村山首相談話と日中関係

2015.03.08.

*3月9日から「村山首相談話を継承し発展させる会」の訪中代表団の一員として、中国を訪問することになりました(-13日)。北京及び上海では、中国の学者・専門家と意見交換する機会があるということで、「基調報告」をすることになりました。以下の文章がその「基調報告」です。報告時間が15分ということなので、下記文章の括弧内の箇所は読み上げませんが、中国側には下記全文をあらかじめ伝えてあります。

 (日本の敗戦70周年及び中国の抗日戦争勝利70周年を5ヶ月後に迎えようとする今、1995年の敗戦50周年に当たって出された村山首相(当時)談話に対して、日本国内において、また、中国をはじめとする日本の侵略戦争の被害を受けた東アジア諸国で大きな関心が表明される事態になっている。その直接かつ最大の原因は、村山首相談話に示された歴史認識を拒否する安倍首相が、70周年に際して、自らの歴史認識に基づく新たな談話を発表し、村山首相談話を葬る意図を表明していることにある。安倍首相がとりわけ問題視するのは、村山首相談話における二つの部分、即ち、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」、そしてそのことについて「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べている箇所だ。
  安倍首相の歴史認識とは、日本が行った戦争と植民地支配の加害性を承認しない、したがって近隣諸国に対して謝罪するいわれはないとするものである。それは正に、歴史的な客観的事実に真っ向から挑戦する歴史認識であり、自己を徹頭徹尾美化しなければすまない居直りの主張である。)

<厳しい日本の政治状況>
  私たち「村山首相談話の会」に集うものは、村山首相談話の上記二つの核心的内容を否定する安倍首相の談話が発表されることを何とかして阻止したいと考えている。しかし、安倍首相の暴走を阻止することは極めて厳しい状況にあることを認めなければならない。
  第一、昭和天皇の終戦詔書が端的に示すとおり、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏を受け入れたのは、自らが起こした戦争が侵略戦争であったことを承認したからではなく、万事休したが故の、他日の「神州」の再興を期した戦術としてであったということであり、終戦詔書に示されたこの考え方(終戦詔書史観)が戦後保守政治の中の右翼的思潮の根幹に座り続け、1990年代以後のアメリカの対日軍事要求の強まりに乗じて自己主張を強め、安倍首相の登場によって一つのピークを迎えているということである。(つまり、安倍首相の主張は決して安倍晋三個人の問題ではなく、戦後保守政治の右傾化の強まりという日本政治の根深い体質そのものを代表している。)
第二、敗戦直後の国民的な意識としては「戦争コリゴリ感」(被害者意識)に基づく反戦感情が強く、これが戦後保守政治の暴走を牽制する役割を果たしたが、1950年代後半からの高度経済成長は国民生活の向上を伴い、その結果、「一億総中流意識」が生まれ、反戦感情は薄れ、国民世論自体の保守化が進行したことである。しかも、1950年代に早くも開始された教育分野を起点とする反動攻勢は、終戦詔書史観に基づく歴史教科書の書き換えを筆頭に、日本軍国主義による侵略戦争という加害の歴史に対する正確な国民的認識を育むことを抑え込み、むしろ歪んだ歴史認識を国民の間に広げてきた。
第三、日本国内には根強いアジア蔑視の感情が存在するが、これは、明治政府の「大陸進出」政策を正当化するために政策的に扶植され、軍国主義のもとで徹底的に叩き込まれたものであり、敗戦後も清算されずに温存され、今日においては、上記終戦詔書史観の自己主張とあいまって、国民的な「嫌中」「嫌韓」感情という形を取って現れているということである。とりわけ、日本人の対中感情に関して言えば、日中関係が未だかつて対等平等な国家関係を営んだ歴史がないこともあって、日本人の対中国観は元々複雑であり、21世紀に入ってからの「大国」中国の台頭を違和感なく、冷静に受けとめることは、多くの日本人にとっては簡単なことではない。
第四、敗戦後の70年に限って言えば、世論調査に示される日本人の中国に対する受けとめ方は、1980年代までは総じて高い好意的見方だったが、1989年の天安門事件、2001年以後の小泉首相による靖国参拝、そして2010年のいわゆる中国漁船衝突事件を契機とする尖閣問題を受けて、日本人の対中好感度は最悪レベルにまで落ち込んだ。(即ち、天安門事件が起こる前の1988年当時には10人中ほぼ9人の日本人が中国に対して好感を持っていた。しかし、尖閣問題が起こってからは、10人中ほぼ9人が中国に対する反感を持っているという世論調査の結果が出ている。)かつては、民間レベルの交流が日中関係を支えていたが、今日ではその条件が大きく損なわれているのだ。
第五、より根本的には、日本人の物事に関する見方、つまり日本の思想には様々な問題点が潜んでおり、それらが今日の日本の深刻な政治状況を作り出しているし、安倍首相の暴走を許す肥沃な土壌を提供している。問題点とは、日本政治思想史の丸山眞男がつとに指摘したところをまとめて要約すれば、①日本人の主体性の欠如(「普遍」を欠く日本の思想、「権力の偏重」)、②独特な歴史・時間意識(「おのずから」「つぎつぎとなりゆくいきおい」)、この①及び②が合わさることによる③「既成事実への屈伏」及び④「他者感覚」の欠落である。

