オバマ訪広(某紙書面インタビュー)

2016.05.16.

*オバマ訪広に関してあるマス・メディア紙から取材があり、書面で回答したものです。掲載にあたっては600字前後になるということですので、ここでは私が記した全文を紹介します。5月14日付コラムと若干ダブる点がありますが、設問内容に即して私の認識を示していますので、ご参考まで。

<このタイミングで米現職大統領が広島に来ることの評価>
 戦後の日本人の対米感情はおおむね好意的に推移してきたが、1954年のビキニ環礁での第5福竜丸乗組員の被ばくをきっかけに、国民的な核兵器廃絶運動が起こり、広島・長崎に原爆を投下した米国の責任を問う広汎な世論も存在する。また、プラハ演説で「核のない世界」へのビジョンを述べたオバマ大統領に対しては、広島市を含む日本各界から被爆地訪問を希望する声も大きい。
したがってオバマは、任期中に被爆地を訪問することで日本の世論に応えることを具体的な対日公共外交課題の一つと設定したと思われる。オバマは、米国国内に根強い大統領の訪日に反対する世論に配慮しつつ、ケネディ駐日大使及びケリー国務長官による訪広によって、自身の訪広がリスク・フリーであることを確認するという用心深いステップを踏んだ上で、恐らく最後となる日本公式訪問の今回の訪広を決定したのだろう。したがって、タイミングそのものには格別な政治的含意はない。
<今回の訪問を戦後の日米関係の中でどう意義づけるか?>
 戦後の日米関係において、のどに刺さったトゲともいうべき要素は、日米開戦時の日本による真珠湾奇襲攻撃と日本敗戦直前の米国による広島・長崎に対する原爆投下である。他方、1952年当時の日米旧安保条約と、2015年の安倍政権による集団的自衛権行使「合憲」閣議決定及びその後の安保法制成立によって裏付けられた現在の日米同盟とを比較すれば一目瞭然であるように、日米関係は、アメリカが日本を一方的に取り仕切るいわば「おんぶにだっこの」関係から、いまや日本が積極的に米国の世界戦略に協力する、いわば「持ちつ持たれつの」関係へと様変わりしている。 日米両国政府としては、こうした日米関係の変質を名実共に完成させるためには、上記2つのトゲ(歴史的遺産)を抜き去る必要があると認識することはごく自然である。今回のオバマ訪広は(巷間伝えられている安倍首相の真珠湾訪問と合わせ)、変質強化された日米同盟関係を盤石なものに仕上げる最後のステップとして日米両政府に位置づけられていると見られる。
しかし核兵器廃絶を希求する国民世論にとっては、オバマ訪広はいかなる積極的意味をも持たない。オバマ政権(米国)にとって、「核のない世界」はあくまでビジョンに過ぎず、核デタランス戦略したがって核戦力保有政策は微動だにしていない。また、安倍政権(日本政府)にとっても米国の拡大核デタランス(「核の傘」)は日米同盟の基軸だ。したがって、オバマの訪広が核兵器廃絶に向けた第一歩になるのではないかという期待を抱くものがいるとすれば、それは幻想以外の何ものでもない。
<今後の日本の外交の中で、広島の位置づけがどのように変わるか、変わらないのか>
 外務省での実務経験を持つものとして率直に指摘せざるを得ないのは、核問題に関する日本外交において広島(及び長崎)に与えられた位置づけは「お飾り」以外の何ものでもないということだ。より根本的に、政府・外務省においては、日米安保体制堅持が最中心に座り、軍縮(核を含む)問題は一貫して脇役、それも日米安保体制堅持に邪魔にならないことを大前提とするいわば「日陰の存在」だ。核兵器廃絶を希求する国民世論の存在を無視しえない政府・外務省にとって、核軍縮自体が「鬼子」的厄介物でしかない。
 戦後長年にわたり、広島(及び長崎)は、日本の核廃絶運動のメッカ的存在として、核兵器廃絶問題に取り組む姿勢ゼロの政府・外務省に対する対抗軸としての役割を担ってきた。しかし、1960年代以後の高度経済成長、戦争体験の「風化」、国民意識の保守化等の全般的状況並びに、広島及び核廃絶運動における様々な要因の働きにより、広島は今や対抗軸としての機能を担う意思も能力も失ってしまっている。
