中露米首脳の国際情勢認識:第2回(ロシア)

2015.10.04.

プーチン大統領は9月28日、国連総会で演説しました。シリア・アサド政権の要請を受けてロシアがシリアにおける空爆作戦を開始したことを受けて、米露の外交的・軍事的駆け引きが厳しさを増しています。プーチンの演説は、ロシアが空爆を開始する前の段階で行われたものですが、国連総会におけるオバマとプーチンの演説は、シリア問題でも鋭く対立する内容のものでした。
ちなみに、10月3日付の新華社WSは、ニュー・ヨークのローカル紙『ニュー・ソーク・デイリーニューズ』が、アサド退陣を主張したオバマ演説とアサド政権も加わった形での政治解決を主張したプーチン演説を比較した場合、どちらにより説得力があるかという質問を読者に提起したところ、締め切り2日前の段階で、4万以上の回答の95%がプーチンを支持したという結果になっていることを紹介しています。
プーチン演説は、習近平演説とは異なり、米ソ冷戦終結後のアメリカによる世界の一極支配が国際関係に如何に重大な問題を引きおこしているかに焦点を当てたものになっています。これも中国メディアが報じていることですが、プーチンは、今回の国連演説を1ヶ月かけて自ら入念に練りあげたという正に肝いりのものです。虚心坦懐に読むものである限り、その主張の多くを首肯せざるを得ないと思います。

国連70周年は、歴史をふり返り、我々の共通の未来について話す良い機会である。1945年、ナチズムを打ち破った国々は戦後世界秩序に堅固な基礎を据えるために協力した。国家関係を規定する原則に関する主要な決定及び国連を創立する決定は、反ヒトラー連合の首脳によるヤルタ会談で行われたことに注意を喚起したい。
ヤルタ体制は困難の中から生まれた。即ち、数千万人の生命と2つの大戦という犠牲の上に生まれた。公正を期して言えば、国連は、過去70年の激動の、時には劇的な出来事を人類が乗り切ることを助けてきた。国連は、大規模な出来事から世界を守ってきた。国連は、正統性、代表性及び普遍性という点においてユニークな存在である。確かに、国連は、最近は効率的でない故を以て、また、根本的問題に関する決定が安保理理事国間の乗り越えられない違いのために妨げられているが故に、批判されるようになっている。
しかし、私は、国連の70年の歴史を通じて常に違いはあったこと、そして拒否権は、アメリカ、イギリス、フランス、中国及びソ連(後のロシア)によって普通に行使されてきたことを指摘したい。そういうことは、国連のような多様な代表性を持つ機関にとってはごく自然なことである。国連が最初に創設された時、常に意見の一致があるだろうとは誰も予想しなかった。この組織の使命は、妥協を探しかつ達成することであり、その力は、異なる見解や意見を考慮に入れることに由来している。国連において議論される決定は、決議という形式によって行われるか否かということである。採択されるか否かということなのだ。この手続を回避するいかなる行動も不法であり、国連憲章及び現代国際法に対する違反を構成する。
冷戦終結後、世界は一つの支配中心に委ねられ、ピラミッドの頂点に立つと考えるものは、かくも強力にして例外的存在なので、何をなすべきかは自分が一番よく知っており、国連については、彼らが必要とする決定にめくら印を押すのではなく、しばしば邪魔をする存在として、勘定に入れる必要がないと考えるようになった。
これが、彼らが国連はすでに使命が終わり、今や古くさい、時期遅れなものだと言うようになった理由である。もちろん、世界は変化しており、国連もそれに応じて変化するべきである。ロシアは、他の国々とともに、広汎なコンセンサスの基礎の上で国連を発展させていく用意がある。しかし我々は、国連の正統性を損なうようないかなる試みも極めて危険であると考える。そういう試みは、国際関係の構造全体の崩壊という結果になり、その後に残されるのは力の法則以外になくなるだろう。そうなれば、世界は、集団的努力ではなくて利己主義によって支配され、平等及び自由ではなく命令によって支配されることになるだろう。そして我々は、真に独立した国々ではなく、外部によって管理される保護国ということになるだろう。
我が同僚たちがこの壇上で言及している国家主権という意味は何か。その基本的な意味は、自由、即ちそれぞれの個人及びそれぞれの国家が自らの将来を選択する自由があるということだ。
このことからいわゆる国家権力の正統性という問題に直面する。あなたたちは、言葉を弄んだり、操作したりするべきではない。国際法においては、それぞれの言葉は明確に定義され、透明性があり、すべてのものによって同じように解釈されなければならない。
我々はすべて違っており、我々はそのことを尊重するべきである。国々は、誰それが唯一妥当なものであると宣言した開発モデルに従うことを強制されるべきではない。