<日本の思想の特異な本質>
中国側の対日理解に資するため、日本の思想における以上の問題点を中国の思想との対比でごく簡単に補足説明したい。
まず、日本の思想には「普遍が欠けている」とはどういうことか。普遍とは、例えば、中国伝統思想における「天」・「理」、あるいは歴史的唯物的弁証法における法則性である。普遍を欠く思想は、物事の是非あるいは自らの思想・言動の当否を客観的に判断するモノサシを持ち得ない。したがって、すべては力の配分関係如何で決まってしまう(「権力の偏重」)。日本人が主体性を欠き、「お上」(権力・権威)に弱く、自らの責任において物事を判断する能力を備えていない、つまり主体性を欠く原因は正にここに胚胎する。
次に、日本人の歴史・時間意識においては、「いま」がすべてである。歴史は「ひからびた事実」にすぎず、学ぶべき対象という意識は生まれない。中国人の「歴史を鑑と為す」という歴史・時間意識との決定的な違いはここにある。(中国人が「歴史の民」であるとすれば、日本人は「非歴史の民」である。)
また、あるべきまたは到達すべき未来に照らして自らの現在の言動のあり方を決めるという発想も生まれない。すべては「やってみなければ分からない」ということになる。日本軍国主義が何の成算もなく中国に対する侵略戦争を開始したのも、米英に宣戦布告したのも、すべては「成り行き任せ」の発想故であった。(要するに、日本人は戦略的発想が苦手であり、日本の政治外交は基本的にその時々の「いきおい」によって方向性が決定されてしまうのである。)
(これが、丸山眞男の言う「おのずから」「つぎつぎとなりゆくいきおい」である。)
物事を客観的に判断するモノサシがなく、「いま」がすべてとなれば、今ある「現実」をそのまま受け入れるしかなくなる(「既成事実への屈伏」)。(日本人にとっての「現実」は、所与(変えることができないもの)であり、一次元的(多面的ではないもの)であり、とりわけ権力によって押しつけられるものである。)また、客観的なモノサシがなく、歴史という鏡で自らを映し出す心の働きもなければ、必然的に自分中心に物事を見ることになる。したがって、丸山眞男の言う「他者感覚」(中国における換位思考)が育たない。国際関係においては、日本中心の天動説的国際観がはびこることとなる。(その今日的な表れは、自らをアメリカと一体化することによるアメリカ中心の天動説的国際観である。)また、日本は間違いを犯すことはあり得ないが故に、南京大虐殺、「従軍慰安婦」問題という不都合な歴史は、「あり得ないこと」としてもみ消す以外にない。(日本が行った戦争は「アジア解放の戦い」であり、不正義な侵略戦争ではなかったということになる。したがって、終戦詔書史観は同時にまた自己中心史観である。)

