参議院選挙と日本政治

2016.07.12.

ある雑誌に寄稿を誘われて書いた原稿です。字数が限られていて意を尽くせない内容でしたので、もう少し意を尽くした内容に書き改めました。

1.参議院選挙の歴史的意義

 今回の参議院選挙は、戦後日本政治の転換点として後世に記録される可能性がある。具体的には、①日本国憲法(特に9条)の空洞化(解釈改憲)に戦後一貫して邁進してきた保守政治(自公政治を含む)の危険な本質がようやく多くの主権者に認識される状況のもとで行われた国政選挙であること、②保守政治の暴走と改憲策動を阻止するために、4野党が32の一人区すべてで候補者一本化を実現したこと、③いわゆる無党派市民層が積極的な政治参加を果たしたこと、④選挙権年齢の18才への引き下げが国政選挙の結果、ひいては今後の日本政治に大きな影響を及ぼす可能性が生まれたこと、⑤「1票の格差」を判断基準として行われた「合区」だが、参議院の存在理由、ひいては選挙制度のあり方が根本的に問い直されていること、を指摘したい。
 最初に、安倍政権による集団的自衛権行使「合憲」の閣議決定(及びそれに基づく安保法制強行)は、歴代内閣法制局が積み重ねてきた「解釈改憲」の延長線上にあり、その終着点である。その根底にあるのは、ポツダム宣言・日本国憲法とサンフランシスコ体制・日米安保条約との根本的矛盾だ。96条改憲に成算を持てなかった戦後保守政治は、「9条は自衛権行使を排除する趣旨ではない」とする「解釈改憲」に手を染め、以後その手法を積み重ねてきた。安倍政権による「集団的自衛権行使は合憲」とする閣議決定は、その手法をくり返したものである。私たち主権者はこの点を正しく認識する必要がある。
 以上を確認した上で、しかし多くの主権者が、集団的自衛権行使に踏み込むことが如何に危険な結果を導くかという問題意識を共有するに至り、しかもその問題意識が選挙結果を左右する現実的可能性を持つに至ったことの意義は失われるものではない。
 選挙結果について、改憲勢力が参議院でも2/3を超えたことだけが強調されるし、安倍首相は間違いなく改憲策動を今後強めるだろうが、改憲勢力といっても複雑な構成であって、改憲論議を集約することは簡単なことではない。議論が行われる間に衆議院総選挙をはじめとする国政選挙が何度も行われるだろう。私たち主権者には、2/3のカベを再び突きつける可能性を確実に有していることに確信を持つべきである。勝負は今回で終わったということでは決してないということだ。
ただし、次の点は改めて確認しておく必要がある。一口に「改憲」というのはあまり意味がない。中心的問題は9条改憲である。メディアが「改憲勢力」として括るのは改憲(公明党の「加憲」をも含む)を党として主張している勢力のことだ。しかし、9条改憲に関していえば、実は民進党の中にこれを志向する勢力が厳然として存在している。だから、「改憲勢力が2/3を超えた」という議論自体、あまり意味がない。
なお、今回の結果に即して見た場合、議席を後退させたことが強調される民進党は、実は前回参議院選挙の大敗から見れば善戦している(全体の得票率は回復への兆しを見せているし、特に東京では自民党を上回る得票で2議席確保)ことは、今後につながる意味を持っている(ただし、民進党の伸長を手放しで歓迎できるかどうかは、上記のとおり疑問がある)。また共産党も、当初の予想ほどではなかったが、まずまずの結果を出した。社民党と生活の党は予想どおり低迷した。政党として生き残りを図るためには、両党が合併するために協議することが差し当たっての課題となるだろう。
 次に、保守政治の暴走を阻止するための一人区での野党候補一本化は、今回限りの戦術的措置ではなく、来たるべき衆議院総選挙(小選挙区)を視野に収めた戦略的選択として位置づけることで、その画期的意義を認識することができるし、また是非そうでなければならない。東日本大震災の復興が遅々として進まない東北及び米軍基地問題で怒りが募る沖縄での圧勝を含め、11選挙区で勝利を収めた意義は極めて大きい。つまり、自公政治の被害を痛感している地域では、強烈な主権者意識が発揮されるということを示している。今後、アベノミクスをはじめとする安倍政治の本質が露わになるに従い、来たるべき衆議院総選挙に向けて、野党協力推進の客観的基盤・条件がさらに醸成されていくだろう。民共を主軸とする野党協力は今後も粘り強く推進するべきだ。
 第三に、安倍政権の閣議決定及び安保法制強行に反対する行動を出発点として、いわゆる無党派市民層が積極的な政治参加を開始し、参議院選挙でも重要な役割を担ったことは、デモクラシーの生命線ともいうべき「非政治的市民の政治参加」(丸山眞男)が日本社会でもはじめて根を下ろし始めたということである。日本のデモクラシーは戦後60余年にしてはじめて自覚的担い手を持つに至ったと言え、その意義は極めて大きい。
 その点を確認した上で、私自身の率直な問題意識をつけ加えるとすれば、下記2.で指摘する問題は、積極的に政治参加を開始した無党派市民層自身の深刻な問題でもある。望むらくは、無党派市民層が「内向き」傾向を主体的に克服するとともに、特にアメリカ問題をタブーとせず、既存政党に積極的に問題提起することによって、「中国脅威論」「朝鮮脅威論」などのフィクションによって黙り込まされることのない強靱な護憲論、いや、憲法を生かし切る内政外交論(「活憲論」)を推進する担い手となって欲しいものだ。
 第四、1980年代後半以後の新自由主義市場経済の席巻は、日本社会に深刻なひずみを生み出し、様々な経済的弱者を大量に生み出している。日本社会・政治の将来に対する不安は明らかに増大している。そのしわ寄せは若年層に集中している。新たに選挙権を得た18,19才有権者がいかなる投票行動を取るかが重視された所以である。出口調査では、18,19才を含む若年層ほど自公に投票した(朝日新聞)という遺憾な結果だった。しかし、アベノミクスをはじめとする与党政治の本質が明らかになれば、東北地方及び沖縄の選挙結果が予示するとおり、若年層の投票行動が遠からず変わることは間違いない。
 最後に、憲法の定める「法の下の平等」(第14条)は「1票の格差」の問題として論じられ、今回の参議院選挙では2つの「合区」が行われた。しかし、このような「機械的」解決がそもそも正しいかどうかは根本的に考え直すべきだ。地方の疲弊(人口過疎化を含む)は、戦後保守政治の病根を証明するものにほかならない。地方の中央政治への発言権を削ぐだけの「1票の格差」議論は、いい加減に終止符が打たれるべきだ。具体的には、米国上院における各州の対等性を前提にした選挙制度など二院制を取る世界各国の実例をも参照して、第二院としての参議院の存在理由を踏まえた選挙制度を構築するべきである。
ちなみに、主権者一人一人の「個」が確立しているとは到底言えない(したがって体制に迎合する付和雷同性が強烈に作用する)日本の政治土壌を直視するとき、衆議院での小選挙区制が適しているかについても議論するべき時だ。具体的には、かつての中選挙区制への復帰をも視野に収めて、抜本的に議論し直す必要がある。

