オバマ広島訪問に関するインタビュー発言

2016.07.08.

オバマ大統領の広島訪問に関しては、毎日新聞で事前のインタビューを受けました。オバマの訪広が終わってから、毎日新聞でのインタビュー記事を読んだという日刊ゲンダイ記者からもインタビューの申し込みがありました。二つのインタビューでの発言に対しては結構反響もありましたので、このコラムでも改めて紹介しておきます。

<毎日新聞:オバマ大統領広島訪問・見方(2016年5月19日大阪本社版・5月25日東京本社版 英文毎日でも掲載)>

 日米開戦時の日本軍による真珠湾奇襲攻撃と、日本敗戦直前の米国による広島、長崎への原爆投下は、戦後の日米関係において、のどに刺さったトゲとも言うべき要素だ。米国が日本を一方的に取り仕切る「おんぶにだっこ」の関係から、いまや日本が積極的に米国の世界戦略に協力する「持ちつ持たれつ」の関係へと様変わりしている。オバマ氏の広島訪問は、変質強化された日米同盟関係を盤石なものに仕上げる最後のステップと位置づけられているとみる。
 米政権にとって「核のない世界」はあくまでビジョンに過ぎない。日本の政権にとっても「核の傘」は同盟関係の基軸だ。オバマ氏の広島訪問が核兵器廃絶の第一歩になるとの期待は幻想で、核兵器の堅持を前提としたセレモニーに過ぎない。
 広島と長崎は戦後長年、日本の核廃絶運動の中心的存在として、日米安保体制を最も中心に置く日本政府への対抗軸としての役割を担ってきた。オバマ氏の来訪を無条件に歓迎することは、日米両政府の核政策を全面的に受け入れることに他ならず、日本外交における「お飾り」の役割に徹することを受け入れることになる。
 広島は、戦争加害国としての日本の責任を正面から受け止めると同時に、無差別大量殺害兵器である原爆を投下した米国の責任を問いただす立場を放棄してはならない。そうすることによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類の歩みの先頭に立ち続けることができるだろう。

