中台首脳会談

2015.11.10.

11月7日に中国の習近平主席と台湾(中華民国)の馬英九総統がシンガポールで会談したことは、長年中国問題に関心を持ってきたものの一人として、本当に「歴史の新しい1頁が開かれた」という表現がピッタリの出来事でした。今回の首脳会談実現の出発点となったいわゆる「九二共識」、首脳会談に至るまでの中台関係の経緯、首脳会談、首脳会談に対する台湾世論の反応、台湾野党・民進党の蔡英文党首の反応、アメリカ及び日本の反応をとりまとめて紹介します。今回の首脳会談の実現までには1992年以来の中台双方による努力の積み重ねがあることを踏まえる時、やはり彼らは「歴史の民」だなという実感を新たにしないではおられません。
  中台首脳会談の実現は、いわゆる「台湾有事」の危険性を遠ざけることを意味しているという点だけに着目しても、私たちにとっても極めて歓迎すべきことです。なぜならば、安保法制、すなわち戦争法を安倍政権が強行成立したいま、「台湾有事」となれば、米中軍事激突が不可避となり、日本は「集団的自衛権行使」としてアメリカに積極的に軍事協力することになるからです。それは取りも直さず日中再戦ということになります。
  ところが、日本国内ではこういう視点がまったく欠落しています。例えば、8日付の朝日新聞は、1面トップで中台首脳会談を取り上げたことは当然として、中台首脳会談の持つ意味について、「解説 台湾統一に警戒感も」(1面)、「中台、同床異夢の握手」(2面)、「台湾野党・学生ら反発」(9面)などの見出しに明らかなように、極めて消極的さらには否定的な受けとめ方を押し出す報道を行っています。これは、国民の対中感情が極めて悪いことを踏まえた報道姿勢であることは直ちに分かります。そこには、安保法制成立後の日中軍事関係の極めて危険な含意に対する問題意識がまったくありません。
  中台首脳会談の意義及び中国問題に対する私たちの認識を正すことは不可欠な作業だと思われます。

1.「九二共識」及び中台関係の発展

「九二共識」については、「互動百科」(Wikipediaに相当する中国語百科WS)に要領を得た説明がありますので、その内容を紹介します。

  「九二共識は、1992年に海協会(浅井注:中国側の対台湾関係を担当する窓口機関である「海峡両岸関係協会」の略称。1991年12月16日成立)と台湾の海基会(注:台湾側の対中国関係を担当する窓口機関である「海峡交流基金会」の略称。1990年11月21日成立)とが達成した共通認識のことであり、双方がそれぞれ口頭で、「海峡両岸は一つの中国の原則を堅持」し、「国家統一を図るために努力する」という立場・態度を述べたことを内容とするものだ。九二共識という名称は、2000年4月末に台湾側の責任者だった蘇起が正式に提起したが、その提起に至るまでには両岸の専門家及び学者による思想的な蓄積があり、1987年以後九二共識という言い方が行われることになった。
  1987年11月2日、当時台湾の総統だった蒋経国の指示のもと、台湾側は台湾住民による中国大陸の肉親訪問政策を開始し、38年間中断していた中台間の人的往来を復活する先鞭をつけ、それまで採用していた「不接触、不妥協、不交渉」の「三不政策」を弛めた。そして1990年に海峡交流基金会を成立させて、両岸事務を担当させることになった。
  1991年4月28日、海基会副董事長兼秘書長の陳長文が北京を訪問し、翌日に国務院台湾弁公室副主任の唐樹備と会談した。陳長文は同年11月3日-7日にも北京を訪問し、唐樹備と会談した。これらの会談により、双方が「一つの中国」に関して話し合いを行った。ただし、「一つの中国」の含意については双方の認識に隔たりがあることも確認された。
  1991年12月16日に中共中央台湾弁公室及び国務院台湾弁公室の指導の下に海協会が成立することにより、中台双方の窓口機関ができた。双方は、1992年10月に香港で「一つの中国を堅持する」という原則問題について集中的に討議した。そして同年11月3日、海基会は海協会に対して書簡で、「口頭声明の方式で一つの中国原則を表明する」ことを提案した。これに対して海協会は16日付書簡を以て海基会に回答し、海協会の口頭表明の要点は「海峡両岸はともに一つの中国の原則を堅持し、国家の統一を図ることに努力する。しかし、海峡両岸の実務的な協議においては、「一つの中国」の政治的含意については触れない。」ということであると通告した。12月3日に海基会は異議がない旨海協会に書簡で答えた。以上から、双方の共通認識とは、「海峡両岸はともに一つの中国という原則を堅持し、国家の統一を図ることに努力する」ことであることが理解される。その結果、1993年4月(27日-29日)に海峡会の汪道涵会長と海基会の辜振甫董事長がシンガポールで会談を行い、「汪辜会談共同協議」が成立した。汪辜会談は、1949年以後初めての正式かつ最高レベルでの会談であり、中台が和解に向かう上での「歴史的ブレークスルー」であるとともに、中台関係発展プロセスにおける「重要な歴史的大事件」であると位置づけられている。」

