南沙諸島問題と米中の確執

2015.07.12.

*ある雑誌に寄稿の誘いを受けて書いた文章です。

 南沙諸島において中国が大規模な埋め立てと建設を行ったことに対してアメリカが強硬な対決姿勢を打ち出したことは、日本国内における「中国脅威論」をますますあおり立てる結果となった。「安保法制」という名目の、実は憲法違反が明々白々の戦争法案の強行成立を図る安倍政権はこれを奇貨とし、南沙諸島の領有権をめぐって中国と激しく争ってきたフィリピンさらにはヴェトナムに対する軍事的テコ入れを露骨に推進しようとしている。
各種世論調査に明らかなとおり、戦争法案には国民の過半数が反対しているが、こと南沙諸島問題に関しては、安倍政権に反対するものを含め、中国の「拡張主義」を糾弾する声一色に国内世論は染め上げられている。そういう中国に対する警戒感情は容易に「中国脅威論」を受け入れる土壌を提供し、結果的に「戦争法案」を強行する安倍政権に対する反対姿勢を鈍らせ、安倍政権が戦争法案の強行突破を虎視眈々と狙う構えを客観的に下支えする状況につながっていることは否めない事実である。
南沙諸島に対する中国の「拡張主義」非難の根幹に座るのは、中国の領有権の主張には根拠がないという暗黙の前提であり、中国に対抗して領有権を主張するフィリピン、ヴェトナムなどの主張には根拠があるはずだという、これまた暗黙の想定である。確かに、中国の所謂「九段線」の主張の曖昧さが、中国の南沙(及び西沙)諸島に対する領有権の主張に対する内外の批判的懐疑的見方を大きく助長していることは否定できない。
したがって本稿では、まず、中国以外の主要関係国(フィリピンとヴェトナム)の領有権の主張について歴史的、国際法的に事実関係を整理、確認、検証し、次いで中国の主張の理非を判断し、最後に、九段線をめぐる米中の確執と事態打開の道筋を明らかにすることとする。
なお、日本の独立回復の基礎となったサンフランシスコ対日平和条約第2条及び第3条は、南沙諸島(条約では新南群島と表記)を含め、日本が権利、権限を放棄する領域に関する規定を置いている。この2つの条項の成立に至る経緯を、主として解禁されたアメリカ政府の文件に基づき、緻密かつ詳細に検討したすぐれた先行研究成果として、原貴美恵著『サンフランシスコ平和条約の盲点』(渓水社)がある。以下においては、同著の指摘に多くを拠っていることをあらかじめ断っておく。

<主要関係国の主張の理非>
  フィリピンの南沙諸島に対する領有権の主張に関しては、1898年の米西条約は、スペインがアメリカに割譲するフィリピン諸島の領域(即ち、フィリピンが独立した時の国境線)を緯度経度表示で定めている(第3条)。その中には南沙諸島は含まれない。ちなみに、米国務省刊行の'Limits in the Seas'シリーズの第142号はフィリピンを取り上げており、その9頁にはフィリピンが主張する様々な境界線の地図が掲載されているが、南沙諸島は米西条約第3条の緯度経度外であることが明示されている。
また原貴美恵は、1943年5月25日付アメリカ政府領土小委員会検討文書T324「南沙及びその他諸島(新南群島)」の存在を紹介し、アメリカの立場として「新南群島(つまり南沙諸島)が1898年12月10日の条約で設置されたフィリピン国境の外にあるのは明白」とする記述がなされていることを指摘している(p.230)。 以上から、フィリピンの領有権の主張になんらの国際法的根拠もないことは明白である。
ヴェトナムに関しては、中国の支援を受けて対米抵抗戦争を戦っていたヴェトナムは、中国の南沙諸島に対する領有権の主張に対して異議を唱えなかったどころか、明確にこれを支持していた。ヴェトナムが領有権を主張するようになった時期は、中越関係が悪化していった時期と重なる。即ち、ヴェトナムは、1977年及び1982年に領海等に関する宣言声明を発表した。しかし、この2つの声明には、ヴェトナムが南沙諸島の領有権を主張する正当性の根拠については何も言及がない。
強いてヴェトナムが領有権を主張する手がかりがあるとすれば、原貴美恵が指摘する(pp.229-230)ように、植民地時代の宗主国であるフランスが南沙諸島のいくつかの島嶼を占領してその領有を主張した点である(フランスは、南ヴェトナム(バオダイ政権)擁立後、これら島嶼の主権を譲渡した)。しかし、ヴェトナムがその主張を以て自らのかつての中国支持の立場をくつがえすのは明らかに無理がある。
ちなみに米国務省の'Limits in the Seas'シリーズの第99号はヴェトナムを取り上げている。そこでは、ヴェトナムの上記1977年及び1982年の宣言の声明内容をそのまま紹介しているが、評価は一切行っていない。原貴美恵は総括として、対日平和条約の「共同起草国の米英は、戦後新しく係争に加わったフィリピンや、戦前からの係争当事国であるフランスの主張について、その根拠の弱さを認識していた」(p.244)と指摘している。
以上から、ヴェトナムの領有権の主張も根拠が乏しいという結論は免れないだろう。

