朝鮮核問題の歴史(中国側説明)

2016.02.03.

2月1日付の環球網は、銭文栄署名文章「朝鮮核問題では、アメリカは中国に感謝こそすべし」を掲載しました。銭文栄は、検索サイト「百度」によれば、新華社世界問題研究センター研究員です。この文章は、朝鮮の第4回核実験のみならず、その核開発そのものを非として論難する立場ですが、圧倒的重点は、朝鮮核問題はアメリカがつくり出し、悪化させたものであることを、歴史的事実関係によってつまびらかにし、アメリカが展開している「中国責任論」が筋違いであることを明らかにすることにあります。
 銭文栄文章は、朝鮮核問題を作り出し、今日まで悪化させてきた責任はアメリカにあることを明確にしているわけで、朝鮮がこれへの対抗を余儀なくされてきたことは文意から明らかであるにもかかわらず、朝鮮にも責任があると強弁するのは説得力に欠けると言わざるを得ません。こういう強弁は、環球時報社説にも共通していることで、他の国際問題については他者感覚を十二分に発揮して説得力ある文章(例えば2月2日付のコラムで紹介した、ヴェトナム共産党大会に関するもの)を披瀝する中国人が、こと朝鮮問題になると感情に流れた文章を書くのは本当に解せないことです。
 中国は、2006年以来、アメリカの対朝鮮強硬政策に安易に同調して、朝鮮に対する国際法上許されるはずもない安保理制裁決議採択に加担してきましたが、この過ちを決定的に清算しない限り、今後も朝鮮に対する公正な立場に回帰することはできないと思います。つまり、朝鮮に対する安保理決議の不当性を正面から認識し、改めない限り、中国の対朝鮮認識・政策には曖昧さがつきまとうことになるでしょう。
中国が承認するべきは二つのことです。一つは、宇宙条約に基づく朝鮮の宇宙平和利用の権利を承認すること(安保理決議で制約することは不可)。もう一つは、NPTを脱退している朝鮮に対してNPT違反として制裁を加えることも不可(できることは、朝鮮をして安心してNPTに加入できるような安全保障環境をつくり出すことであり、それに尽きること)、ということです。
なお、銭文栄文章が明らかにした歴史的事実関係は、私が従来から指摘してきた理解を中国側が確認したという意味を持つもので、私としてはその点については「我が意を得たり」で溜飲が下がる思いです。また、環球網がこの時点でこういう文章を掲載するということは、「中国責任論」を展開するアメリカに対する「腹に据えかねる」中国側の意識が反映されているとも思います。
 かなり長い文章ですが、大要を紹介します。

  朝鮮は国際社会の強い反対を顧みず、1月6日に第4回核実験を行った。これは明らかに安保理関連決議に違反しており、国際社会の厳しい批判と制裁を受けて当然である。しかし、ここ最近、アメリカは公然と事実を顧みず、いわれのない批判を中国に対して行い、「中国責任論」という世論攻勢を行っている。それでは、朝鮮核問題の真相はどうであるのか。主要な責任は誰にあるのか。一体、どう解決するべきなのか。
<最初に朝鮮核危機を導いたのはアメリカであり、中国は調停斡旋に介入した>
 朝鮮が核開発に乗りだしたのは1950年代であり、1987年になって、ソ連の援助の下で5メガワットの小型原子炉を建設し、さらに2つの原子炉を作ろうとしていた。1980年、アメリカはスパイ衛星で寧辺のこれらの核施設を発見した。その後アメリカは監視を続け、国連本部ビルで朝鮮と秘密交渉を開始し、ソ連を通じて圧力をかけるとともに、朝鮮に対して利害で誘導して1985年にNPTに加入させ、1989年にIAEAの査察を受け入れさせ、1992年5月から1993年2月まで6回の不定期の通常査察が行われた。しかしIAEAはアメリカの示唆の下、1993年2月に行われた第6回通常査察の際に突然強制的な「特別査察」を行うことを提起した。同時にアメリカ政府は、朝鮮が特別査察を受け入れることを迫るため、暫定停止に同意していた軍事演習を再開した。正にこういう背景のもと、朝鮮はその国家主権に対する侵害であり、敵対行動であると見なし、1993年3月にそそくさとNPT脱退を宣言し、第一回朝鮮核危機の勃発を招いた。
