「難民の時代、世界はどこに向かうのか」

2016.04.10.

*ある雑誌の誘いを受けて寄稿した文章です。

<難民問題の歴史と経緯>
 「難民」という言葉・問題は、私たち日本人にとっては馴染みが薄く、したがって切実には受けとめにくい「他人事」としか映じない。しかし、世界的に見ると、宗教的、人種・民族的、政治的等に起因する難民問題は15世紀の欧州にまで遡る。
20世紀に限っても、ロシア革命(1917年)、ドイツ・ナチズム(1930年代)、スペイン内戦(1936-39年)、ハンガリー革命(1956年)、キューバ革命(1959年)、ドイツ東西分裂(1945-61年)などに際して、大量の人々が難民として祖国を離れることを強いられた。東西冷戦以来今日まで続く難民問題としては、イスラエル建国によって居住地を追われたいわゆるパレスチナ難民問題がある。
国際的人道問題の一つである難民問題に対する国際的な取り組みは、国際連合の前身である国際連盟の時代に始まったが、本格化したのは1950年に設立された国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)が活動を開始してからである。1954年4月22日には「難民の地位に関する条約」(以下「難民条約」)が発効して、国際的な取り組みの法的な枠組みが整えられた。
難民条約では「難民」とされる者に関して厳格な定義、したがって要件(「1951年1月1日以前に生じた事件の結果として」という制約)がある。この時間的制約を取り払うために、1967年に「難民の地位に関する議定書」が発効した。したがって、今日では以下の三つの要件を満たすことが要件とされている。つまり、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すること」、「国籍国の外にいる者であること」、「その国籍国の保護を受けることができない、又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者であること」である(外務省WS)。条約に定める以上の3要件に合致するものを「条約難民」と呼ぶ(後述するボート・ピープルなどを「経済難民」と呼ぶことに対して、「条約難民」を「政治難民」と呼ぶこともある)。
しかしUNHCRをはじめとする国際社会は、1960年代以後、戦争、政治紛争さらには自然災害等によって難民となることを強いられる人々にも活動の対象を広げ、今日に至っている。特に、米ソ冷戦が終結した後、冷戦期には政治的・人為的に押さえ込まれていた様々な矛盾が世界各地で噴出して民族紛争、内戦などが頻発し、その犠牲となって多くの人々が難民(性格的には「経済難民」に分類される者が多い)となることを強いられる事態が生まれている。近年における最大かつもっとも注目を集めているのが中東・北アフリカ大量の難民(以下「中東難民」)である。
<中東難民問題の本質>
私たちはともすると、欧州に向かう中東・北アフリカからの難民の膨大な人数、そして後手々々に回る欧州諸国の対応に目を奪われがちだ。しかし、私たちが何よりもまず考えなければならないのは、何故に中東難民問題が生まれたのかということである。
2010年末以来の、「アラブの春」と称される、中東・北アフリカ諸国で澎湃として起こった民主化要求の運動については、記憶している人も多いだろう。当時のマス・メディアは、チュニジア、リビア、エジプト等における長期独裁政権の崩壊を特筆大書して報道し、私たちの耳目を集めた。しかしその後、チュニジア等ごく一部を除く多くの国々では、様々な原因によって民主化運動は夭折し、リビア、シリア、イエメンなどでは深刻な内戦が勃発した。特に欧州への大量難民の流れが起こった最大の原因はリビアとシリアの事態である。
リビアでは、カダフィ政権を打倒しようとした様々な武装勢力をNATO軍が支援した。しかし、同政権打倒後、主導権をめぐって内戦が起こって、収拾がつかない状況に陥ったことに対しては、西側諸国は手をこまねくばかりだ。