<中国の領有権主張の理非>
中国の領有権主張に分があることを示す材料には事欠かない。まず、1943年の米英中3国首脳によるカイロ会談は、「満州、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人から盗取したる一切の地域を中華民国に返還する」(外務省訳)とする宣言を出した。この訳によると、日本が第二次大戦に際して占領した南沙諸島などは含まれないように見える。しかし「清国人」と訳した箇所の原文は'the Chinese'であり、「清国人」と訳す方がおかしい。原貴美恵も外務省の日本語訳に引っ張られたのか、南沙諸島が「果たしてこの条項に当てはまるか否かは明確でない」(p.227)と指摘するが、中国が同宣言に基づいて中国に返還されるという立場を取っていることには無理がない。
また、中国(中華民国)は、1946年までに南沙諸島の主要部を占領・回収したが、この行動に対して当時異議を唱えた国はない。中国の王毅外交部長は6月27日、「中国とアメリカは当時同盟国であり、中国関係者はアメリカの艦船に搭乗して南沙諸島の回収に向かったことを、アメリカの友人たちはハッキリ覚えているはずだ」と皮肉たっぷりに紹介した。さらに原貴美恵は、米国務省が1947年3月に作成した対日平和条約初期草案において、南沙及び西沙、そして中国だけが主張する東沙まで挙げて日本による放棄を規定し、同年7月の改定草案では、これら諸島の名称が英語と中国語で併記されていたことを指摘している(p.233)。
さらに、私たち日本人としてとうてい無視できないのが日華平和条約である。ここでは日本による台湾、南沙、西沙の放棄を確認している(第2条)。何故、中国(中華民国)を相手にした条約で南沙等の放棄を確認する必要があるのか。原貴美恵は、「日本がこれらの領土を誰に対して放棄したのか、その帰属先を考える上で示唆的である。即ち、帰属先が「西側」の中華民国であるならば、台湾も西沙、南沙も中国に渡っても良いと考えられていたと解釈できる」(pp.240-241)と指摘しているが、そのとおりだろう。
原貴美恵は南沙(及び西沙)に関する総括の中で、中国大陸に共産党政権が成立した後にアメリカ主導で作成された対日平和条約の領土条項では、これらの地域が「中国の手に落ちないことを確保することが何より重要になっていた」、「対日平和処理は結果として、フィリピン以外にもこの地域の周辺国に係争への参入の機会を与え、中国との間にドミノ効果防止の楔を打ち込んだ」(pp.244-245)という鋭い指摘を行っている。
以上から、南沙(及び西沙)諸島に対する中国の領有権主張には十分な根拠があるという結論は免れないだろう。

