根本から見直す集団的自衛権
―まだ何も終わっていない―

2015.03.02.

*昨年8月20日に大阪弁護士会でお話しした表題での講演録を同会が起こしてくれましたので、加筆訂正を加えたものを紹介します。ただし、お話しの最後の部分(「中国脅威論」再考)と質疑応答部分については、別途紹介します。

 「根本から見直す」というのはちょっと大げさな言い方に聞こえるかもしれません。日本における集団的自衛権にかかわる憲法論というのは、憲法第9条とのかかわりで集団的自衛権をどう位置づけるかという、そういう議論が圧倒的に多いと思うのです。しかし、私はその前に憲法自体、特に憲法第9条自体がポツダム宣言に由来しているものだというところをしっかり押さえる必要があると思います。つまり、憲法第9条の解釈については、ポツダム宣言によって大きく制約されているのだというところを理解しないといけない。そのことをしっかり認識しないと、第9条の文言だけに基づく文理解釈だけになってしまって、その行き着く先は「集団的自衛権行使もあり」という議論にまでなってしまっているわけです。ですから憲法第9条の原点に戻って根本から見直す必要があるということで、「根本から見直す集団的自衛権」とした次第です。
  同時に、ポツダム宣言を原点としてしっかり踏まえると、今日の日本国内における「中国脅威論」のもとになっている尖閣問題にしても、あるいは南沙問題にしても、西沙問題にしても、いわゆる「好き」「嫌い」を離れた議論をせざるを得ないということを皆さんにおわかりいただけるはずだということがございます。その点についてもお話しさせていただきたいと思っています。

1.戦争違法化と日本国憲法

 最初に、「戦争違法化と日本国憲法」というテーマについてですが、日本国憲法を考えるに当たっては2つのポイントを見なければいけないと思います。
  1つは、国際連盟規約以来国際連合憲章に至る、いわゆる戦争を違法化する国際的な動きということであります。昔は政治目的を達成するためには戦争に訴えることが認められていました。しかし、第一次大戦の結果、戦争の残虐さ、破壊のすさまじさということが痛切に認識されるに至って、戦争を「政治の継続」とか「政策実現の手段」とかとして正当化することがあってはならない、戦争を違法化しないことには国際的な真の平和を実現できないということが認識されるようになりました。それが、国際連盟規約、不戦条約、大西洋憲章、そして国連憲章とつながる1つの大きな流れだと思うのです。これが1つです。
  ですから、戦争違法化への国際的動きというのは、私流に言いますと、「力による平和」から「力によらない平和」へと人類史の歩みがあるという大きな流れをつかまえなければいけないということです。
  もう1つは、日本国憲法第9条の成立への歩みとのかかわりで申し上げたいことがあります。即ち、戦争を違法化するだけではなく、特に日本に関しては、ドイツもそうですけれども、世界の平和な秩序に対して刃向かい、挑戦した戦争勢力といいますか、侵略勢力といいますか、日本についていえば軍国主義ですけれども、これを根絶しないことには国際的な平和な秩序の実現は期しがたいという認識が、大西洋憲章からポツダム宣言に至る中で明確にされております。
  日本は、最初ポツダム宣言が突きつけられたときにはそれを無視する態度に出たわけですけれども、原爆が投下され、ソ連の対日参戦にも直面して、もう万事休すとなり、昭和天皇の終戦詔書でポツダム宣言を受け入れたわけです。そして9月2日の降伏文書という国際条約においてポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束して、初めて国際法的に日本の敗戦、降伏が国際的に確立したということであります。
  ですから、私たち日本人は、ポツダム宣言が明確に示した対日要求の各条項を誠実に履行することを国際的に約束することによって、初めてその敗戦が受け入れられたということを肝に銘じなければならない。逆に言えば、ポツダム宣言で示されている条項を日本が誠実に守らない、実現しないということは重大な国際約束違反を犯すということです。降伏が受け入れられた前提条件をないがしろにする、あるいは無視するという行為ですから、それは許されるはずがないということなのです。この点を私たちはしっかり押さえておかなければならないと思います。
  ポツダム宣言と憲法との関係に即して言いますと、ポツダム宣言の対日要求、その中心に座るのは日本の徹底した非軍事化と民主化であるわけですが、そのことは明治憲法体制を廃止し、新しい憲法体制をつくり出すことを要求しています。それを実現するものが日本国憲法であったということになります。
  ところが、敗戦を受け入れた日本は、終戦詔書の中身を見れば歴然としているように、侵略戦争をしたことに対する自覚的反省がまったくないのです。つまり、ポツダム宣言を受諾することによって日本という国家がどのように生まれ変わらなければならないかという問題意識が見事なまでに欠落しているのです。したがって、明治憲法を変えるべき役割を担った時の政府がGHQに提出した憲法改正案は明治憲法の字句の微調整に過ぎない代物でした。
これに業を煮やしたマッカーサーが、いわゆるマッカーサー・ノートというものを出して、そこで示した三原則に基づいて新しい憲法を起草すべしと言ったわけです。そして、その第二原則がまさに憲法第9条の礎になったのです。そういう経緯を踏まえないと、憲法第9条の意味内容を正確に理解することはできないということになります。
  以上に申し上げたことを具体的に申し上げると、次のようになります。
まず戦争違法化への国際的動きという点に関しては、国際連盟規約の第16条1、不戦条約の第1条、大西洋憲章の第8項、そして人類史が始まって初めて戦争を違法化した国連憲章第2条4へとつながっています。重要なことは、戦争を違法化した国連憲章第2条4というのはある日突然に天から降ってきたということではなくて、国際連盟規約から不戦条約、さらに大西洋憲章へという、戦争を国際的に規制しようとする国際的な流れの帰結としてあるということです。私たちはこのことをしっかり確認しておく必要があると思います。
  次に日本国憲法第9条の成立への歩みという点に関しましても、大西洋憲章第8項、ポツダム宣言第6項、終戦詔書、降伏文書、マッカーサー・ノート第2原則、日本国憲法第9条と、明確な一本の太い線でつながってきているのです。特に、マッカーサー・ノート第2原則は、「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」としています。「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する」ということは、自衛権そのものを放棄するということです。
  憲法第9条を見ますと、「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも放棄する」という内容は反映されていません。後でまた申し上げますが、内閣法制局が第9条は固有の自衛権までも放棄する趣旨であるとは考えられないという理屈を考え出すに当たっては、マッカーサーの第2原則と第9条との間のこの違いに着目したのではないかと思っております。
  しかし、日本国憲法制定当時の日本政府の第9条に関する理解・認識はそういうものではありませんでした。むしろ、マッカーサー・ノート第2原則を踏まえ、第9条は自衛権そのものをも放棄したと理解し、認識していたのです。そのことを示すのが当時の吉田首相の発言です。即ち、1946年6月26日及び6月28日の吉田首相の帝国議会での答弁がございまして、そこでは第9条は自衛権行使も放棄したということを明確に言っている。ということは、マッカーサー・ノート第2原則を明確に理解していたということが示されているわけです。
  ちなみに今、安倍政権が国連の主導する、または国連がお墨付きを与える国際的な軍事行動にも日本は参加するということを盛んに言っておりますけれども、これもポツダム宣言に基づく第9条の理解としてはあり得ないことなのです。具体的には、1946年9月13日の幣原国務大臣答弁がありまして、第9条の立場から、国連の軍事活動への参加も留保する必要があると明確に述べているのです。
以上をまとめますと、第9条の理解・解釈として、自衛権及びその行使はクロ、したがって集団的自衛権も当然にクロ、集団安全保障措置という国連の軍事行動もクロ、要するに真っ黒だということが第9条の本来の趣旨であるということであります。そこをまず確認しておきたいと思います。

