村山首相談話と安倍首相談話(人民日報3文章)

2015.03.26.

3月23日から25日にかけて、人民日報は、「今年は中国人民抗日戦争・世界反ファシスト戦争勝利70周年だ。中国と国際社会は共に国際的な真理と正義、勝利の成果を守り、世界の平和的発展を促しており、侵略の歴史の評価を覆すことを決して許さない。『人民日報』は「歴史を心に刻み、平和擁護を」と題し、本日から3本の評論を続けて掲載する。」という編集者の紹介の言葉をつけて、3つの文章を連続して掲載しました。
  その内容は、最初の文章が日本政治の中での村山首相談話の位置づけ・意義、二つ目の文章が敗戦後のドイツと日本の歩みの比較における日本の歴史認識の異常性、三つ目の文章がカイロ宣言から降伏文書そして4つの日中関係の基本文書に基づく安倍首相に対する警告という構成になっています。手前味噌ながら、その内容は、私がこのコラムで指摘してきた内容を超えるものではなく、私としては3つの文章の主張は私たち日本人が謙虚に耳を傾けるべきものだと思います。
  この3つの文章は即日日本語訳が人民日報日本語版WSにも掲載されており、明らかに日本の私たち(安倍首相を含む)に対するメッセージであることが分かります。すでに読まれた方もいると思いますが、この3つの文章はまとめて読むことが必須ですので、このコラムでも改めて紹介します。

1.歩平署名文章「侵略の歴史を徹底的に反省してこそ輝かしい未来がある」(3月23日)


(歩平は中国社会科学院近代史研究所学術委員会主任、中国抗日戦争史学会会長)

 2015年は中国人民抗日戦争・世界反ファシスト戦争勝利の70周年に当たる。過去を省みる鍵となる今年、かつて日本軍国主義によって深刻な苦難を被ったアジアの国々は共に正義の声を発し、日本に歴史認識で責任ある態度を取るよう求めている。駐韓米国大使や米国務院スポークスマンも早くも今年初めには、 1995年の村山富市首相(当時)の談話を継承するよう安倍晋三政権に望んでいることを公に意思表示している。
 あの戦争の性質をどう認識すべきか、歴史からどう教訓をくみ取って未来に向き合うべきかを考えるに当たり、村山元首相の20年前の談話について考えることは特別な意義を持っている。
 第2次世界大戦後、日本の侵略戦争発動と植民地支配推進の責任を追及することは、東アジアの国際政治の重要課題になった。同時に歴史問題を取り巻く戦後の日本社会のさまざまな論争も、東アジアひいては国際社会の政治に深く影響するようになった。日本の一般市民は戦後の極東国際軍事裁判を通じ、南京大虐殺を含めたアジアの戦場における日本軍の残虐行為を知り、また軍国主義を厳しく非難し、「戦争責任」を追及し、平和的な道を歩む方向性を確立した。
 しかし、日本国内には侵略戦争の責任を認めようとしない政治勢力が終始存在していた。1980年代、日本が戦後の経済成長で巨大な成功を収めたのに伴い、「戦後政治の総決算」を求める保守思想が台頭してきた。1990年代半ばには、政界の一部で歴史の評価を覆そうとする傾向がますます深刻になった。 100人を超す政治家が「歴史・検討委員会」を組織し、日本の起こした戦争を侵略戦争だとした1993年の細川護熙首相(当時)の発言を攻撃、非難した。 また歴史を総括するとの名目で、原因・プロセス・結果などのさまざまな角度から日本軍国主義の侵略戦争の評価を覆そうとした。さらに1995年には、侵略戦争の責任を反省する「不戦決議」の国会通過を阻止しようとした。このほか、政治家に靖国神社参拝を呼びかけ、「従軍慰安婦」などの日本の戦争犯罪を否認した。これらの全ては戦後50周年に際し、日本社会に侵略戦争の反省を阻む強い逆流が現れたことをはっきりと示している。  果たして歴史の重荷に背を向け続けるのか、それとも誠実に歴史を反省し、道義的な重責を担い続けるのか? これは日本がどこへ向かうかを決定する重大な問題だ。1994年に就任した村山元首相は逆流に耐え、1995年8月15日に談話を発表した。
 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」
 これは戦後の日本政治の岐路で発表された重要な談話だ。談話は戦後に目覚めた日本の人々の声を高いレベルで総括し、侵略戦争と植民地支配について深い反省と心からのおわびを表明しており、戦争責任を回避する浅はかな政治家が東アジア世界に与えた不安定とは明らかに対照的だった。
 歴史の経験は明らかだ。村山談話は日本の国際的な威信を低下させず、逆に日本と東アジア各国の距離を縮めた。特に中国や韓国など、かつて日本に侵略された隣国の人々の信頼を獲得し、無責任な一部の政治家の言動で破壊された2国間関係を改善し、東アジアの平和と安定の維持に重要な役割を果たした。
 徹底的に過去を反省し、胸襟を開いて未来をつかむには、根本的な問題について態度を明確にする必要があるし、実際の行動で信頼を守り、友情を育む必要もある。
 村山元首相は在任中、「中日平和友好交流計画」を推進し、中日両国の研究者が戦争の歴史を共同研究するプロジェクトをスタートさせ、アジア歴史資料センターを設立し、関連組織が保管していた戦争の歴史に関する資料を国内外に公開した。一連の施策は戦争責任に対する政府の認識から曖昧さを一掃し、戦争責任を反省する正確な態度を国際社会にはっきり表明し、世界各国の信頼を獲得すると同時に日本社会にも大きな影響を与えた。
 村山元首相に続く歴代首相は異なる政党に所属していたが、歴史問題では村山談話の原則を引き継いだ。一部の政治家もかつて歴史問題に関する談話を発表したことがあるが、その認識レベルが村山談話を超えなかったためか言行不一致だったためか、どれも重要な影響がなかった。
 村山談話とその積極的な影響は次のような事実をはっきりと示している。日本の指導者にとって、日本軍国主義の侵略の歴史を痛切に反省し、当然引き受けるべき責任を引き受けることは、自分たちの国家が不名誉な歴史と徹底的に決別するために必ずやらなければならないことだ。こうして初めて日本はアジアの人々と国際社会を安心させる説明ができる。日本が国際的なイメージアップを図る正しい方法は、侵略の歴史に向かい合う反省の態度を厳粛に表明することだ。この態度がアジアの隣国との関係を改善し、東アジアの安定を維持する鍵になる。歴史や地域、世界平和の安定に対する責任ある態度がなければ、日本は本当の意味で歴史の重荷を下ろし、輝かしい未来へと歩み出すことはできない。

