中国人の他者感覚・自己内対話

2015.12.18.

丸山眞男は、日本の思想が「普遍」を欠くことを指摘するとともに、日本人における他者感覚の欠落を鋭く指摘し、他者感覚をわがものにすることの重要性をくり返し指摘しました。他者感覚を自らに向けるとき、それは自己内対話という形を取ることになります。
  私の理解では、私たち日本人が他者感覚を我がものにしえない最大の原因は「普遍」というモノサシを持たないために、自らをそのモノサシによって相対化できず(したがって「個」を持ちえず)、したがってまた他者を他者として認識する感覚を身につけることができないことにあるということです。つまり、「普遍」の欠落と個・他者感覚の欠落とは表裏一体です。
  これに対して、中国の思想は「普遍」を古くから我がものにしているため、個・他者感覚(中国語:「換位思考」)をもごく自然に身につけることができますし、自己内対話を行うこともそれほど困難を伴わないのだろうと思います。12月15日付の中国青年報「世界の立場から中国を見る」、同日付の光明日報「中国及び西側の比較から中国ドリームの実現を考える」はそうした好個の実例だと思いますので要旨を紹介します。日本の先行きが見えない中で、私たちが為すべきことは何よりもまず他者感覚を働かして自己内対話を行うことだと思うのですが、自分のことはそっちのけで中国のあら探しをすることに夢中になり、それで溜飲を下げる手合いが多い危機的な状況と比べれば、しっかりと他者感覚を働かせ、自己内対話を行う中国の方がはるかに先行きは明るいと思うのですが、如何でしょうか。

<中国青年報文章>
  近年、経済的実力が不断に高まるに伴い、中国の社会的雰囲気にも明確な変化が生まれている。国外に出る国民がますます増え、「外の世界」に対する理解もより直接的になってきた。これはもちろん良いことだ。しかし、少なくない人々が、帰国後、外国も大したことはないとして、徐々に優越感を生み、うぬぼれるようになっている。特に2008年の国際金融危機以後、中国は、大規模な政府投資によって8%の経済成長速度を維持した。一部の人からすると、すべての先進国が泥沼に陥っている中で、ひとり中国だけが光っていた。それにより、世界を軽んじ、夜郎自大な社会的雰囲気が徐々に広がってきたというわけだ。一部の人々は、「西側のあんなもの」と軽蔑して退け、中国の現状を褒めそやし、現実の社会問題及び社会矛盾については目をそらせ、さらに改革を進めることに反対する始末だ。
このような風潮に対して、著名な学者である資中筠女史は、早くからその根本原因を洞察していた。彼女は数年前の文章で、21世紀に入って以来、あるいはもっと早くから、様々なバージョンの過激なナショナリズムの思潮が大手をふってまかり通るようになったと鋭く指摘した。すなわち、直接排外主義に訴えるものもあれば、近年の経済成長を笠に着て夜郎自大に走るものもいるという具合だ。
 中国近代史を知悉しているものであれば、この種の夜郎自大は特に目新しいものではない。魯迅先生はこれを排して、「「愛国的夜郎自大の群れ」である国民がかくも多いことは、まことに悲しむべきこと、まことに不幸なことである」と述べた。中国が社会発展の潮流に順応し、不断に前進するときには、人々が夜郎自大になることを呼びかける手合いが常に出てくる。昔の中国が貧しくて落ちぶれていたときであれば、この手の夜郎自大は簡単に唾棄されて済んだ。しかし、中国経済の図体が日本をしのぎ世界第二位になった今日では、この手の夜郎自大はなかなか認識されにくい。
 中国のこの30年あまりの進歩は改革開放のおかげである。実際、「開放」の方がより重要だ。というのは、国家の門戸を開け、思想が解放されてのみ、改革の方向及び道筋をはっきりさせることができるからだ。門戸を閉じ、鎖国した環境のもとでは、改革は話にもならない。仮に中国が自分の中に凝り固まり、目をふさぎ耳を閉じるのであれば、改革は必然的に推進力を失い、中国の現代化に向けた転換は中断してしまう可能性がある。この意味において、今日の中国が思想解放を堅持し、人類文明の一切の成果を吸収することは、歴史上如何なる時期にも増してますます重要になっている。文化人の周有光氏が述べたように、「中国から世界を見るべきではなく、世界から中国を見るべきだ」。そのためには、様々な声に耳を傾け、世界の様々な発言を真剣に聞き取り、衆知を広く集め、世界各国の経験と知恵を吸収する必要がある。
