日中友好関係と日本の対中認識

2015.10.23.

*ある雑誌に寄稿した文章です。この雑誌には、昨年4月にも寄稿しており、その文章は2014年の4月17日付コラム「日米中関係と東アジアの平和」として載せました。この文章を読んでくださる方には、その文章も合わせて読み返していただけたら嬉しいです。

<日中友好関係構築の基本的枠組み>
 日中友好関係について考える時、最初に確認しておく必要があるのは、関係構築の基本的枠組みはすでに備わっているということだ。即ち、1972年の日中共同声明、1978年の日中平和友好条約、1998年の日中共同宣言そして2008年の日中共同声明である。これら4文書に規定された内容を日中双方が忠実に遵守しているならば、今日私たちが目撃している政治的軍事的に緊張した日中関係が現実のものになるはずはなかった。
 特に私たちが想起するべきは、この4文書では「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない」(1972年及び1978年)、「武力又は武力による威嚇に訴えず、すべての紛争は平和的手段により解決すべきである」(1998年)、「互いに脅威とならない」「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする」(2008年)とくり返し強調していることだ。

<未解決の4問題>
 しかし同時に、1972年の日中共同声明以下の4文書に、日中関係を揺るがす重大な問題が伏在していることを見逃すことは許されない。歴史認識、台湾、賠償・補償請求権及び領土がそれである。
 歴史認識に関して日中共同声明(前文)は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」とし、中国側はこれを「歓迎」するとした。1998年の共同宣言は、「過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎である」と指摘した上で、「日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年 8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した」と、村山首相談話にも言及した。2008年の日中共同声明は「歴史を直視」という一言を入れている。
しかし、歴史認識問題は、1982年の歴史教科書検定事件及び1985年の中曽根首相による靖国参拝以来、常に日中関係の発展を阻害し続けてきた。その根本原因は、歴史の受けとめ方の日中の違いにある。
 日本側は、「もう謝ったのだから一件落着、これからは未来志向で」と理解する。しかし、中国側は、「歴史を以て鑑と為す」という立場だ。歴史に向きあう姿勢の根本的違い・ズレこそが日中間の相互不信を生み出し、増幅してきたのだ。
 台湾問題はどうか。日中共同声明(第3項)は、「日本国政府は、(台湾が中国の領土の不可分の一部であるとする)中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」と述べる。1998年及び2008年の文書もこの立場を守ることを表明している。
 中国は、これによって日本は台湾が中国の一部であることを認めたと理解してきた。しかし日本は、「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」という意味は、「台湾は中国に返還されるべきだという立場」を表明したに留まるという主張だ。
というのは、日米安保条約の極東条項により、台湾有事に際して、日本はアメリカを軍事的に支持することになるが、それを中国に対する内政干渉に当たらないと法的に主張するためには、台湾が中国の領土であるとは口が裂けても言えないからだ。こうして、台湾問題は今日もなお米中日間の軍事的紛争の潜在的種であり続けている。
 賠償・補償請求権問題に関しては、日中共同声明(第5項)は、「中華人民共和国政府は…日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と述べる。
 日本政府は、中国は中国人の個人的な賠償・補償に関する対日請求権も含めて放棄したとする。しかし、前記の歴史認識問題の顕在化をも背景として、1990年代以後、中国国内で中国人による対日賠償・補償を求める声が強まるのを受けて、中国政府は個人の対日請求権は放棄された対象に含まれないという立場を明確にするに至った。ちなみに、この問題が顕在化してから作成された1998年及び2008年の文書は、この問題への直接の言及はない。  領土問題(尖閣)に関しては、1972年の日中国交正常化交渉の際、田中角栄が周恩来に話を持ちかけたが、この問題を議論すると国交正常化が実現できなくなってしまうという周恩来の言葉に田中が納得して引き下がったという経緯がある。これがいわゆる「棚上げ」了解である。1978年の日中友好平和条約交渉の際にも、問題の解決は後世に委ねる(鄧小平来日時の発言)ことで、「棚上げ」が再確認された。
 ところが、1990年代半ば頃から、外務省は日中間に「棚上げ」合意は存在しないという立場を取るようになった。そして2010年の中国漁船衝突事件をきっかけとして、石原都知事による尖閣「買い上げ」発言を経て、野田政権が「国有化」した。日本側のこの動きは、中国からすれば、日中首脳間の「棚上げ」の了解を一方的にくつがえすものとして到底容認できないものだった。こうして、今日に至る日中間の軍事的緊張が生み出された。