シリアでは、アサド政権の打倒に立ち上がった反政府諸勢力に対して米国以下の西側諸国及び一部アラブ諸国(サウジアラビア、トルコ、カタール)が積極的に支援を行い、今日まで続く深刻な内戦となった。これら諸国は、アサド政権打倒という目的実現のために、反政府武装諸勢力の中心となった様々なテロリスト集団に対して積極的に支援を行った。その一つの結果がいわゆるイスラム国の台頭である。
こうして、米国の軍事侵攻以後混乱と内戦が続いているアフガニスタン及びイラクに加え、リビア及びシリアが大量の難民を生むこととなった。現在、欧州諸国が直面している中東難民の多くはこの4ヵ国出身者が中心である。
もっとも事態が深刻とされるシリアについて言えば、UNHCRによると、人口2240万人(2012年世界銀行)の同国において、これまでに25万人(40万人とも)が命を失い、国内外で避難生活を送ることを強いられている人は660万人(一説では人口の半数以上とも)にのぼり、そのうち、国外に難を逃れたものは480万人を数える。人口400万人のレバノンに100万人以上、トルコに270万人、ヨルダンに60万人、イラクに25万人、エジプトに12万人のシリア人が避難生活を強いられているという。
潘基文国連事務総長によれば、これまでに各国が受け入れを表明したシリア難民はわずかに17.9万人であり、事務総長は2018年以前にさらに48万人のシリア難民を各国が受け入れることを呼びかけている。
以上から明らかになるのは、いわゆる中東難民問題に関して、米国以下の西側諸国の責任は極めて重大であるということだ。リビア及びシリアに対する西側諸国の関与についてはすでに述べた。アフガニスタン及びイラクは、ブッシュ政権が始めたいわゆる対テロ戦争の対象となった国々だ。後先を考えない武力行使(軍事支援)が大量の民間人を犠牲にし、その難民化を生んでいるのである。
ところが、米国以下の西側諸国は、中東難民問題を生み出した原因である自らの政策・責任については頬被りしている。しかし、この点が頬被りのままやり過ごされれば、米国等が今後も再び同じ力任せの政策をくり返すことは目に見えている。私たちが今何よりも考えなければならないことはこのことなのだ。
<日本・日本人にとっての難民問題>
私たち日本人にとって難民問題は「他人事」としか映じないと冒頭に述べた。何故「他人事」なのか。その原因は、日本が島国であるという地理的条件に加え、私たちには「他者感覚」が乏しいことにある。
島国であることは、交通手段が未発達であった過去においては、近隣諸国との間の人的交流が制約される大きな要因だった。古来より、他者と頻繁に交わる機会が乏しい日本人は、身内同士でかたまり、異質なものを排除する「ウチ」「ソト」意識を育んできた。
また、日本の思想は、自分自身を客体視する基準(モノサシ)となる、普遍(キリスト教における神、中国思想における「天」「理」、真理・正義、歴史の法則性など)あるいは普遍的価値(人間の尊厳・基本的人権)を備えていない。そのため、私たち日本人は、普遍というモノサシに照らして、自らを「個」として認識することも難しいし、他者を他者として認識し、尊重する「他者感覚」を育むことも難しいのだ。その結果として、「ウチ」「ソト」意識がさらに助長されることは見やすい道理である。
誤解のないように説明しておきたい。人間の尊厳(=「人間は人間として生まれたことに価値があり、同じ人は二人としていないという個性の究極的価値」)及び基本的人権は、一人ひとりの人間に生まれながらに客観的に備わっている。しかし、人間の尊厳・基本的人権が一人ひとりに客観的に備わっていることと、それを一人ひとりが自覚・認識し、思想として自らのものとし、それを根拠に行動することとは同じではない。
「ウチ」「ソト」意識に縛られ、「個」を我がものとできない日本の思想は、「個」を基礎とする人間の尊厳・基本的人権という普遍的価値を我がものとするには至っていない。だから、人権侵害にも泣き寝入りしてしまうと言うことになるのだ(日本思想史の相良亨、日本政治思想史の丸山眞男等の指摘参照のこと)。
