朝鮮半島の戦争危機(環球時報社説)

2016.01.14.

韓国の朴槿恵大統領は、1月13日、就任後5回目となる国民向け談話を発表しました。談話の内容は労働問題、韓国経済などの国内問題、「従軍慰安婦」問題のほか、朝鮮の第4回核実験に対する韓国の対応など各方面にわたるものでした。朝鮮の核実験に対しては、あらゆる外交努力を行い、国際社会がこれまでとは異なる方法で対処するようにさせたいとし、中国が行動を取ることを呼びかけるという強硬姿勢が目立ちました。さらに、国家の安全保障のため、アメリカのTHHADミサイル防衛システムを導入することを考慮するとまで述べました。また同日、韓国の尹炳世外相はロシアのラブロフ外相と電話会談を行い、朝鮮半島問題について話し合いを行いました(同日付ロシア外務省WS)。
 1月13日の外交部の定例記者会見で、洪磊報道官は、上記朴槿恵の発言に対する中国側コメントを求められて次のように述べました。

 「(中国の制裁措置に関して)国際的核不拡散システムを守り、朝鮮の核実験に反対することは中国の一貫した明確な立場だ。中国は、半島核問題を扱うに当たっては常に、半島非核化、核拡散防止、東北アジア地域の平和と安定の実現という大局に立っており、これは、中韓を含む関係諸国の共通の利益と責任でもある。
 半島核問題及び半島情勢問題については、中韓は一貫して緊密な意思疎通と協調を維持している。両国外相はすでにこの問題について電話で意見を交換した。双方の6者協議団長も意思疎通を保っている。中国は、韓国を含む6者協議のメンバー国とともに、半島非核化の目標を推進し、この地域の長期にわたる安定と平和のために共に努力していくことを願っている(浅井注:制裁措置に言及していないことに要注意)。
 (THHADの韓国導入に関し)ミサイル防衛問題に関する中国の立場は一貫して明確だ。一国が自らの安全保障を謀るときは、他国の安全保障上の利益と地域の平和と安定について考慮するべきだ。現在、朝鮮半島情勢は高度に敏感であり、関係国が地域の平和と安定を維持する大局に立って、関係する問題を慎重かつ適切に処理することを希望する。」

 朝鮮の第4回核実験に対するロシアの立場に関しては、1月7日付のコラム執筆の時点では分かりませんでしたが、その後ロシア外務省英文WSは1月12日に、1月6日付のコメントを発表しました。そして、1月13日には、尹炳世外相との電話会談でラブロフ外相が述べた発言をも紹介しています。ロシアの立場を理解するため、その両者を紹介しておきます。

<1月6日付ロシア外務省ザハロヴァ報道官コメント>
 1月6日、DPRKは水素爆弾が成功裏に実験されたと発表した。ロシアは、この発表の意味合いを鋭意検討しており、DPRKの実験後の技術的データを分析している。水素爆弾の実験が確認される場合、平壌の核兵器開発の次なるステップであり、それは国際法及び国連安保理決議に対するあからさまな違反である。そのような行動は、すでに軍事的政治的対立の可能性が極めて高くなっている朝鮮半島の緊張をエスカレートさせるリスクに満ちている。
 この状況のもと、我々は、当事国すべてに対し、自制を保ち、北東アジアの緊張がコントロールできなくなるような行動を回避するように呼びかける。我々は、6者協議の枠組みの中での朝鮮半島情勢の外交的解決及び地域の平和と安全のための信頼できるシステム作りを目指す可及的速やかな対話に対する支持を確認する(浅井注:制裁措置について言及していないことに要注意)。
<ラブロフ外相発言>
 1月13日、韓国側の要請に基づき、ラブロフ外相は尹炳世外相と電話会談を行った。
 ラブロフ外相と尹炳世外相は、DPRKが最近発表した水素爆弾の実験に対する深刻な憂慮を表明した。ロシア側は、自制を維持し、北東アジアの緊張をさらに悪化させる可能性のある行動を慎む必要性を強調した。さらに我々は、この危機を解決するための政治的外交的選択肢を探ることを目的として、可及的速やかに対話を回復する必要性を強調した(浅井注:ラブロフも制裁には未言及)。

 このように、朝鮮の行動を非難しつつも、関係当事国がさらに事態を悪化させないように自制する必要があることを強調する点では、ロシアの立場はすでにこのコラムで紹介してきた中国の立場と一致しています。そういう慎重さの基礎にあるのは、朝鮮半島における朝鮮と米日韓との対決がエスカレートして、第2の朝鮮戦争が勃発する危険性を中露両国が真剣に憂慮しているからだと思います。中露両国はこれまでのところ明言していませんが、2015年の8月危機の教訓を深刻にくみ取っていることがこの慎重な姿勢を生んでいることはほぼ間違いないところだと思います。韓国の朴槿恵大統領の上記無鉄砲発言に対する洪磊報道官の反応からも、そのことは明らかに読み取ることができます。
 1月13日付の環球時報社説「朝韓中米、半島に大乱となったときの運の悪い順番」は、朝鮮半島に戦争が勃発する2つのシナリオ(いずれもアメリカが仕掛け、仕向けることになっている)を示した上で、戦争が起こった場合の運の悪さは、朝鮮、韓国、中国、アメリカ(日本とロシアはその後)の順番になると指摘して、韓米に自制を促しています。その大要を紹介します。