<4問題解決の道筋>
 日中関係は、以上の4問題が解決されることによって、友好関係への障碍を取り除くことができるだろう。私は、これらの問題の解決の方途について、外交実務にたずさわる中で、またその後は研究対象として考えてきた。
 まず歴史認識に関しては、日中間の緊張の根本原因が「歴史の受けとめ方の日中の違いにある」とすでに述べたが、より正確に言えば、私たち日本人の歴史・時間意識が国際標準からかけ離れていることに真の原因があると言い直さなければならない。
 私は、1982年の歴史教科書検定事件が中国等との外交問題となった時に北京で対中折衝にかかわる中で、歴史を書き換えさせようとする文部省(当時)及びその背後にいる自民党文教族に強い疑問を持った。それが、日本人の歴史・時間意識のあり方について考えるきっかけとなった。私の疑問・問題意識が的外れでないことは、丸山眞男(日本政治思想史)の諸論考に接して確認できた。
即ち、日本人の歴史・時間意識は「いま中心主義」であり、過去は済んでしまった、ひからびたものでしかない。しかし、このような意識は、「歴史を以て鑑と為す」(中国)、「歴史を忘れるものはその歴史をくり返す」(ワイツゼッカー)という国際標準から遠く隔たっている。
しかも、日本人の国際観は自己中心の天動説であって、地動説ではない。自分に都合の悪い歴史はなかったこととしようとする。したがって、南京大虐殺や「従軍慰安婦」などはあるはずがないと言い張ることになる。
日中間の歴史認識問題は、日本人のこの異様な歴史・時間意識を国際標準に即して徹底改造しない限り、これからも解決することはないだろう。ことは本質的に私たち自身の時間的観念そのものにかかわっているのだ。
台湾問題の帰趨は、中台関係が今後どのように進展するかによって大きく左右されるだろう。しかし、米日の強力な台湾ロビーの存在がこの問題を国際化し続ける。私たち主権者としては、日本国内の台湾ロビーの動きを厳しく監視し、間違っても、台湾問題によって米中軍事衝突に日本が巻き込まれるようなことを許してはならないだろう。
 中国人の対日賠償・補償請求権問題に関しては、日本政府は韓国等との類似協定でも個人の対日請求権を認めない立場で一貫している。しかし、国際的な人権意識の高まりを背景として、ドイツによるユダヤ人等に対する戦後補償、アメリカにおける第二次大戦中の日系市民強制収容に対する謝罪と補償等の事例に鑑みても、日本の頑なな政策は国際的に維持し得なくなるだろう。また、私たち自身の人権意識を高めることが政府の政策転換を迫ることに繋がる。
 領土問題に関しては、ポツダム宣言を受諾して降伏した日本は、同宣言第8項によって、本州、北海道、九州及び四国以外の諸小島については、その帰属先を連合国の決定に委ねたのであり、それに尽きる。
 以上のとおり、4つの具体的問題に関しては、台湾問題を除けば、日中間の問題である以前に、すぐれて日本自身の問題としての性格が強いことを認識するべきである。つまり、日本が認識、政策を改めることによって問題解決の障碍は取り除かれるということだ。