2.石沢署名文章「きちんと歴史を認識して初めて信頼を再構築できる」(3月24日)

 人類の存亡がかかり、正義が邪悪に勝利した中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争が終結して70年になろうとしている。この70年という長い歴史の過程で、総じて言えば、国際社会はこの戦争の本質に対する認識をたえず深め、一部の国がこの戦争中に犯した罪と負うべき責任に対して、明確な結論を出した。
 ドイツは正確な歴史認識と責任を負う行動によって、戦争の罪を晴らし、また法律という形式で戦争の亡霊が復活するのを厳しく阻止している。一方、もう一つの戦争発動国だった日本は、国際公理と国際正義の是非の問題で大きく揺れ動き、定まらず、葛藤に満ちており、日本の一部の極端な政治勢力は歴史の清算を公然と声高に叫び、「歴史戦」における勝利の道を堂々と論じている。
 異なる歴史観がドイツと日本の異なる行動様式を決定し、異なる行動様式は両国を異なる国際的な立場に置いている。ドイツはかつての戦場での敵対者と和解を実現しただけでなく、欧州一体化推進のエンジンとなっている。日本は誤った歴史観からいまだに抜け出せず、しばしば地域の安定に対する「トラブルメーカー」の役を演じ、アジア近隣諸国と信頼関係を構築できていない。  「70周年」というこの特別な年に、歴史問題は決して避けて通れない。これも現在、策定を検討中の日本指導者の歴史問題に関する談話の無視できない背景である。日本の指導者は勇気を奮って、前人がもたらした歴史責任を負い、平和的発展の道を歩んでいく基礎を突き固めるのか?それとも反省意識を薄め、いわゆる「国際貢献」「和解の道」「大国主義宣言」で「村山談話」の放棄をほのめかそうとするのか?これが日本国内の各政治勢力が論争している核心的な問題であり、国際社会が細心の注意を払っている焦点である。
 「もしキーワード(植民地統治、侵略戦争に対する反省と謝罪)を削除すれば、対中国、韓国関係だけでなく対米関係にも不必要な逆効果をもたらす」
 「反省がなければ、未来に向き合う道はない」……
 こうした日本の有識者の憂慮、警告には極めて強烈な現実的批判が込められている。
 日本指導者の歴史問題に関する談話について、「産経新聞」は「冷戦の勝利者は誰かを問いたい」という論評記事を掲載した。作者は「そもそも敗戦70年だけを強調すべきではない」という「別の視点」を提示しただけでなく、日本は「事実上、第3次世界大戦だった冷戦」の「勝利者」であると繰り返し指摘している。文章表現はかなり難解だが、その立論は明白で、日本は戦勝者であり、敗戦者ではないので、戦勝者が反省と謝罪をする必要はない、ということである。
 「別の視点」というのはあるいはかなり極端かも知れないが、ある日本人が歴史問題の思想的な脈絡における葛藤を的確に理解するためにはある種の脚注を提供してくれるかも知れない。歴史問題の重荷を下ろしたいが、決して歴史問題と向き合おうとはせず、誤った歴史観を反省することも拒み、いかにももっともらしいが根本的に立脚点のない文言を探し出し、自らを励まし、とどのつまりは地域の信頼醸成の雰囲気を破壊した責任を日本軍国主義侵略戦争の被害国の身に押し付け、アジア近隣諸国が絶えず「歴史カード」を振りかざし、日本の国際イメージを中傷していると指弾している。
 「過去に対する清算は戦後の和解を実現する前提である」。これはドイツのメルケル首相が今月初め、日本を訪問した際に語った言葉である。
 日本のように侵略戦争を発動し、甚大な災難をもたらした国家が、アジア近隣諸国の許しを得ようと思うならば、まず自らしっかり罪をあがなわなければならない。勝手放題にアジア近隣諸国国民の感情を傷付け、絶えず、国際的公理と国際的正義に挑戦し、さらにアジア近隣諸国の理解と信頼を要求する。世界的にそのような道理はあり得ない。2015年は日本とアジア近隣諸国との関係が試される年だが、一方で好機でもあり、鍵は日本がどのような行動を取るかである。
 70年前、日本は戦争に負けた。70年後の今日、日本は再び良識を失うべきではない。