我々は、過去の教訓を思い起こすべきである。例えば、我がソ連の過去の事例を思い起こそう。ソ連は社会実験を輸出し、イデオロギーに基づいて他国に変化を強要し、その結果、悲劇的な結果を招来し、進歩ではなく後退を引きおこした。
しかるに、ある国々は、他国の過ちから学ぶのではなく、それを繰り返そうとしており、革命、それは今や「民主的」革命としてだが、を輸出し続けている。私の前の演説者が言及した中東及び北アフリカの状況を見てみよう。もちろん、この地域では長い間政治的及び社会的な問題が蓄積されてきたし、人々は変化を求めてきた。しかし、実際の結果はどうであったか。改革が起こるのではなく、攻撃的な干渉によって統治機構と現地の生活スタイルが乱暴に破壊された。デモクラシーと進歩の代わりに、今やそこにあるのは暴力、貧困、社会的災難及び生存権を含む人権に対する全面的否定である。 こういう状況を生みだしたものに対して、自分がしたことを少なくとも自覚しているかと問わざるを得ない。しかし、彼らが傲慢、例外主義及び免責に立脚する自らの政策を絶対に放棄しようとしていない以上、私の以上の質問には答が得られていない。
中東及び北アフリカのいくつかの国々における力の真空状態は、無政府地域の出現を生み出し、またたく間にテロリストに支配された。いわゆるイスラム国は数万の戦闘員を抱えているが、その中には2003年の侵略の後街頭に放り出されたかつてのイラク兵士が含まれている。多くの募集兵はリビアから来ているが、そのリビアは国連安保理決議1973に対する赤裸々な違反の結果によって国家そのものが破壊された。また、過激派の中には、西側が支援するいわゆる「穏健派」のシリア反対派が含まれている。彼らは武器と訓練を受け、その後いわゆるイスラム国に寝返っているのである。
事実として、イスラム国自体が忽然と現れたということではない。それは当初、望ましからざる世俗政権に対する武器として育成された。シリア及びイラクの一部に対する支配を確立したイスラム国は、今や他の地域に対して攻撃的に勢いを広げている。イスラム国は、ムスリム世界さらにはその先にまで支配を広げようとしている。情勢は極めて危険である。かかる状況のもとで、テロリズムの脅威を言いながら、同時にテロリストを支援するルートに対して目をつぶるというのは偽善的かつ無責任である。また、過激派を利用して政治的目的を達成し、その後で彼らを除去、絶滅する方法を考えようとするのも同じく無責任なことである。
あなたたちがやりとりしている連中は残忍だがバカではない。あなたたち同様にスマートな連中だ。そこで大きな問題となるのは、誰が誰を弄んでいるのかということだ。もっとも「穏健な」反対派がテロリストに武器を渡したという最近の事件(浅井注:オバマ政権が訓練してシリアに送り込んだ反対派が武器を持ってイスラム国に寝返った事件)はその明証である。
テロリストとふざけ会い、ましてや彼らを武装するなどという試みは短視眼的であり、極めて危険である。そのことは、世界的なテロリストの脅威をさらに増大し、世界中での拡張に繋がるだろう。なぜならば、これら戦闘員は様々な国々から来ているからだ。不幸なことに、ロシアも例外ではない。
ロシアは一貫してあらゆる形態のテロリズムに反対してきた。今日、我々はテロリストと戦っているイラク、シリアその他の地域諸国に対して軍事技術援助を行っている。我々は、地上でテロリストと果敢に戦っているシリア当局及びシリア軍と協力することを拒否するのは大きな誤りであると考える。 我々は、アサド政府軍及びクルド族民兵がシリア国内でテロリストと本当に戦っている唯一の軍事力であることを最終的に承認するべきである。然り、我々は、この地域における問題及び紛争について認識している。しかし、我々は、地上における現実の事態を絶対に考えなければならない。
ロシアのこのような正直で率直なアプローチに対して、これをロシアの野心増大の表れとして非難の対象になっていることを指摘しないわけにはいかない。しかも、そういう非難をするものは、自分にはまったく野心がないと言っている。しかし、これはロシアの野心ということではないのだ。それは、我々がもはや世界の現状に対してこれ以上寛容ではいられないということなのだ。
我々が現実に提案していることは、野心によるのではなく、共通の価値及び共通の利益に導かれている。国際法に依拠して、我々は、みんなが直面している問題に努力を傾注し、テロリズムに対する真に広汎な連合をつくり出さなければならない。反ヒトラー連合と同じく、この連合は、人類に対して悪と憎しみの種をまこうとする連中に対して断固対決する意思のある広汎な当事者を団結させることができるだろう。
数日後、ロシアは、国連安保理の議長国として、中東における脅威を包括的に分析するための閣僚級会合を招集するだろう。最初に我々は、イスラム国その他のテロリストに反対するすべての当事国の努力を協調することに資する決議の採択の可能性を探究することを提案するだろう。再度言うが、そのような協調は、国連憲章の諸原則に立脚するべきである。
