安倍首相訪露と中国側見方

2016.05.08.
2016.05.16.加筆

 5月6日の安倍・プーチン会談で、安倍首相が「新アプローチ」を提案したということが大々的に国内マス・メディアで報じられた件に関し、5月12日に定例記者会見でザハロヴァ報道官は記者の質問に対して次のように述べ、「新アプローチ」を実質的に否定しました。参考までに、記者とのやりとり部分を紹介しておきます。

(質問)最近のプーチン・安倍会談の後、ラブロフ外相は、平和条約に関する協議が6月に次官レベルで続けられると述べた。この会合では何が議論される予定か。何を期待するべきか。
(回答)これは従来からの形式(a traditional format)であり、新たな工夫(an invention)ではない。我々は、なんらの新形式(any new format)をも用いることはなく、トップレベルのコンタクトに関する仕事を行うだけだ。

(以上までが今回の加筆部分)

5月6日に行われた安倍首相とロシアのプーチン大統領との非公式会談について、国内の報道では、安倍首相がプーチンに「新アプローチ」による領土問題・平和条約締結問題での交渉を進めることを提案し、両者が一致したとする点が特筆大書されています。しかし、同日付のロシア大統領府WSによれば、「両指導者は、二国間の貿易、経済及び人道的な協力に関する現状と展望並びに現在の国際問題について意見を交換した」と述べるだけで、安倍首相の「提案」なるものに対する言及はゼロです。
この会談の模様を報じた中国の新華社電(6日付)も、安倍首相による「新アプローチ」提案と両指導者の一致という共同通信の報道を紹介すると同時に、ロシア大統領府のペスコフ(音訳)報道官が、領土問題に関して両者は建設的な議論を行ったこと、両国外交当局が引き続き協議することを述べたのに留まったことを併せて指摘し、「領土紛争というカギとなる問題では違いが引き続き存在することを見て取ることができる」と指摘しています。
私は、1月30日付のコラム「日露関係に関するラブロフ外相発言」で、「ロシアが領土問題で日本の主張を受け入れる可能性は限りなくゼロに近いというメッセージをラブロフが伝えようとしていることは、誰の眼にも明らか」であり、「プーチンは百戦錬磨の政治家ですから、領土問題を「エサ」にして日本からの経済協力を最大限に引き出そうとしていることは素人でも分かることですが、その プーチンにすがりついて、「個人的信頼関係」とやらで領土問題についても何とか進展をと安倍首相が考えているのであるとすれば、それは脳天気以外の何ものでもないでしょう」と指摘しました。
そういう私の基本的判断からすれば、安倍首相の「新アプローチ」提案なるもの、そして両首脳がその提案に「一致した」とする日本政府側の紹介は、今夏の参議院選挙向けの宣伝以外の何ものでもないとしか思われません。日本メディアが政府(大本営?)発表を垂れ流す姿勢には呆れるのを通りこして暗澹とした気持ちにならざるを得ません。
中国側の報道によれば、今回の安倍・プーチン会談に先立って、複数のロシア政府関係者が日本側の過度な期待を戒める発言を行っていることも分かります。私が疑問を覚えざるを得ないのは、私が見落としている可能性はありますが、国内の報道ではこういうロシア側の「事前警告」がまったく報道されていないと見えることです。
例えば6日付の新華社電は、ペスコフ報道官が4日の記者会見において、首脳会談では領土問題が議論される可能性は極めて大きいが、ロシア側としてはこの問題に関して「目に見える進展を期待することはほとんど不可能だ。なぜならば、この件はすこぶるセンシティヴな問題だからだ。(この問題の解決には)専門家によるきめ細かな、長期にわたる系統的な努力を必要としている」と表明したと、彼の発言を引用しました。また、ロシア外務省のザハロワ報道官も6日、ロシアは日本との全方位かつ真剣な対話を行うことを主張しているとし、対話は政治的な影響を受けるべきではなく、双方が関心のあるすべての問題を議論できるものであるべきで、「これがすべての問題を解決するための前提だ」と指摘したそうです(6日付中国新聞網)。
参考までに、中国側の見方も紹介しておきます。中国側論調を見ますと、今回の安倍訪露について中国が強い関心を寄せていることが見て取れます。私の目にとまっただけでも、以下のような文章があります。
◯6日付人民日報海外版「焦点・安倍プーチン会談 日露関係における「春到来」は難しい」
◯同日付新華社記事「安倍、プーチンと会談 次の一手も定かでない将棋」
◯同日付環球時報所掲、周永生(外交学院国際関係研究所教授・日本研究中心副主任)署名文章「日本の「ロシアと連携して中国に圧力」という考え方は非現実的」
◯7日付新華社記事「随筆 安倍の「空手道」」
◯同日付新華社記事「安倍の対露「友好船」 アメリカの係留索から逃れ難し」
◯同日付中国新聞網記事「安倍訪露 想定内の「水の泡」」
各表題からすぐに分かるとおり、どの文章にも共通しているのは、領土問題をめぐる日露関係の膠着を打破することは元々非常に困難であるのにもかかわらず、成算もないまま訪露した安倍首相をからかいと皮肉を込めて批評する姿勢です。他方、安倍首相訪露を受け入れたロシアの思惑に関しては、ウクライナ危機以後の西側諸国の制裁によって経済困難に陥っているロシア(プーチン政権)としては、対日関係打開を突破口にして西側の対露包囲網を切り崩す意図、また、日本の対露経済協力を引き出そうとする打算が働いているのだろうとする中立的評価です。しかし、だからといって、領土問題で日本に対して譲歩する用意はないと見る点でも各文章は軌を一にしています。
7日付の新華社記事「安倍の対露「友好船」 アメリカの係留索から逃れ難し」は、安倍首相の「新アプローチ」提案に対して、ロシアの歴史学者コシキン(音訳)の見方として、「安倍がどれほど対外政策における自主性を強調しても、アメリカは日本が領土問題における立場を「根本的に変更すること」を許可するとは限らないという判断を紹介する形で、日本の対露政策に対するアメリカの圧力・影響力の強さを指摘しています。その上でこの文章は、1956年に日ソ間で2島返還の基本合意ができたにもかかわらず、それを善しとしないアメリカが沖縄返還に応じないという脅しによって日本を対ソ交渉断念に追い込んだという歴史を紹介します。したがって、「安倍の対露「友好船」 アメリカの係留索から逃れ難し」という結論になるわけです。
また、7日付の中国新聞網記事は、領土問題について打開の糸口が見いだせる可能性もないのに訪露した安倍首相の現実政治的打算として今夏の参議院選挙という国内政治的考慮があるという周永生の見方を紹介しています。すなわち、日本経済が一貫してさえない状況にある中で、安倍首相が日露関係を推進する実のある進展を挙げれば、自民党に対する支持率を押し上げることができるというものです。
いずれにせよ、日本のマス・メディアが垂れ流した報道は実態とかけ離れたものであることは間違いないでしょう。