 正にこの時にクリントン政権が登場し、朝鮮に対して「関与政策」(engagement policy)を採用した。第一次朝鮮核危機の際のアメリカ代表団団長であったガルーチその他の回想録(Going Critical)に記載されているように、クリントンは膠着状態を打破するため、彼のいう「北京チャンネル」を使って中国が調停することを希望した。これが中国の核危機介入の始まりである。
 中国の積極的な斡旋と推進の下、また、カーター元大統領の朝鮮訪問と調停もあって、1994年10月、米朝はジュネーヴで朝米核枠組み合意を締結した。この合意に基づき、朝鮮は核施設を凍結し、アメリカが中心になって朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が成立し、朝鮮のために発電能力1000メガワットの軽水型原子炉2基を建設するとともに、建造までの間、アメリカは毎年50万トンの重油を朝鮮に提供することで、朝鮮が核エネルギー計画を中止したことによる電力の損失を補填し、かつ、米朝は関係正常化を徐々に実現することとなった。
 朝鮮は合意に基づいて核施設を凍結し、寧辺の5メガワットの原子炉の燃料棒を取り出して封印保存し、この状況が2002年まで続いた。朝鮮は約束を遵守したというべきである。しかしアメリカが約束した軽水炉についていえば、2002年に至っても大きな穴を掘っただけに留まっていた。そうではあったにせよ、クリントンの任期が満了する最後の年である2000年5月には、金正日はNo.2だった趙明録を訪米させ、続いてオルブライト国務長官が同年10月に訪朝した。報道によれば、クリントン自身も離任前に訪朝する計画があったが、国内の反対もあって希望は実現しなかった。この時期は、現在までの米朝関係における最良の時期であったと言える。
<ブッシュ政権が第2次核危機を導き、中国は再び斡旋調停した>
 極めて遺憾だったのは、2001年にブッシュ大統領が登場して以来、クリントンの対朝政策を徹底的にひっくり返したことである。2002年1月8日、ブッシュ政権が発表した「核態勢報告」は、朝鮮を核攻撃対象の7ヵ国の一つ(他の6ヵ国の中には中露両国が含まれた)とした。1月29日、ブッシュは最初の年頭教書の中で朝鮮を3つの「悪の枢軸」の一つ(他の二つはイラクとイラン)にした。
 ブッシュ政権の第2年度の10月には、アメリカは朝鮮がウラン濃縮計画を「すでに承認した」と公表(実は、朝鮮は「承認」したのではなく、「核兵器及び核兵器よりもさらに強烈な兵器を開発する権利がある」と述べたに過ぎない)し、朝鮮が核兵器を開発していると非難した。それに基づき同年12月、アメリカは朝鮮が枠組み合意に違反したことを理由として朝鮮に対する重油提供を停止した。これに対して朝鮮は核凍結解除を宣言し、電力生産用核施設を再稼働し、2003年1月10日、再びそそくさとNPT脱退を宣言し、こうして第2次朝鮮核危機の勃発を招いたのだ。ただし、朝鮮は声明の中で、核兵器開発の意図はないことを表明し、アメリカが朝鮮敵視政策を放棄し、核威嚇を解除すれば、朝鮮としてはアメリカと別途、朝鮮が核兵器を製造しない事実を査察で証明することができるともした。ということは、交渉の余地があったということだ。
