日露領土問題:プーチン発言(その2)

2016.09.08.

杭州におけるG20サミットに出席したロシアのプーチン大統領は、ロシアのジャーナリスト(複数)の質問に答えました。長文にわたるものですが、その中で日露領土問題についても語っている部分があります。その発言内容には、9月5日付のコラムで紹介したプーチン発言と重複する部分も若干あります。しかしプーチンはこの中で、1956年の日ソ共同宣言第9条(「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」)における「引き渡す」という文言について、ロシア側が検討しているポイントをかなり具体的に説明しています。
 特に注目されるのは以下の諸点です。
 まず、いかなる条件の下で引き渡されるかについては、共同宣言は何も述べておらず、日ロ間の交渉マターだとしていることです。そしてプーチンは、「経済活動、安全保障など多くの問題があり、人道的問題もある」とまで指摘しています。「安全保障」をも含めたことは、当然とは言え、実は極めて本質的なポイントです。というのは、プーチンは9月5日の発言で、中露交渉と日露交渉との違いの一つとして、中露間並みの信頼関係が実現することの必要性を明確に指摘していましたが、これは正に安全保障に直結することだからです。要するに、日本がロシアをも標的とする日米軍事同盟のもとにある限り、ロシアが「引き渡し」に応じる条件は満たされないということを、「安全保障」という抽象的言葉に込めていることは明らかです。
 もう一つ私が注目したのは、プーチンが「(日ソ共同宣言は、引き渡しの)後の主権を誰が持つかについては述べていない」と指摘している点です。プーチンはこの点についてはそれ以上立ち入った発言をしていませんが、私が連想するのは、1972年に実現した日米間のいわゆる沖縄返還協定です。
私たちは一般に沖縄が日本に「返還」されたと思い込まされています。しかし、協定の正式のタイトルは「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」("Agreement between Japan and the United States of America concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islands")であり、「返還」という表現はありません。また第1条1は、「アメリカ合衆国は、2に定義する琉球諸島及び大東諸島に関し、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第3 条の規定に基づくすべての権利及び利益を、この協定の効力発生の日から日本国のために放棄する。日本国は、同日に、これらの諸島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権利を行使するための完全な権能及び責任を引き受ける。」という実に回りくどい規定をおいているのです。ちなみに、この規定ぶりはいわゆる奄美群島返還協定及び小笠原返還協定でも同じです。
これは、ポツダム宣言第8項との関係でそうなっているのです。第8項は、「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と定めます。つまり、日本の領土主権は本州、北海道、九州及び四国だけに限定されており、沖縄を含む他の「諸小島」について日本の主権が及ぶかどうかは連合国(米英ソ中)が決めるとしているのです。ポツダム宣言を作った主役であるアメリカとしては、他の連合国の同意なしに一存で沖縄を日本に返還する(=領土主権を日本に帰属させる)というわけにはいかないのです。
 同じことはいわゆる北方領土、すなわち南千島についても当てはまります。1945年2月に米英ソ首脳間で締結されたヤルタ協定3では「千島列島ハ「ソヴィエト」聯邦ニ引渡サルベシ」と規定しました。すなわち、ヤルタ協定でも、日ソ共同宣言におけると同じく、「引き渡し」となっており、ソ連の領土とするとまでは規定していません。これは、千島樺太交換協定により、千島諸島が日本の領土となったことを無視できなかったためです。プーチンが「引き渡し」という言葉に非常にこだわるのは、以上のような背景のもとで理解することができます。
 プーチンの言わんとすることは恐らく、①南千島(「北方領土」)の領土主権は、ポツダム宣言第8項に基づいて連合国(現在では米英露中)が決めることであり、ロシアの一存では決定できない、②ソ連はヤルタ協定に基づいて千島列島を「受け取った」(プーチンは、ヤルタ協定における「引き渡されるべし」がソ連に譲渡されたという意味ではないことを踏まえて.こういう慎重な表現をとった)、③日ソ共同宣言でヤルタ協定と同じ「引き渡し」という表現を採用したことの法的意味合いを無視することはできないし、今後の日露交渉でも、ポツダム宣言の縛りを超えた約束(つまり、南千島の領土主権を日本帰属させる約束)を勝手に(つまり米英中との合意を経ないで)行うことはできない、ということでしょう。
 ロシア・プーチン政権は、アメリカのパワー・ポリティックスに対抗する拠り所として国際法に基づく国際関係を強調しています(この点では中国の習近平政権と同じであり、都合の良いときにだけ国際法を援用するアメリカのご都合主義に対する批判ともなるわけです)。クリミア問題然り、シリア問題然りです。最近、プーチンは南シナ海問題でも明確に中国の立場を支持すると表明しましたが、それも国連海洋法条約に基づく法的解釈に基づくものです。そういう国際法厳守の姿勢が日露領土問題に関しても厳格に適用されていることを、プーチンの発言から理解するべきだと思います。
 以下、プーチン発言大要を紹介します。

