安保法制成立と国際政治

2016.01.01.

あけましておめでとうございます。昨年も多くの方にこのサイトを訪れていただき、それが励みとなって続けてくることができました。本年も、細々ながらエネルギーが続く限りはコラムを更新していきたいと思っております。
 このサイトも今や、もっぱらコラムだけの更新状態になっておりますが、今年は「丸山眞男」のページを全面リニューアルしたいとひそかに願っております。岩波書店から『丸山眞男集 別集』が刊行されており、残すは「正統と異端」を扱うはずの第4巻と第5巻の刊行を残すだけとなっています。私としては、両巻の刊行を待って、その内容を確認した上で、諸々のテーマ毎の丸山の発言集大成集をアップしたいと考えています。
 と言いますのは、丸山の発言は21世紀の日本及び世界を考える上でも極めて示唆と啓示に満ちた内容のものであるので、私一人の私蔵物にしておくのはもったいないと強く感じているからです。
 この企画が本年の(と言うより人生最後の)私の最大の計画となりそうですが、実現するか否かは、遅れている両巻の刊行が実現するか否かに大きくかかっています。
 もう一つは私事なのですが、孫娘のミクがこの4月からいよいよ高三となります。娘のノリコは、卒業後のミクのための生活設計に余念がありません。私には何も「出る幕」はないのですが、障がい者であるミクのこれからの歩みにはとても無関心ではいられません。何かの折にはミクの歩みについてもイエイエ(祖父)の視点から書き込むこともあり得ると思いますので、その際は「ミク」のページを覗いてくださるとありがたいです。
 挨拶と前置きが長くなりました。皆様へのご挨拶の代わりに、ある雑誌に寄稿を依頼されて書いた短文を掲載して、年初のご挨拶と致します。

 安保法制は、日本がアメリカの世界軍事戦略に全面的に加担するための国内法的受け皿である。安倍政権は、そのために集団的自衛権行使を第9条のもとで「可能」とする解釈改憲を強行し、その上で安保法制を成立させた。
 安保法制で裏打ちされた日本の対米軍事協力が今後の国際政治で持つ意味は、米ソ冷戦終結後のNATOが演じてきた役割を確認することで直ちに明確になる。アメリカが日本に求めているのは、日米軍事同盟がNATO並みの機能を果たすことに尽きるからだ。
<NATOの武力行使の本質>
 NATO諸国の多くは、冷戦終結直後の湾岸危機に際して、アメリカ主導のいわゆる多国籍軍に参加し、協力した(1991年)。ユーゴ内戦では、NATO軍は「人道的介入」と称してユーゴに対する空爆を行った(1999年)。9.11後の対アフガニスタン及びイラク戦争でも、NATOはアメリカに全面協力した。また、いわゆる「アラブの春」の中で発生したリビア内戦においても、NATO軍は公然と介入した。
 日本国内では、アメリカ発の情報が垂れ流されているので、以上のアメリカ及びNATOの軍事行動に関する正確な認識が阻まれている。しかし、湾岸戦争はともかく、ユーゴ空爆、対アフガニスタン・イラク戦争、リビア空爆はすべて、国際法的及び政治的に許されてはならないものである。
まず、戦争を違法化した国連憲章のもとで、軍事力の行使は、安保理が憲章第7章のもとで容認した場合か、安保理が行動するまでの一時的な行動としてのみ許容される。対ユーゴ及びリビア空爆については、米欧による両国に対する不当な内政干渉とする中露の反対で、安保理決議は成立しなかった。
次に、イラク戦争後の同国の紊乱状態、アフガニスタン及びリビアの無政府状態及び三国におけるテロ勢力の跋扈に明らかなとおり、NATOの軍事介入はことごとく失敗している。シリア内戦でも、アメリカ及びNATO諸国は政権反対勢力を支援して事態を悪化させ、大量の難民を生み出した。
<安保法制下の日米軍事同盟の危険性>
安保法制成立後の日米軍事同盟の危険性はさらに深刻かつ重大である。朝鮮半島(及び台湾海峡)では冷戦構造が今日なお存続している。東シナ海では日中の、また、南シナ海では中国とフィリピン、ヴェトナム等との領土紛争が存在している。しかも、その根底には、台頭する中国とステータス・クオに固執するアメリカとの対峙構造がある。安倍政権は、正にこれらの紛争において「火中の栗」を拾うべく安保法制の成立を急いだのだ。
<憲法の原状回復を勝ち取るために>
今夏の参議院選挙及び近い将来の衆議院総選挙を控える安倍政権は、安保法制の危険な本質をさらけ出す対米軍事協力にとりあえずは慎重を期するだろう。しかし、それはあくまでも「とりあえず」であって、安保法制の危険な本質は変わるはずがない。私たち主権者は、集団的自衛権行使を「合憲」とした閣議決定を廃止し、安保法制を廃棄することにより、2014年7月以前の憲法状態に原状回復するべく、両院選挙で自公政治を退陣させなければならない。