<「九段線」問題と中米の確執>
所謂「九段線」問題については如何に理解するべきか。米国務省の'Limits in the Seas'シリーズ第143号(以下、「国務省調書」)は中国を扱っている。そして、中国の現在の九段線の主張の起源として、1935年に中華民国当局が出版した「中国南海島嶼図」及びそれをもとにして1947年に中華民国政府が出版した「南海諸島位置図」があることを指摘している。この調書では地図も載せてあり、当時は「十一段線」だったことも紹介している。中華民国のこの立場に対して当時アメリカをはじめとする国々から異議申し立てが行われることはなかった。そのことは、1947年3月と7月に米国務省が作成した対日平和条約草案における南沙等の扱い方(前述)とも符合する。
中華人民共和国政府は中華民国政府の立場を基本的に引き継いだ。「基本的に」と言うのは、トンキン湾に引かれていた2本の線が消されて「九段線」となっているからである(中国外交部WSで検索したところ、中国が九段線に正式に改めたのは1958年とされている)。ちなみにこのことは、中国が南沙諸島について領土紛争は存在しないとしつつ、西沙諸島については領土紛争の存在を認める立場を取っていることを反映していると見ていいだろう。
アメリカが「共産」中国に南沙(及び西沙)諸島の領有権を認めることに消極的だったことはすでに述べた。しかし、中国の主張が、九段線で囲まれる島嶼に対する領有権に限定され、南シナ海の航行の自由というアメリカがもっとも重視する原則問題が脅かされないのであれば、アメリカとしてもあるいはそれほど目くじらを立てなかったかもしれない。ところが、2009年5月に中国政府が国連総長に伝達した2本の口上書は、「中国は、南シナ海の島嶼及び隣接する海域に紛争の余地のない主権を持ち、関連海域並びにその大陸棚及びその下に対して主権的権利及び管轄権を有する」(強調は浅井)として、九段線を記した地図を付したことがアメリカをいたく刺激した。
アメリカは、中国が九段線で区切られた海域に対して主権を主張した、つまり端的に言えば、九段線を国境線と主張したと受けとめたのである。国務省調書は、「九段線を国境線とする中国の主張」に対する全面的反駁を行う内容だ。冒頭に紹介した南沙諸島における中国の埋め立て及び建設工事に対して、アメリカが敵対心をむきだしにした反応を示したのも、中国が九段線を国境線とする主張の既成事実化を謀ろうとしていると受けとめたからにほかならない。
米中の確執を打開、解消する道筋はあるのか。最大のポイントは、九段線に関する米中の認識のすりあわせを行うことにあると思われる。アメリカは、中国が九段線を国境線と主張していると認識して反発しているが、中国は九段線を国境線と明確に主張しているわけではない。現に中国は、南シナ海における航行の自由は尊重すると繰り返し述べている。「航行の自由」は「上空飛行の自由」などとともに、「公海の自由」の内容を構成するものとして認められている国際法上の権利である(国連海洋法条約第87条)。中国が九段線を自らの国境線と見なしているわけではないことは、この一事をもっても確認できる。
他方、中国が行ってきた埋め立て及び建設工事に関しては、中国は自らが領有する島嶼における行為であり、主権の行使の一環であるから、アメリカからとやかく言われる筋合いの問題ではないとする。ちなみに国連海洋法条約は、排他的経済水域においてさえ沿岸国による人工島、施設及び構築物建設の権利を定めている(第56条及び第60条)。アメリカの埋め立て中止などの要求は国際法上の根拠がないと言うほかない。
しかし、中国がアメリカの九段線に関する認識上の誤解を解くための努力を行っているとは言いがたい。例えば、中国の王毅外交部長は6月27日、南シナ海問題に関する記者の質問に対して、「中国の南沙諸島に関する立場は中国歴代政府が堅持してきたものであり、一貫しており、変更することはあり得ない。南沙諸島に対する中国の主権要求は拡大しているわけではないが、縮小することも決してあり得ない」と回りくどい発言をした。だが、王毅が国務省調書の存在を知らないはずはない。もっと単刀直入に、例えば、「九段線は、その線内にある島嶼(南沙、西沙、東沙)は中国の領土であることを示すためのものであり、中国の法的な国境線ということではない」と言い切れば、米中間の不要な摩擦を解消することに役立つはずである。
中国の学者の中にも、九段線に関する中国政府の立場の曖昧さに疑問を呈する声がある。6月16日付の中国政府(国務院)配下の中国WSに掲載された儲殷(国際関係学院副教授)署名文章は次のように述べている。

「九段線の含意とは一体何なのかという問題は速やかに説明、明確化が必要な問題だろう。なぜ十一段線から九段線に変わったのか。九段線の性格は何か。九段線と国連海洋法条約とは一体どういう関係なのか。九段線のもとで、他国はいかなる権利を有するのか。これらの問題についてハッキリ言わない状況下では、南沙の多くの問題を大雑把に核心的利益として括るのでは、実際上、自らの交渉スペースを圧迫することになっている。」

米中関係は独り南沙諸島だけが確執の原因ではない。南沙問題が解決・解消すれば米中関係は大きく改善するという簡単なものでもない。しかし、南沙問題をめぐる米中の確執が解消に向かうことになれば、フィリピン、ヴェトナムなどの中国に対する気勢を削ぐことは間違いない。そのことは、南沙問題を利用して「中国脅威論」を煽り、戦争法案の強行成立を狙う安倍政権の姑息な「戦略」にとっても打撃となるだろう。中国が九段線に関するアメリカの誤解を解くために可及的速やかに明確な態度表明を行うことが望まれる。