(質問)日本との関係についてハッキリさせておきたいことがある。ウラジオストックの全体会議で、安倍晋三は、より親しい表現で貴下に対して、責任感をもって歴史的決定を行うよう、やや感情的な訴えをした。もちろん、彼は領土問題について述べたものだ。両国はこの問題について違った見方をしている。日本が何を望んでおり、ロシアは何を受け入れるかについて話し合ったか。南千島に関する「レッド・ライン」はどこにあるのか。
(回答)「レッド・ライン」を探すことからスタートしないようにしよう。行き止まりに向かうのではなく、双方向の道路を旅しよう。
 (安倍の)演説における「君」という表現の使用についていえば、晋三と私とはそういう仲であり、演説でも互いに普段使っている。すなわち、我々は互いに名前で呼び合っているし、「君」という親しい言い方をしている。あなたが指摘したとおり、彼は感情的に話していたが、彼は個性ある政治家であり、優れた演説家、話し手だ。彼はそのことをウラジオストックで証明して見せた。しかし、彼の演説及び発言の価値はそのことにあるのではなく、両国の協力について彼が打ち出した4つの分野に関する彼のアイデアを進めたことにある。我々はこの点についてより突っ込んで議論し、これらの目標に向けた計画と段取りをスケッチした(outlined)。非常に興味深いプランだ。それらは秘密ではないが、今ここでそのために時間を失いたくはない。提案をみて欲しい。
 「レッド・ライン」についてだが、この問題における「レッド・ライン」については語るべきではないということをもう一度言いたい。結局、我々は交渉のテーブルに戻ったのだ。1956年の条約について秘密は何もないということは、私は何度も言ってきたことだ。ソ連は、第二次大戦の結果としてこの領土を取得し、そのことは国際的な法的文書でフィックスされた(The Soviet Union obtained this territory as a result of World War II, and this was cemented in international legal documents)。ソ連は、長丁場で難しい対日交渉によって1956年に条約に署名し、確か第9条(この点はチェックする必要があるが)は、2つの南の島が日本に引き渡されるべきことを述べている(Article 9 of which, I think it is – I'd need to check – states that the two southern islands are to be handed over to Japan)。2つの島は引き渡されるのだ(Two islands are handed over)。(中略)
 条約の規定は「引き渡される」とは言っているが、いかなる条件に基づいてこの引き渡しが行われるか、(引き渡しの)後の主権を誰が持つかについては述べていない(the treaty provisions say "are handed over", but do not state on what conditions this handover is to take place, and who has sovereignty afterwards)。1956年の条約を署名したのに続いてさらに明確にする必要がある多くの問題があるのだ(There are many issues that required further clarification following the signing of the 1956 treaty)。ここで重要なことは、日本の国会及びソ連の最高会議が条約を批准した後、日本はその履行を放棄したということだ(What is important here though is that after the Japanese parliament and the USSR Supreme Soviet ratified the treaty, Japan renounced its implementation)。彼らは、条約が日本に十分なものを与えていないと見なし、4つのすべての島を要求すると決めた。最終的には、両国が条約を履行せず、宙に浮いたままということになってしまった(In the end, neither side implemented the treaty and it was simply left in suspension)。その後、ソ連も条約を履行する意図はないことを宣言した。その後再び、日本は我々に交渉に戻ることを求めてきた。我々は同意し、話し合いが始まった。こうして我々は今の状況にあるということだ。
 何故私が1956年の条約を取り上げるのか。ソ連はこれらの島を受け取り、2つの島を戻す用意があった(The Soviet Union received these islands and was ready to return two islands)。すでに言ったように、いかなる条件で以上のことを行うべきかはハッキリしていないが、島は引き渡されるべきことにはなっていた(it is not clear under what conditions this was to be done, but the islands were to be handed over)。
 何故1956年の条約を取り上げるのか。ソ連はこれらの島を受け取り(received these islands) 、2つの島を戻す用意があった(was ready to return two islands)。すでに述べたとおり、いかなる条件の下で以上のことが行われることになっていたかは明確ではない(it is not clear under what conditions this was to be done)が、2つの島は引き渡されることになっていた(the islands were to be handed over)。ここには、経済活動、安全保障など多くの問題があり、人道的問題もある(There are issues here regarding economic activity, security, many issues, and there are humanitarian matters too)。このすべてが検討されており、我々の注目するところとなっている(All of this is being examined and receiving our attention)。