主権者の立場からの集団的自衛権問題
-集団的自衛権の「主役化」と集団安全保障体制の「脇役化」-

2015.04.26.

<集団的自衛権の「主役化」>
 国連憲章第五一条が想定していた「脅威」(「武力攻撃」を行う主体)は主に国家でした。
 米ソ冷戦終結後、唯一の超大国として君臨したアメリカ主導で国連安保理が運営された結果、そして、その機会に自らの役割を増大させようとした歴代国連事務総長の思惑も働いて、本来ならば認められないはずの「武力の行使」(憲章第二条四)が自衛権の名のもとに正当化され、集団的自衛権の行使と強弁されるケースが「拡大」してきました。そのことは、「脅威」とされるものの中身がアメリカによって恣意的に拡大されてきた過程と無縁ではありません。
 まず、ブッシュ(父)政権は、湾岸危機・戦争における「多国籍軍」方式で「集団的自衛権の行使」に先鞭をつけ、NATOの新戦略概念(一九九一年)の策定につなげました。
 イラクのクウェート侵略・併合(いわゆる湾岸危機)は、国連憲章第五一条の「武力攻撃」にほかなりませんので、ブッシュが集団的自衛権に基づいてイラクに対して軍事力を行使して撃退しようとしたこと自体は、国連憲章上問題があるわけではありません。
 しかし、湾岸戦争にかかわる問題点としては四点あります。
 第一に、集団的自衛権の行使の態様としての多国籍軍方式を編み出し、それがその後の先例となったこと。
 第二に、本来イラクの違法な戦争を取り締まるべき国連(安保理)が、自らは無力であるために、集団的自衛権行使としての多国籍軍の行動を国連による集団安全保障措置に当たるものとして「お墨付き」を与えてしまい、これもその後の先例となってしまったったこと。
 第三に、その結果、本来集団安全保障措置とはまったく法的に異質な集団的自衛権の行使が集団安全保障措置として追認され、その結果両者が混同される結果になったこと。要するに、安保理決議のお墨付けさえ得れば、何をしてもいいということになってしまったのです。
 第四に、日本に対しては、アメリカは「カネだけでなく血も流せ」と迫って、日米軍事関係の変質を迫る政策を打ち出したこと。
 一九九一年のNATOの新戦略概念は、ソ連の脅威に対抗することを主目的としていたNATOが、ゴルバチョフの登場以後のソ連の変化及び米ソ冷戦終結を受け、かつ、湾岸戦争の総括を踏まえて、新しい国際情勢に即して自らの存在理由を定義し直したものと位置づけることができます。端的に言えば、ソ連という脅威が消滅した後も、湾岸戦争などの事態に対処するために、NATOの存在理由はあるとするものでした。
 その後、クリントン政権は、米ソ冷戦終結後のアメリカの対外軍事戦略の骨格を定めました。まず、ソ連に代わる脅威として「様々な不安定要因」、具体的には伝統的な国家から来る脅威に加え、テロリズム、大量破壊兵器、ならず者国家、地域紛争、大規模内戦などを非伝統的脅威として一括りにした脅威観を提起しました。
 また、クリントンは、アメリカの財政的経済的状況をも踏まえ、アメリカの国益に直結するという判断の下で自らが主導して行う軍事力行使と、それ以外の国連その他に主要な役割を担わせる軍事力行使とをドライに分ける選択的介入という方向性を打ち出しました。

