岸田外相訪中と中国の対日認識(環球時報社説)

2016.05.01.

岸田外相の訪中に際して、4月29日付の環球時報は、「日本外相訪中 格好付それとも真剣?」と題する社説を掲載しています。この文章を読むと、中国側が精いっぱい他者感覚を働かせて安倍政権の対中政策の本質を掴もうと努力している様子を窺うことができます。
そういう涙ぐましい(?)努力をしている中国の対日関係にたずさわる政府関係者や専門家諸氏に対する私個人の最大のアドバイスは、私が昨日までにとりあえずまとめてアップした丸山眞男のテーマ別発言集を読み込むことによって、日本の思想を把握することです。しかし、今回の社説は、現在の中国の対日理解度では日本を読み切れないという結論に立って、もはや日中関係における中国の圧倒的優位性は動かし得なくなっている客観的歴史的事実・趨勢に基づき、日本の一挙手一投足に惑わされないようにしようという、それはそれで妥当な結論を示しています。他者感覚の重要性を理解する上では格好な材料ですので、要旨を紹介します。
 なお、私としては、日本側の対中国認識においても、せめて今回の環球時報社説に示されているぐらいの他者感覚を働かせて中国を内側から理解する自覚的努力が行われないものかと思うのですが、それは「木に縁りて魚を求む」の類でしょうか。

 岸田外相は本29日に中国訪問を開始するが、前回の日本外相の訪中は2011年11月という以前のことだった。その後2012年には、中日間の釣魚島をめぐる争いが日本側の「尖閣購入」によって両国関係を厳しい冬に向かわせた。
 岸田文雄の訪中は両国関係を緩和させようというものであり、訪中前の長い演説において彼は、前向きの発言も行ってはいるものの、中国が東海及び南海において「一方的に現状を変更させている」等の批判も忘れていない。日本のメディアによれば、岸田は中国で「言うべきことは言う」つもりであり、例えば、中国が釣魚島付近で「日本の領海を侵犯している」とか、中国が南海で急速な「軍事拠点化」を推進しているとかの批判を行うということである。
 対日関係は現在中国にとってもっとも捉えにくい対外関係の一つだ。中米関係は極めて複雑で緊要ではあるが、両国関係のロジックは比較的ハッキリしているし、予測はさらに容易である。フィリピン、ヴェトナムなどは中国との間で海上の紛争があるが、中国とこれら諸国との矛盾及び利益関係は比較的ハッキリしている。中印間の紛争のある領土面積は極めて大きいし、両国は大国だが、中印関係の安定性は強固でかつ予測可能性も大きい。これら諸国と比較すると、日本は例外である。
 中日関係がこれほど落ち込み、日本は完全に対米一辺倒であり、東アジアで積極的に中国を牽制し、時として公然と中国と対抗することをためらわないということは、地縁政治の一般的規則からすると説明がつかない。日本もまた大国であるというのに、中米間で今やアメリカの戦略に奉仕する「脇役」に成り下がり、完全に独立性を失っているが、日本は一体何を考えているのだろうか。
 日本の首相以下の高官は、中国との友好関係を発展させたいとしきりに発言するが、その彼らがしきりに中国を誹謗し、中国の指導者がかつて日本に対して口にしたことがない激しい発言もするのだ。また、彼らの行動と彼らが口にする善意とはしばしば矛盾し、時にはまったく理解不能であり、彼らの対中戦略の本当のところは一体何なのだろうか。
 日本には「裏表がある」というのは多分道理があることだろう。しかし、「裏表がある」というのもそれなりの目的があるはずであるが、日本のその目的は何かということについて説明できるものがいるだろうか。
 よくある解釈は、中国の台頭に対して、日本は心理的なバランスを失い、慌てふためいているというものだ。確かに、日本の対中外交が混乱している原因の一つはこれである可能性は大きい。しかし、日本は大国であり、中国と対抗することによって集団的心理を回復するという不器用さは、常識的な正常範囲を超えてしまっている。
 多分、様々な原因が積み重なって、日本の対中戦略を「おかしなもの」にしたのだろう。そして、日本を「おかしく」させている最大の特殊性は多分、今日にいたるアメリカによる対日「軍事占領」だろう。日本は、世界をリードする経済技術大国であると同時に、今日に至るもなお主権の一部が欠けた国家である。日本の歴史的記憶は輝かしいものがあると同時に屈辱も伴い、民族心理は危機感に充ち満ちている。日本は一心不乱に「普通の国家」になりたいと願い、軍事的台頭を含め、再度全面的に台頭したいと希っているが、頭上には大山(アメリカ)がどっかり座っており、今や目の前で中国が奇跡的な復興を成し遂げつつあって、日本が世界を推し測る論理的枠組みは混乱しているようだ。
 日本が中国と力比べしようとするのは、負けず嫌いによる面もあるかもしれないが、他の一面として、アメリカの支配を脱し得ない「もやもや」を中国に対して間違って発散させているという可能性もある。あるいはまた日本はそれほど「自由」でないために、頭の中ではAと考え、口先ではBと言い、行動ではCとなるという可能性もあるかもしれない。
 アメリカは軍事力に頼って日本をコントロールしており、日本はアメリカにとって十分に予測可能な存在だ。そこで、日本の予測不可能性は中国に対して向けられている。
 中国は日本のことを推測できるわけはなく、その不確実性に振り回されている。我々としては、この国家を大局的に把握し、そのさまざまな具体的な変数を超越する必要がある。我々が見て取るべきことは、第一に、日本は中国の隣国中の大国であり、中日関係を強化することは地縁政治上極めて重要であるということだ。第二に、日本の総合的実力はもはや中国の後塵を拝しており、その流れは今後ますます大きくなるということだ。中国の戦略的な大志は日本を超越しなければならず、日本によって行動の自由を妨げられ、戦略的でもない勝ち負けに拘泥するようなことがあってはならない。
 中日間では、いずれが戦略的に主動的であるかという歴史的な転換が完成しており、中国人としてはこの巨大な変化に心理的にも追いついていかなければならない。我々は、対日問題では原則を堅持する必要はあるが、今後はもはや日本と「事あるごとに争う」という必要はない。強い側は怒りを以て威嚇する必要はなく、強者の特権は「やるべきことはやる」ということであり、また、「教訓を学んだ」相手側を受け入れるという臨機応変の対応を行うということだ。