トルコ・エルドアン外交の挫折(中国側分析)

2016.07.03.

6月30日のコラムで紹介した李偉建文章は最後に、「注目に値するのは、エルドアンのプーチン宛書簡においては、謝罪のほかに、いかなる提案をも受け入れる用意があると述べていることであり、そのことの方が ロシアにとってより興味があることかもしれない。ということは、今後、トルコがシリア問題においてロシアといかなる協調を行うかについて想像をかき立てられるということだ。確かなことは、ロシアは必ずこの点について動きを見せるだろうということであり、仮にトルコがシリア問題でいかなる妥協もしないとすれ ば、ロシアの許しを獲得することは恐らく無理だろうということである」と指摘していましたが、その見通しは早くも、7月1日にソチで開催された黒海経済協力機構外相会議に出席したトルコのチャヴシュオール外相とラブロフ外相との間で行われた会談で的中しました。この会議の後で記者会見したラブロフ外相は、次のように述べたのです。

 (質問)トルコのチャヴシュオール外相との会見について何かあったか。この地域におけるテロとの戦い、トルコ・シリア国境の監視に関して何か特別の合意が達成されたか。
 (回答)テロとの戦いについて両国が協力する緊要性が増していることはいうまでもないことだ。両国は、外務省及び情報部門の代表を含む、テロリズムと戦うためのワーキング・グループ(WG)を設置した。このWGは明らかな理由によって過去7ヶ月間活動を中止していたが、本日、活動を速やかに再開することに合意した。
 私の考えでは、シリア政府の要請によるロシア軍の行動と米主導連合におけるトルコの参加を考慮して、軍事部門を含む他のチャンネルを通じた両国の接触を進めることもできるだろう。両国間の接触を通じて、もっとも複雑な問題を含むすべての問題について議論することができると確信している。その中には、シリア内のテロリストに対する供給を阻止する必要性、シリア内のテロ組織を支援するためのトルコ領の利用を防止することが含まれる。我々は今日、これらの問題について概括的に話し合った。我々の共通の目標を現実に達成できることを希望する。

 ちなみに、7月2日のコラムで紹介したプーチン演説では、「テロリストは、リビア、イエメン、アフガニスタン、中央アジア諸国、我が国境地帯に足場を築く目標を設定している。我々が去年の秋にシリア政府の要請に応えてテロリストとの戦いに応じたのは正にそれゆえであった」と述べていますが、6月28日にイスタンブールのアタチュルク空港で起こったテロ事件の実行犯は、ロシア、ウズベキスタン、キルギスの出身者で、ロシアのパスポートを所持していると報道されており、プーチンの以上の指摘を客観的に裏付けています。
 トルコ外交が急変への動きを示していること(対露政策だけではなく、トルコはイスラエルとの関係回復にも動いている)は、今後の中東情勢に大きな影響を及ぼす可能性があります。7月2日付の北京青年報は、博聯社総裁の馬暁霖署名文章「双方に屈伏 トルコの強硬外交の柔軟化」を掲載しました。検索サイト・百度によれば、馬暁林は新華社で17年間働き、専門は中東問題、2005年に辞職して民間ブログ通信社である博聯社を設立したとあります。経歴から見ても、この文章が注目に値することが分かります。以下はその要約です。