2.主権者として考えるべき課題

 最後に、私たち主権者が考えなければならない喫緊の課題を指摘しておきたい。
 まず、私たち主権者を含めた日本政治の「内向き」傾向という問題である。私たちは安倍政治の危険性については指摘し、批判するが、安倍政治を支配する米国及びその世界戦略、対日政策についてはほとんど俎上に上らせない。そのもっとも大きい直接的な原因は、日米安保体制については野党間で立場の違いが大きいため、「臭いものにはフタ」式の考慮が働いているためだ。しかし、より根本的には、私たち主権者がしっかりした国際観・国際認識を我がものにしていないことに問題がある。そのために、強いもの(米国)にはペコペコし、弱いもの(かつてのアジア)に対しては横柄になる(この傾向は国際関係に限らず、日本人の対人関係でも強く支配している)。
しかし、日本政治を根本から正し、現実的課題としては自公政治に引導を渡すための野党共闘を戦略的選択として推進していく上では、以上の問題を直視しなければならない。
より根本的問題として、私たち主権者は、日本をして21世紀国際社会とどう関わらせていくか、具体的には、米国の主導する軍事覇権主義に追随する自公政治を承認するのか、それとも、憲法(前文及び9条)に基づく平和外交に徹する道を選択するのかは、すべての主権者が真剣に考えるべき最重要課題であり、そのためにも「内向き」傾向を清算することは不可欠だ。
 次に、戦後日本の出発点はポツダム宣言であって、サンフランシスコ体制ではないという厳然たる歴史的法的事実を主権者としてどう主体的に踏まえるかという問題がある。日本は、ポツダム宣言を受諾し、その諸条項を誠実に履行することを国際社会に約束し、その具体化としての日本国憲法を戦後の出発点とした。ところが、同宣言・憲法が邪魔になった米国は、サンフランシスコ体制を日本に押し付け、これを奇貨とした保守政治はポツダム宣言を「座敷牢」に押し込め、解釈改憲の道に乗りだした。ここに戦後日本政治のゆがみの原点がある。
 以上二つの問題の本質は同じだ。すなわち、私たち主権者は、ポツム宣言・日本国憲法を原点とするか、それともサンフランシスコ体制・日米安保条約を原点とするかという主体的選択が問われているということだ。国際相互依存が不可逆的に進行する21世紀国際社会では大国間の戦争という選択肢はもはやあり得ない。その厳然たる事実を踏まえる限り、米国の軍事戦略に追随するという選択はもはやあり得ないはずだ。
憲法は、制定された1947年当時は「理想主義の産物」だったかもしれない。しかし、国際的相互依存下の21世紀国際社会においては、憲法に基づく力によらない平和外交に徹することこそがもっとも現実主義的な選択なのだ。さらに言えば、日本国憲法に体現された理念・原則は、21世紀国際社会が進むべき進路を指し示す綱領的文書である。私たち主権者は、そういう憲法を我がものにしていることに大いに自信と矜恃を持ち、積極的に国際関係にかかわっていく主体性を養うべきである。