<日本人が取り組むべき課題>
以上を踏まえるとき、私たち日本人が取り組むべき課題については、次のように整理しなければならない。
第一に、村山首相談話を否定する安倍首相の暴走を阻止することは当面の最大かつ緊急の課題であるが、それはいわば緊急手術あるいはとりあえずの止血という位置づけであり、それ以上のものではない。(つまり、緊急手術・止血に成功すれば、それで万事がめでたしめでたしということではあり得ないことをしっかり認識しなければならない。)
そもそも、敗戦後の日本人がまともな歴史認識を我がものにしていたのであれば、1995年に村山首相談話が出される必要はなかった。(歴史教科書の改ざん、中曽根首相の靖国参拝等の1980年代以後の右傾化の強まりを押しとどめなければならないという危機感が村山首相談話を産み出したとも言えるのだ。そういう意味では、村山首相談話の発表自体が戦後保守政治の右傾化を阻止するという意味合いを有していた。)
しかし、その後も日本政治の右傾化に向けた暴走は止まらず、逆に村山首相談話そのものを公然と否定しようとするまでに進行しているのが今日の状況である。したがって、村山首相談話の会はいわば、瀕死の状態にある患者(=日本政治)の蘇生を試みる緊急手術・止血を担うものとして組織され、活動している。
第二に、安倍首相の暴走を阻止できるという成果を挙げた場合はもちろん、不幸にして安倍首相の暴走を阻止できない場合にはなおさら、私たち日本人は、上記諸問題に着目し、国民的な主体性の確立、正確な歴史認識の涵養を目指すことで、日本政治のあり方を根底から転換させる、息の長い取り組みを行っていく覚悟を我がものにしなければならない。
「日本政治のあり方を根底から転換させる」とは、「日本政治の厳しい状況」として以上に述べた5つの問題に真っ向から立ち向かっていくことを指す。(繰り返して確認すれば、5つの問題とは、戦後保守政治に対する引導渡し、正しい歴史認識の確立、アジア蔑視感情の清算、実りある日中交流を可能にする素地となる正確な対中認識の涵養、日本・日本人の思想改造である。)きわめて厄介なことに、これら5つの問題は相互に密接不可分な形で絡まりあっており、それぞれをバラバラに切り離して扱うことでは解決に結びつかない。
ただし、最初の4つの問題のそれぞれについては、日本国内の限られた範囲(日本人全体の中ではごく限られた部分)においてではあるが、一定の認識の共有があり、問題解決を目指す「草の根」の取り組み(いわゆる市民運動)が行われている。しかし、それぞれの取り組みは孤立しており、相互間の意思疎通、連携・連帯、大同団結を目指す自覚的努力からはほど遠い。
(ちなみに、「草の根」あるいは市民運動が横断的な広がりを持ち得ないというのは、何も日中交流に関してだけのことではない。反基地闘争にしても、反公害闘争にしても、全国規模で展開すれば必然的に政治のあり方そのものに対する有力な異議申し立てとなる可能性を持つ運動に対しては、戦後保守政治は一貫して、局地化し、孤立化し、分断する方針で臨んできている。)
とりわけ、低迷に陥っている日中交流を再興させようとする様々な運動が大同団結することは、「中国脅威論」を前面に押し立てて日米軍事同盟強化、憲法改正を推進し、終戦詔書史観を正統史観にしようとする、安倍政権に代表される戦後保守政治にとって最大の脅威となる。したがって、日中交流を妨害する工作は今後も強まることはあってもその逆はあり得ない。日中交流を促進しようとする私たちにとっては、よほどの覚悟と不退転の決意が必要である。