2.アメリカの対日政策の転換と解釈改憲

 アメリカは、他の国々に対しては「国際法を重視しろ、遵守せよ」と盛んに言う国でありますけれども、アメリカ自身は非常に身勝手でありまして、自分に都合が悪い時は平然と国際法を無視するのです。そういうアメリカの身勝手ぶりがモロに発揮されたケースがアメリカの戦後対日政策転換であり、そのことが政府による解釈改憲につながったのであります。
  1945年以降、米ソの冷戦が本格化することを受けて、アメリカのトルーマン大統領が1947年3月12日の演説で反共ドクトリンを打ち出しました。また、1949年10月1日に中国大陸で中国共産党が指導する中華人民共和国が成立します。アメリカが戦後考えていた東アジアの国際秩序は、アメリカと中国とが共同して運営するということでしたし、日本についてはポツダム宣言に基づいて徹底した非軍事化を行うということでした。それが東アジアの戦後国際秩序のあり方として、アメリカ自身が想定していたものです。
  ところが今言いましたように、米ソ冷戦が激化する、そして大陸に中国共産党政権ができてしまうということになると、アメリカにとってはポツダム宣言が今や邪魔者となるわけです。アメリカが反ソ・反共戦略を対アジア政策における中心に据える以上、東アジアにおけるアメリカの政策の受け皿、軍事的前方展開戦略の橋頭堡として格好の地理的地位にある日本に着目し、日本を目下の同盟国として再興させることが至上課題になってくるのです。
その方針を最初に明確にしたのが1950年1月1日のマッカーサー年頭の辞という有名なものです。マッカーサー・ノート第2原則を示したその張本人が、第9条に関し、相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の権利を否定したものとは絶対に解釈できないと言ったのです。これによって、いわゆる固有の自衛権はクロからシロに転じさせられたということであります。それを受けて、1950年1月28日の吉田首相答弁で、日本政府は第9条の解釈を変更しました。これによって、今日まで続く第9条解釈改憲の道が始まったのです。
アメリカのポツダム宣言を無視した対日政策の変更は、具体的にはサンフランシスコ対日平和条約による日本の独立回復、そして、それと対になった日米安保条約による対日軍事支配という法的枠組みによって行われました。これがいわゆるサンフランシスコ体制と呼ばれるものであり、アメリカがポツダム宣言から逸脱して、あるいは同宣言を無視して、自分の思いどおりに日米関係を規律する新しい法的枠組みをつくるという動きであります。
  今日のお話の中心テーマである集団的自衛権とのかかわりで申し上げますと、対日平和条約第5条Cと旧日米安保条約の前文は、日本が固有の自衛権を持つのみならず、国連憲章第51条が認める集団的自衛権という権利も保有しているとわざわざ書き込んでいます。これによって、「日本は国際法上の権利としては集団的自衛権を有するけれども、第9条によってその行使は認められない」とする内閣法制局の解釈が導かれるわけです。