<日米同盟の変質強化とエスカレートする対日要求>
 アメリカは、一九九〇年代前半、朝鮮の「核疑惑」を喧伝して「朝鮮有事」を作り、日本の全面的対米軍事協力を迫りました。危機が回避された後は、ナイ・イニシアティヴに基づいて日本をして本格的に対米軍事協力ができるようにするため、日米防衛協力の指針(ガイドライン)作成を主導しました。
 またアメリカは、ユーゴ内戦に際して、安保理決議も得られなかったにもかかわらず、「人道的介入」と称してユーゴに対する空爆を強行しました(一九九九年)。そして、以上の「実績」を踏まえて、一九九九年にNATOの戦略概念をアップデートしました。
 クリントン政権の後のブッシュ(子)政権は、九・一一事件(二〇〇一年)に対してパニック的に反応し、アメリカの対外軍事戦略を対テロ戦争一色に染め上げました。ブッシュ政権は、脅威認識として、クリントン政権の「様々な不安定要因」の中の国際テロリズムを突出させ、テロリストを庇護し、支援する「ならず者国家」としてイラク、イラン、朝鮮を名指ししました。
 対テロ戦争は、本来治安取り締まりの対象であるテロリズムを「脅威」と決めつけ、軍事行動の対象と位置づけるという重大な間違いを犯しました。しかし、九.一一事件の衝撃は国際的に圧倒的に大きく、ブッシュの「自衛権行使」とする軍事力行使に安保理はお墨付きを与えてしまい、その後ブッシュ政権が発動した対イラク・アフガニスタン戦争に対しても有効にチェックを働かせることができませんでした。
 小泉政権は、ブッシュ政権に対する全面協力を追求し、日米安保条約の改定によらず、一連の有事法制を強引に成立させるという国内法上の受け皿づくりによる日米同盟の変質強化を強行しました。
 オバマ政権は、ブッシュ政権の追求した路線をクリントン政権時代の路線に引き戻すとともに、「アジア回帰」「リバランス」と称するアジア太平洋重視の対外軍事戦略を推進しています。そして、イラク・アフガニスタン戦争を終結させて「対テロ戦争」の幕引きを行うとともに、「様々な不安定要因」を改めて脅威認識の中心に据え直しました。同時に、台頭する中国及びプーチン下で大国としての再興を図るロシアに対する警戒を隠していません。オバマ政権がアジア回帰・リバランス戦略を強調するのは、アジア太平洋のアメリカにとっての重要性故であり、アメリカの軍事力の六割を太平洋正面に振り向ける政策が推進されています。そのことがアジア太平洋の安全保障環境を不安定化させているのです。
 オバマ政権はまた、平時から有事に至るあらゆる事態にシームレスに対応できる国際的軍事網の形成を重視しています。その具体例がリビア内戦に対する軍事介入(カダフィ政権打倒)から東日本大震災における「トモダチ作戦」に至るシームレスな軍事的対応ということなのです。また、アメリカ主導の軍事力行使を補完するものとして、国連の集団安全保障体制(「牙を持つ国連」)を位置づける姿勢も明確です。トモダチ作戦は平時における軍事力行使の典型ですが、アメリカは、平時であろうと有事であろうと、集団的自衛権の行使として国際的軍事網を活用する戦略を追求しています。
 二〇一〇年のNATO戦略概念は、二一世紀に入ってからの国際安全保障環境の変化、リビア内戦に対するNATOの軍事介入等の経験を踏まえ、一九九九年の戦略概念を再度アップデートしたものです。
 小泉政権は、法制局の憲法解釈をギリギリまで広げることで対米軍事協力を目指しましたが、集団的自衛権行使の一線だけは越えられませんでした。しかし、オバマ政権は今や対日軍事圧力を強化し、集団的自衛権行使の一線を越えることを民主党政権及び安倍政権に対して迫ってきたのです。

<集団的自衛権と集団安全保障との違い>
 集団的自衛権と集団安全保障とは、もっとも平たく分かりやすく言えば、「敵(外)に対処するもの」か「仲間内のもの」かという点において決定的な違いがあります。
 即ち、集団的自衛権は、憲章第五一条に盛り込まれた経緯にも明らかなとおり、「敵(侵略・攻撃の主体)」に対してグループで対抗し、排除しようとするものです。極端なイメージとしては「暴力団同士の抗争」です。
 これに対して、集団安全保障は、国際社会という社会に属する構成員である国々が従うべきルールを作り、ルールに違反するものが現れる場合には、みんなでその違反を改めさせるために行動し、社会の秩序を回復するものです。再びイメージとしては「警察による違法行為の取り締まり」です。国連憲章の集団安全保障体制は、ナポレオン戦争後の大国協調体制や国際連盟規約に基づくメカニズムなどの経験を踏まえたものです。
 国連憲章では、集団安全保障が主(基本)で、自衛権及び集団的自衛権は従(例外)という位置づけです。安全保障理事会が国際社会の代表として国際の平和と安全にかかわる問題を一手に担当し、取り仕切る仕組みが集団安全保障体制ということです。
 国連憲章は、違法とされた戦争に訴える国家等(例えば、一九九〇年にクウェートを侵略・併合したイラク)が現れた場合に、国連安保理が中心になって違法者・国家を国際社会の名のもとに取り締まるための措置を取ることとしました。
 しかし、安保理が行動を取るまでの間あるいは行動を取ることができない間に、取り返しがつかないことになってはいけないということで、その間は侵略・攻撃を受けた国(国々)が自衛権(集団的自衛権)を行使しても良いとしたのです。ただし、それはあくまでも安保理が行動を開始するまでの間に限るとされています。ところが、一九九〇年以後、アメリカが中心となって集団的自衛権行使のケースを際限なく膨らませ、その結果、本来であれば違法な戦争が大手を振ってまかり通るようになったのです。