第二次大戦後に人権・デモクラシーが普遍的価値として世界的に確立し、日本でも明治憲法に代わる日本国憲法が制定されたことにより、私たち日本人の人権意識も、戦前と比較すれば、向上したことは認める必要がある。しかし、「ウチ」「ソト」意識が相変わらず強靱に働いていることも事実だ。それがもっとも端的に現れるのは、日本社会にはびこる様々な分類に属する人々に対する差別意識である。女性、子ども、障がい者、在日朝鮮・韓国人、就労外国人労働者等々。
差別意識とまではいかなくても、他者の置かれた境遇に対する無関心は日本社会を広く覆っている。沖縄への米軍基地の集中に対する「本土」日本人の圧倒的無関心はその最たる例だ。国内における人権侵害問題についてもそうなのだから、中東難民のような、外国で起こる深刻な人権侵害問題についてはなおさら無関心が支配することになる。
こうして日本は、難民受け入れに対してもっとも消極的な国家として国際的に知れ渡っている。その根本にあるのは「ウチ」「ソト」意識の働きであることを忘れてはならない。その具体的表れとして、日本の難民受け入れの実情は以下のとおり極めて厳しい。
日本政府は、ヴェトナム戦争でいわゆるインドシナ難民が急増したことに対処する必要に迫られて、1982年に難民条約(及び議定書)に加入した。「条約難民」としての認定実績は、同年度から2014年度までは、申請数22,559件に対し、認定数はなんと533件に留まる(外務省WS)。2014年度に限れば、5,000人が申請を行ったのに対して、日本政府が認定したのはわずか11人だったという(NPO「難民を助ける会」WS)。ただし、ヴェトナム戦争終了後に国外に脱出したいわゆるボート・ピープルについて、日本は1982年から2005年までに11,319人を受け入れたことがある(外務省WS)。
ちなみに、現在様々な理由(留学、ビジネスを含む)によって日本に暮らしているシリア人は400人以上、そのうち60人以上が難民申請をしているが、これまでに難民認定を受けたものはわずか3人に留まるという(NPO「難民支援協会」WS)。しかし、中東難民の圧倒的多数はボート・ピープル的ないわゆる「経済難民」である。したがって、潘基文国連事務総長の呼びかけに応え、条約の枠組みに縛られない弾力的な対応を行うことが、日本には客観的に求められているのだ。
<難民問題解決のために>
難民問題の解決に関しては、国際社会及び日本の双方について、それぞれ根本的課題と現実的課題とを考える必要がある。
まず、国際社会にとっての根本的課題は、すでに指摘したとおり、国際問題を力づく、すなわち武力で解決しようとする米国以下の西側諸国のアプローチをやめさせ、武力によらない平和的解決に徹することを国際的共通認識として確立することである。米ソ冷戦終結後に米国が主導した大規模の武力行使によって国際問題が解決した事例は、1991年の湾岸戦争を唯一の例外として皆無だ。解決どころか、事態が泥沼化するのみである。難民問題に対する国際的取り組みを考えるに当たっての大前提はこれである。
オバマ政権自身、武力をひけらかすことには熱心だが、実際の武力行使には近年とみに慎重にならざるを得なくなっている。国際社会としては、さらに一歩を進め、武力行使自体を違法として禁止している国連憲章第2条4の原則を再確認しなければならない。
このような主張は、一見理想論と見えるかもしれない。しかし、米国主導の武力行使に対して警戒を強める中国及びロシアは、国連安保理決議に基づく場合(憲章第7章の集団的措置)または当事国政府の要請に基づく場合(憲章第51条の集団的自衛権行使)を除くほかは、米国を含む国連加盟国の武力行使を認めないとする立場を鮮明にしている。この中露両国の立場は国連憲章に基づくものであり、米国以下の西側諸国としても無視することはますますむずかしくなっている。
ただし、憲章第7章に基づく集団的措置に関しては、5大国の同意によって国連安保理が暴走するという危険性を内包している。また、憲章第51条に基づく集団的自衛権の行使に関しても、「先制的自衛」という抜け道がある(この問題はさらに後述する)。したがって、「国連は正義の味方」とするいわゆる国連神話が根強い私たち日本人は特に、この二つの問題点については常に警戒を怠ってはならない。