3.集団的自衛権について

(1)集団的自衛権の歴史
ここで改めて集団的自衛権自体について少しお話しさせてください。と言いますのは、口幅ったいのですけれども、いろいろなところでお話をしていて気がついたことがあります。それは、国際法上の集団的自衛権という問題については国内的にあまり議論されていないし、正確に理解されてもいないということなのです。それは一般の市民ばかりではなく、皆様のような法曹界の人々も含めてのことのようです。私は最近、若手の弁護士さんたちの集会に何度か伺ってお話ししたことがあるのですが、会場から異口同音に自分たちの国際法に関する認識不足を率直に認める発言に接しました。
  国際法上の集団的自衛権という権利が登場するにはそれなりの歴史歩みがあったのです。つまり、ある日突然に国連憲章で集団的自衛権が国家に固有の権利だとして認められたということでなくて、そこに至る歴史的経緯があるということであります。また、この歴史的な経緯を踏まえないと、集団的自衛権についての正しい認識を持つことができないというのが私の強調したいところでもあります。
  まず、集団的自衛権について考えるための前史というものがあります。集団的自衛権という国際法上の権利、国際社会のあり方とかかわる国家の権利とされるものは、国際法の存在あるいは国際社会の存在を抜きにしては、その意味を理解することはできません。そして、国際法あるいは国際社会という概念自体も決して大昔からあるわけではありません。
戦争あるいはそれにつながる暴力は、それこそ人類史が始まってからのものでありましょうが、国際法及び国際社会という考え方は、ようやく17世紀になって登場した概念であります。具体的に言いますと、皆さんご承知のグロティウスが『戦争と平和の法』を著しました。それから20年後にウエストファリア条約ができました。こういうことによって、国際法と国際社会という概念が国際社会に登場したということであります。
  やや乱暴な言い方を許していただくならば、国際法あるいは国際社会という概念は戦争という暴力を野放しにしてはならないという人類的な問題意識の産物であると言えると思います。戦争を法的に規制しようとする営みの中で考え出されたのが国際法、人類の存続を危うくしない範囲に戦争を押しとどめるための社会的枠組みとして考えだされたのが国際社会だったと思います。 国際法及び国際社会が成立した当初の段階では、戦争は政治の継続、あるいは政策目的実現の手段として広く肯定されていました。要するに、名目さえ立てば何をやってもいい。これは何も自衛のためとは限らないということだったわけです。
しかし、戦争を野放しにしない、何らかの方法で規制するという人類的な努力の歩みが止まったわけではありません。今日のお話のテーマである集団的自衛権の前提となる自衛権という考え方は正にそういう歩みの産物として登場しました。
即ち、1837年にイギリスとアメリカの間でカロライン号事件という問題が起こりました。アメリカのカロライン号という船がイギリスによって撃沈された事件です。詳しい経緯は省きますが、アメリカがイギリスの行動について抗議し、説明を求めたのに対して、イギリスは自衛権の行使として自らの行動を正当化したのです。
イギリスはその際、自衛権の行使に当たっては3つの要件を充たすことが必要であるが、イギリスの行動はその要件を充たすものであったとしたのです。それが現代国際法においても確立している「自衛権行使の3要件」というものであります。具体的には、切迫性、即ち緊急かつ不正な侵害があること、必要性、即ち実力行使以外の手段がないこと、相当性、即ち反撃は必要最小限度のものでなければならないこと、ということです。これらは、国内の刑法上の緊急避難・正当防衛における3要件に相応していることは直ちにお分かりいただけると思います。
その結果、戦争そのものの違法性が問題にされたわけではありませんが、自衛権行使としての戦争はより正当性を主張できるという理解と認識が国際的に広く受け入れられることになっていったのです。正当性を強調できる戦争とそれ以外の戦争とを区別するという考え方をさらに一歩進めたのが不戦条約であります。
即ち、不戦条約においては、自衛権を行使する戦争は法的に正当とされます。しかし、それ以外の戦争は非とされたのです。違法化するまでには至らなかったのですけれども、やってはいけないものということについて多くの国が共通の理解に達したのです。前にはシロとされていたものが大きくクロに近づいたのです。
  不戦条約に関しては、集団的自衛権を考える上でのヒントとなるもう一つのポイントがあります。不戦条約の交渉の中で、自衛権行使の戦争だけを正当と限ってしまうことに対して、アメリカとイギリスは不都合が生じることを危惧したのです。アメリカの場合はモンロー主義があって、中南米を自国の裏庭と考えているわけです。したがって、その地域に対する軍事行動を制約されることには抵抗がありました。イギリスの場合はイギリス連邦がありましたから、イギリス連邦にかかわる問題は不戦条約の対象とされたくないわけです。したがって、アメリカとイギリスは、不戦条約に対する留保あるいは解釈という形で、自衛権行使以外のケースでも武力行使が許されるべきだとする主張を行いました。この考え方が、国連憲章作成交渉において、集団的自衛権という考え方を生む一つの背景事情としてあるのではないかと私は思います。
  そこでいよいよ集団的自衛権についてお話しすることになります。1945年にできた国連憲章第51条には、国家が持つ「個別的及び集団的な固有の自衛権」と定めています。けれども、集団的自衛権という概念は国連憲章で初めて登場した考え方であり、新たにつくり出された「権利」です。「固有の権利(the inherent right)」とは、「国家に本来的に備わっている権利」という意味です。これまでお話ししたことを踏まえれば、自衛権を固有の権利と性格づけることには無理はありません。しかし、国連憲章で突然登場した「集団的自衛権」をも「固有の権利」とすることはあまりにも強引です。しかし、アメリカ(及びソ連)にとっては集団的自衛権をそういうものとして位置づける必要があったのだと思います。
即ち、国連憲章が戦争そのものを違法化した以上、第二次大戦までは当たり前だった、戦争することを目的とする軍事同盟をつくることはもはや許されるはずはありません。しかし、第二次大戦終結後の米ソの対決はもはや動かしがたいことが認識されるにつれて、アメリカは軍事的な対決に備える仕組み(NATO、日米安保体制等々)をつくることを法的に正当化する根拠を設けておく必要を考えるようになりました。事実関係を省略して結論だけ申し上げますと、そういう法的根拠を提供するものとして集団的自衛権という「権利」を国連憲章第51条に盛り込んだのです。しかも、こういう軍事的対決に備える仕組みがかつての軍事同盟とは異なるものであることを強調する上で、この仕組みが「集団的自衛権」という「固有の権利」に基づくものであると主張することが好都合と考えられたというわけです。対米軍事対決に備える必要を認識するソ連としても、「集団的な固有の自衛権」を設けることには異存がなかったのでしょう。

