メルケル発言と日中・日韓関係

2015.03.23.

3月(9~10日)に来日したメルケル首相が、日独首脳会談後の記者会見(9日)、朝日新聞主催の講演会(同日)及び民主党の岡田代表との会談(10日)において、日本の歴史問題にかかわる発言を行ったことは非常に注目される出来事です。2007年に首相として初来日した際は歴史問題についてなんらの発言もしていません。なぜ、今回あえて歴史問題にかかわる発言を行ったのかを理解する上では、メルケル首相と中国及び韓国との緊密な交流を踏まえることが必要だと思います。
  メルケルは首相就任以来、2006年、2007年、2008年、2010年(7月15~18日)、2012年(2月2~4日及び8月30~31日の2回)そして2014年(7月6~8日)と合計7回も中国を訪問しています。急速に台頭する中国のドイツ経済ひいては世界経済に対する重要性をメルケルが十二分に認識しているからこそのかくも頻繁な訪問であることは明らかでしょう。また、福島第一原発「事故」の警鐘に学んで脱原発に踏み切るメルケルの政治的洞察力・決断力は、21世紀国際政治経済における中国の決定的重要性をも深く認識していることが窺えると思います。
また、韓国の朴槿恵大統領とメルケル首相は、2000年10月にお互いに野党党首としてドイツで会見したのが最初で、メルケルが首相となってからは、2006年9月(メルケル首相執務室で)、2010年11月(メルケル首相がG20首脳会議で訪韓した際)、そして朴槿恵が大統領に就任してからは、2013年9月5日、ロシア・サンクトペテルブルクで開催されたG20首脳会議の席上で挨拶を交わし、翌6日にメルケル首相の提案で2国間首脳会談を行いました。この会談において朴槿恵大統領は、「(メルケルが)ダッハウ収容所追悼館を訪問して行った演説を、韓国の国民も感銘を受けながら聴いた。歴史の傷を治癒しようという努力がなければならず、度々傷に触れていては難しくなるのではと考える」と述べるとともに、「日本が歴史を眺めながら、未来志向的な関係を発展させることを希望する」と話したと報道されました(2013年9月7日付韓国・中央日報日本語版)。そして本年3月26~28日に、朴槿恵大統領はドイツを公式訪問して、26日にメルケルと首脳会談を行いました。
このように中韓両国首脳と緊密な関係を築いてきたメルケルが日本政治の動向に対する中韓両国の懸念・警戒の所在に無関心であるはずはありません。特に2014年7月の訪中及び本年3月の朴槿恵大統領の訪独に際して、中韓両国から安倍政権の歴史認識の危険性について認識を深めたことは容易に想像できることです。
私は、メルケルのこれらの発言が行われたときはちょうど、村山首相談話の会の訪中団の一員として中国に滞在していましたので、メルケル発言及びその含意に関する中国側の高い関心に直に触れる貴重な体験をしました。それだけに帰国後、日本のメディアの取り上げ方における反応の鈍さには唖然としました(安倍政権に対する遠慮が優先しているとしか考えられない)。
しかし、メルケルがあえて安倍政権の歴史問題を取り上げたことは、この問題がもはや日本の国内問題あるいは日中・日韓間の二国間問題にとどまらず、東アジアひいては世界のこれからの方向性に重大な影響を与える問題となっていることを明確に示しています。
安倍首相としては、集団的自衛権行使によって対米軍事協力に全面的に踏み込むことを明確にすることにより、アメリカの歴史問題に関する対日姿勢を彼にとっての「許容範囲」内に押さえ込める、したがってメルケル発言については黙殺するという判断でしょう。しかし、反ファシズム戦争及び中国の抗日戦争勝利70周年、そして国連成立70周年の本年に、問題児・日本に対して行われたメルケル発言は、「井の中の蛙」である私たち日本人が感じているよりはるかに大きな国際的な意味合いを持つものとして受けとめられていると思います。8月15日の安倍首相談話に向けた攻防は、メルケル発言によって、安倍首相にとってハードルが一段引き上げられたことは間違いないと思います。以下においては、メルケル首相が行った歴史問題に関する発言を改めて確認しておきたいと思います。