 『中国を見る』という本は「世界から中国を見る」ものである。この本は、財経雑誌社の馬国川編集長が世界の著名人に対して行ったインタビューを編集したものである。インタビューを受けた人物としては、キッシンジャー、スコウクラフトなどの著名な政治家もいれば、コス、コルナイ、青木昌彦などの著名な経済学者、さらにはフランシス・フクヤマ、ユヌスなどの著名な思想家もいる。インタビューのテーマは、中国モデル、経済社会のモデル・チェンジ、将来に向けての改革など重要な問題が含まれる。彼らは、中国に対して友好的であり、客観的理性的に中国の現状を分析し、中国の改革に対して多くの価値ある提案を行っている。
 中国経済は台頭しつつあり、国際的地位はますます重要になってきているが、他方において、中国はまたモデル・チェンジに伴う巨大な問題と挑戦にも直面している。世界から中国を見ることによってのみ、中国が直面している問題と挑戦を正確に見極めることができる。世界的視野から中国のモデル・チェンジを詳細に観察することによってのみ、中国の未来に向けた道筋を正確に認識することができる。この本の価値はこの点にある。
 この本のそういう価値を見届ければこそ、著名な経済学者である呉敬璉氏は、この本を推薦して次のように書いている。「中国は正に現在「3000年以来かつてない大変化」を経験し、台頭して、世界の諸民族の中で自立する現代国家になろうとしている。この偉大にして困難に満ちたモデル・チェンジの成功を勝ち取るため、我々は努力して学ぶことにより視野を広げ、自らの学識と能力を増進しなければならない。馬国川氏のこの本は、20名以上の異なる背景、視点、国家の有名人に対するインタビューを編集したものであり、彼らの世界及び中国に対する観察を述べたものである。現在大モデル・チェンジを実現するべく努力しているわが国民が栄養を吸収する上で価値があるものだ。」
 
<光明日報文章>
  一 民は邦の本を為す。本固まりて邦寧し。
  「民は邦の本を為す。本固まりて邦寧し」にいう「民本」思想は、数千年にわたる中国人の治国理政に関する核心的観念であり、中国政治における最大の共通認識である。「土豪を打ち、田地を分ける」から「小康実現」「人民のために服務する」「人々の苦しみを肌身に感じる」「人々と緊密に連携する」「小康社会を全面的に建設する」まで、本質においてすべて「民本」思想の体現にほかならない。
  今日、「民本」思想は、国家が民生の改善に力を尽くすことを指すに留まらず、国家の制度的なアレンジメントが、さらに高度かつ広範囲のレベルで人民生活水準を向上し、政府が人々により良質なサービスを提供し、人民がより安全で、より幸福な、より尊厳ある生活を過ごせるようにすることをも指している。中国がかくも急速に台頭し得てきたことにおける重要な経験とは、国家の最重要な仕事は民生の改善を全力で推進するということである。
  西側の政治文化の中で今日語られることがもっとも多いのは西側が自ら定義する「自由、民主、人権」等の価値であり、彼らはこれらの価値を世界中に推し広めるためには武力を動員することすら惜しまないが、彼らのそうしたやり方が非西側諸国で頻繁に失敗の憂き目に遭っている主要な原因は、これらの価値が非西側諸国の人々が期待する民生改善という願望と深刻にかみ合っていないからであり、そのことが政治メカニズムの空回り及び果てしのない政治紛争、動乱ひいては戦争を引き起こしている。
  実をいえば、西側モデルの今日における最大の困難もまた民生改善に力が及ばないことにある。金融危機、債務危機、経済危機などは、西側諸国の人々の生活水準の長期にわたる停滞ひいては低下をもたらしている。圧倒的多数の西側諸国の人々の関心も、経済、就業、福利などの民生問題である。この意味において、中国人の「民本」思想は、中国ドリームの実現にとって重要な意義があるのみならず、世界的な難題を解決することに対しても重要な啓発的な意味を有している。
