中韓関係健全化を妨げる心理的要素(中国専門家分析)

2016.09.04.

中国人の国際問題に対する他者感覚及び自己内対話の確かさを知る材料の第3弾は、8月31日付の環球時報が掲載した鄭継永(復旦大学朝韓研究中心主任)署名文章「韓国の対中不健康心理の来源」です。表題としては韓国側の問題だけを取り上げているように見えますが、鄭継永は中国国内の問題にもしっかり目を向けています。中韓関係に関する政治心理学的分析には、中国メディア(専門的研究誌については接する機会がありません)ではこれまでお目にかかったことがなく、私としては新鮮な気持ちで味読しました。

 中韓関係は現在THAAD問題で冷却化しているが、この問題をめぐる両国の口論の中から、韓国社会の対中不健康心理も露わになってきている。この心理は突然に石の割れ目から飛び出てきたものではなく、その根っこを辿れば、中韓国交樹立の時に脇におかれたいくつかのわだかまりまで行きつくことができる。
 1992年の中韓国交樹立は長年にわたる隔絶後の「たまたまの出逢い」であり、高度な意気投合によるというわけではなく、長きにわたって押さえられていた相互の必要性に基づくものだった。すなわち、中国は経済発展を渇望していたし、韓国は東アジアにおける「トップランナー」としての技術、資本及びマネッジメントの優位性をもっており、両者が結びついたことが両国の貿易額の急速な増加を促した。
 国交樹立の際の共通認識に基づき、韓国政府は吉林省延辺地区等に対する領土的要求を持ち出すことはなかった。しかし、韓国民間レベルでは、中国が韓国の「故郷」を占拠していると見なし、中国に対して領土返還を求めるべきだとする認識や主張は絶えることがなかった。2003年、中韓間では高句麗歴史問題をめぐって論争が生じ、最終的には両国が公的角度からの検討はしないということで一段落したが、中韓の民間では歴史にまたがる「わだかまり」が完全に解消するということにはならなかった。その一例は、韓国の「高句麗財団」が「東北アジア財団」に昇格されたことにみられる。
 東アジア史は伝統的に中華文明によって導かれてきたが、韓国の中には、このことによって中国が韓国を2000年にわたって「圧迫」してきたと考え、特に明清時代の属国的地位について釈然としないと考えるものが少なくない。国交樹立当時、韓国はOECDのメンバーであり、アジアをリードするNIESという先進国的立場にあった韓国は、歴史的にはじめて東アジアにおいて心理的優位に立ち、「万里の長城を跨ぐ」というスローガンが1990年代の韓国の中国に対する心理的優位性を表す言葉となった。ところが時が過ぎ、中国経済は高度成長を遂げ、総合的国力も急上昇し、韓国の対中国経済依存はかつてないものとなった。その結果、韓国の心理的優位性は10年ともたず、心理的な優越感が急速に失われるとともに、巨大な心理的落差が生じることとなった。
 根本的にいえば、韓米同盟と中韓経済関係との間には巨大な緊張関係があり、このことは亀裂と矛盾をもたらしている。中韓間に軍事安全保障及び政治関係において問題がひっきりなしに起こるのは、アメリカが朝鮮半島問題に対して行っている深刻な干渉と密接に関係している。アメリカが韓国軍に対する戦時指揮権を掌握している状況のもと、米韓関係はもはや中韓軍事安全保障協力における「越えられないカベ」であり、中韓軍事安全保障協力はそのために「一進一退」の不安定な現象が起こるのが常である。また。朝鮮核問題など厄介な問題において、韓国の中国に対する期待は過度に高く、「中国が電話1本かければ問題は解決でき、朝鮮を屈伏させられる」とまで考えている始末だ。
 同時に、特に2014年以来、中国国内にも、中韓関係が抱える歴史及び現実の問題を無視し、ひたすら韓国に期待し、ひいては朝鮮半島問題で中国は「韓国側に立つ」べきだと無原則な声を上げるものまで現れたし、甚だしきに至っては、中韓関係はすでに「同盟」レベルに達したと考え、韓国側に間違ったシグナルを与えることもあった。例えば、韓国学術界の中では、韓国主導のもとに朝鮮を如何に「統一」するかについて中国と議論しようとする動きまで出てきた。その結果、そういう期待感を満足しようがないため、韓国はさらに中国に対する恨み辛みを増大させることとなり、「力があるのに何もしない」中国という韓国側の対中国観は、中韓間の相互信頼をいたずらに傷つけるだけとなった。
 両国の歴史的齟齬及び現実の対立に対する中韓社会の理解が十分ではなく、しかも相互に現実的でない期待を相手側に対して抱いてしまっており、そうした期待が空振りに終わると逆恨みするというということで、一種の悪循環が生まれている。THAADの韓国配備は中韓間に伏在する問題を活性化し、さらに複雑化している。中韓関係が歴史的及び現実の葛藤を克服して前に進むためには、両国社会が相互の理解を革命的に深める必要がある。