シリア情勢の新展開に潜む危険性

2015.11.24.

1.ロシアのイニシアティヴと国連安保理決議

 ロシアのメディアは、10月31日にロシア旅客機がエジプトのシナイ半島で墜落した事故が爆弾によって起こされたものであるとクレムリンが結論づけたこと、そしてプーチン大統領がこの襲撃を行った犯人に「復讐」を行うことを誓約したと報道しました(11月18日付中新網)。また、11月18日にラブロフ外相は、「プーチン大統領は、国連憲章第51条に従い、シナイ半島での墜落に責任あるものを見つけだし、罰すると述べたが、これはどういう意味か説明して欲しい。ロシアは具体的にどういう措置を取るのか」という記者の質問に対して、「我々は、ロシアに対する武力攻撃に対して、国家の個別的または集団的自衛権を認める国連憲章第51条に従って行動するだろう。シナイ半島におけるテロリストの攻撃はロシア市民に対する攻撃であり、それは取りも直さずロシア国に対する攻撃である。我々は、政治、軍事、諜報、特殊任務など、利用できるすべての手段による自衛権を行使するだろう」と述べました(同日付ロシア外務省WS)。
  ラブロフ外相は翌19日、ロシアラヂオとのインタビューで次のように発言しました。後述する安保理決議及びその内容を理解する上でも示唆に富むので紹介します。

  「国連憲章第51条は、一国またはその国民が攻撃された場合に自らを防衛する権利を定めている。もちろん、この問題に対して律法主義的立場を取る法学者もいる。私は彼らの意見も聴取した。しかし、ロシアの航空機に対するテロリストの攻撃を切り離して考えることはできない。すなわち、今回のテロ行為は、レバノン、エジプト、パリ、案から、バグダッドその他のイラク諸都市でテロリストが行った一連の恐るべき行動における犯罪である。それは間違いなく国際の平和と安全に対する紛れもない脅威だ。こういう状況のもとにおいては、各国は、国連憲章に定める自衛権を行使しなければならない。この状況のもとでは、2001年9月11日のテロ攻撃に関して行ったように、憲章第7章に従って行動し、イスラム国をやっつけるためにすべてのことを行う必要性を明確にする安保理決議を採択することが絶対に必要だ。
  ちなみに、我々は9月、中東北アフリカにおけるイスラム国その他のテロリストと戦うためにすべてのものが団結することを呼びかける決議案を提出したことがある。プーチン大統領は国連総会での演説でこのイニシアティヴを発表した。その翌日、我々は安保理の閣僚級会合を組織し、この決議案を参加者に配布した。しかし、西側諸国は、対テロ作戦はその作戦が行われる領域の国家と協調して行われなければならないとする規定は歓迎しないと述べた。したがって、我々もそれに執着しないことを決めたのだが、この決議はいずれ必要になるだろうと確信していた。我々は残念ながら正しかった。一連の悲劇を受けて、テロに対して団結する意思が生まれている。テロリストは互いに議論しない。アル・ヌスラとイスラム国は完全に共通な言葉を分かち合っている。彼らはほかのアル・カイダ系とも折り合いをつけるだろう。我々のデータによれば、彼らはそれに長けている。このような大規模で前例のない脅威を前にして、テロと戦う我々の行動を確かなものにするためには、特定国における政権交代の如き前提条件をつけることは許されることではない。
  西側諸国が主張する「アサド問題を解決してから、イスラム国をやっつける行動を協調することを組織しよう」という理屈によれば、イスラム国はアサドと対決しているのだから、アサド大統領の力を弱めることによって、我々はイスラム国の術中に陥ることになってしまう。ケリー国務長官は私に対して、アサドが退陣すれば効果的協調が可能になると主張し続けている。しかし、ウィーンでの諸会合で明らかになったようにまた。他のすべての違いを横に置いて対テロ連合を作ろうと提案したオランド大統領の決定的かつ極めて政治的な行動により、より現実的なアプローチが必要であることをみんなが理解し始めていると思う。これは正しく、プーチン大統領が国連総会で呼びかけた広範囲の対テロ戦線の結成というイニシアティヴに一致している。

そして国連安保理は11月20日、イスラム国が「国際の平和と安全に対する世界的かつ前例のない脅威を構成する」と決定し、また、アル・ヌスラ(ANF)その他のアル・カイダと関係のある個人及びグループも「国際の平和と安全に対する脅威を構成する」ことを想起する(前文)とした上で、チュニジア・スーサ(6月26日)、トルコ・アンカラ(10月10日)、エジプト・シナイ半島(10月31日)、レバノン・ベイルート(11月12日)、フランス・パリ(11月13日)においてイスラム国によって引きおこされたテロ攻撃を非難し(第1項)、これらのテロに責任を負うものは処罰されるべきであることを再確認し(第4項)、「能力のある国連加盟国は、国際法と国国連憲章並びに人権、難民及び人道に関する国際法に従って、シリア及びイラクにおけるイスラム国支配下の領域に対してすべての必要な措置を取り、…イラク及びシリアの広範な地域にイスラム国が確保している安全地帯(safe heaven)を根絶することを呼びかける」(第5項)決議を採択しました。
  この決議は、アサド大統領の去就については何ら触れておらず、イスラム国、アル・ヌスラ等のテロリストに対する武力行使(安保理決議における「すべての必要な措置」とは武力行使を含む決まり文句)を各国に容認するものである点で、ラブロフ外相が紹介したロシア(及びフランス)の主張を反映したものであることは直ちに理解できます。ということは、アサド退陣要求を前面に押し出してきたアメリカが譲歩を余儀なくされた結果であるということを意味します。
  ただし、この決議は、これまでアメリカ以下の有志連合が行ってきたシリアにおける軍事行動をも「合法化」する意味を持っていることも確かです。ロシアはこれまで、アサド政権の要請もしくは合意または安保理決議による授権がないアメリカ以下のシリアにおける軍事行動は国際法上許されないものであると批判してきました。今回の決議第5項は、後追いではあるにせよ、アメリカ以下の有志連合の軍事行動を「違法」状態から「合法」状態になしくずし的に移行させるものです。

