「丸山眞男の思想に学ぶ
-21世紀に生きる私たちにとっての思想的宝庫-」

2016.06.04.

私のWSの「丸山眞男」のページをリニューアルしたことにお気づきの方はおられるでしょうか。まだまだ見直すべき点が多々あるのですが、基本的には完成しておりますので、覗いてみていただけたら幸いです。
 私事ですが、私は昨年から大阪経法大学の客員教授になっていまして、昨年度には同大学アジア太平洋研究センター@東京麻布大セミナーハウスにおいて、「戦後日本外交史」と題して3回の連続講座を担当しました。出席者がとても熱心に聞いて下さったのが励みと刺激になり、今年度は珍しく私から手を挙げて、表題のタイトルで3回連続の市民講座をやらせてもらう予定(10月25日、11月15日、12月6日)が目下進行中です。もっとも私の正直な気持ちとしては、3回ではとても足りません。もし現役の大学教員時代であったならば、1年(最低でも半年)を通した講義・ゼミのテーマとして、学生たちと一緒に学び、語り合いたいところですが、今の私にはかなわぬ夢です。
 以下の文章は、この「市民アカデミア」の受講生募集パンフレットに載る予定の原稿です。まだ最終的に決まったものではなく、実現しないかもしれませんが、私が「丸山眞男」のページをリニューアルした目的意識は以下の文章に凝縮されていますので、皆様にも紹介させていただきます。

(趣旨)
 日本政治思想史研究の第一人者である丸山眞男に関する研究は数多く行われてきている。しかし、外務官僚から大学の世界に入った私から見る時、丸山の最大の魅力は終生変わることのなかった内外現実政治に対する旺盛な、そして人間味溢れる好奇心であり、歴史を的確に踏まえかつ将来を鋭く見通した発言の数々である。私は丸山の発言から限りない刺激を受けてきたし、丸山の存在を抜きにして今の私はない。私は、一人でも多くの人に私の丸山理解を共有して欲しいし、それは必ずやその人たちの内外政治を見る目を養うと確信している。これが今回講座開講の趣旨である。
(参考文献) http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/index.html
第1回:思想形成の歩みと丸山政治学の基線
 丸山眞男に対しては西洋思想にコミットした合理主義者であると批判される。また、「学者でもなければ思想家でもない奇怪な怪物」(吉本隆明)という評価もある。しかし、丸山の思想形成の歩みをたどれば、そういう批判・評価は極めて皮相的であり、丸山の思想はそのような生半可なものではなく、丸山の生き様そのものであることが理解される。そこで、内外政治に対する丸山の発言を理解する前提として、彼の思想形成の歩みと丸山政治学の基線を確認する。また、丸山は被爆者でもあったが、彼自身が唯一取り組みを怠ったテーマとする「原爆体験の思想化」という問題について、彼の晩年の発言を手がかりに、彼がどのように考えをめぐらしていたかについても考察する。
第2回:日本の思想に対する透徹した眼差し
 丸山眞男の高弟であり、日本政治思想史の泰斗でもある石田雄は、日本の思想に底流する「執拗低音」に関する丸山の研究を「脇道にそれた」ものと批判したことがある。しかし、長年外交実務にかかわった私は、「歴史意識」「政治意識」「倫理意識」に関して丸山が剔抉した「執拗低音」は、今日の日本人の思想にも根強く底流していることを痛切に実感してきた。この「執拗低音」こそ、私たち日本人における「普遍」及び「個」の欠落の根本的原因ではないか、そのことはまた、私たちの人権・デモクラシー及び国家に関する認識のあり方をも根源的に規定しているのではないだろうか。これらの重要な点は、丸山眞男に関する先行研究における盲点になっていると考えられるので、私の理解を紹介する。
第3回:日本政治・国際政治に対する慧眼
 丸山は、戦争直後から1960年代初にかけて、日本政治のあるべき姿について、極めて鋭い、広く影響力を及ぼす発言を行った。特に、日本国憲法の先駆的意義、日本デモクラシーの病理、日本的「国家」「ナショナリズム」の特異性に関する指摘は、今日においてもまったく色あせることのない説得力を以て私たちに迫って来る。また、丸山は東大退官後、日本政治思想史研究に注力するようになったが、数々の集会・会合における自由闊達な発言を通じて、死去する寸前まで内外政治に対して鋭い関心を寄せ、極めて明晰な分析・指摘を行うことを忘れなかった。内外の主要問題に関する丸山の発言を紹介しつつ、21世紀の日本の政治外交のあり方を考える。