(2)国家の自衛権か 人民の自衛権か
これまで私は、自衛権を持っているのは国家であるという前提でお話ししてきました。私がお話ししたように、カロライン号事件における自衛権の議論においても、国連憲章の規定ぶりを見ても、自衛権の主体は国家であるということが当然の前提とされていました。皆さんを含め、憲法第9条を守る側の人たちも、国家の自衛権、国家の集団的自衛権ということを前提にして議論しているのが実態であります。
  しかし、私は、自衛権を持つのは主権者である人民(国民)であって、国家ではないということをハッキリさせておく必要があると思うのです。人民の自衛権か、国家の自衛権かという問題は、決して観念のお遊びではなく、極めて重要な現実的な意味を持っています。
17世紀に欧州を舞台にして国際社会が成立した時、その社会の構成員(メンバー)は主として君主主権の国家でした。言い換えれば、国際社会は主権国家を構成メンバーとする社会として成立したのです。そして、国家から成る国際社会という理解は、国連憲章においても引き継がれています。ですから、国連憲章は国家の固有の権利として自衛権及び集団的自衛権を扱っているのです。
しかし、国家の性格はその後大きく変化しました。具体的には、君主主権の国家から人民主権の国家への変化です。その嚆矢となったのは、アメリカが独立宣言によって人民主権国家を成立させたことです。
君主主権の国家においては、主権者である君主(国家)が被支配者である人民(国民)の上に立っていました。しかし、人民主権の国家においては主権者である人民(国民)が国家(政府)の上に立ちます。人民主権のもとにおける国家(政府)は、主権者である人民に服務する、サービスを提供する機関です。したがって、アメリカの独立宣言が明確にしているように、国家(政府)が主権者・人民の意思に反した行動をとる時には、主権者・人民はそれを変えることができるというのが人民主権原則の当然の含意なのです。
  第一次世界大戦後には民族自決権、あるいは人民自決権の原則が国際的に承認されました。この権利・原則は、ウイルソン大統領とレーニンが提起し、国際連盟規約に盛り込まれました。その中心的な思想は、民族あるいは人民はみずからの運命を自分で決める権利があるというものです。人民主権と人民自決権との関係についての大雑把な理解の仕方としては、国家を支配する権利が人民主権、国家(政府)を持つ権利が人民自決権ということになります。いずれの場合も、主体はあくまで人民あるいは民族であって、国家(政府)ではないということがポイントです。
  憲法第9条は、私が以上に申し上げたことを裏づける規定を行っています。即ち、第9条における主語は「日本国民」であって、「日本国」ではありません。つまり、主権者である日本国民が戦争を放棄したのであります。自衛権に即して言えば、日本国民が自衛権を有するか否かという問題であって、日本国が自衛権を有するか否かという問題ではないのです。
  このように問題を整理すると、憲法第9条のもとで集団的自衛権が認められるか否かという問題についても明確な答を引き出すことができます。主権者・人民の自衛権はあくまでも自らを守る権利であって、他国を守ることを正当化するために設けられた集団的自衛権を含むはずがありません。集団的自衛権という概念は国家という概念を前提としたから何とかつじつまがあわせられたけれども、主権者・人民を前提として考えれば、集団的自衛権という概念そのものが成り立つ余地がないのです。
  本日のお話しのテーマからはそれますので深入りしませんが、憲法第9条は人民の自衛権を認めているかどうかについて一言だけ触れておきます。マッカーサー・ノート第2原則は国家としての自衛権を放棄するとしていました。しかし、第9条は主権者である日本国民が自らの存在を全うするための自衛権すら放棄したと解釈するべきかどうかについては別途考える必要があるのではないかという問題提起をしておきたいと思います。
  以上の問題提起をさせていただいた上で、以下におきましては、日本で現実に行われている集団的自衛権にかかわる議論をさらに考えるため、「国家の集団的自衛権」という国際的な理解を前提としてお話を進めます。