<日刊ゲンダイ:日米軍事同盟の完成を祝うセレモニー(2016月7月4日)>

 今年5月、現職米大統領として初めて被爆地・広島を訪問したオバマ大統領を日本メディアは「歴史的」と大絶賛したが、本当にそうだったのか。09年4月のプラハ演説で目指す――とした「核なき世界」は前進したとはとても思えない。外務省出身の元広島平和研究所所長・浅井基文氏は、オバマ広島訪問を「単なるセレモニー」とバッサリ斬り捨てた。
――オバマ大統領はプラハ演説でノーベル平和賞を受賞しました。しかし、7年経っても米国は「核大国」のまま。5月にスイスで開かれた国連の核軍縮作業部会でも、米国は核兵器禁止条約の制定に反対し、「核なき世界」の実現は程遠い状況です。
 まず、プラハ演説の内容をよく読むと、オバマ大統領が言っていることは2つ。ひとつは「核のない世界へ」というビジョン、もうひとつは「私の目の黒いうちは核廃絶はないだろう」ということ。つまり、核廃絶の理念は掲げるが、すぐにはできない――とハッキリ言っているわけで、実際、この7年間を振り返っても核軍縮に向けた取り組みは何ひとつありません。
――全く何もやっていない?
 オバマ大統領が核関連の政策でやったことといえば、核保安サミットを開き、テロリストに核分裂物質が渡らないようにする国際的な仕組みをつくったことぐらい。あとはクリーンエネルギーと称して原発を推進した。しかし、原発はプルトニウムを生み出す機械ですから、潜在的な核拡散です。その意味ではプラハ演説と真逆のことをやったわけです。
――「核なき世界」どころか核を推進した。
 そうです。例えば、オバマ大統領は、ミサイル防衛システム(MD)を推進しました。彼はイランや北朝鮮に対抗するため、と言っていますが、本当の"狙い"はロシアと中国です。つまり、MDで先制攻撃を未然に抑え込んで米国の核兵器に絶対的有利な環境を確立しようとしている。その結果、どうなったかといえば、ロシアや中国をますます警戒させることになりました。ロシアのプーチン大統領は米国に対する核攻撃力をさらに高めようとしているし、中国も韓国へのMD配備に神経をとがらせています。そう考えると、オバマ大統領の核政策はマイナス評価しかできません。
――そのオバマ大統領の広島訪問をどう評価していますか。
 この7年間、核廃絶に向けた具体的な取り組みは何もなく、当然、実績もない。それをあらためて確認することにもなるため、ある意味、非常に不格好な訪問でした。彼としては、核廃絶の「ビジョン」を繰り返すこと以外、訪問にメリットはなかったと思います。
――それなのになぜ、オバマ大統領は広島に行ったのでしょうか。
 私は安倍政権が米国側に積極的に働きかけたのではないかとみています。安倍政権は集団的自衛権の行使を閣議決定し、安保法制をつくった。その結果、米国の戦争に日本が積極的に加担することになりました。日米同盟はNATO(北大西洋条約機構)並みの軍事同盟になったわけです。安倍政権は、日米軍事同盟の完成を祝うセレモニーとして広島訪問を演出した。「日米軍事同盟は平和のため」とアピールするためです。
――日米同盟が強化された"ご褒美"みたいなものですか。
 オバマ大統領にとっても決して悪い話ではない。しかも、プラハ演説で始まり、広島演説で終わるということは、「核なき世界」というオバマのビジョンを世界にあらためて発信する効果も期待できる。つまり、広島訪問とは、ありていに言えば、セレモニーであり、アリバイづくりでもあった。だから、原爆資料館もわずか10分そこそこで出てきた。おそらく、入り口近くの大きなパノラマ展示品を見ただけで戻ってきたのでしょう。
――それでも広島県民、市民は歓迎ムード一色でした。
「ノーモア広島」を訴えてきた歴史を考える時、広島市民がもろ手を挙げて喜ぶ姿には違和感を覚えました。まがりなりにも広島は、タテマエは核廃絶を訴えつつ、ホンネは米国の核の傘におんぶにだっこという二重基準の日本政府に対する対抗軸でした。そこに広島の存在理由があり、だから世界の核兵器廃絶運動も広島をメッカと位置付けてきたわけです。
 しかし今回、その二重基準の日本政府がお膳立てしたオバマの広島訪問を無条件で受け入れることで、広島は核廃絶運動のメッカとしての立場を自ら捨ててしまった。これは「ノーモア広島」どころか、真逆の方向です。今後、世界の広島を見る目は変わっていくでしょう。
■広島演説はプラハ演説より"退化"した
――オバマ大統領の広島演説は「歴史に残る」といわれています。
 先ほども言いましたが、核廃絶の実績は何もないため、広島演説はプラハ演説より"退化"せざるを得ませんでした。だから、内容は極めて抽象的で、過去の追憶と理念を17分間話しただけです。あの演説のどこが格調高い優れたものなのか。私には分かりません。
――被爆者の肩を抱く姿もテレビなどで繰り返し報じられていました。
 オバマ大統領の人間としてのヒューマニズムにケチをつけるつもりはありません。しかし、米国大統領の広島訪問というものが、あの1枚の写真で美化されるというのは、あまりにも物事の本質のすり替えが行われているような気がします。
――メディアは広島訪問が決まった時から「歴史的訪問」と大騒ぎし、当日はNHKが特番で生中継しました。メディアの取り上げ方、報道のスタンスについてどう見ましたか。
 メディアの「ヒロシマ」の取り上げ方はいつも同じで、今回が突出していたわけではありません。つまり、彼らにとって(1945年に広島に原爆が投下された)8月6日というのは、しょせんは「ハチロク」という名の行事、イベントなんです。(広島平和研究所の)所長時代、毎年7月になると、各メディアが「今年の目玉は何ですか」と尋ねてきて閉口しましたが、今回もその延長であり、彼らは特別なイベントとして扱ったと思います。
――メディアは安倍政権発足以降、とりわけ劣化が著しいと指摘されていますね。
 今日の日本メディアの体質で、最も病的だと感じるのは、政権側から流れてくる空気に決して抗わず、自己規制する姿勢です。対照的なのは欧米メディアです。権力に対して「報道の自由」という基本的権利を勝ち取ってきた歴史を持っているため、ワシントン・ポストのような保守系メディアであっても、権力が誤った方向に進んでいる――と判断すれば厳しく追及する。
 ところが日本メディアはそういう気概がありません。欧米と異なり、「報道の自由」は戦後憲法によって与えられたもので、自ら勝ち取った歴史がないからです。政治的空気が変われば自然と報道姿勢が変わっていく。これが日本メディアの体質なんです。歴史を振り返れば「二・二六事件」で、将校が輪転機に砂をぶっかけた翌日から報道内容が変わっちゃったわけですから。
■日本国憲法は世界を脱軍事化に導く指針
――時の権力とメディアが同じ方向を向くと戦前に逆戻りです。また先の大戦のような展開になるのでしょうか。
 今の世界は、経済を見れば分かる通り、国際相互依存でがんじがらめの状態です。米中間で銃声が一発鳴り響けば、あっという間に世界はぺしゃんこになる。もはや大国間の軍事衝突はあり得ず、世界は脱軍事化に進まざるを得ません。これは誰でも分かるはずなのですが、残念ながら政治が追い付いていないのです。
 そこで今こそ、私は日本の出番だと思っています。日本国憲法は(施行された)1947年当時は「理想の産物」だったかもしれないが、今は世界を導くもっとも現実的な指針です。この憲法に基づき、日本が率先して軍事力を廃止しようと声を上げるべきです。日米軍事同盟を終了すれば、中国の対日姿勢もやわらぐでしょう。日本が率先して非軍事化の声を上げることで世界はガラリと変わっていくと確信しています。