我々は、国際共同体として、中東における政治的安定化及び政治経済的回復の包括的戦略を編み出すことができることを望んでいる。今日、自国を離れることを余儀なくされた人々の流れによって、まずは近隣諸国次いで欧州がのみ込まれている。現在は数十万だが、遠からず数百万になるかも知れない。本質的に、新たな悲惨な「移住期」であり、欧州を含むすべてのものにとって深刻な教訓である。
この問題を永久に解決する唯一の途は、国家が破壊されたところではその国家を回復することであり、政府機構がなお存在し、あるいは再建中の国々においてはそれを強化することであり、困難な状況にある国々及び塗炭の苦しみの中にあっても故郷を捨てなかった人々に対しては包括的な軍事的、経済的及び物質的な援助を提供することである。もちろん、主権国家に対するいかなる援助も、国連憲章に厳格に従い、押しつけるのではなく、提供するという性格のものであり、そうであるべきである。換言すれば、国連は、国際法に従って取られ、また、取られるであろういかなる措置をも支持するべきであり、国連憲章に反するいかなる措置をも拒否するべきである。なかんずく私は、リビアにおける統治機構の回復を支援し、イラクの新政府を支持し、シリアの正統な政府に対して包括的な援助を提供することが最重要であると確信している。
平和並びに世界及び地域の安定を確保することは、国連に導かれる国際共同体にとっての中心的課題である。それは、特権的な少数ではなくてすべてのものに奉仕する、平等で不可分の安全保障環境をつくり出すということである。確かに、これは困難かつ複雑な、時間のかかる課題であるが、これに代わる答はあり得ない。
悲しいことに、いくつかの国々は、相変わらず冷戦期のメンタリティ及び新たな地政学的野心に支配されている。まず、彼らはNATO拡大政策を続けてきた。ワルシャワ条約がなくなり、ソ連が解体したことを考える時、こういうメンタリティ及び野心は何故なのかと問いたくなる。
次に、旧ソ連邦諸国は、西側に加わるかそれとも東側に居続けるかという、実は根拠のない選択をすることを強いられた。遅かれ早かれ、この対決のロジックは大きな地政学的危機を引きおこすことが運命付けられていた。そしてそれは正にウクライナで起こった。政府に対する人々の広汎な不満が外国からのクーデターをそそのかすことに使われた。そして内戦が引きおこされた。我々は、この事態から抜け出す唯一の方法は、2015年2月12日のミンスク合意の包括的かつ厳格な実行であると確信している。ウクライナの領土保全は、軍事力の脅迫または使用によっては保障することはできないが、しかし保障しなければならない。ドンバスの人々の権利及び利益は真剣に考慮されるべきであり、彼らの選択は尊重されるべきである。彼らは、ミンスク合意の諸規定に基づき、国家の政治システムの主な要素を工夫する作業に参加するべきである。これらの手続きを踏むことにより、ウクライナは、文明国として発展するだろうし、欧州及びユーラシアにおける、安全保障及び経済協力の共通空間を創造する上での枢要な結節点となるだろう。
私は、経済協力の共通空間についてお話しした。ごく最近まで、我々が学ぶことは、客観的な市場法則が支配する経済領域においては境界を引かず、WTO諸原則を含む、透明性ある、共通に定められた規則に基づいて行動することであるかのように思われていた。しかしながら、国連憲章を無視して一方的に課された制裁が今日ではほとんど当たり前となった。制裁は政治的目的に奉仕するだけではなく、市場における競争を根絶することにも使われている。
私は、経済的利己主義が増大しているもう一つの兆候についても言及したい。多くの国々は、排除的な経済連合をつくるという選択を行っている。それによって影響を蒙る国々は何も知らされない。特権的少数の利益を具現するように入念に仕立てられた新しいゲームのルールを我々に押しつけようとしているように見える。そして、WTOには発言権がない。
これらの問題は、すべての国々の利益を脅かすし、世界全体の経済の将来にも影響を及ぼす。だからこそ我々は、これらの問題を国連、WTO及びG20の枠組みのもとで議論することを提案している。
(プーチンは、もう一つ、人類全体の将来にかかわる問題として気候変動を最後に取り上げている。)
ロシアは、国連の巨大な可能性を確信しておいる。国連は、新たな対決を回避し、協力戦略を持つことを助けるだろう。我々は、他の国々と手を携え、国連の中心的な、協調的役割を強化することに努力していく。私は、ともに努力することにより、我々が世界を安定した安全なものにするだろうし、すべての国々及び人々の発展を可能にする環境を提供するだろうことを確信している。