(3)アメリカの軍事戦略と集団的自衛権の拡大解釈
米ソ冷戦時代には、国連憲章の集団的自衛権をどのように理解し、解釈するかという問題が正面切って取り上げられることはありませんでした。ところが、米ソ冷戦が終結した1990年以後今日まで、今や世界唯一の軍事大国として君臨することになったアメリカの軍事戦略に奉仕する形で、大国協調のもとにある安保理の決議によって集団的自衛権の拡大解釈が行われることになったのです。
  国連憲章が国際の平和と安全に対する脅威となる対象として想定していたのは主として国家でした。しかし1990年代以後は、こうした伝統的な脅威に加え、アメリカはテロリズムをはじめとする国家以外の脅威、いわゆる非伝統的な脅威に対する警戒を強めるようになりました。
米ソ冷戦終結と時を前後してまず起こったのが1990年から91年にかけての湾岸危機・戦争でした。これは、イラクが隣国・クウェートを侵略し、併合するという事件でした。これに対してアメリカのブッシュ(父)大統領は、クウェートの求めに応じて集団的自衛権を行使してイラクを撃退しようとしました。ブッシュが採用したのはアメリカを中心とし、NATO諸国やアラブ諸国の参加を得る多国籍軍を組織してイラクを撃退するという作戦でした。
本来であれば、国連安保理がイラクの侵略を取り締まる国連主体の軍事行動をとるべきでした。しかし、そのような軍事的能力の持ち合わせがなかった安保理は、集団的自衛権行使の多国籍軍の行動を国連憲章第7章に基づく集団的安全保障措置として認めるという決議を行ってしまったのです。
国連憲章第51条は、集団的自衛権の行使は、安保理が集団的措置をとるまでの一時的、暫定的なものとしてのみ認めています。安保理が集団的措置をとれば、集団的自衛権を行使することはもはや許されないのです。ところが安保理は、集団的自衛権の行使を国連の集団的措置として認めてしまったのです。これによって、一時的、暫定的措置としてのみ認められていたはずの集団的自衛権の行使が安保理の「お墨付き」を得た軍事行動として「市民権」を得ることになってしまいました。集団的自衛権にかかわる安保理による拡大解釈の始まりでした。
また、多国籍軍方式がこれ以後常態になっていくことにもなりました。アメリカは確かに世界唯一の軍事超大国です。しかし、アメリカの経済力、財政力の相対的な衰えは顕著で、かつての朝鮮戦争、ヴェトナム戦争のように、単独で長期的かつ大規模な戦闘を遂行する力はもはや備えていません。同盟国、友好国の協力を求めるほかないのです。
ブッシュ(父)政権の後を継いだクリントン政権が強調したのは、テロリズム、大量破壊兵器、ならず者国家、地域紛争、大規模内戦などを「さまざまな不安定要因」あるいは非伝統的脅威として脅威の対象を広げることでした。そして、人道的介入と称して安保理の決議も得られないままで強行したNATOによる対ユーゴ空爆など、集団的自衛権行使として対処するケースを拡大していったのです。
クリントン政権の後のブッシュ(子)政権は、9.11事件以後の対テロ戦争を集団的自衛権行使として正当化しました。同政権はさらに、安保理の決議も得られないのに、2003年の対イラク戦争を集団的自衛権の行使として強行したのです。
クリントン政権による対ユーゴ空爆及びブッシュ(子)政権による対イラク戦争の深刻さは、安保理の「お墨付き」も得られないのに集団的自衛権を行使できるという、国際法無視の身勝手極まる主張を行った点にあります。
オバマ政権も例外ではありません。ブッシュ(子)政権は対テロ戦争に特化した観がありましたが、オバマ政権は再び「様々な不安定要因」を強調するようになりました。特に、オバマ政権による集団的自衛権拡大の動きとして注目する必要があるのは、東日本大震災の後のトモダチ作戦に代表されるような、「平時から戦時に至るシームレスな対応」を強調するようになったことです。
ちなみに、オバマ政権は、ロシアがクリミアを併合したことに対して、西側諸国を動員して対ロシア経済制裁を行ってきました。オバマ政権としては、強力な軍事力を持つロシアに対して集団的自衛権を発動して軍事的に対処するという選択肢はあり得ず、その代わりとして経済制裁に訴えたのです。しかし、経済制裁も、国連憲章第41条に基づいて安保理が決定する集団安全保障措置の一環であり、アメリカが勝手に行っていい類の問題ではありません。

(4)国連の集団安全保障措置とアメリカ
今日のお話は集団的自衛権をテーマにしておりますが、安倍政権の外交・安保政策に ついて考える上で、国連の集団安全保障措置についても若干考えておくべきことがあります。
おさらいですが、国連憲章におきましては、違法な戦争に訴えるものに対しては、安保理が中心になって、非軍事的(経済制裁を含む)及び軍事的な集団安全保障措置を講じて対処することが基本です。しかし、国連の集団安全保障措置が直ちに発動されるとは限らないので、それまでの間に限って国連加盟国は一時的かつ暫定的に自衛権、集団的自衛権を行使することができるとされているのです。
ところが、実際にはどうなったかといいますと、すでにお話ししたように、アメリカが主導して集団的自衛権行使とする実力行使のケースが限りなく拡大され、膨らまされてきてしまいました。
とは言え、国連が集団安全保障措置をとる能力は極めて限られているとはいっても、1990年代以後、伝統的な平和維持活動、一定の軍事行動を伴う活動も徐々に増えてきています。集団的自衛権を行使する多国籍軍・有志連合軍の行動や国連憲章第52条に基づく地域的取り決めや地域的機関による行動を集団安全保障措置として認めるケースも蓄積されています。なぜならば、アメリカとしては、自国の死活的利益にかかわる場合は自らが中心になって対処するのですが、手抜きをしたいケースでは、こういった様々な形での国際的対応に任せようとするからです。
以上の結果として、国連憲章の予定した仕組みとアメリカ主導の仕組みとの間では重大な違いが生まれることになりました。国連憲章では集団安全保障措置があくまで主であり、集団的自衛権行使はあくまで従、と言うより一時的・暫定的にのみ認められています。それに対して、アメリカ主導の仕組みのもとでは、集団的自衛権行使が主、国連の集団安全保障措置は従という位置づけになってしまっているのです。