 膠着状態を打破し、朝鮮核問題を平和的に解決するため、中国政府は積極的に斡旋し、2003年4月に朝鮮、中国及びアメリカが参加する3者会談の成立を促した。同年8月には、中国は再び積極的に参与して中国、朝鮮、韓国、アメリカ、日本及びロシアが参加する6者協議メカニズムの成立を促して第1回会談を行い、交渉を通じて朝鮮核問題を平和的に解決する原則を確立し、2008年6月までに6回の6者協議を行った。
 交渉はいっとき重要な進展があり、特に2005年9月19日の第4回6者協議では9.19共同声明が発表された。声明の核心的内容は、朝鮮はすべての核兵器及び現有の核計画を放棄し、早期にNPTに復帰し、IAEAの保障措置にも復帰する、アメリカは朝鮮半島に核兵器がないこと、また、核及び非核兵器で朝鮮を攻撃、侵略する意図がないことを確認する、さらに朝米双方は関係正常化の措置を取る、6者は朝鮮が核エネルギー平和利用の権利を持つことを認める、というものだった。
 ところが、共同声明発表後わずか数日で、アメリカ財務省は朝鮮がマカオの為替銀行を利用してマネー・ロンダリングを行い、米ドル偽造活動を行っていると発表し、朝鮮に対して金融制裁を実施した。アメリカはこの件が6者協議とは無関係であると主張したが、朝鮮はアメリカが相変わらず敵視政策を実行していると見なした。朝鮮は、アメリカが金融制裁を解除しなければならず、さもなければ朝鮮は6者協議には復帰しないと強調し、7月と10月にミサイル発射と第1回核実験をそれぞれ行って国際社会を戦慄させ、国連は直ちに非難するとともに、制裁決議を採択し、進行中だった第5回6者協議の中断を招いた。
 このような重大な挫折に見舞われたにもかかわらず、中国等の困難な努力もあって、6者協議は2006年12月に再開し、幾度もの会談を経て9.19共同声明を実施するための2つの文書が採択された。そして2008年6月27日、IAEAの監視とアメリカの専門家の参与の下で、朝鮮は核施設の無能化を開始し、寧辺核施設冷却塔の爆破を行った。10月11日、アメリカ国務省は、アメリカが朝鮮を「対テロ支援国家」リストから除く決定を行ったと発表した。以上から明らかになるのは、米朝双方が政治的意思を有してさえいれば、平和交渉を通じて朝鮮核問題を解決することは可能だということである。
<第3回及び第4回の朝鮮の核実験により、アメリカの政策はもはや破産した>
 しかし、朝米双方には極端な戦略的不信感が存在しているため、わずかな違いによって情勢は急速に逆転した。すなわち、2009年1月に韓米両国で政権交代が行われた。韓国の李明博新大統領は、金大中及び盧武鉉両政権の朝鮮に対する「太陽政策」を変更して強硬政策を採用し、朝鮮による核放棄を南北関係改善の前提条件とし、しからざれば朝鮮とは交渉しないとした。同時にアメリカではオバマが就任し、韓国新政権と協調する新政策を採用し、朝鮮核問題ではいかなる譲歩も行わないと強調し、「戦略的忍耐」政策を打ち出した。
 「戦略的忍耐」とは何か。アメリカの著名な朝鮮半島問題専門家であるクルト・シュナイダーは、2013年1月に発表したオバマ政権の対朝鮮政策に関する文章において、オバマの「戦略的忍耐」は2つの考慮に基づいていると指摘した。一つは、朝鮮が「挑発するたびにその隣国関係が悪化する」ということ、もう一つは、アメリカが朝鮮と接触する努力を行っても政治的利益はなく、反対により大きな政治的リスクに直面する可能性があるというものである。有り体にいえば、オバマ政権は朝鮮核問題を解決することはまったく考えておらず、朝鮮が次々と挑発するのを利用して、朝鮮とその隣国である韓中露3国との関係を不断に悪化させ、それによってアメリカの東北アジア及び東アジアにおける軍事プレゼンスを不断に高め、朝鮮半島の安定を破壊し、それによってアメリカのこの地域における覇権的地位を維持するということである。アメリカから見れば、仮に朝鮮核問題が平和的に解決し、南北朝鮮が和解を実現し、半島の自主平和統一が最終的に実現する場合には、アメリカとしては朝鮮半島ひいては日本における軍事プレゼンスを維持できなくなり、さらには朝鮮核問題を利用して東北アジアで波風を起こすことができなくなるということなのだ。