<集団安全保障体制の「脇役化>
 集団的自衛権行使の「拡大」という問題に関しては、次の三点が要注目です。
 第一に、本質的に「集団的自衛権行使」とは言えない軍事力行使(厳密に言えば国連憲章第二条四が禁止する「武力の行使」に当たるもの)が含まれるようになっていること。具体的には、「人道的介入」を名目にしたNATOのユーゴ空爆、対イラク・アフガニスタン戦争、リビア内戦に対するNATOの軍事介入など、国連安保理決議の「お墨付き」を得ていない軍事力行使はすべてそれに当たります。
 第二に、集団的自衛権行使の「拡大」により、違法とされる戦争の範囲が限りなく狭められていること。また、集団的自衛権行使の「拡大」は、違法な戦争を取り締まるべき集団安全保障体制そのものを脇役の立場に追いやっています。ただし、アメリカは、自らが手を出したくない場合の保険として、国連の集団安全保障の仕組みも活用する政策をとっています。
 第三に、国連の集団安全保障体制について様々な問題が露呈していること。もっとも重大な問題は、すでに述べましたように、湾岸戦争以来の「集団的自衛権発動」としての軍事力行使が、国連の「集団安全保障措置」としてお墨付きを与えられることにより、本来であれば一時的かつ国連が集団安全保障措置を取るまでという限定付きで認められていたはずの集団的自衛権行使に関する制約が取り払われてしまったということです。その結果、アメリカ主導の軍事力行使が無制限・無期限に行われる事態を生みだしているのです。
 アメリカは、自らの死活的国益にかかわる場合は、自分が主体となり、集団的自衛権を行使して、国連のお墨付きを得て軍事力を行使しようとします。しかし、すべての軍事紛争がアメリカの死活的国益に関わるわけではありません。つまり、アメリカとしては手抜きしたい場合も大いにあるわけです。その場合は国連主体で対応させる。あるいは、NATO、日本、韓国、オーストラリアが主導して対応することを強力に促すのです。これが今日の状況です。
紛争介入は、大国(特に超大国・アメリカ)の権力政治の正当化材料に使われるケースが少なくありません。特に地域紛争や内戦に対する西側諸国の選択的・恣意的介入はそうですし、逆に自分たちにとって死活的関心がない場合には放置するケースも多いのです。
 自らの軍事的機能発揮に意欲を持つ国連事務局(米ソ冷戦終結後の歴代事務総長)も、伝統的平和維持活動に「牙を持たせる」ことに熱心であり、アメリカといわば呉越同舟の取り組みを進めてきました。その結果、伝統的PKO編制手続きに従って組織されたPKFが平和強制・執行に乗り出すケースも増えてきているのです。
 以上のような問題が起こってしまっているのは、「五大国(安保理常任理事国)が同意しさえすれば、安保理はいかなる決定もできる」という仕組み、つまり国連憲章自体にビルト・インされている大国中心主義によるものです。ソ連崩壊を受けて弱体化したロシア及び天安門事件後国際的に孤立を強いられた中国は、一九九〇年代は対米協調政策を余儀なくされ、このことがアメリカ主導の安保理の行動を可能にしてきたのです。
 しかし、NATOによるユーゴ空爆強行、国家の主権及び領土保全原則を無視した欧米諸国のコソボ独立承認、安保理決議が得られないままの対イラク・アフガニスタン戦争強行、旧ソ連邦諸国における「カラー革命」支援による対ロシア封じ込め強化、「アラブの春」における欧米諸国の一方的な価値観の押しつけ及びその極めつけとしてのリビア内戦に対するNATO軍の実力行使などを目の前にしたロシア及び中国は危機感を強め、ウクライナ問題では拒否権行使によってアメリカ主導の動きを牽制するに至っています。