4.安倍政権の外交・安保政策の問題点

 次に、安倍政権の外交・安全保障政策の問題点という角度から、日本国憲法と集団的自衛権をどのように考えるかについてお話しさせていただきます。もちろん、先ほどお話ししたように、国家の自衛権ではなく人民の自衛権という理解に立ちますと、お話ししたい事柄はまったく違ってきます。しかし、現実問題として、日本国内における議論が日本という国家の自衛権の問題として扱われていますので、以下に申し上げますのは、その現実を踏まえて問題点を整理するということであります。

(1)内閣法制局の第9条拡大解釈
  まず、第9条についてであります。すでにお話ししたことのおさらいですが、第9条の制定当時、即ち1947年当時は自衛権そのものも保持しない、否定されるという認識、解釈を政府自体が明らかにしていました。しかし、1950年にその解釈はくつがえされ、1952年の対日平和条約及び日米安保条約となりますと、集団的自衛権も国連憲章上、国際法上認められている、しかし、日本国憲法第9条は認めていないということにされました。
  ところが内閣法制局はその後、第9条で認められるとする自衛権の中身を拡大解釈してきました。つまり、第9条で認められるとする「固有の自衛権」の内容を膨らませることによって、国際法上は集団的自衛権の行使以外の何ものでもない行動をも「自衛権の行使」の範囲内だと強弁してきたのです。
  一つは「後方地域支援」の問題です。いわゆる「後方支援」は軍事用語でいう「兵站」活動ですが、これは国際法上、軍事行動そのものです。日本の自衛隊が作戦活動しているアメリカ軍に対して行う後方支援は正真正銘の集団的自衛権の行使になります。
ところが法制局は、すべての後方支援が集団的自衛権の行使に当たるわけではないと強弁してきたのです。つまり、アメリカ軍が戦争をしている地域と明確に区別される後方地域でアメリカ軍に支援を提供するならば、それは憲法が禁じる集団的自衛権の行使には当たらない「後方地域支援」だと言うのです。要するに、集団的自衛権行使に当たる「後方支援」とその行使には当たらない「後方地域支援」とが区別されるという主張です。
しかし、このような珍妙な議論は国際法ではお目にかからない代物です。「後方支援」あるいは「兵站」という用語についての理解は国際法として定まっているのであって、国内的に憲法違反という批判を逃れるために「後方支援」と「後方地域支援」とを区別してみても、国際的には通用しません。
つまり、アメリカ軍と軍事的に対決している相手国からすれば、日本は掛け値なしにアメリカと「同じ穴の狢」であり、日本を軍事攻撃の対象と見なします。そのことに対して、日本としては集団的自衛権を行使しているつもりはないと弁解してもなんの意味もないのです。
「武力行使との一体化」あるいは「戦闘地域」という問題も同じです。日本政府としては、アメリカの軍事的要求に応えるという政治的要請を充たさなければならない。しかし、憲法第9条が禁じる集団的自衛権の行使には踏み込めないという法律的要件をも満足させなければならない。そのために法制局は、アメリカ軍の「武力行使と一体化」すると見なされる行動は集団的自衛権の行使として許されない。けれども、「武力行使と一体化しない」と認められる範囲内であれば、憲法上許されるとします。しかし、一体化すると「見なす」「見なさない」という議論は国際法上ありません。日本が勝手に線引きしたところでなんの意味もありません。
また、自衛隊をイラクに派遣するに当たっては、アメリカ軍が「武力行使を目的とする活動」を行っている「戦闘地域」に自衛隊を派遣することは憲法違反になるからできない。しかし、そういう戦闘地域と一線を画する「非戦闘地域」に派遣する場合は憲法違反にはならないとしました。自衛隊が派遣されるのは非戦闘地域だから問題がないとしたのです。しかし、自衛隊が派遣される地域が常に「非戦闘地域」である保証はまったくありません。有り体に言えば、戦闘地域は時々刻々変わっていくのは軍事常識のイロハです。
以上に見ましたように、法制局はいわば自家消費のための、国会論戦においてやり過ごすための屁理屈をこね上げて、国際的には集団的自衛権の行使とされる領域に際限なく踏み込んできたのです。なぜそういうことを法制局は無理やりしなければいけなかったのかと言えば、法制局としては、ポツダム宣言に基づき、憲法第9条が認めるギリギリの許容範囲は自衛権の行使までであって、集団的自衛権の行使(及び国連の集団安全保障措置への参加)はとうてい第9条のもとでは認められないということを認識してきたからだと思うのです。
もちろん、私の知る限り、法制局がポツダム宣言に基づく憲法解釈を口にしたことはありません。しかし、憲法をも縛るポツダム宣言の存在、及び同宣言を受け入れ、その各条項を誠実に履行することを約束した降伏文書という国際約束の存在を法制局が忘れるはずはありません。アメリカの対日政策の変更によってポツダム宣言はいわば「座敷牢」に入れられましたが、ポツダム宣言に基づいて徹底した非軍事化を国際社会に約束した日本の条約上の義務を履行する責任は今日もなお、そして将来にわたって続いていくのです。