 以上のような政策のもと、オバマ政権は朝鮮核問題に対して基本的にお茶を濁し、軽視する姿勢をとり、ひいては中国等が艱難辛苦の末朝鮮をして6者協議に復帰するようにした後も、一貫して朝鮮に対して高圧的政策を取り、朝鮮が間違った政策的対応を取ったこともあって、オバマ政権の7年以上にわたって、朝鮮核問題の平和的解決に向けた実質的進展がなかったばかりでなく、朝鮮をして第3回核実験を行うまでにさせてしまった。事実が証明するとおりアメリカのこういう政策は失敗だった。
<朝鮮も責任があり、アメリカは中国に感謝こそすべきだ>
 当然ながら、朝鮮も核問題が遅々として解決しないことの主要な責任を負うべきである。朝鮮は、核兵器を開発することを通じて、自らが置かれた最悪の安全保障環境と外交的孤立を打破しようとしている。筆者の見るところ、これは重大な戦略・政策上の誤りである。
 まず、事実が証明するとおり、朝鮮は国土面積が小さく、人口が密集し、経済力が極めて脆弱な国家であって、核兵器開発によって安全保障が確保できないのみならず、逆にますます安全保障環境が悪化するし、外交的にもますます孤立し、国内経済発展をも深刻に阻害する。NPTが1970年に発効して以来、今日では国連加盟国193ヵ国中189ヵ国がNPTに加盟しており、国際社会は、グローバル及び地域の平和のためには、NPT体制が破壊されることをもはや許すわけにはいかない。この体制を破壊するものは厳しい非難と制裁を受けなければならない。
 さらに言えば、朝鮮はともすると、会談、ミサイル発射、ひいては核実験を通じてアメリカの譲歩を勝ち取り、あるいは直接交渉を交換で勝ち取ろうとしているが、そのような可能性はほとんどなく、逆に朝鮮半島情勢の緊張をつくり出し、同時に周辺諸国の安全に脅威を及ぼし、東北アジア地域の安定にも悪影響を与えている。このようなやり方では、国際社会の同情と支持を得ることは不可能である。
 第一次核危機から今日までの20年以上の経緯が証明するように、朝鮮核問題は交渉を通じてのみ解決が可能だ。軍事的威嚇あるいは外交的圧力(不断に制裁を強化することを含む)を通じて解決しようとするいかなる試みもまったく不可能なことだ。米朝双方は、根本的に相手側に対する政策を改め、調整し、交渉のテーブルに戻ることのみが唯一の正しい選択である。
 中国は、最初から平和的交渉を通じて解決する方針を堅持し、たゆまぬ努力を行ってきた。これは世人の公認するところであり、誰も抹殺することはできない。自らの対朝鮮政策の失敗の責任を中国に押しつけようとするのは、公正でないだけでなく、無駄骨でもある。
 アメリカのコロンビア大学教授のチャールス・アームストロング教授は、最近サウス・チャイナ・モーニング・ポストで発表した文章の中で、「アメリカ政府は、中国が朝鮮の最近の核実験を阻止しなかったとして非難しているが、これは、荒れ狂う海上で船長に恨み言を言うのと同じである」と良いことを言っている。この文章は最後に、「あらぬ理由で中国を非難するよりは、中国が様々なマルチの方式で朝鮮問題を解決することに建設的な役割を発揮してきたこと及び引き続き役割を発揮しようとしていることに感謝するべきである」と述べている。