朝鮮の人工衛星打ち上げ報道と環球時報の反応

2016.02.01.

1月30日付の環球時報は、「朝鮮の「両弾」は自らの危険をさらに切迫させるのみ」と題する社説を掲載しました。「両弾」とは、1月6日の水爆実験と米韓日発の朝鮮の人工衛星打ち上げが近いかも知れないという報道を指しています。
 私は年初以来、朝鮮の水爆実験関連の中国側見方をいくつかをこのコラムで紹介してきました。総じて言えば、米日韓が強硬な制裁を主張しているのに対して、中国は、政府(外交部)を含め、朝鮮の置かれた厳しい安全保障環境(それは優れて米日韓によってつくり出されたもの)のもとで、朝鮮の行動に対して一定の理解を示し、朝鮮を極端に追い詰めるような制裁には応じられない(ピンポイントの制裁は可とする)というものです。
 そういう論調と比較するとき、環球時報社説は一貫して、朝鮮の核開発路線は誤っているという立場から、朝鮮に対して現在の政策路線を改めてのみ将来への展望が開けるという主張を行ってきたように見られます。
 1月30日付社説もそういうスタンスから書かれたもので、私が紹介してきた他の論調とは趣が違うという(「一線を画している」とまで言うのは憚られますが)のが私の受けている強い印象です。これは私の単なる思い込みなのか、中国政府の対朝鮮政策はどのように展開していくのかについては、今後の中国側論調の推移・流れをさらに見極めていかなければならないと思っています。
 以上をお断りした上で、この社説の内容を紹介します。

 「朝鮮は間もなく長距離ミサイルの発射を行う」というニュースが、最近日韓から伝わり、半島に新たな緊張した雰囲気を増幅させている。韓国国防部は28日、朝鮮はいつ何時長距離ミサイルを発射してもおかしくないと述べた。
 朝鮮のミサイル発射に関する米韓の説は当たったときもあれば間違ったときもある。2月16日は故・金正日の誕生日であり、韓国の今回の推測は、その日またはその前に長距離ロケットで「光明星第4号」を打ち上げるというものだ。運搬ロケットと大陸間弾道弾の技術は極めて似通っているので、韓米日は朝鮮の「人工衛星打ち上げ」を大陸間弾道弾発射実験と同じと見なしている。
 朝鮮がこれまで行った3回の核実験の前には「運搬ロケットの発射実験」が常に行われているので、韓国世論は朝鮮のこの2大行動を「挑発セット」と称しており、韓米日のこの2つに対する敏感さの程度はほとんど同じだ。その中で、アメリカはどちらかというと朝鮮の「衛星打ち上げ」により関心を寄せている。というのは、韓国メディアの報道によると、韓米は朝鮮が射程13000キロの大陸間弾道弾を開発したのではないかと疑っており、これであればアメリカ本土に対する直接的な脅威となりうるからだ。
 1月の朝鮮による「水爆実験」はアメリカのかつてない激しい反発を呼び起こし、ワシントンは安保理による極めて厳しい制裁案を通過させることを推進している。朝鮮が「衛星を打ち上げる」という韓国の情報が正確であるとすれば、「光明星第4号」は遠からず打ち上げられることとなり、朝鮮はさらにやり過ぎて、危険の極限にまで近づいてしまうだろう。
 朝鮮の核の膠着状態は混乱の泥沼に陥っており、朝鮮の過激な冒険は常に米中間に一定の違いを招致し、さらには中韓を穏やかでなくし、大国間では「応酬が行われる」。人によっては、平壌は大成功の監督だと見なすものもいるが、実はこれはこの上ない幻想である。
 朝鮮は、自分がどのような動きを取っても、驚きは引き起こしても危険は伴わないというロジックが打ち破られることはない、と考える自らの危機管理能力を過信してはならない。平壌はひょっとすると、自らの核兵器と長距離ミサイルが実戦能力に近づけば近づくほど、それがもたらすリスクを帳消しにしてますます優位に立ち、最終的に圧倒的な戦略的主動性を実現し、米韓日が最終的に現実を受け入れ、この戦略的駆け引きを収束させるために「白旗を揚げる」と考えているのかも知れない。
 しかし、朝鮮の総体としての実力は限られており、その戦略的主導権は相対的なものにしか過ぎず、絶対的なものにはなり得ない。朝鮮が自らの考える「勝利」に近づいたと考えれば考えるほど、本当の危険はますます迫って来る可能性がある。アメリカにはルール・オブ・ゲームズをざっくりと変えるだけの力がある。朝鮮の行動がワシントンからして「現状維持」はアメリカにとって受け入れられない危険を意味すると確信するときには、アメリカが局面を変えるために激しい冒険的行動を取ることを阻止することは極めて困難である。
 平壌は、自分が危ない道を渡るという状況の下において、中国が安保理において朝鮮の安全保障の防護カバーとなるだろうとは考えるべきではない。仮に朝鮮が一歩一歩極限状況に向かって動いていくならば、それがつくり出す局面は中国としてコントロールしようがないものとなるだろう。
 核兵器とミサイルは確かに強力な戦略的手段だが、朝鮮にとっては、現実的かつ切迫した国家戦略上のリスクを伴っている。これらのリスクは、朝鮮の希望とは反して、生半可な核及び戦略ミサイルの能力がつくり出す圧力よりはるかに大きい可能性が高く、少なくとも現在の状況はそうである。朝鮮は「両弾」から本当の実益を得ていないどころか、たぐいまれな孤立と封鎖の中に陥っているのだ。
 朝鮮は、長期にわたって「核ミサイル」の研究開発を国家安全保障の突破口としてきたために、対決と膠着の中で行動することに慣れてしまったようであり、その結果、対外戦略は硬直化してしまっているが、その選択した進路の先はいばらに満ちている。朝鮮は、核保有の得失を改めて客観的に評価し直し、国家安全保障の新しいモデルを探究してみる必要がある。
 米韓が、棍棒を振り回すだけで平壌が新思考を行う可能性をことごとく押しつぶすのではなく、朝鮮に対して新しい試みを開始するための積極的な外的力を提供できるならば、朝鮮核問題に挽回局面が表れる希望が少しなりとも出てくるだろう。