(2)アメリカの対日軍事要求と安倍政権の解釈改憲
  アメリカの日本に対する軍事的要求は、1990年に起こったいわゆる湾岸危機を契機にして様変わりしました。なぜ湾岸危機以来なのかといいますと、1980年代までは米ソ冷戦が続いていて、軍事的な硬直状態が維持されていましたので、日米安保体制のあり方を見直す必要性をアメリカ自身が強く感じていなかったという事情が働いていたと思います。しかし、米ソ冷戦が終結して、ソ連の後に成立したロシアが弱体化し、中国も天安門事件で国際的に孤立するという状況のもとで、軍事的にはアメリカによる一極支配体制が生まれるとともに、国連安保理においてもアメリカをチェックする機能を営む国がなくなりました。そういう状況の変化が起こっている最中に湾岸危機が勃発したのです。
  同時にアメリカの国内事情にも重大な変化が起こっていました。即ち、1970年代からアメリカの経済力、財政力の衰えが進行し、湾岸危機・戦争に直面したアメリカは、世界最強の軍事力は持っているけれども、長期にわたる大規模の軍事力行使を単独で賄うことは困難になっていたのです。端的に言えば、例えばヴェトナム戦争、朝鮮戦争をやったようなときの国力はもはやないわけです。したがって、アメリカとしては同盟国、友好国を動員しなければ、まともな戦争をやれないという状況になったということです。このことが1980年代までの日米関係と1990年代以降の日米関係を徹底的に分けることになりました。アメリカとしては、日本にも戦争参加を求めるようになったということであります。
  具体的には、湾岸危機・戦争のときは「カネだけではなく、血も流せ」という要求が突きつけられて、日本国内ではいわゆる「軍事的国際貢献論」が登場し、1992年にはいわゆるPKO法ができました。そして1993年から94年にかけて起こったいわゆる「北朝鮮核疑惑」を受けて、ナイ・イニシアティヴから「日米防衛協力の指針」、つまり当時の新ガイドラインの作成につながりました。それを受けて周辺事態法もできます。それから、2001年の9・11事件、2003年の対イラク戦争に際しては、小泉首相がしゃかりきになって有事法制を推し進めました。
  若干乱暴なまとめ方をしますと、1980年代までの日米安保体制はアメリカによる日本防衛と東アジアに対する前方展開抑止を主眼とするものであったのに対して、1990年代以後の日米同盟体制は、日本防衛という性格が圧倒的に弱まり、東アジアひいては世界を睨んだ日米軍事同盟としての性格を顕著にしていくことになったのです。ということは、日米同盟が変質強化するということであり、まともな法治国家であれば、日米安保条約の改定手続を経て、主権者である国民の審判を仰がなければならなかったはずなのです。ところが、実際に行われたのはどういうことであったかと言えば、憲法違反の国内法を有事法制という形ででっち上げることによって、日米軍事同盟の変質強化を国内法的に担保するという仕組みをつくっていったわけです。
オバマ政権は、「アジア回帰」あるいは「リバランス」と名づける戦略を掲げています。その一つの重要な眼目は中国を抑止、牽制することにあります。この戦略を進めるに当たっては、アメリカとしてはますます日本の手助けを必要としています。オバマ政権が日本の集団的自衛権行使を積極的に支持するのは、そういう利害打算に立ってのことなのです。
  しかもアメリカは、すでに触れたことですけれども、アメリカの死活的利害にかかわる戦争は自らが主導して行うけれども、それ以外のケースについては手抜きをしたいと考えるのです。そういう場合には、NATO、日本などの同盟国にやらせる、あるいは国連にやらせるということを考えているのです。
  日米軍事同盟の変質と強化という問題を考える上では、NATOの動きを忘れることはできません。NATOは、ソ連の解体を受けた後の同盟のあり方を定めた新戦略概念を1991年に定めました。またその後も、その時々の実践を踏まえて、1999年及び2010年に新たな戦略概念を定めてきました。つまり、アメリカを中心とする同盟のあり方についてNATOで定式化し、それを日米同盟に持ち込むという形で、日米同盟の変質強化を進めてきているのです。ですから、私は、1990年代以後の日米同盟の変質強化を「日米同盟のNATO化」と言い表しています。要するにアメリカは、西のNATO、東の日米同盟を軸にして、アメリカ中心の世界軍事戦略体制を構築しようとしているのであります。
  安倍政権は、以上のようなアメリカの対日軍事要求、特にオバマ政権が求める集団的自衛権行使を可能にするために、憲法改正を行おうとし、それが現実政治として難しいことを踏まえて、第9条解釈改憲によってその実を挙げようとしています。そこで、すでにお話しした、従来の内閣法制局の憲法解釈という壁にぶつかるということであります。
もう一度前にお話ししたことのおさらいですけれども、法制局の第9条解釈は「固有の自衛権」のもとで認められる範囲を限りなく膨らませるという手法です。けれども、ポツダム宣言及びそれを体したマッカーサー・ノート第2原則の存在を無視できませんから、自分の国を守るのではなく、ほかの国を守るために武力行使を行う権利が認められるなどということは口が裂けても言えないわけです。ですから法制局は、集団的自衛権行使はだめ、国連の集団安全保障措置体制参加もだめと言わざるを得ないのです。
  ところがアメリカは、日本はアメリカのやる戦争、あるいはアメリカが手抜きしたい戦争にも積極的に参加できるようにしろと要求しています。それに積極的に応えようとする安倍政権が国内的に実現しようとしていることは、要するにいかなる武力行使にも参加することを可能にする解釈改憲を強行するということなのです。このようなオバマ政権及び安倍政権の動きは、戦争を違法化した国連憲章第2条4の趣旨を根底から突き崩すものであり、憲法第9条を完全に無意味化するものです。要するに戦争違法化という人類史の大きな流れに挑戦するものであることを、私たちは深刻に認識する必要があると思います。

