主権者の立場からの集団的自衛権問題
-安倍政権の目指すもの-

2015.04.26.

<安倍政権の解釈改憲の狙い>
 法制局の解釈改憲は、固有の自衛権の行使として許容される範囲を可能な限り拡大するが、他国のために戦う、即ち集団的自衛権を行使することは第九条のもとで許容されるという憲法解釈はどうしてもできないとするものであることはすでにお話ししました。法制局が口を滑らせたことはありませんが、ポツダム宣言の縛りは法制局の憲法解釈において厳然として働いているはずです。しかし、解釈改憲派からすれば、「これまでも法制局は集団的自衛権行使の領域に限りなく入り込んできたではないか、あとは集団的自衛権行使を認めると言うか言わないかだけではないか」ということでしょう。
 安倍政権が目指しているのは、これまでの固有の自衛権に関する法制局の解釈拡大による既成事実はそのままにする。その上で、集団的自衛権の行使に関しては、一九九〇年代以後にアメリカが勝手に拡大してきた既成事実の積み重ねをそのまま受け入れてそれに参加し、かつ、やせ細った集団安全保障体制にも積極的に参加できるようにするということなのです。要するに、平時から戦時までシームレスに、ありとあらゆる国際的な軍事力行使に参加できるようにする。これが閣議決定(二〇一四年七月一日)の内容であり、「積極的平和主義」の本質ということです。
 今は公明党の反対(この反対も支持者向けのジェスチャーで、公明党が本気で反対とはとても思えませんが)などがあって、集団的自衛権の「限定的」行使などと言っていますが、安倍政権からすれば、国民などは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で既成事実に弱いことを見越しています。つまり、はじめは限定的と言っておけば、そのうち無限定にできるようになると考えているのです。
 安倍政権の狙いが奈辺にあるかについては、二〇〇八年の安保法制懇報告書が示した四類型と二〇一四年の同報告書が示した六事例とを比較することで直ちに明らかになります。
 類型①から事例①への拡大(集団的自衛権行使):「米艦の防護」から「米艦等への攻撃排除等」及び「有事が発生した際の船舶の検査」へと拡大。
 類型②から事例②及び③への拡大(集団的自衛権行使):「弾道ミサイル迎撃」から「米国が武力攻撃を受けた場合」へと拡大。
 類型③及び④から事例④への拡大(集団安全保障措置):「国際的な平和活動における武器使用」「PKO等参加の他国の活動への後方支援」から「武力攻撃の際の国連決定活動への参加」へと拡大。
 また、安倍政権は、「平時」と「有事」との境界にある事態を「グレー・ゾーン」だと主張して、そういう場合に対する対処が必要だと盛んに主張しています。
 しかし、国際法上、「グレー・ゾーン」という概念・範疇はありません。国連憲章上問題になるのは、戦争を違法化した憲章第二条四と自衛権行使を限定的に認めた憲章第五一条における、禁止された「武力の行使」(第二条四)と自衛権発動の前提となる「武力攻撃」(第五一条)との範囲とが完全にはぴったり重ならないという問題であることを理解することが重要です。
 つまり、武力攻撃が起こった場合には自衛権を発動して対抗することは認められますが、武力攻撃に至らない武力の行使に対しては、国連憲章は集団安全保障措置を講じること以外、武力の行使に直面した国家がどう対処するかについて定めていません。
 国際法における多数説は、戦争を違法化した国連憲章の基本的立場を踏まえ、こうしたケースにおいて、個別の国家が軍事的に対抗する措置を取ることは認めないと理解しています。しかし、アメリカ、イギリス、イスラエルなどは、こうしたケースにおいても一定の軍事的な対抗措置をとることは認められると主張します。安倍政権は明らかに多数説に与せず、アメリカ等と立場を共にしているのです。「グレー・ゾーン」に関する重大な問題は、安倍政権が「中国脅威論」を煽って中国との軍事対決、ひいては衝突そのものをも視野に収めて、それへの軍事的対応を講じようとしていることです。

<ポツダム宣言に基づく戦後政治への引導渡し>
 それでは、安倍政権が目指すものは何でしょうか。それは、集団的自衛権の行使にとどまりません。安倍政権が目指しているのは、ポツダム宣言に基づく戦後日本のあり方を全部引っくり返すこと、つまり、戦後政治への引導渡しということです。
 ひとつは、彼らが敗戦史観と名付けるものを再び皇国史観に改めることです。ポツダム宣言は、日本の徹底した非軍事化を要求していますが、彼らは、軍隊を持って何が悪い、戦争して何が悪いと居直る立場です。
 次に、国民主権を国家主権に戻すことです。アナクロニズムも甚だしい、国際的に認められるはずがないことをやろうとしているのです。例えば、自民党改憲草案を見ると、天皇は元首という規定があります。法的な由来をたどると、元首には主権者という概念が込められています。だから、国家のあり方を国民主権から天皇主権に戻そうという狙いが込められているのです。
 第三に、日本国憲法は「押しつけ憲法」であるとして「自主憲法」を作る必要があると主張していることです。
 国際的には、「対米追随」をできるだけ「対米対等」にしたいということです。安倍政権も馬鹿ではないから、いきなり対米対等といったらトラ(米国)の尾を踏んでしまう。だから、彼らなりに巧みに立ち回ってはいます。しかし、本質的には対米対等を志向していることは間違いありません。