無知によるもの以外にありません。したがって、丸山の思想を全面的に理解する上では、彼の思想形成のあゆみを踏まえることが不可欠です。幸い、丸山は、自身の若き日の「恥部」をも含めて、私のような凡人には理解できないほど率直(アケスケ?)に語り残しています。そのため、私たちは丸山の思想形成のあゆみを追体験できるというわけです。今回講座の第1回を「思想形成のあゆみと丸山政治学の基線」に充てる所以です。
 もう一つ、予めお断りしておきたいことがあります。私はほとんど「丸山かぶれ」であることを自認するものですが、丸山の思想についてまったく疑問を持っていないということではありません。丸山のピラミッドのような巨大な思想体系の中においては枝葉末節に属することですが、私は例えば、丸山の現代中国(改革開放後の中国)に関する認識は「月並み」であると判断しています。また、朝鮮問題に対する発言が少ないことにも違和感を覚えてきました。
 しかし、とりわけ私が注目してきたのは、広島で被爆した体験を持つ丸山が、戦後日本政治において重要な軸の一つを構成する核問題・核意識に関する積極的な発言が少ないことです。正直に申しますが、私の問題関心も決して褒められるものではありません。私が広島平和研究所で勤務したのは、広島・長崎・沖縄を知らずして日本の政治に対する理解・認識を深めることはできないという年来の確信から、同研究所からのオファがあったことに飛びついたということでした。私の核問題・日本人の核意識に対する理解と認識はもっぱら広島在勤時代に培われたものでしかありません(それ以前の私の知識水準はお粗末なものでした)。しかし、日本政治思想史を専攻する丸山が、自身の被爆体験にもかかわらず、核問題・核意識に対する発言が少ないことはとても理解しにくいことです。ただし、このレジュメでも紹介しますように、丸山自身もこの問題に関する自らの「禁欲」的姿勢について自問し、反省の言葉を残しています。
実は私は、冒頭に紹介した東京女子大学所蔵の丸山眞男文庫に収められている丸山の未発表の草稿類などに、この問題に関する言及(メモ、走り書き等)が残されているのではないかという期待を抱いています。そして、「日本人の核意識」をテーマとして、若い2人の研究者とともに来年度の科研費取得を目指しているのです(採択されるかどうか分かりません)が、その中で、ケース・スタディとして丸山眞男を取り上げる予定です。私としては、すでに公にされた丸山の断片的発言の穴を埋める「発掘」が同文庫から得られるのではないかと期待しています。何か新しい発見があれば、是非、この公開講座でご紹介したいと考えています。
 それはともかく、丸山眞男が核問題・核意識についてどのような思考の遍歴を辿ったかについて、これまで公刊された文献に基づいて私が得た知見についても皆様と共有したいと考えます。どこまで立ち入ってお話しできるかについては定かではありませんが、丸山の主な発言を収録しておきました。
 お話しの進め方ですが、丸山の発言をリアルに味わっていただくことが重要なので、3回を通じて、丸山の発言を紹介し、その上で私の理解をつけ加えるというスタイルで進めさせていただきます。ただし、レジュメの構成は、私の丸山理解に即した、独断と偏向に満ちたものとなっていることを予めお断りしておきます。