(3)いわゆる「グレー・ゾーン」問題
  ここで、安倍政権が解釈改憲を正当化しようとする中で盛んに取り上げるいわゆる「グレー・ゾーン」という問題について少しお話しさせていただきます。
実はグレー・ゾーンという用語も、先ほど挙げました「後方地域支援」とか「武力行使の一体化」とかの問題と同じように、もっぱら日本国内でのみ通用させられているものであり、国際法上は「グレー・ゾーン」という概念はありません。
  国連憲章におきまして、いわゆるグレー・ゾーン問題を考える上で参考にすべき規定は第2条4と第51条であります。第2条4は戦争を違法化した規定であると申し上げましたが、規定の仕方としては「武力の行使を慎む」とされています。それに対して第51条では、「武力攻撃が発生した場合」には一時的な措置として個別的、集団的自衛権を行使することができるとしています。問題は、第51条に言う「武力攻撃」と第2条4に言う「武力の行使」の中身がピッタリ一致しない、さらに言えば、第2条4の「武力の行使」の意味するものは第51条の「武力攻撃」のそれよりも広いということです。
  具体的な問題としては、「武力攻撃に至らない武力の行使に対しては、誰がどう対処するのか」という疑問が起こるわけです。いずれの場合も、国連が最終的には集団安全保障措置を講じることで対処するという点に関しては問題がありません。問題は、武力攻撃に対しては、国連が集団安全保障措置を講じるまでの一時的な行動として、自衛権の行使が認められていますが、武力攻撃には到らない程度の武力行使に対しても自衛権の行使が認められるのか、ということです。
国際法の多数説は自衛権を行使することは認められないとします。これに対して、そういう場合も自衛権の行使は認められるべきだと主張するのがアメリカ、イギリス、イスラエルなどです。安倍政権あるいは歴代自民党政権はアメリカ、イギリス、イスラエルの立場に立っています。その点はともかく、武力攻撃に到らない程度の武力行使にどう対処するかが国際憲章上は問題になるということです。
この問題をいわゆる「グレー・ゾーン」として議論を提起したのが安保法制懇だったのです。報告書を丁寧に読みますと、法制懇が以上の国連憲章上の問題を明確に意識していることを読みとることができます。しかし、法制懇が「グレー・ゾーン」としてあげる具体例は憲章第2条4に言う「武力の行使」にはまったく当たらないものがあります。
  例えば、2013年の報告書が挙げている事例として、我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘回を継続する場合、あるいは海上保安庁が速やかに対処することが困難な海域や離島で船舶や民間人に対して武装集団が不法行為を行う場合というのがあります。これらは明らかに中国が念頭にあるわけですね。
  しかし、前者について言えば、潜っているだけですから、憲章第2条4に言う「武力の行使」に当てはまらないのは明らかです。無断で潜没航行するのは不法行為に当たるにしても、武力の行使ではない。それに対して自衛隊が出動して物理的に取り締まるなどということはあり得ません。万が一、自衛隊がそのような行動に出るとすれば、それこそが正しく第2条4で慎まなければならないとされた「武力の行使」に当たるわけです。
それから、武装集団の離島襲撃に関して言いますと、武装集団の行動に対して背後で国家が関与している場合には、「武力の行使」に当たる場合があるという国際司法裁判所の判決があります。しかし、ここでは国家が後ろにいる武装集団とは言っていません。例えば、香港の活動家たちが上陸しても自衛隊が対処すると言い出しかねないわけです。このようなことも「武力の行使」を一般的に禁じた国連憲章に違反するという批判を免れません。
このように、安保法制懇が提起したいわゆる「グレー・ゾーン」の問題は、以上に述べた国連憲章上の問題とは似て非なるものであると言わざるを得ません。その狙いは「中国脅威論」を鼓吹することによって自衛隊による武力行使の幅を際限なく広げようとすることにあるのです。このような発想は1937年の盧溝橋事件を彷彿させるものがあります。

(4)安倍政権の目指すもの
  以上は、安倍政権の安保政策と憲法問題に即してお話ししてきましたが、さらに進めて、安倍政権は最終的に何を目指しているのかという問題について、少しお話しさせていただきます。
国内的には、第一に、敗戦史観を皇国史観に改める、第二に、主権者が国家の上に立つという国家観を、国家が国民の上に立つという国家観に改める。それから第三に象徴天皇を元首天皇にする、第四に日本国憲法を自主憲法に改める、という四点に集約できると思います。そして、これらすべては自民党の改憲草案に入っていることであります。
  国際的にはまず、戦争違法化、つまり「力によらない平和」という人類史の達成した成果をひっくり返して、再び1945年までの「力による平和」を根底に据えるということです。
  もう一つは、歴代自民党政権が当然視してきた対米追随路線を改め、安倍政権としては可能な限り対米対等に持っていきたいということがあると思います。そういう姿勢が具体的にあらわれているのは、最近で言えば拉致問題をめぐる朝鮮との外交開始でありますし、あるいはロシアとの関係で、ウクライナ問題で対ロ制裁に同調せざるを得ないけれども、何とかプーチンとの間で話し合いの余地を残したいという、そういうあがきであります。
また、中国との関係に関して言いますと、アメリカは中国を軍事的に牽制することに主眼があるのであって、戦争はしたくないわけです。よく言われることですけれども、尖閣のような岩のためにアメリカが戦争するなどということはあり得ないということは、アメリカ国内では常識です。しかし、安倍政権はまさに尖閣問題で中国と軍事的に対決するためには、アメリカを巻き込みたいと考えています。
以上をまとめて言えば、安倍政権が目指しているのは戦後国際秩序、つまり具体的にはポツダム宣言を全否定するということであります。具体的には靖国問題、領土問題、憲法問題のすべてに関して戦後体制をひっくり返していくということです。