3.厳躍文署名文章「歴史問題には恣意的に解釈する余地はない」(3月25日)

 波乱に満ちた、壮大な中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争はすでに歴史の1ページになっている。
 この戦争はどこの国がどのような邪悪な思想の仕業で発動したのか?世界反ファシズム陣営はいかにして正義の力を結集して、鮮血と命によって人類の尊厳を守ったのか?歴史の教訓として、また歴史の功績として、当然、世界各国の共通の記憶とすべきである。戦争中、戦後の調印を問わず、国際法の効力を有する文書、歴史的な検証に耐えうる戦争の罪と責任に対する裁判、戦後70年来深められつづけてきた歴史研究の成果を経て、すべてこうした共通の記憶のために堅固な基礎を築いた。
 現在、何はばかることなく挑発し、いわゆる「歴史戦」で妨害を企てるある国の一部の人たちがいる。これによって重荷を下ろし、責任を押しのけようとしている。
 歴史は覆されるのを認めず、世間には自ずと公理がある。われわれは、十分な力と自信を持つ必要があるが、同時に、歴史の歪曲、改ざん、勝利の成果に挑戦する危害にはっきりした認識を持たなければならない。
 『読売新聞』が行った最近の調査によれば、日本が発動した中国侵略戦争と太平洋戦争に対して、わずか5%の回答者が「大変良く知っている」と答え、 44%が「少し知っている」、49%が「知らない」あるいは「まったく知らない」と答えた。またこの調査は同時に、学校教育と教科書が戦争の真相を知る主な手段だと答えた。
 歴史は好き勝手に塗りつぶすことができるキャンバスではない。国際的公理と国際的正義は拘束力があるものだ。歴史問題でうずうずして手足を動かし、言いがかりをつけようとする日本人は、戦勝国が戦後秩序を決めた時、日本が侵略戦争を発動した罪と責任を明確に誤りなく確認し、日本も無条件にこれを認めたことを明確に理解しなければならない。
 1943年12月1日に発表された中国、米国、英国の「カイロ宣言」には「三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為…」と書かれている。
 1945年7月26日に発表された米国、英国、中国3国が日本の投降を促した「ポツダム宣言」(ソ連は後に加入)は「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク」と強調しただけでなく、同時に「吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ…」と明記している。
 1945年8月15日に発表された「終戦詔書」と同年9月2日に調印された日本の連合国に対する投降文書にも明確に「ポツダム宣言」の受諾を明記している。
 日本が侵略の歴史を認め、戦争の罪と責任を反省することも、日本とアジア近隣諸国の正常な関係を発展させる必須条件である。
 1972年9月29日に発表された「中日共同声明」には「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と書かれている。
 1978年8月12日に調印された「中日平和友好条約」は1972年「中日共同声明」が「共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認する」と書かれている。
 1998年11月26日に発表された「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する中日共同宣言」には「過去を直視し歴史を正しく認識することが、中日関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した」と書かれている。
 2008年5月7日に調印された「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する中日共同声明」には「双方は、歴史を直視し、未来に向かい、日中『戦略的互恵関係』の新たな局面を絶えず切り開くことを決意した」と書かれている。
 国際関係のシステムからであれ、二国間関係の角度からであれ、侵略の歴史を認め、戦争の罪と責任を反省することこそ日本がなすべきことである。中国人民抗日戦争と世界反ファシズム戦争勝利70周年に際して、もし日本の指導者が関連談話で侵略戦争を否定すれば、これは国際秩序の破壊であり、中日関係に深刻な損害を与え、日本の発展、およびその国際的な環境にもマイナスの影響を与えるだろう。
 歴史認識問題は後戻りを許さない。日本が歴史問題で恣意的な解釈を行えば、一時的に見せびらかすことができても、最終的に苦い結果を味わうのは日本自身である。