 中台関係は、台湾政情(特に2000年から2008年にかけての台湾独立を標榜する民進党の陳水扁政権)によって停滞しましたが、2008年に国民党の馬英九政権が成立してからは急速に進展しました。海協会と海基会の間で23の協定(2010年に締結された両岸経済協力枠組協議は実質的な中台自由貿易協定)が結ばれ、貿易規模は1700億ドル以上(台湾の輸出額の約4割は香港を含む中国向け)に達し、中国に進出した台湾企業は10万社といわれます。人的交流もめざましく、800万人規模の観光交流、4万人以上の学生交流も実現しています。中国在住の台湾籍人は大都市を中心に100万人(台湾の人口は約2300万人)といわれます。
  例えば、JETROの『世界貿易投資報告2014年版』によれば、台湾の2012年及び2013年の輸出総額はそれぞれ3012億ドル及び3054億ドルです。その内訳を見ると、日本に対する輸出額はそれぞれ190億ドル及び192億ドル(構成比6.3%)、アメリカはそれぞれ330億ドル及び326億ドル(構成比10.7%)、中国(香港を含む)はそれぞれ1186億ドル及び1212億ドル(構成比39.7%)です。また輸入総額はそれぞれ2705億ドル及び2700億ドルです。日本はそれぞれ476億ドル及び432億ドル(構成比16.0%)、アメリカはそれぞれ236億ドル及び252億ドル(構成比9.3%)、中国はそれぞれ435億ドル及び442億ドル(構成比16.4%)です。
台湾の貿易特に輸出にとっての中国の重要性は突出していることが分かります。しかも、台湾の貿易収支は、2012年が307億ドル、2013年が355億ドルの黒字です。対中国貿易収支がそれぞれ750億ドル及び769億ドルの黒字ですから、台湾の貿易の対中国依存度が圧倒的に大きいことも歴然としています。ちなみに、中国にとっては、台湾は貿易相手先としては第7位(2014年1月-10月)、輸入先としては第6位(同)の地位を占めています(張華「2014年両岸経貿関係年末評価」)。
また、台湾の対外投資額に関しては、対日が2012年が1089(百万ドル)で2013年が170、対米は144及び416、中国以外の投資先(香港を含む)合計がそれぞれ8009及び5232です。これに対して、対中(香港を含まない)がそれぞれ12792及び9190です。対外投資先では、貿易以上に、中国が圧倒的な比重を占めていることが分かります。
以上から分かるように、貿易立国の台湾経済にとって、中国大陸はいまや命綱であることは明らかです。しかも、中国の専門家も認めるように、この規模までの中台経済関係の長足の発展は馬英九政権になってから実現したものです。