1.3月9日の日独共同記者会見(出所:首相官邸WS)

 メルケルが「ナチスとホロコーストは、我々が担わなければならない重い罪です」と述べたことは、「ナチス」を「日本軍国主義」、また、「ホロコースト」を「南京大虐殺」(中国)あるいは「植民地支配」(朝鮮半島)に読みかえることで、日本が「担わなければならない重い罪である」ことを承認することを言外に促していることはあまりにも明らかです。また、「この過去の総括というのは、やはり和解のための前提の一部分」と指摘したメルケルの発言は、歴史問題の総括をしない限り、日本が中国、韓国などとの和解を実現することはあり得ないという忠告であることも明々白々でしょう。

(質問)
 今年は、戦後70年の節目に当たります。日本もドイツも、第二次大戦の敗戦国というところでは共通しております。両国とも、周辺の国々との和解にこれまで取り組んできておりまして、ドイツが周辺の国々と和解に努力されてきたことは、日本人には広く知られております。
 現在、日本は中国それから韓国との間で、歴史認識などをめぐりまして対立点も残っております。ドイツの御経験、御教訓に照らして、日本が今後、中国や韓国とどのように関係を改善していったらいいのでしょうか。その辺のお考えをお聞かせください。
(メルケル首相)
 私は、日本に対して、アドバイスを申し上げるために参ったわけではありません。私には、戦後、ドイツが何をしたかということについて、お話することしかできません。戦後、ドイツではどのように過去の総括を行うのか、どのように恐ろしい所業に対応するのかについて、非常につっこんだ議論が行われてきました。ナチスとホロコーストは、我々が担わなければならない重い罪です。その意味で、この過去の総括というのは、やはり和解のための前提の一部分でした。一方で、和解には2つの側面があります。ドイツの場合は、例えばフランスが、第二次世界大戦後、ドイツに歩み寄る用意がありました。ですからEUがあるわけです。今日、EUがあるのは、こうした和解の仕事があったからですが、その背景として、ヨーロッパの人々は、数百年にわたって戦争を経験した後、一つになることを求めたという事実があります。本当に幸運なことに、我々は、こうした統合を行うことができ、安定した平和的秩序を得ることができました。ウクライナの領土の一体性に対して厳しく対応しなければならないのは、そうした背景もあるのです。一方で、進む道については、各国がそれぞれ自ら見つけなければならないと思っています。先程述べたとおり、自分にできることは、ドイツの場合についてお話しすることだけであり、今、短く、それをいたしました。

2.朝日新聞主催講演会(3月9日)

 メルケルがドイツ敗戦の日を、ドイツにとって様々な意味での「解放の日」であったと位置づけることの重要な意義は、昭和天皇の終戦詔書に示された歴史観との対比において明らかだと言わなければなりません。また、メルケルが「私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません」と述べていること、即ち加害責任を率直に認めた上での発言であるということも、被害者意識だけに凝り固まっている私たち日本人猛省を促すものです。
  また、ドイツが再び国際社会に迎え入れられた「幸運」は、「ドイツが過去ときちんと向き合ったから」であるとともに、「当時ドイツを管理していた連合国が、こうした努力に非常に大きな意味をくみ取ってくれたから」でもあるという認識を示していることも重要です。前者は日本に対して「過去ときちんと向きあう」ことを促すものです。そして後者は、日本を単独占領して自分の都合勝手に日本を動かしてきたアメリカに対して、日本の歴史認識問題に関してはアメリカにも責任があることを間接的に指摘したものだと思います。4月の安倍首相の訪米を迎えるアメリカの政府・議会がメルケルのこの発言を真摯に捉えるかどうかを注意してみていきたいところです。

