安倍首相談話が客観的に問いかけていること

2015.08.27.

*2000字程度でという寄稿依頼に応えて書いた文章を紹介しておきます。

今回の安倍首相談話の本質・特徴は、「矛盾のかたまり」という一語で尽くすことができる。それは内政及び外政の両面に通じることであり、より根本的には、戦後70年の今、日本政治が歴史的岐路に逢着していることの端的な反映でもある。
<内政上の矛盾>
 安倍首相は、ポツダム宣言及びそれを体現した日本国憲法に基づく戦後日本政治に引導を渡し、戦前政治への回帰を果たすことを自らの使命としている。改憲が安倍首相の悲願だが、世論状況はそれを許さないことを彼も認めざるを得ない。次善策として彼が目論んだのが第9条を形骸化する「集団的自衛権行使」を「合憲」とする閣議決定であり、「安保法制」強行成立による「戦争する国」への回帰である。
 安倍首相が5月に訪米して、今夏までの「安保法制」成立を米議会で公約した当時の国内政治情勢は、彼の野心を阻止する障碍は存在しないかの如くであった。しかし、衆議院公聴会で、自民党推薦を含む3人の憲法学者が「集団的自衛権行使」は違憲と断定した時を境に潮目は明らかに変わった。その後も安倍首相子飼いの「政治家」が次々と「失言」をくり返し、「安保法制」反対の世論をますます高めるのに貢献(!?)している。「歴史は自らを貫徹する、しかし、その流れを作り出すのは偶然の積み重ねである」という法則が今まさに働いているのだ。
 安倍首相としては、「戦争する国」への回帰という目標を実現するためには、戦後70年談話において自らの政治信念と歴史観を全面的に展開するという当初の狙いを貫徹して、「安保法制」反対の世論をさらに燃え立たせる余裕は今やない。「侵略」「植民地支配」「反省」「謝罪」というキー・ワードとされた文言をちりばめた談話発出は、彼にとって苦渋に満ちた選択だっただろう。
 しかし、安倍首相は、様々な表現でその政治信念と歴史観を談話に忍び込ませている。その集中的表現は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」である。
 安倍首相談話の国内政治上の客観的意味は、戦後70年の今、主権者である国民一人一人が、「戦争しない国」を堅持するのか、それとも「戦争する国」にしようとする安倍首相に加担するかについての決断を行うことを迫っているということだ。
<外政上の矛盾>
 安倍外交の本質は、対米協力を踏み外さないという大枠をわきまえつつ、最大限に対外的に自己主張を行うというに尽きる。1990年代以後のアメリカの日本に対する最大の要求は、「集団的自衛権行使」による日米同盟のNATO化の実現に収斂してきた。この要求に応えることは、「戦争する国」への回帰を目指す安倍首相の国内政治上の悲願実現に通じる。オバマ政権も、日本がアメリカに逆らわないことが確保される限り、安倍首相主導の日本政治のあり方に口を突っ込まない。言わば、あうんの呼吸が両者の間に働いている。
 しかし、安倍首相の政治信念と歴史観及びその集中的表現としての「戦争する国」への邁進(今回の談話の締めとしても使われた「積極的平和主義」の高唱)は、中国、韓国を筆頭とするアジア諸国及び人民の対日警戒を高めずにはすまない。安倍首相がその政治信念と歴史観を露骨に押し出す談話を発表することに対して、中国、韓国以下はくり返し明確な警告を発してきた。日本と中韓以下のアジア諸国との関係がさらに悪化すれば、米日韓同盟を基軸とするアメリカの対アジア戦略、中国を潜在的脅威と見なしつつも相互依存関係が不可逆的に進行しつつある米中関係にも深刻な障碍を持ちこみかねない。
 安倍首相が「矛盾のかたまり」の談話発表を余儀なくされたのは、すでに述べた内政上の考慮に加え、以上の外交上の要因を無視できず、特に中国と韓国の具体的な「注文」(前記キー・ワード)を盛り込まざるを得なかったからでもある。しかし、中国及び韓国の目は節穴ではない。安倍首相談話の中途半端な対外的「配慮」に対する評価は圧倒的に少なく、袈裟に隠れる鎧の本質を正確に見極めている。中国の「その言を聞き、その行いを観る」がすべてを言い尽くしている。
 安倍首相談話の対外政治上の客観的意味は、戦後70年の今、主権者である国民一人一人が、アメリカとピッタリ寄り添うことで「戦争する国」の実現を目指す安倍外交を承認するか、それとも、中韓以下のアジア諸国及び人民が私たちに託す「戦争しない国」へのこだわりを貫くか、についての選択を行うことを迫っているということだ。

 戦後70年という歴史的転機は、私たち主権者一人一人に歴史的決断・選択を行うことを問いかけている。「安保法制」を葬る闘いは息の長い取り組みを私たちに求める。もちろん、廃案に追い込むことが最善だ。しかし、仮に強行成立するとしても、違憲の閣議決定及び「安保法制」については、自公政権に代わる政権を作り出すことによって原状回復できる。2016年の参議院選挙、そして次の総選挙を見すえた取り組みを視野に収める必要があるのだ。沖縄・名護の粘り強い闘いから多くを学ぼうではないか。