<日本・日本人の思想改造>
5つの問題の最後、すなわち日本・日本人の思想改造という課題に関しては、丸山眞男、相良亨(日本思想史)、溝口雄三(中国思想史)、加藤周一(思想家)、樋口陽一(憲法学)などを除けば、日本国内には日本・日本人の思想自体に深刻かつ本質的な問題が伏在しているという認識そのものが欠落している。(なぜか。日中両国の比較検討することで、解答のカギが得られると思われる。)
中国の思想には諸子百家の古代に遡る豊潤な土壌が存在する。日本の思想との対比において重要なのは、中国の思想には普遍の要素、そして「民を以て本となす」という民本思想が早くから備わっていたことだろう。特に後者に関しては、半植民地化及びそれに続く抗日戦争の試練の中で、人民的な覚醒(主人翁精神)、つまり中国人の主体性確立に結びついたように思われる。それに対して、日本の思想には普遍が欠落しているのみならず、人民は一貫して被治者としての位置づけしか与えられず、私たち日本人は、明治維新、第二次大戦敗北という主体性確立のチャンスも活かすことができなかった。
(したがって、日本・日本人の思想を改造することは並大抵の努力を以てしては実現不可能であることを覚悟しなければならない。)しかし、内外の歴史的諸事実に徴すれば、日本人が主体性を確立することは不可能であるということを意味するものではない。
例えば、韓国、フィリピン、タイなどの東アジア諸国において、独裁政治に対する数十年にわたる国民抵抗の歴史が国民的な主体性確立を実現させている。日本においても、いわゆる「本土」から一貫して差別を受けてきた沖縄において、最近の参議院選挙で野党候補が4選挙区のすべてで自民党候補を打ち破るという画期的な勝利を収めた。(それは、自民党が圧勝した「本土」とはまったく対照的だった。)中国、東アジア諸国と沖縄に共通するのは、数十年の試練が人々を鍛え、人民的な覚醒、主体性確立を生みだすということである。
ひるがえって、なぜ「本土」の私たちは相変わらず覚醒することができないのか。大きな原因の一つは、1950年代後半から1990年代初めにかけての高度経済成長の余慶を受けたことによって、いわば思想的惰眠を貪ってきたということだと思う。
しかし、1980年代後のアメリカ発の新自由主義の荒波は、急速かつ確実に日本社会の「同質性」を突き崩しつつある。(この試練は長期的なものであり、したがって人民的覚醒を呼び起こすマグマを内在している。)しかも、安倍政権に代表される戦後保守政治の右傾化の危険な本質は、ますます分かりやすい形を取って私たちに突きつけられつつある。量的変化が質的変化に転じるという弁証法的法則性は必ずや自らを貫徹するだろう。
(丸山眞男が好んで述べたことの一つに、「キリスト教は元々欧州に起源を持つものではない」というものがある。その含意は言わずとも明らかだろう。したがって、結論として、私は短期的には日本の思想状況に対して悲観的たらざるを得ないが、長期的には楽観的である。)

<結び:日中関係への視座>
(日中関係を長期にわたって友好的、平和的に営むための条件は、4つの基本的文書によって法的、政治的に整備されている。また、中国は協力共嬴の新型国際関係の構築を打ち出し、日本を含む周辺諸国との関係を重視するという方針を明確にしている。そして、)今日の日中関係における緊張の原因は、歴史認識にせよ、領土問題にせよ、すべて日本側にある。したがって、日中関係を改善し、発展させていく上での責任の大部分は私たち日本人が担わなければならない。
私たち日本人にとってカギとなるのは、大国・中国の実像を踏まえた健全な対中認識を育むこと、そして、対等平等な国家関係として日中関係を位置づける国際認識を我がものにすることである。要すれば、以上に述べた厳しい日本の政治状況をリアルに認識し、5つの問題点に即して解決を図る私たちの主体的努力がそのまま日中関係の改善及び発展につながるのだと思う。