【戦後70年とドイツ】
  破壊と復興。この言葉は今年2015年には別の意味も持っています。それは70年前の第2次世界大戦の終結への思いにつながります。数週間前に亡くなったワイツゼッカー元大統領の言葉を借りれば、ヨーロッパでの戦いが終わった日である1945年5月8日は、解放の日なのです。それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした。私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません。まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです。さらにその40年後、89年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊、東西対立の終結ののち、ドイツ統一への道を平坦にしたのも、やはり信頼でした。
【講演後の質疑応答】
(質問)隣国の関係はいつの時代も大変難しいものです。そして厳しいものです。過去の克服と近隣諸国との和解の歩みは、私たちアジアにとってもいくつもの示唆と教訓を与えてくれています。メルケル首相は、歴史や領土などをめぐって今も多くの課題を抱える東アジアの現状をどうみていますか。今なお、たゆまぬ努力を続けている欧州の経験を踏まえて、東アジアの国家と国民が、隣国同士の関係改善と和解を進める上で、もっとも大事なことはなんでしょうか?
(回答)「先ほども申し上げましたが、ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。当時ドイツを管理していた連合国が、こうした努力に非常に大きな意味をくみ取ってくれたからでしょう。法手続きでいうなら、ニュルンベルク裁判に代表されるような形で。そして、全体として欧州が、数世紀に及ぶ戦争から多くのことを学んだからだと思います」
  「さらに、当時の大きなプロセスの一つとして、独仏の和解があります。和解は、今では独仏の友情に発展しています。そのためには、ドイツ人と同様にフランス人も貢献しました。かつては、独仏は不倶戴天の敵といわれました。恐ろしい言葉です。世代を超えて受け継がれる敵対関係ということです。幸いなことに、そこを乗り越えて、お互いに一歩、歩み寄ろうとする偉大な政治家たちがいたのです。しかし、それは双方にとって決して当たり前のことではなかった。隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう。そして、ドイツにもありのままを見ようという用意があったのです」

3.メルケル首相と民主党・岡田代表の会談(3月10日)

 メルケル首相と岡田代表との会談に関しては、メルケルが「従軍慰安婦」問題を取り上げたかどうか、それが日本政府に対する忠告であったかどうかなどに関して「騒ぎ」となったようです。しかし、冒頭に述べたメルケル首相と朴槿恵大統領との親交ぶりから判断すれば、この問題を極めて重視する朴槿恵大統領がメルケル首相に対して詳しく話をしていることは容易に理解されることですし、したがって、メルケル首相が岡田代表に対して自ら取り上げたとしてもなんら不思議はありません(下記の民主党ニュースで、メルケルが「9日の安倍総理との会談で「ドイツは過去にきちんと向き合ったから和解を成し遂げられた」との発言」があったことを紹介したとあることから判断すれば、メルケルが朴槿恵の意向を体して、安倍首相との首脳会談で「従軍慰安婦」問題を取り上げた可能性すら排除できないと思います)。
  いずれにせよ、「言った、言わない」の低劣な次元でやり過ごす安倍政権や読売新聞、産経新聞の議論に振り回されるのではなく、メルケルが日本の歴史問題の深刻さを指摘したことにこそ注意を向けるべきでしょう。
  以下においては、民主党が発表した文章を確認のために紹介しておきます。