2.首脳会談

 外務省WSによれば、馬英九総統の支持率は、最初に総統当選を決めた2008年(6月17日)41%(不支持37%)を最高に、2009年(5月21日)41%(不支持40%)、2010年(6月19日)33%(不支持47%)、2011年(6月19日)36%(不支持49%)と下降線を辿ってきました。再選を決めた年である2012年(5月15日)20%(不支持64%)、2013年(5月15日)14%(不支持70%)、2014年(2月13日)14%(不支持65%)と、その後も一貫して低迷してきています。特に、海峡両岸のサービス貿易制限を解除し、市場を互いに開放することを目標とする海岸両岸サービス貿易協定(「海峡両岸服務貿易協議」)の締結交渉に対して、野党・民進党及び学生が反発し、2014年3月に学生が立法院を占拠する事件が起こってから、馬英九政権の求心力はさらに低下しました。その結果、2016年早々に予定されている次期総統選挙では、民進党の蔡英文党首の当選が有力視される状況になっています。
  こうした状況を背景にして突然実現した中台首脳会談であったため、劣勢の国民党が形勢を挽回するためにとった行動であるとする見方があります。私もそういう可能性がゼロだとは思いません。しかし、基本的には、九二共識を基礎に安定した中台関係を構築することを目指してきた習近平政権と、2008年に総統就任して以来、一貫して中台関係の改善に注力し、実績を上げてきた馬英九政権の戦略的思惑が一致したことが首脳会談実現の最大の根拠であると素直に見ることがポイントだと思います。
  すなわち、習近平政権としては、「一つの中国」原則を重視してきた馬英九との間で九二共識を再確認しておくことは、次期政権に対する断固たるメッセージになると考えたとしても何ら不思議ではありません。
馬英九との首脳会談で習近平は、「いかなる党派、団体であれ、またその過去の主張が何だったであろうとも、「九二共識」という歴史的事実を承認し、その核心的意味を承認するのであれば、我々はいかなる者とも交流を進めることを願っている。国家を分裂する行為に対しては、両岸の同胞は絶対にイエスとはいわない。国家主権と領土保全を守るという原則問題に関しては、我々の意思は巖のごとく堅く、態度は終始一貫している。」と明らかにしました。これは、蔡英文に対するメッセージであると同時に警告であることは明らかです。
  また、馬英九にとっては、任期の最後の段階で習近平との首脳会談を実現することは、彼が8年間にわたって進めてきた中台関係改善プロセスの集大成として、是非とも自分自身の手で成し遂げたかったに違いありません。中国の様々な論評が今回の首脳会談は「長く歴史に残る一大事件」と評価していますが、馬英九としては自らの名前が長く中国の歴史に刻み込まれることを考えるとしても、歴史の民である中国人の一人として、極めて当然の成り行きです。

3.首脳会談に対する台湾世論及び蔡英文の反応

 中台首脳会談に対する台湾社会の受けとめ方に関しては、すでに冒頭で紹介した朝日新聞のような伝え方があります。私ももちろん関心があるので、台湾のメディアのWSを検索してみました。
  世論調査としては、11月9日付の台湾・聯合報の結果があります。それに依りますと、首脳会談の結果に対して満足と答えたものが37%、不満足と答えたものが34%でした。内訳では、40才-59才の中壮年では満足48%、不満足29%、40才以下の世代では不満足41%、満足29%、60才以上の世代では満足32%、不満足31%でした。また、国民党支持者は74%が満足、民進党支持者では不満足69%、満足13%で下。政党から中立の者では評価が分かれ、29%が満足、28%が不満足でした。
  ちなみにこの世論調査では、蔡英文が総統選で勝利した場合に、習近平と会見するべきかどうかをも質問しています。67%が会見することに賛成、賛成しない者はわずかに9%でした。民進党支持者でも71%が賛成と答え、反対派わずか14%で下。国民党支持者の79%及び無党派の59%も賛成と答えました。
  馬英九と習近平の首脳会談に対する台湾世論の評価は、朝日新聞報道が与えるネガティヴな印象が事実に反することは以上の数字からはっきりと読み取ることができると思います。特に、馬英九に対する世論の支持率が10%前半で低迷していることを考え合わせれば、台湾世論が今回の首脳会談を総じて肯定的ないし中立的に受けとめていることは確かでしょう。また、蔡英文が習近平と会うべきだという世論結果については、それが如何なる含意であるかについては、率直に言って私にはよく分かりません。
  蔡英文自身の中台首脳会談に対する反応については、そのブログで読むことができました。彼女は次のように述べています。