<日本の対中姿勢・感情の推移>
 しかしながら、日中友好関係を盤石な基盤の上に構築するためには、根本的な問題として、変化して定まりのない日本の対中感情という問題を避けて通ることはできない。
日本国内の対中感情という場合、さらに政府・与党の対中姿勢と国民世論の対中感情とに分けて検討することが必要と思われる。
もちろん一般論としていえば、両者は絡み合っており、互いに影響し合う関係にある。しかし、前者が国際関係(特に対米関係)に関する政策的考慮に基づく意図的「姿勢」という性質が強いのに対して、後者はその時々の中国政情あるいは日中関係のありようによって支配され、形成される自然的「感情」という性質が強いという違いは無視できないし、これから見るように、前者が圧倒的に後者に影響を及ぼす形で推移してきた。
 即ち、内閣府が2012年に行った「外交に関する世論調査」がある。そこでは、1980年から2012年までの33年間にわたる日本国民の「中国に対する親近感」の数字(調査時点は毎年10月)がグラフでまとめられている。
 1980年-1988年:親近感はおおむね70%前後の高い水準で推移した。この数字はアメリカに対する近年の国民の親近感とほぼ同じレベルだから、その高さが理解されるだろう。
この期間は、米中国交正常化が実現(1979年)したのを受けて、日本政府が改革開放政策に乗り出した中国に対して積極外交を行った時期に当たる。したがって、国民の対中感情は総じて良好だった。
1988年-1989年:この1年で、国民の対中親近感は68.5%から51.6%まで、実に17%近く落ち込んだ。いうまでもなく、天安門事件という中国政情の激動に対して国民感情が大きく影響を受けた結果である。
しかし日本政府は、米欧諸国が中国に対して厳しい姿勢を取ったのに対して、これに同調しつつも、中国を追い込むことに対して距離を保つ姿勢を維持した。
1989年-2003年:国民の対中親近感は、漸減傾向ながらもおおむね50%前後で推移した。このことは、日本政府の日中関係を重視する姿勢が国民の対中感情の下げ止まりをもたらしたことを反映している。
2003年-2005年:この2年で、国民の対中親近感は47.9%から32.4%まで、再び15.5%も落ち込んだ。逆に、親しみを感じないとするものは48.0%から63.4%まで跳ね上がった。2001年4月に政権に就いた小泉首相は、同年から2005年にかけて、中国等の反対を無視して靖国参拝を強行し、日中関係悪化を招来した。このことが国民の対中感情悪化に反映したことは明らかだ。
2005年-2008年:国民の対中親近感はおおむね30%強のレベルで推移した。小泉政権後の自民党政権は、第一次安倍政権を含め、対中関係を維持する姿勢を維持し、首相の靖国参拝を控えた。このことが国民の対中感情の悪化を食い止める働きをしたと見られる。
2008年-2010年:この3年間では、国民の対中親近感は31.8%→38.5%→20.0%と乱高下した。この乱高下も日本政治及び日中関係の動きを見事に反映している。
即ち、2009年8月に民主党が総選挙で自民党を破り、アジア重視を掲げる鳩山政権が成立した。しかし、鳩山及び菅政権は短命に終わり、その後を継いだ野田政権は2010年8月に尖閣を「国有化」し、すでに述べたように日中関係は最悪の状態に追い込まれた。
また、この時期以来、日本国内では、従来主役だった「北朝鮮脅威論」に代わって、「中国脅威論」が盛んに喧伝されるようになり、国民の間に急速に浸透していった。
2012年10月の世論調査の結果は、中国に親近感を感じるものが18.0%であるのに対して、親近感を感じないものは80.6%、実に国民の5人に4人に達している。親近感は、1988年の68.5%が2012年の18.0%へと50.5%も落ち込んだのである。
同年12月に政権に返り咲いた第2次安倍内閣は、改憲を標榜し、集団的自衛権行使を合憲とする閣議決定を強行し、「中国脅威論」を前面に押し出して日米同盟をNATO化する安保法制を強行した。また、中国等を刺激する歴史認識を執拗に明らかにしている。2013年以後の国民の対中感情がさらに悪化を遂げているだろうことは容易に推定できる。
以上の事実が物語ることは、国民の対中感情が政府・与党の対中姿勢によって一方的にかつ大きく影響を受けてきたということだ。より突っ込んでいえば、国民的な対中感情は、その時々の国内政治情勢及び日中関係のありようによって容易に左右される「根無し草」的性格が強いということだ。
残念ながら、国民の対中感情・認識が政府・与党の対中姿勢を正し、これに影響を及ぼすという、民主政治において期待される本来の姿は現実のものとなったことがない。恐らく、この状況は単に中国問題だけではなく、広く内外政全般についても言えることだろう。
つまり、私たち日本国民は、戦後70年を経た今日に至るまで、政治に対して主体的に働きかける主権者としてあるべき自覚を我がものにしておらず、相変わらず「お上」の意のままに動く被治者意識を克服しえないでいるということだ。

<日本の対中認識を改めるカギ>
したがって、日中友好関係を構築するための根本的な前提条件は、主権者である私たち国民が、中国に対する正確な認識を具え、日本政治の方向性を、その時々の政権のご都合主義によって左右させない見識を持つことにあることが理解されるはずだ。
もちろん、中国が「中国脅威論」を裏付けるような対日政策を行っているのであれば、私たちは毅然と対応すべきは当然である。しかし、中国は共存共嬴(ウィン・ウィン)の新型国際関係の構築を基本方針として確立し、日中間では、既述の4文書に基づいて友好関係を築くことをくり返し呼びかけている。
日中関係における政治的軍事的緊張はもっぱら日本側によって仕組まれたものである以上、非は日本側にある(詳しくは、本誌2014年4月号-2014年4月17日付コラム-で述べたのでくり返さない)。そうであればこそ、私たちが中国に関する正確な認識を持ち、「根無し草」的対中感情を払拭することが不可欠なのだ。
中国思想史の溝口雄三は、日本人の対中認識を妨げてきた要因を分析した上で、互いに「異」であることを弁えること、明治以来の根拠のない対中優越感を清算すること、急台頭する大国・中国をありのままに認識すること、欧米的色眼鏡で中国を見る癖をやめることが必要だと指摘している。
私はさらに、溝口、丸山さらには日本思想史の相良亨が異口同音に指摘している、日本の思想には普遍という要素が欠けているという問題を指摘しないわけにはいかない。普遍を欠くということは、中国を含む物事を判断する客観的モノサシがないということであり、したがって判断が主観に流れ、特に「お上」に弱い私たちの場合、権力の指し示す方向に押し流されるということだ。
普遍・客観的モノサシがなければ、自らを客体視することができず、他者を他者として見つめること(他者感覚)もできない。日本が天動説である根本原因もやはりここにある。
客観的モノサシを我がものにし、中国をあるがままに見つめる目を養うこと、そういう訓練を不断に自らに課すことにより、私たちの対中認識を改めていかなければならない。