安倍首相の「中国脅威論」

2016.03.13.

*ある刊行物に寄稿した文章です。

<国民の中国に対する意識>
 安倍首相の「任期中」改憲意欲発言が飛び出すなど、その暴走が止まらない。アベノミクスの化けの皮は今にもはがれようとしている。東日本大震災から5年経つのに復旧は遅々として進んでいない。国民生活はじり貧で、どこにも希望を見出すことができない。
それなのに、世論調査に見る安倍政権支持率にはそれほどの蔭りが見られない。その大きな原因の一つは、右傾化を強める国民世論が安倍首相の「中国脅威論」に共鳴し、政権存続を下支えしていることにある。
 多くの国民は憲法改正を望んでいない。しかし同時に多くの国民は、安倍首相が振り回す「中国脅威論」を首肯する。その背景には、国民の対中感情の極端な悪化がある。
内閣府が毎年行っている世論調査結果によれば、1980年代には中国に「親しみを感じる」と答えた人は70%前後を占めていた。しかし、天安門事件(1989年)、小泉首相の靖国参拝(2001年以後)、尖閣問題(2010年)を契機に対中感情は急激に悪化を辿り、2014年には「親しみを感じる」人はわずかに14.8%に低下し、逆に「親しみを感じない」人は83.1%に上る。悪化した国民の対中感情は、安倍首相の「中国脅威論」に共鳴し、政権支持率を底上げしている。
 ちなみに、戦争法反対の署名活動を行っている人からも、「中国が攻めてきたらどうする」と反論されて言葉に窮するという嘆きの声にたびたび接する。さらに言えば、署名活動をする人の中にも、いまの「大国主義・中国」には感情的に反応する人が少なくない。
 国民的な対中感情の悪化を助長する原因は多岐にわたる。日中関係の歴史は常に上か下かで、対等平等であったことがない。特に、明治維新以後の脱亜入欧、日清戦争以来の中国蔑視、敗戦以後の対米追随、21世紀に入って急速に台頭する「大国」中国に対する違和感,等々。「中国脅威論」は優れて屈折した対中感情の所産であり、「お化け」なのだ。
日本の歴史認識を正すことを迫る中国に反感を覚える人も少なくない。重大なのは、歴史教科書の検定による史実のひん曲げを背景に、若い人であればあるほど、中国に対して反感を覚える傾向が強いという事実である。私たちはともすると、いわゆる「ネット右翼」だけを問題視するが、実際には、かなり広汎な国民の歴史認識がすでに相当な危機的水準に陥っている。このような歴史認識もまた、安倍首相の「中国脅威論」を下支えする。
<安倍首相の終戦詔書史観>
 問題は、安倍首相の「中国脅威論」が彼の憲法改正意欲と不可分に結びついており、安倍首相は憲法改正を推進するために「中国脅威論」を意識的に利用しているということだ。その根底にあるのは彼の終戦詔書史観である。
すなわち、安倍首相においては、日本が行った戦争はアジア解放のための正義の戦いである。昭和天皇の終戦詔書は、「米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」とする。
したがって安倍首相は、この戦争は負けるべくして負けたのではなく、時運に恵まれず、とりあえず矛先を収める戦術的選択と捉える。終戦詔書は、「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」と指摘する。
だからこそ安倍首相は「積極平和主義」を掲げ、軍事大国としての再興を期すのだ。終戦詔書の「神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」とするくだりは正にそれだ。
したがって、敗戦を受け入れたポツダム宣言、それに基づく平和憲法は屈辱以外の何ものでもないし、日本軍国主義による侵略の歴史を絶対に認めないという頑迷な認識が出てくる。そういう認識が9条改憲への執着として発現するのだ。
<米国と安倍首相>
もちろん、安倍首相も終戦詔書史観をストレートに押し出す愚は心得ている。戦後日本は米国に首根っこを押さえられてきた。終戦詔書史観を前面に掲げることは、米国の戦後対日政策に対する根本的異議申し立てに直結し、米国が許容するはずはない。
したがって、安倍首相が進めようとするのは、対米協調体制の大枠のもとで、できる限り日本を戦前の姿に戻すことだ。その点において、安倍首相の「中国脅威論」は米国の対中認識と呉越同舟の関係に立つ。
米中関係は微妙である。経済的には米中相互依存関係はもはや後戻りが効かない。しかし、台頭する大国・中国は、米国にとってますます潜在的脅威として映じている。中国を軍事的に押さえ込むには、日本を目下の同盟国として確保することは至上命令だ。したがって、安倍首相の「中国脅威論」を放任し、9条改正も歓迎する。
歴史認識問題は、歴史の浅いアメリカにとってはせいぜい二義的な意味しかもたない。安倍首相が第二次大戦の意義を正面から否定することは許さない。しかし、歴史教科書書き換えにせよ、国民的な右傾化傾向にせよ、それが「中国脅威論」に集中し、反米に走らない限りは痛痒を感じない。
<米国に対する国民感情>
 先に紹介した内閣府の世論調査は、中国のほか、米国、ロシア及び韓国に対する国民感情も調査している。米国に対する国民感情は一貫して70%台と好意的で、2011年以後は80%台へと上向いている。実はこれがくせ者だ。というのは、私たちの中国に対する意識・認識は米国メディアの圧倒的影響力のもとにあるからだ。単純化していえば、「米国=善玉、中国=悪玉」のイメージが私たちのなかに牢固として居坐っている。2014年、米国に「親しみを感じる」人が82.6%、中国に「親しみを感じない」人が83.1%という真逆の数字は実に意味深長だ。
<まとめ>
 安倍政治に反対し、この国の政治的進路を私たちの手に取り戻さなければならない。しかしこの闘いで真に勝利するためには、私たち自身の中に巣喰う根拠のない「中国脅威論」及び歪められてきた歴史認識を根本的に改めることが回避できない課題であることを理解しなければならない。