アメリカ大統領選挙(中国紙論評)

2016.10.09.

アメリカ大統領選挙が約1ヶ月後と迫った10月8日、人民日報鐘声署名文章及び環球時報社説は同時にこの選挙を正面から取り上げ、アメリカ式デモクラシーの現実の有様について、痛烈な批判を行いました。さらにつけ加えれば、同日の人民日報は現地特派員報告で、光明日報は新華社現地特派員のルポを転載する形で、また上海の有力紙である文匯報も専門家の文章を搭載することで、同じ日付で大統領選挙を題材にアメリカ政治の問題点を指摘しました。
 私は、中国が米大統領選挙をどのように観察しているのかについて興味があり、ずっとフォローしてきたのですが、中国メディアは微に入り細にうがって報道してきましたが、正面切っての論評にはなかなかお目にかかれませんでした。それが、10月8日に正に堰を切ったような上記現象が現れて、私も驚いています。しかも、人民日報鐘声署名文章のタイトル「アメリカの選挙の混乱現象は制度の弊害の顕著な反映」、環球時報社説のタイトル「アメリカの選挙制度の比較的優位は完全に失われたようだ」、人民日報現地特派員報告の見出し「失望・茫然自失・信用失墜・機能不全 米選挙民が選挙茶番劇にうんざりの理由」、光明日報所掲の新華社特派員ルポの見出し「アメリカ大統領選挙:インチキ制度の代表者による相互中傷」、文匯報所掲文章のタイトル「アメリカの将来への方向性は見えないまま」 が端的に示しているとおり、これまでの慎重な扱いが信じられないような歯に衣着せぬ内容なのです。
 もちろん、日ごろからアメリカに叩かれている「共産党独裁の政治システム」の中国による鬱憤晴らしという性格が反映していることは否定できません。しかし、その点を割り引いた上でなお、中国が指摘する論点には私としても首肯できる部分が少なくありません(アメリカ選挙政治に対する中国側の指摘の少なくない部分が日本選挙政治にも当てはまるのではないでしょうか)。ということで、鐘声署名文章と環球時報社説の内容(要旨)を紹介します。

<鐘声署名文章>

 (今回選挙が相手に対する暴露と誹謗合戦の泥沼となっていることを指摘した上で)2016年の選挙で両党候補が言い争いに陥っていることは、選挙民の不満感情と将来に対する不確実感とを増している。アメリカのメディアが最近行った世論調査が明らかにしているように、トランプに示された60%という高い不満足の数字は最近25年間の大統領候補の中でもっとも高いものであるし、クリントンもほんのわずかな数字の差だ。イギリスのタイムズはこの選挙を論評して、「アメリカン・ドリーム」と米国社会の現実との間の格差が日増しに広がっているが、大統領候補たちは見て見ぬ振りを決め込んでいる、と述べた。
 経済回復がばらつきある背景のもと、米国政治は分極化し、中産階級は衰え、銃は氾濫し、人種差別燈の問題はますます激しくなるなど、社会的な裂け目はますます拡大しつつある。ある世論調査が示すように、選挙民がもっとも不満と見なすのは政府と議会であり、その次に経済、失業及び移民問題が来る。このような順序になっているのは、経済社会問題が人心を引きつけていないということではない。この事実が顕しているのは、アメリカの民衆は様々な問題が解決困難な原因はどこにあるかをはっきり見極めているということなのだ。様々な奇怪な現象はアメリカ政治の行きづまりを証明しているだけではなく、アメリカの政治システムの弊害を指し示している。
 長きにわたり、アメリカの尋常でない熱狂的選挙は制度の優位性の象徴であったし、多くの途上国に対する非難叱責の拠り所でもあった。しかし、選挙の意義とは、国家の発展に係わる深刻な現実問題に対して推進力を注入することにあり、政治的人物の使命は効果的に国家を治めることにあるのであって、選挙戦で勝者になることだけではない。アメリカは、「デモクラシーの教師」という強烈な自信と傲慢を納めるべきである。

<環球時報社説>

 (クリントンとトランプの泥仕合について描写した後)人たるもの、最低限の謙虚さが必要だが、両者はありったけの装いで自己主張し、自分のお尻が清潔でないのに誤りを認めず、反省もしないで、もっぱら相手側を悪者にしようとしている。
 両者がどれほど「ワル」なのかについては知るよしもない。ひょっとすると、二人はそれほどの「ワル」ではないかもしれないし、現実のモラルも平均的レベルよりも低くはないかもしれない。というのは、クリントンはキャリアでかなり成功しているし、トランプは商売上の帝国を経営しているのだから。しかし、アメリカの選挙メカニズムは両者を「悪者」に仕立て上げ、二人も相手を監獄入りがふさわしい悪人と決めつけ、多くのアメリカ人の思考を操ることによって大統領の玉座に就こうとしている。
 しかし、アメリカの選挙で候補者が相手を誹謗し合う状況はとっくの昔からあったことだ。1800年の大統領選挙は2人の「開国の父」、すなわちジョン・アダムズとトーマス・ジャックソンの対決だったが、両者が用いた手段は汚さの極めつけで、デマ、誹謗その他ありとあらゆる手を使った。
 アメリカその他西側の政治システムには内在的な弊害があるが、世界の多くの地域で専政が支配していた時代には、欧米式選挙システムの比較優位は突出していて、内在的問題をほとんど見えなくし、世界の他の地域に対する欧米の繁栄と強大さとを作りだしてきた。
 しかし、世界は変化しつつあり、20世紀の長い変遷を経て、伝統的な専制政治は世界のほとんどの地域で消滅ないし変化し、人類社会の主要矛盾もそれに伴って変遷を遂げてきた。デモクラシーの基本的原則は全世界に広まり、様々な形で各国の政治システムの中に入り込み、各国間の競争の重点はもはや「誰がより民主的か」という点にあるのではなく、多くの複雑な要素の集合的な競争となりつつある。
 西側の政治システムにおける比較優位はほとんど消耗し尽くされ、むしろその弊害が水面上に浮かび上がってきている。政党間の投票をめぐる醜い闘いはますます苛烈となり、西側国家における政治の主軸にまでなっている。このような競争は、もはや政策の表明を基軸とするのではなく、注目をもっとも惹き付けやすく、相手側を窮地に陥れる人身攻撃やデマ誹謗が横行する。西側の選挙は完全に異物化しており、候補者が競いあうのは甘言であり、ひどいのになると欺し合いであって、相手を打ち破って当選することが唯一の目標となる。西側社会では法治という力が支えているので、政治は弱体化し、無力になってはいるが、社会の安定は保たれている。しかし、そそくさと西側の選挙を模倣した途上国は悲惨なことになる。強力な法治による安全航行の裏付けがないので、西側の選挙を導入することが大規模な不安定を引き起こし、「破壊されたデモクラシー」現象を引き起こす。
 クリントンとトランプの選挙スーパー・ショーはまだ続き、彼らの「でたらめ比べ」は世界の一部の人々をミスリードするかもしれない。しかしまた、一部の人々の反省材料となる可能性もある。デモクラシーは如何にあるべきか、人類の探究は明らかに終わりからはほど遠い。