難民問題の解決にかかわる国際社会の現実的課題とは、21世紀においても世界各地で内戦や民族紛争が起こることは覚悟しなければならず、その結果として引き起こされる難民問題に対する具体的解決の受け皿(国際的枠組み)を用意しなければならないという問題である。問題の質は異なるが、難民問題は一国単位では対応できないグローバルな問題という性格において、気候変動をはじめとする地球規模の諸問題の一つを構成する。
難民問題に関しては、すでにUNHCRをはじめとする国連諸機構による取り組みが行われてきている。国際社会としては、既存の取り組み体制をさらに強化し、発展させることを基本とするべきだろう。
同時に国際社会を構成する国々は、難民となることを強いられる人々の基本的人権を尊重し、その奪われた人権を回復するという基本に立って、自国への定住を可能にする取り組みを強めることが求められる。潘基文事務総長の前記呼びかけはその一環である。
難民問題の解決にかかわる日本にとっての根本問題は、「ウチ」「ソト」意識を克服し、他者感覚を涵養することである。難民問題に即して言えば、難民の置かれた状況に対して無関心を決め込むことは自らの人権感覚の欠落を証明するにほかならないという、自らに対する厳しい問題意識を確立しなければならない。
難民問題の解決にかかわる日本にとっての現実的課題としては、特に二つのことを指摘しておきたい。
一つは、外国人の日本への移住を積極的に歓迎し、推進する政策を採用することだ。ことは難民だけにかかわることではなく、21世紀の国際社会で日本が真に開かれた社会になることが求められているということだ。難民問題はその中の一つの重要な要素という位置づけになる。
現実問題としても、日本は人口減少が本格化し、しかも高齢化が進行している。そういう厳しい現実を前にするとき、外国人に対して日本社会の門戸を開放することは今や待ったなしの急務である。しかも、日本社会がいわゆる多民族化することは、宿弊である「ウチ」「ソト」意識を克服し、他者感覚を涵養することにも資するはずだ。
もう一つの課題は、安倍政権の諸政策、特に集団的自衛権行使の政策を根本的に転換させることだ。すでに見たとおり、中東難民問題を生み出した根本原因は、米国・NATO主導の国際的な武力行使である。その法的根拠とされたのは集団的自衛権行使にほかならない。安倍政権が成立を強行した安全保障関連法制、すなわち戦争法は、日米軍事同盟のNATO化を目指すものである。
日本が米国主導の戦争に積極的に加担するということは、今後の日本が国際的な難民問題を生み出すことに進んで首を突っ込むことと同義だ。中東難民問題は、戦争法のもとで日本が国際社会に引き起こす残酷な事態を映し出しているのだ。
さらに危険なことは、安倍政権が朝鮮半島有事(さらには南シナ海有事)を視野に収めていることだ。特に朝鮮半島有事に関しては、米国及び韓国は朝鮮に対する「先制的自衛」の戦争計画を具体化している。つまり、朝鮮が攻撃してくる現実の危険性があると判断したときには、実際に攻撃を受ける前に朝鮮に対して「先制的自衛」の戦争を行うというものだ。
そして、日本の歴代政権も「先制的自衛」の権利は憲法によって禁じられていないという解釈であり、安倍政権ももちろんこれを踏襲している。したがって、米国が朝鮮に対して戦争を仕掛けるとなれば、日本も集団的自衛権の行使として参戦することになる。
その結果はどうなるか。中東難民に匹敵する大量の朝鮮難民が生まれることは目に見えている。
それだけではない。死にものぐるいの朝鮮が在日米軍基地だけではなく、日本そのものを反撃の対象とすることは確実であり、これまた目に見えている。朝鮮の核ミサイル攻撃、さらには日本各地に林立する原発に対するミサイル攻撃も覚悟しなければならないのだ。その結末をくだくだ説明する必要はないだろう。「朝鮮脅威論」(「中国脅威論」)という虚構で思考停止に陥っている私たちを前にして、独りほくそ笑んでいるのが安倍首相なのだ。 以上から、難民問題が「他人事」ではないことは理解されるはずだ。私たちは、他者感覚を我がものにし、人権感覚を豊かにし、物事に対する想像力を駆使して難民問題を考えなければならないのである。