 6月29日、プーチンはトルコに対して約半年間行っていた旅行禁止令を解除し、厳しい冬の時代を経験していたトルコ旅行業に善意を送ったが、これはまたトルコが6月27日にロシア戦闘機撃墜について行った謝罪に対する報酬でもあった。ロシアに謝罪した同じ日、トルコはイスラエルとの間でも関係凍結解除の合意を発表し、ガザ地域の人道的機を緩和する「外交的勝利」だとした(しかし、イスラエルはガザに対する封鎖解除に同意していない)。ロシアに頭を下げ、イスラエルと和解することにより、トルコは明らかにその強硬外交を柔軟化させることを開始した。
 昨年11月24日、トルコはトルコ領を侵犯したとして対テロ作戦に従事していたロシア軍機を撃墜し、情勢はがぜん緊張した。トルコが謝罪を拒否したため、ロシアは対トルコ輸出を部分的に停止し、ロシア人のトルコへの旅行を制限した。両国が自制を保ち、傷口を広げることはなかったが、経済貿易及び旅行往来が挫折を被ったことは、度重なるテロ攻撃で深手を被ったトルコ経済にとっては新たな傷口となった。今回の和解はもとよりロシアも望むところではあったが、トルコが先に食言したわけで、自ら主動的に頭を低くして対露関係を修復したということだ。
 トルコ・イスラエル関係の凍結は6年という長きにわたっている。その直接の原因は、2010年にトルコ船隊がイスラエル海軍の警告及び阻止を無視して、ガザに人道物資を無理やり送り込み、その結果10人のトルコ人が死亡し、トルコが大使を召喚し、両国間の経済的軍事的協力を凍結したことにあった。今回の和解は双方の妥協によるものだ。すなわち、イスラエルは賠償の支払いに応じ、トルコがガザに対して援助を提供し、インフラ投資を行うことを認めた。トルコは、イスラエル軍に対する刑事告発を撤回した。双方が歓迎する関係修復は、2008年以来トルコがイスラエルに対して取ってきた強硬政策にピリオドが打たれたことを示している。
 ロシア軍機の撃墜にせよ、イスラエルに対する強硬姿勢にせよ、ともにトルコあるいはエルドアン自身の「衝動外交」の結果であり、両者の間には論理的な一致性及び行動における継続性がある。ロシア軍機撃墜の直接的動機は、ロシアがシリアに出兵し、戦場におけるパワー・バランス及び地縁政治のダイナミックスを変えたことにより、シリアにおけるトルコの駆け引き勘定をかき乱したため、トルコが怒りにまかせ、欧米同盟国すらもが驚く攻撃に出たことにあった。イスラエルに対する強硬姿勢についていえば、トルコが近年急にイスラエルとパレスチナの衝突に熱心になり、イスラエルという伝統的盟友を次第に疎遠にすることによって、イラン及びアラブ諸国の好感を獲得しようとしたことにある。
 さらにマクロ的に分析するとき、ロシア及びイスラエルとの関係悪化は互いに関係のない事件のように見えるかもしれないが、双方が明らかにしているのはエルドアンの強権政治の行動スタイルということだ。10年以上続いた経済成長はエルドアン長期政権の基盤と自信をうち固め、軍部による脅威を次第に取り除くとともに、権力を集中して統治する条件を形成し、その内外政に関して強硬に走り柔軟性を欠く、粗放で覇権的な傾向を助長した。EU加盟がしばしば邪魔に遭遇し、多極化が進むという外的誘因に駆られ、また、「汎トルコ主義」「汎イスラム主義」という2つのイデオロギーに駆られたエルドアンは、数十年にわたって続いてきた「脱亜入欧」路線を「脱欧返亜」に切り換え、中東を支配し、イスラム世界の先導者になろうとした。
 トルコは以上の政策のもと、イラン核危機を積極的に仲介し、パレスチナとイスラエルとの衝突に介入してパレスチナと親密になり、イスラエルとの関係は疎遠になっていった。2011年に「アラブの春」が勃発してからは、トルコは大っぴらにアラブ諸国の内政に干渉し、各国における街頭デモを支持した。具体的には、ムスリム同胞団に肩入れすることによってエジプト軍部の怒りを買い、トルコ・エジプト関係は悪化した。シリア危機に関しては、伝統的友好国だったシリアと敵になっただけではなく、スンニ派ムスリムの盟主を自任して、イランと相互に恨みを抱くことになった。クルド武装組織がアメリカの支持のもとで対テロ作戦に参加し、地盤を拡大してからは、トルコはイラク領に派兵侵入して留まり、ここでもまた新たな問題を作った、等々。
 ここ数年来、かつては「問題ゼロ外交」を誇っていたトルコは今や「問題まみれ外交」であり、四面楚歌となって空前の孤立に陥っている。トルコがロシア軍機を撃墜したことに対しては欧米の全面的な支持と同情は得られたわけではなく、ましてやシリアにおける露米による勢力範囲の分割及び戦争を推進することで対話に向かうという動きを変えさせることはできなかった。事ここに至って、トルコの地域外交は全線で失敗し、十年近くにわたる苦心した努力は水泡に帰し、しかも公然とテロリズムに対して宣戦したことにより、もはやイスラム国による武装攻撃を免れる安全地帯でもなくなった。トルコは、中東という大きな碁盤のプレーヤーの一つだが、ついに災いを招いて身を滅ぼしたのであり、自らがまいた種の苦い結果をのみ込むことを強いられた。
 トルコが昨年5月にエルドアンのイラン訪問で政策調整、強硬外交の柔軟化を開始したとするならば、最近、ロシア及びイスラエルとの和解を加速させたことはそういうプロセスの一環ということも可能だ。経済発展の停滞、クルド危機の再現、反対勢力の抵抗加速、ダウトオール前首相が袂を分かったこと、特に難民問題における困惑と度重なるテロ攻撃など、対外強硬政策が内部から瓦解させられたことは疑問の余地がなく、エルドアンとしては、地域超大国という理想は如何に魅力的であっても、トルコの実力はそれに伴わないという現実が骨身にしみたことだろう。
 トルコが外交を調整し、スタイルに変化をきたしていることは明らかで、理性的、穏和的、実務的に向かうだろうが、エルドアン個人の烙印が強いトルコ外交は、衝動、動揺、行きつ戻りつ、乱高下という特徴から一気に抜け出すことは不可能である。トルコがいかなる方向に向かうかについては、依然として遠くまで見通すことはできない。