 朝鮮の「水素爆弾実験」は半島の緊張を激化させ、情勢をさらに危険にする可能性がある。B52はすでに半島に来てデモンストレーションを行い、メディアは、アメリカの原子力空母以下の戦略戦力が配備されることを論じている。また、米韓日が朝鮮に対するさらに厳しい制裁を推進することは避けられず、アメリカは「本気」であって、格好をつけているのではないことを見せつけている。
 見たところ、中国は朝鮮政権を「死に追いやる」制裁決議を支持はしないだろうが、核材料が朝鮮に入ることをさらに遮断する措置には同意するだろう。半島の非核化を推進すると同時に、半島が中国の門口で戦争となることを防止すること、これらは中国にとって重大な利益だ。
 しかし、中国は朝鮮核問題解決のカギを握っているわけではなく、我々が各国に冷静さを呼びかけても効き目があるとは限らないので、中国としては、半島の「最悪の事態」に対する備えをする必要がある。
 半島は、2つの可能性のもとで戦争が起こりうる。一つは、朝鮮が核兵器の小型化でブレークスルーを実現し、大陸間弾道弾の技術でも重要な進展を見せ、アメリカを遠距離から攻撃する能力を身につけることだ。そういう状況が現実になる以前に、アメリカは朝鮮に対して「先制攻撃」を行い、朝鮮の核能力を破壊するだろう。したがって、平壌は、その核技術が完璧に近づけば近づくほど、国家はますます安全になるとはゆめゆめ考えないことだ。
 二つ目の可能性は、米日韓が率先する国際制裁が効き目を発揮するだけではなく、朝鮮を窒息に追い込み、朝鮮の体制の存続自体を脅かすに至ることだ。平壌は絶対に座して死を待つことはなく、必ずそれに対して抵抗することになるということは国際政治の基本的鉄則である。朝鮮の抵抗は半島情勢のコントロールを失わせ、最終的には、各国の願うところとは逆のことが現実となるだろう。
 半島がいったん戦争となれば、各国すべてがダメージを受ける。ダメージを受ける深刻さは、朝鮮、韓国、中国、アメリカという順番になるだろう。日本とロシアはその後だ。
 したがって、モスクワは朝鮮核問題では相対的に高みの見物であり、日本は大騒ぎしているが、日本が持ち込んでいるのはすべて「私心」であり、この機会に「拉致された日本人」の問題を解決しようとし、さらには半島の混乱が増大するのにつけ込んで日本の軍事力を発展させる口実にしようとしている。
 アメリカは半島に軍隊を駐留させ、韓国の「兄貴」だが、駐韓米軍は朝鮮を威圧するほかに、「中国に見せつける」という戦略的意図もある。アメリカは一貫してTHHADシステムを韓国に配備しようとしており、いったん成功すれば、アメリカは同時に中国を威嚇するカードを増やすことになる。アメリカの軍事力は一方で朝鮮に狙いを定めていると同時に、中国をも射程内に収めているわけだ(浅井注:洪磊報道官の朴槿恵発言に対する反応は、このような判断に立っています)。
 中国がアメリカの半島に対する新たな戦略的軍事配備に反対するのは絶対に口先だけのことではない。この分野での中米の駆け引きは、半分公開、半分秘密で進んでいる。
 半島情勢が崩壊に向かえば、朝韓は真っ先に餌食となり、逃げ切れっこない。その局面は極めて耐えがたいものであり、両国の政権及び大多数の国民が絶対に見届けたくないものだ。両国の指導者は、いかなる目的または「理想」に基づくにせよ、自国の人民がそのような災難に見舞われるようにさせる権利はない。
 朝鮮は、本当に大国を掌に載せて弄ぶことができ、自分が最終的に唯一の勝利者になることができるとは考えないことだ。朝鮮は、そのように自分を甘やかすべきではなく、自分をそう追い詰めるべきではない。韓国は、アメリカの太ももにしがみつき、アメリカの言うとおりにすれば、それで安全でいられるとは思わないことだ。アメリカが半島でやっているのは大戦略であり、韓国はしょせんコマに過ぎず、うぬぼれないことだ。
 アメリカは、東北アジアはアメリカだけではなく、「大国林立」であることを忘れてはならない。歴史の教訓に鑑み、「手加減する」意識を持つ必要がある。
 朝鮮核危機は今や悪循環に陥っており、朝米は常識的には決闘までは考えていないし、受け身になるときも攻撃的に相手を追い詰めるときもある。しかし、政治学が教えるように、あらゆる結果が脅迫によって生まれるわけではない。では、目標を実現するためには「いかなる代価をも惜しまない」と覚悟を決めているものがいるだろうか、ということをよくよく考えてみることだ。