安倍首相談話(環球時報社説)

2015.08.12.

8月11日付環球時報は、「安倍がアジアに「お詫び」を言うことは一体どれほど難しいのだろうか」と題する社説を掲載しました。日本語版が出ていないので、内容の道理性、重要性、説得性に鑑み、大要を訳出紹介します。

  NHKは月曜日(8月10日)に、安倍首相の「戦後70年談話草案はお詫びなどが明確に記載されている内容である」とトップ・ニュースの扱いで報道した。この報道によれば、8月14日の「安倍談話」草案は「村山談話」のお詫び、反省、侵略、植民地統治などのすべてのカギとなる内容を継承しているという。この報道は、「安倍談話」がこれらの積極的内容を含むとする初めてのニュースである。
  最近の数日間、日本の多くのメディアが様々な内部情報を引用して、安倍の談話には「お詫び」の内容は含まれないとしてきた。日本の投降70周年の日にちが近づくにつれて、安倍がどのような態度表明を行うかが世界世論の関心を呼んでいる。
  この問題がかくも重視されるのは、戦争終了70年というこの歴史の節目に、首相の談話は日本が将来に向かう方向性を直接示すからである。安倍がかつての戦争に対して「反省」を表明するだけで、お詫びを拒否し、「侵略」「植民地支配」に言及しないとするならば、明らかに意図的に戦争の性質を曖昧にするということであり、世界は必ずや、日本が平和的発展の途を放棄しようとしており、第二次大戦終結以来の政治的歴史的な構造を作り直そうとしているのではないかと深刻に疑うことになるだろう。
  安倍は一貫して言葉を濁し、「村山談話」の精神を継承することに対する期待を押し下げて来た。安倍政権は安保法制を押し進めることによって日本国内各界の激しい抗議を招いており、70年談話で「お詫び」「侵略」等のカギとなる言葉を明確に述べるべきだとする声は非常に大きい。これらの原因と経済低迷などが総合的に絡まって、安倍に対する支持率は急降下しており、第二次政権発足以来かつてない圧力となっている。
  本週末の「談話」の中に世論が求めるカギとなる言葉を入れるという一定の妥協を安倍が行う可能性はある。しかし、安倍の道義的認識及び政治的責任感による保証はなく、したがって確定的とは言えない。安倍の歴史的修正主義については世人すべてが知るところであり、彼のオポチュニズムは歴史問題において調整を弄する主要な出発点であることも広く知られている。安倍は最後の瞬間にも原稿を書き換える可能性のある人物だ。
  したがって、8月14日に如何なる「安倍談話」を耳にするかに関しては、安倍政権の歴史に対する真の認識を代表するというよりは、アジア太平洋におけるパワー構造及び様々なプロ・コンの要因に関する同政権の綿密な計算を反映するものと言うべきだろう。
  たとえそうであるにせよ、安倍がアジア太平洋の潮流に従い、国際社会が受け入れられる談話を発表するのであれば、やはり歓迎に値することだ。畢竟するに、そうすることは安倍が日本の行政の最高責任者として果たすべき責任を履行することになるからだ。そのことは、安倍が歴史問題において逆行するよりもはるかに良いことである。
  仮に安倍が70年談話において「侵略」「お詫び」などのカギとなる表現を用いることを拒否するのであれば、中国世論は安倍に対して断固とした、激しい批判を行わなければならず、安倍がそうすることの悪らつな本質を指摘し、安倍がどのような危険なシグナルを発しているか、安倍が日本を如何なる方向に持っていこうとしているかについて、全世界が理解するようにしなければならない。
  安倍をやっつけるけれども、それと同時に、中国人としては冷静さを維持する必要があり、カッとなってはいけない。歴史問題における安倍の頑固で愚かな行動は日本のイメージを傷つけるだけであり、日本が国家のイメージについて行ってきた大量の努力をふいにさせるだけのことだ。中国の総合的な実力はすでに日本を上回っており、安倍政権が歴史問題でどんなに悪あがきしても中国に対するショックは極めて小さく、安倍がそうすることによってもたらされるマイナスは日本自らが負うことになる。
  国家が弱体化し、坂道を転げ落ち出すと、狭い了見のそろばん勘定をし、大原則を捨てて目先の利益を追い、あるいは何か奇跡が起こらないかと地に足が付かない幻想を抱くようになる。この2年間の安倍政権は明らかに日本を「小物」にしたし、安倍の政治ロジックはわけの分からないものになった。アメリカは日本が「普通の国家」になる上での最大の障碍だが、安倍政権は中国と力比べをしようとしている。人によっては、安倍政権はそうすることでアメリカに対して「忠誠心を表明」し、アメリカの対日警戒心を弛めさせ、またの機会にアメリカの支配から抜け出そうとしているのではないかと疑っている。しかし、このような謀略は日本のよくするところではあり得ない。
  安倍の支持率はすでに落ち込んでおり、西太平洋で綱渡りするには自分が力及ばずであることを安倍は認識するかもしれない。如何なる原因によるものであるにせよ、安倍が70年談話について正しい選択を最終的に行うことを希望する。安倍は日本社会がもっとも基本的な問題についてハッキリ認識することを手伝うべきだ。即ち、あの侵略戦争について自ら進んでアジアにお詫びすることは、現代日本社会の尊厳ある行動であり、弱々しくへりくだるということではないということだ。このことは、多くの国々からすれば極めて当たり前の認識であり、日本人としてもそれを欠くべきではない。