 その端的な表れが、日米両政府主導で実現する今回のオバマの訪広であり、それを無条件で歓迎する広島の姿である。つまり、オバマ訪広は核兵器廃絶とは一切関係のない、それどころか核兵器堅持を前提にして行われるセレモニーに過ぎず、それを歓迎する広島は日米両政府の核政策を全面的に受け入れるというにほかならない。つまり、政府・外務省に対する対抗軸としての自己規定を最終的に放棄するということだ。そしてこれからは、日本外交における「お飾り」としての役割に徹することを自ら進んで受け入れるということでもある。
<核軍縮、核廃絶をめぐる世界的な動きの中での意義付けは?>
 核兵器の廃絶を目指す世界的な動きには消長があり、日本国内における動きについても同様であって、オバマ訪広に対する評価・意味付与に関しては、立場如何により様々な見方があるだろう。しかし、プラハ演説を行った蔡のオバマに対する国際的評価・期待は高かったことは事実(その端的表れがオバマに対するノーベル平和賞授与)ではあるにせよ、その後7年にわたるオバマの実績に対する国際的な評価は総じて極めて厳しい。オバマが行った主要政策としては核セキュリティ・サミットが唯一のものだが、その主眼は核物質の国際管理と原発推進であり、核兵器廃絶はおろか、核兵器削減に向けた取り組みはゼロである。
 したがって、オバマの訪広を核軍縮及び核兵器廃絶と結びつけて評価する国際的な動きは皆無といって過言ではない。むしろ、オバマ訪広について浮き足だった反応を示している日本国内の動き(特にマス・メディア)の異常さだけが突出しているのが実情であると言わなければならない。
<今回の訪問を前にした広島、長崎(被爆者)の反応について思うことは?>
 私は広島を離れてすでに5年以上になり、広島(及び長崎)の反応については正確に把握するすべを持っていないので、無責任な発言は慎むべきだと考えている。
 しかし、次のことだけは是非紹介させて欲しい。すなわち、韓国外務省スポークスマンは5月12日、韓国政府がオバマの訪広に対する関心を米国政府に表明したと紹介したことである。同スポークスマンは、広島の被爆者の中には多数の韓国人が含まれており、したがって韓米間で協議した際にこの点に関する関心を米側に表明したという。これに対して米側は、韓国人被爆者を考慮し、米側としては「すべての無辜の犠牲者」という表現を使用していると韓国側に説明したことも明らかにした。また、韓国保健福祉部は13日、本年4月現在の韓国居住の被爆者数が2501人であることなどの関係データを公表した。
 韓国連合通信の報道によれば、韓国の被爆者関係の団体は、オバマが米国政府を代表して広島平和公園内にある韓国人被爆者記念碑に献花し、謝罪し、賠償を提供することを要求するという立場を明らかにした。またもう一つの団体も、韓国人の原爆による被害は日本の強制連行によるものであり、オバマが日本人被害者に対して謝罪しないとしても、それは日本が「戦犯国」であるからであり、韓国は日本の植民地支配の被害国であって、オバマは韓国人被害者に対しては謝罪するべきだという立場を明らかにした。
 韓国外務省スポークスマンの上記表明は、こうした韓国人被爆者関係団体の明確な対米要求を背景に行われたことは容易に推定できる。私が以上の韓国側の動きを紹介する趣旨はほかでもない。すなわち、広島(被爆者を含む)が今日なお政府・外務省に対する対抗軸としての矜恃を持そうとするのであれば、以上に述べたような安倍政権及び日米両政府の勝手な動きをチェックすることこそが広島としてなすべきことだということなのだ。
 すなわち、日本が「戦犯国」であることは、米国がその日本を降伏させるためには手段選ばなくてもよい(原爆投下も許される)ということとはまったく別次元の問題だ。戦争の正当性という問題と戦争における正当性という問題はあくまでも区別しなければならない。広島は、日本の戦争加害国としての責任を正面から受けとめる(韓国人を含む外国人被爆者に対する日本国家の責任を承認する)と同時に、米国が大量無差別兵器である原爆を投下した責任を正面から問いただす立場を放棄することがあってはならないのである。広島は、そういう立場を堅持することによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類的あゆみの先頭に立ち続けることができるだろう。