2.ロシアの行動及び安保理決議の問題点

 しかし、私が今回のロシアの行動及び安保理決議を取り上げるのは、むしろいくつかの重大な(と私には思われる)問題点の存在を指摘しておく必要を感じたからです。

<自衛権行使を越える軍事行動>
  まず、ロシアの行動に関しては、ラブロフ外相の発言そのものが示唆的です。つまり、シナイ半島上空でのロシア旅客機に対するテロリストの行動に対して国連憲章第51条に基づく自衛権行使が認められるのかという問題があります。恐らく、ラブロフ外相が意見を聴取したという法学者の律法主義的な意見というのはその点を指しているのだと思います。私は、2001年のいわゆる9.11事件に対してアメリカが自衛権の行使として「対テロ戦争」を発動した時も、今回のロシアの行動に対するのと同じ疑問を感じていました。
  確かに憲章第51条は「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合」に自衛権の行使を認めており、武力攻撃を行う主体については規定していません。したがって、テロリストによる「武力攻撃」という可能性が排除されるわけではありません。しかし、9.11事件における民間機によるビル衝突を「武力攻撃」とみなすことは無理であるように、ロシア旅客機の爆破についても「武力攻撃」とみなすことはどう見ても無理があります。
  また、プーチン大統領が、今回のテロ事件を引きおこしたものに対して「復讐」すると述べたとされる点も、9.11事件におけるブッシュ大統領の感情的反発と同じで、到底自衛権行使として正当化するわけにはいきません。このことは、国内法における緊急避難または正当防衛と同じです。
  つまり、国内法における緊急避難にしても、国際法における自衛権行使にしても、急迫不正の侵害の発生、実力行使以外の手段がないこと、反撃は必要最小限度であることの3つの条件をクリアしなければなりません。9.11事件に対するアメリカ・ブッシュ政権の軍事行動にしても、シナイ半島事件に対するロシア・プーチン政権の「復讐」としての軍事行動にしても、「必要最小限度」の反撃の域をはるかに越えています。

<安保理決議の越えてはならない限界>
  次に、今回の安保理決議に関しては、私が常々疑問に感じている問題点が再び浮かび上がっています。それは、安保理決議といえども、踏み越えてはならない限界というものがあるのではないかということです。今回の決議でいえば、すでに事実関係として指摘した、本来違法である行為を後追いで合法化することが安保理決議として許されるかという問題です。
  私は、この問題を朝鮮の人工衛星打ち上げ問題との関連で考えてきました。.簡単に言えば、朝鮮の人工衛星打ち上げは、宇宙条約で宇宙の平和利用の権利として万国、全人類に認められた基本的権利です。これほどの基本的な権利を安保理決議によって否定するとか制限するとかが許されて良いはずはありません。もし、そのようなことが認められるとしたら、国際法そのものが安保理(具体的には5大国)の政治的意図によっていかようにも改廃することができるということになってしまいます。そのようなことを認めて良いはずがありません。「法の支配」を越える5大国の権限を認めてしまったら、この世は「ヤクザの世界」と同じです。
  今回の決議は、本来「違法」である行動を遡及的に「適法」であるとするお墨付きを与えるものである点において、やはり越えてはならない法的限界を越えてしまっています。とりわけ重大なのは、国際法重視を声高に唱えてきたロシア(及び中国)が何の説明もなく決議成立を促進したことです。   この問題を考える上では、安保理決議の性格という点を正確に踏まえなければならないと思います。安保理決議が加盟国を拘束するのは、ひとえに「国際連合加盟国は、安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意する」(憲章第25条)からにほかなりません。しかし、この規定は、安保理決議そのものが国際法としての法的規範力を持つことを認めているわけではありません。この点については、国連憲章のもっとも詳細なコンメンタールであるBruno Simma等編の"The Charter of the United Nations"(Volume 1)の第25条に関する部分(pp.786-854)に徴しても明らかです。
  私は常々、アメリカの国際法に対する恣意的な姿勢(自分にとって都合のよい時には国際法遵守を強調するけれども、自分に都合が悪い時には平気で国際法を踏みにじる)に対して危ういものを感じています(その最たる一例を挙げれば、国際人道法に違反したとされる「独裁者」を国際刑事裁判所に訴追するために国際刑事裁判所規定の成立を促進したアメリカが、アメリカ兵が訴追されることを許さないために、自らは国際裁判所規定に加盟しようとしないことをあげることができます)。ロシア(及び中国)の今回の行動にも同じような危うさを感じるのです。
  国際社会における国際法は、先進国における国内法(法的規範が及ばない分野の方が例外)とは異なり、法的規範力が定められた分野の方が圧倒的に少ないのが現状です。しかしそうであればこそ、法的規範が設けられた分野においては、それによって生まれる権利義務関係を尊重する姿勢が求められます。そのことは大国であればあるほどそうです。それによって国際社会は辛うじて国際社会であり得るのです。安保理決議さえ作れば何事も大国の意のままという状況が常態化することを許すわけにはいきません。