【民主党ニュース(3月10日)】
岡田代表がメルケル独首相と会談 和解の問題、安全保障法制等を議論
 岡田克也代表は10日午前、日本を訪れているドイツのアンゲラ・メルケル首相と都内で会談した。会談には、長妻昭代表代行、近藤洋介役員室長が同席した。
 会談の終了後、その概要について岡田代表が記者団に説明した。会談では「戦後70年だが、残念ながら日本は近隣の中国や韓国との間で和解が成し遂げられたとは言えない状況だ」と岡田代表は和解の問題を提起した。「小渕総理が日韓パートナーシップ宣言を行うなど過去にさまざまな試みはあったが、有力な政治家がそれに異論を述べるなどして、結局和解は成し遂げられなかった」「その根本はやはり過去にきちんと向き合っていない、総括できていないということに尽きる」と岡田代表は発言。メルケル首相が9日の安倍総理との会談で「ドイツは過去にきちんと向き合ったから和解を成し遂げられた」との発言を踏まえ、ドイツの戦後の取り組みについて意見を交わした。
 その中でメルケル首相からは「過去のことについて完全に決着をつけるのは不可能であり、時代時代で常に過去とは向き合っていかなければならない、戦後、ドイツは歴史と向き合うしか道はなく、アデナウアー首相の時代を経て、非常に難しい時代だったが、若い世代自ら歴史を問う動きも起こり、過去ときちんと向き合ってきた。ドイツは和解では特別な例でもあり、スペインや東ドイツの和解の例もある」などの発言があった。
 またメルケル首相が慰安婦の問題について取り上げ、「東アジアの状況を考えると民主主義など価値を共有する隣国である日韓の関係は重要であり、慰安婦の問題はきちんと解決した方がいい」と話したことについて、岡田代表は日本としてもいろいろ努力したが残念ながら決着がついておらず、何とかしなくてはいけないと考えているとした上で、「痛みを与えた方は早く忘れたいが、痛みを受けた方は容易には忘れられない。そうした認識を踏まえてこうした和解の問題に対応しなければならない」と述べた。
 安全保障法制に関して岡田代表は「われわれが気にしていることは、自衛隊を海外に出して武力行使を行うことを日本はずっと控えてきた。ところがそれを限定的とはいえやる、あるいは武力行使そのものではないが後方支援を幅広くやろうとしていることだ」と説明し、ドイツの実情について意見を交わした。メルケル首相からは「ドイツは集団安全保障の枠組みのなかで国防軍を外に出しているわけで、単独では出していない。ドイツでもいろいろ議論がある。例えば『アフリカにフランスの兵士が出ているのにドイツは何もしないのか』という批判も寄せられたこともあるが、過去の過ちがあり、ドイツが戦後歩んできた道、海外に国防軍を出さないという道は正しいという見方もある。過ちを犯さないためにはそういうことは必要だという見方もあるが、自分としてはやはり集団安全保障の枠組みの中で国防軍を海外に出すことは必要だと思っている」という内容が述べられた。岡田代表は「NATOという枠組みのあるドイツと、日本単独で、あるいは日米同盟のなかで 判断するという日本と状況が少し違う」とこれに応じた。岡田代表は記者団に、そうした日独の違いについて「そこはメルケル首相も理解してくれたと思う」と話した。  岡田代表はメルケル首相に「日独関係は非常に重要で、アジアの民主主義国家である日本と、EUの中心的な存在であるドイツが、首脳会談を毎年行き来してやるべきだ」という提案も行った。
 戦後70年の節目にあたり、メルケル首相が安倍政権や日本に届けたいと思ったメッセージは何だと感じたかとの記者の問いに、岡田代表は「和解というのはずっと続くのだという発言にメルケル首相の一つのメッセージがあると思う」とコメント。「ドイツでも悩みながら、考えながら時代時代で対応してきたということは実感できた。印象的だったのは、最後には若者たちが自分たちで過去を見つめ直したということ。ここは非常に参考になる。自分たちの国で戦争中にナチスがやったことについて、若者が自分たちの頭で考えて向き合ったということは印象に残った」と述べた。
【民主党役員室長 近藤洋介(3月16日)】
 3月10日午前、都内で行われた岡田克也代表とドイツのメルケル首相との会談について、岡田代表とドイツ政府の説明の間に齟齬があるかのような一部報道があることに対して、以下の通り、ご説明します。
• 会談において、メルケル首相より従軍慰安婦に関して言及があり、きちんと解決した方がいいとのご発言があったことは事実。ただしこのご発言は、明示的に日本政府に対して解決を呼びかけたものではなく、岡田代表もその点に留意してメルケル首相のご発言をそのまま記者団に説明しました。
• 一方、会談に関してAFP通信が3月10日に配信した、「従軍慰安婦問題の総括を呼びかけ」という記事について、ドイツ連邦政府新聞情報庁は、日本政府に対して呼びかけた事実はないとAFP通信に対し反論したと承知しています。
• ドイツ政府報道官による3月13日の記者会見での発言も、同庁の「日本政府がどうすべきだという発言を行った事実はない」との見解を述べたものであり、岡田代表の発言自体を「事実ではない」と否定したとの一部報道は事実と全く異なります。
 以上のように、メルケル首相の会談におけるご発言と岡田代表の説明の間に、何ら齟齬をきたすものではなく、あたかも双方が異なっているかのような一部報道は誤解を招き不適切であります。