  二 和して同ぜず、和諧中道
  政治的文化的に比較するとき、中国と西側の歴史における重要な違いの一つは宗教戦争の違いである。欧州の歴史においては、異なる宗教及び宗派の間の戦争が1000年にわたって続き、今日なおその陰影が残っている。他方で中国の「和して同ぜず、和諧中道」の文化においては、欧州の長期にわたる宗教戦争の悲劇を回避できたのであり、このことがまた中華文明が数千年にわたって持続することを可能にした主要原因である。
  西側政治文化の一つの特徴は、社会の異なる利益の間の駆け引きを強調し、闘争哲学を好むことだ。中国の政治文化の伝統は「和して同ぜず、和諧中道」をより重視する。この文化は、100年に及ぶ動乱を経験した後、中国社会の主流的な共通認識となっており、極めて貴重なものだ。中国人は、「大同を求め、小異を存す」を強調し、社会の異なる利益の和諧共生を強調する。
  民族復興の中国ドリームを実現するプロセスの中で、「和して同ぜず、和諧中道」の理念は引き続きその独自の役割を発揮することを予期することができる。世界的な民族矛盾及び文明間の衝突が日増しに深刻となっている今日、この理念は、グローバル・ガヴァナンスにおける多くの困難を解決する上でも参考とすべき価値があるだろう。
  三 異なる内容性質のものを併せ持ち(兼容并蓄)、新たな境地を切り開く(独辟蹊径)
  中国文化の今一つの特徴は、異なる内容性質のものを併せ持つことによる並外れた学習能力であり、「寸有所長、尺有所短」から「三人行必有我師」へ、「謙受益、満招瀛」から「他山之石、可以攻玉」へ、「陳言務去」から「学如蝉蛻」へなどの先祖の教えは、すべてこの伝統を反映している。ただしこれは、単純に人の真似をするということではなく、異なる文明から養分を吸収し、世界各国の経験に学ぶことにより、最終的には他者の長所の基礎の上に「古きものを退けて新しきものを生み出す」(推陳出新)、「独り道を切りひらく」(独辟磎径)ということである。
  比較的に見ると、西側文化においては「三人行我必為師」の伝統の要素の方が多い。そこから唯我独尊を生み出し、他国に対して自らのイデオロギー及び政治モデルを輸出し、その結果として世界全体が不安定となり、自分自身も安寧な日々を過ごせないということになっている。本年現れた、欧州を席巻した「百万難民」も、相当程度において、西側が極力推進した「アラブの春」が自らに降りかかった結果である。
  中国人の「兼容併蓄」、「従善如流」、すなわち大胆に人に学ぶという長所は、自分自身を豊かにし、発展させて来たが、重要なことは、この過程において中国は自分自身を見失わず、我を以て主となし、兼容併蓄、另辟磎径、総合創新を行ってきたことである。すなわち、政治の領域においては、中国は「選抜」と「選挙」とを結合したが、これは西側の「選挙」に依存する制度よりも明らかに優れている。社会の領域においては、中国は西側が主張する社会と国家とを対立させる制度を拒否し、社会の総合ガヴァナンスを推進し、社会の協商と対話を推進し、社会と国家とが互いに高度な良性の相互作用を行う制度を作っており、そのため、中国の国家と社会は西側と比べてさらに凝集力が強い。経済の領域においては、中国は「社会主義市場経済」システムを実行している。これは一種の「混合経済」であり、「見えざる手」と「見える手」との有機的結合、市場と計画との有機的結合、国有企業と民間企業との有機的結合などを包摂している。このシステムはさらに改善する必要があるが、すでに独特の競争力を示しており、中国経済の飛躍的発展と人々の生活水準の大幅な向上をもたらしている。我々は今後も世界各国及び地域の良い経験を学び、参考にする必要があるが、その際も必ず我を以て主となし、多くの優れたところを広く採用し(博採衆長)、新たに道を切りひらき(另辟磎径)、自ら一家を為すのでなければならない。