オバマ大統領の広島訪問とマス・メディアの報道姿勢

2016.05.29.

オバマ大統領の広島訪問及びそこでのスピーチに対しての国内の受けとめ方は、例えば、5月28日付の朝日新聞が掲載した神戸外国語大学の山本昭宏准教授の「インタビュー」発言のように批判的に捉える見方もごく一部にはありますが、総じて言えば「歓迎一色」で塗り固められているように見受けられます。私のような者にも、一部のマス・メディアからの取材がありましたが、私を昔から知る記者はともかく、はなから肯定的コメントが発せられることを前提とした取材姿勢が露骨な取材姿勢には閉口しました。もっとも、このような「歓迎一色」のマス・メディアの報道姿勢に対して違和感を抱く人も少なくなかったようで、私が毎日新聞の取材に応じて行ったインタビューでの発言(5月16日付コラムのダイジェスト版)に「共感する」という感想にも接しました。ちなみに、毎日新聞の私の発言は、最初は大阪本社版に掲載されたのですが、その後東京本社版にも掲載され、さらには英文毎日にも転載されたとのことです。
 閑話休題。私はこのコラムで上記5月16日付を含めすでに2回、オバマの広島訪問を取り上げています。このコラムでは、内容に立ち入る前の問題として、物事に対する見方のあり方ということについて、マス・メディアが典型ですが、私たち日本人にも広く見られる問題点について指摘しておきたいことがあります。それは、物事には多面性があるのであって、私たちにとって重要なことは、枝葉末節に囚われず、何が本質的であり、踏まえておかなければならない重要なポイントは何かということを見極める眼力を持たなければならないということです。
 オバマの訪広に即していえば、オバマは現役大統領として最初に広島を訪問した人物であること、オバマが原爆資料館をわずかな(本当にわずかだった!!) 時間にせよ訪問し、被爆者と言葉を交わし、その一人をやさしく抱いたこと、スピーチにおいて「核のない世界」実現に対する強い気持ちを表明したことなどなどは現象としては事実です。私もそういう面・内容があることを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、オバマの訪広に関しては別の面・内容があります。ところがマス・メディアは、もっぱら物事のこうした現象面だけを大書特筆し、それがすべてであるかのように描き出したのです。マス・メディアの報道によってしか物事を判断する手だてを持たない多くの人々の見方も当然その方向に流されるわけです。
しかし、オバマ訪広はそういう現象面だけではありません。本質面に目を向ければ、何故オバマは今回広島を訪問したのか、その動機は何か、背景には何があるのか、訪問によって実現しようとした目的は何か、また、オバマ訪広の実現を強力に推進したのは安倍政権(というより安倍首相)ですが、そうした安倍政権の動機、背景、目的についても考えなければなりません。さらに、オバマの訪広は日米関係ひいては国際政治における「事件」ですから、それが日米関係ひいては国際政治において有する意味合いは何か(オバマ大統領及び安倍首相は日米関係及び国際政治にどういう意味合いを持たせようとしたのかを含む)という面も考えなければなりません。
 そのようにオバマ訪広が持つ多面性を確認した上で、これらの中で抑えなければならない重要なポイントは何かということを考えるのが当然取るべき順序です。「歓迎一色」のマス・メディアはこの順序をもまったく踏まえず、ひたすらオバマ訪広という現象面に埋没している点で、そもそも失格なのです。
 私は、オバマ訪広の現象面に目を奪われるのではなく、その本質面に目を向ける必要があると確信します。もちろん、日米関係にまったく問題がなく、国際政治的にもめでたしめでたしの状況のもとで、オバマ訪広がまったく没政治的なお祭りとして行われたのであれば、重箱の隅をつついて物事を「政治化」するのは誤りです。しかし、「オバマは核兵器廃絶への強い決意を表明した」という類の評価に代表されるマス・メディアの報道姿勢そのものが、オバマ訪広を「お祭り」として捉えておらず、「重要な政治的意味づけ」を与えているのです。
マス・メディアに致命的に欠けていたのは、日米関係及び国際政治という枠組みのもとでオバマ訪広はどう位置づけるのかという視点でした。しかし、日米軍事同盟の強化のために安倍政権が集団的自衛権行使は「合憲」という閣議決定を行い、それに基づいて安保法制の成立・実施を強行してきたという背景はきわめて重い事実として私たちの目の前にあるわけです。また、その安倍政権は尖閣問題や南シナ海問題を根拠に「中国脅威論」を前面に押し出して日米同盟強化の必要を強調しているのですから、オバマ訪広は国際政治的にどういう意味を持つのかを考えなければならないのもイロハに属することです。
 以上のような多面的性格を考慮した上で、結論として「歓迎一色」の論調を展開するという立場を明確にするのであれば、それはそれなりの見識であると言えるでしょう。私はまったく同意しませんが、マス・メディアの中でそれだけの見識を示すものがあれば、私はそれなりの敬意を表するにやぶさかではありません。しかし、現実がそうでなかったことは誰の眼にも明らかです。
 私が長々とこのようなことを書き連ねたのは、オバマ訪広に限らず、日本のマス・メディアの報道姿勢が今や常にこうしたものばかりだからです。しかも深刻なことに、マス・メディアが特筆大書する内容は、極めてしばしば「お上」(安倍政権に至る政府・与党)が宣伝する方向性に従っているからです。オバマ訪広に関するマス・メディアの報道姿勢はその典型例でした。しかし、日本のマス・メディアのこうした報道姿勢は日本政治を止めどもなく劣化させるだけです。あえて物事の基本的見方についてもの申した次第です。