  「総統は対外的に国家人民を代表するべきであり、体現しなければならないのは国民の共同意思でなければならない。しかし、昨日の馬総統の馬習会見における振る舞いは、多くの人を失望させ、さらには憤激させた。なぜならば、台湾人民に関して言えば、馬習会見が国際社会に残した「歴史的記録」は、馬総統の自己満足の握手だけであり、徹頭徹尾欠けていたのは台湾のデモクラシーであったし、中華民国の存在というものも見ることもできなかったからである。
  国家元首として、人民は馬総統のことを光栄には感じられなかったし、安心することもできず、逆にさらに多くの焦慮と違いをつくり出した。なぜならば、彼の口からはデモクラシーと自由、2300万人の選挙権というものがまったくなかったからだ。個人の政治的ポジションを満たすために、台湾の未来を一つの政治的枠組みの中に押さえ込もうとするのは、2300万人の自由な選択を剥奪するものだ。
  私が厳粛に指摘しなければならないのは、馬総統の言いぐさはすでに台湾の現状から逸脱しており、台湾の主流の民意を代表することはできないということだ。台湾の未来及び両岸関係の発展を決定することができるのは、明年1月16日の新しい民意のみである。(中略)
  台湾にデモクラシーがある限り、我々は自らの命運を掌握することができる。進歩的力が政権に復帰し、国会を掌握することによってのみ、人民は心配する必要がなくなる。私は、皆さんとともに、この局面を転換し、デモクラシーによって台湾を守ることができることを皆さんに保証する。」

 私は、蔡英文については何も知りませんし、正直興味もないのですが、以上のブログ発言を見る限り、中台首脳会談の実現という歴史的意義をまったく認識していないという一点だけでも、いわゆるステーツマンとして落第だと思います。また、真正面から九二共識を否定する発言はさすがに控えていますが、「個人の政治的ポジションを満たすために、台湾の未来を一つの政治的枠組みの中に押さえ込もうとする」という発言の中の「台湾の未来を一つの政治的枠組みの中に押さえ込もうとする」が九二共識に対する批判を込めていることは容易に看て取ることができます。中国大陸に圧倒的に依存する台湾経済の現実を蔡英文が正確に認識しているのかということも強く疑問に感じずにはおられません。

4.アメリカ及び日本の反応

 アメリカ国務省のカービー報道官は、11月7日付でプレス向け声明を発表しました。内容は想定内のもので、次のとおりです。

  「アメリカは、台湾海峡両岸の指導者の会見及び近年の両岸関係における歴史的な改善を歓迎する。アメリカは、台湾海峡の平和と安定に深いかつ恒久的な関心を持っており、双方が、尊厳と尊重の基礎の上で、結びつきを構築し、緊張を減少させ、安定を促進することに向けて一層の進展を図ること勧奨する。アメリカは三つの共同コミュニケ及び台湾関係法に基づき、一つの中国政策を堅持していく。」

 私が調べた限りでは、外務省は何の反応も示していないようです。8日付朝日新聞は、羽生田光一官房副長官の発言として、「政府の基本姿勢は、1972年の国交正常化の時から一貫している」、「台湾と中国と、経済交流など非常によい効果もあるだろうから、両岸にとって発展的な良い会談になるのだとすれば、決して否定するものではない」という発言を紹介しています。カービーの声明内容と比較しても、ネガティヴな印象を与えるものであることを留意しておきたいと思います。