衆議院選結果の最大のポイント(新華社記者質問への回答)

2014.12.15.

衆議院総選挙の結果は、おおむねメディア各社の事前世論調査が予測したのと大差ない結果に終わりました。自民党が単独で2/3の議席を占める予想もありましたが、さすがにそうはなりませんでした。しかし、35議席を獲得した公明党と併せると優に2/3を超えます。安倍首相は早くも憲法改正問題に言及し始めました。私は公明党には何らの幻想も持っていませんが、今後の憲法論議の中で、公明党の姿勢、去就について厳しく監視する必要が従前以上に増して必要になっていると思います。公明党が本当に「平和の党」かどうかが試されることになるでしょう。
  私が今回の総選挙でもっとも注目していたのは沖縄の4つの小選挙区の結果でした。「オール沖縄」のもとで、県知事選、那覇市長選に続いて4つの選挙区で非自民を前面に押し出す候補が完勝したことは、沖縄の人々の強烈な意思表示です。普天間基地移設問題を含め、日本政府・本土の沖縄への基地押しつけに対して、これ以上にない明確な「ノー」回答が突きつけられたことを、政府・与党のみならず、私たち本土の人間すべてが重く重く受けとめなければならないと思います。
  沖縄の選挙結果は、もう一つの点で、私たちに大きな可能性を示唆しているとも思います。それは、沖縄でできたことは日本全体としてもできないことはないはずだという単純にして明確な真理です。しかし、そのためには何としても乗り越えなければならない大前提があります。それは、私たち一人ひとりが個人として行動する能力、即ち自らの責任において意思決定を行う能力を我がものとすることです。
  沖縄の人々は、戦後70年近くに及ぶ本土からの差別に対して異議申し立てを行う中でこの能力を我がものとしてきたのではないでしょうか。それが今回の結果として表れたと思うのです。
  本土に住む私たちも、戦後保守政治の切り捨て政治によってさんざん痛めつけられている厳しい状況があります。そういう状況を国民的に総括することによって、保守政治に対する主権者としての「ノー回答」にまで高めて行く客観的条件は十二分に備わっていると確信します。

 以下に紹介するのは、総選挙終盤戦にの段階で、私の12月6日付のコラムの文章を踏まえた中国の新華社東京駐在記者からの質問に対して行った回答です。この段階では、沖縄の結果がどうなるかは不明でしたので、主権者の個人として行動する能力が発揮されなければ日本の政治は変わらない、というネガティヴな答え方となっていますが、私の考え方そのものは一貫しています。

1.「ポ ツダム宣言受諾による敗戦」を根底からひっくり返すことが安倍外交の最大の目的とご指摘されましたが、この右寄りの思想が一般市民に浸透していくように感じます。特定秘密の指定もそうですし、「慰安婦」問題もそうです。この右派冷戦思考の台頭は日本に、そして、日本と隣国の関係にどんな弊害をもたらすのでしょうか?

 この質問に答えるためには、どうしても戦後70年の日本の思想状況を踏まえておく必要がありますので、まず、ごくごく簡単に要点を押さえます。
戦後の右翼の思想的源流は、ポツダム宣言受け入れを明らかにした昭和天皇の終戦詔書にすべて含まれています(注)。

(注)「米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」というように、侵略戦争を犯したという認識はゼロです。また、「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」というように、戦局挽回が不可能になったから戦争継続を諦めるしかないということであって、侵略戦争を行った罪と責任に対する贖罪感と反省もゼロです。したがって、ポツダム宣言を受け入れるのは、「挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念ヒ、総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ、道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ、誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ、世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」と言うように、いったんは臥薪嘗胆して、将来に向けて神国・日本を復興・再起するという「戦略」的判断に基づくものでした。

 侵略戦争を犯したことに対する真摯な認識と反省がまったく欠落しているだけではなく、将来的には再び軍国としての大国化を目指すというのが戦後保守政治の思想的出発点だし、安倍政権に至るまで連綿と受け継がれてきた主流的思想です
問題は、一般国民が戦争の被害者としての意識は強烈であったけれども、侵略戦争に進んで加担したことに対する反省と責任については、戦後保守政治の政策(特に歴史教育)と、反共政策故に日本の保守政治の国内政策を許したアメリカの対日政策によって、直視することがないままに今日に至っていることです。
戦後のしばらくの間は、国民的な「戦争コリゴリ感」が保守政治に対する牽制力となって働きましたが、60年代からの「高度成長」によって「一億総中流」意識が浸透するにつれて、その歯止めも働かなくなりました。そして、1990年代以後はアメリカの対日軍事要求を利用して、保守勢力は一気に軍事大国化を目指しましたし、今や保守化した国民もその流れに身を委ねるようになっていきました。

以上を踏まえた上で、ご質問にお答えすると、次のようになります。
まず、このような右翼思想の台頭は日本にどのような弊害をもたらすかについてですが、日本国内に右翼思想に正面から異議申し立てをする有力な思想は、残念ながらほぼ見当たりません(強いていえば日本共産党ですが)。したがって、日本国内の内発的な力が日本の右傾化を押しとどめる可能性は、残念でなりませんが、きわめて乏しいと思います。しかも日本人は「既成事実に極めて弱い」ですから、「坂道を転げ落ちる」ように、日本全体の右傾化が進行していく危険性は極めて大きいと考えざるを得ません。 日本という国家・社会の右傾化を押しとどめる可能性を持つ力は、これも日本人としてはやりきれなく悲しいのですが、外からの力(外圧)だと思います。
一つは、アメリカが日本の右翼政治の危険な本質を認識し、日本に対して「待った」をかける可能性です。しかし、中国も深刻に認識しているように、日本を利用してアジア太平洋における軍事プレゼンスを確保しようとする短視眼的なアメリカが対日認識・政策を根本的に転換する可能性は、予見しうる将来にわたってきわめて乏しいでしょう。
もう一つの「外圧」は、中国、ロシア、韓国、朝鮮、東南アジア諸国さらには国連を舞台にする国際社会が対日政策を協調させる可能性です。2015年がいろいろな意味で70周年を迎える重要な年に当たることは一つの大きなチャンスです。しかし、このような動きに対してはアメリカが抵抗し、妨害するでしょうから、その帰趨は中露対アメリカの力比べによって左右されるでしょう。私自身は、中露の力が全局を支配することを強く望みますが、そうなる可能性は大きいとは考えにくいでしょう。
したがって、結論としては、日本と隣国、特に中国との関係は政治的軍事的な緊張を基調にして推移する可能性が大きいと思います。ただし、アメリカは尖閣などの「岩礁」のために日(比越)と中国との間の戦端に巻き込まれるのはまっぴらですし、アメリカのホンネについては日(比越)も認識せざるを得ないので、日中間の4点の合意などに見られるように、危機管理メカニズムを作ることで軍事緊張をコントロールする動きは進むと思います(突発的な軍事衝突を如何に防ぐかが極めて重要となります)。
長期的には、アメリカがパワー・ポリティックス的思考は21世紀においてはもはや通用しないことを認識し、中国が提起している新型大国関係のあり方を受け入れ、その一環として自らの対日政策をも改めることによって、日本もそれに従わざるを得なくなるという流れが出てくるのではないでしょうか。

2.市民団体や、一部のメディアは安倍政権の暴走について批判を続けていますが、とても成功したとはいえません。今回の選挙は一つのチャンスだと思いますが、もし、安倍と自民党に再び政権を取られたら、どのようにして対抗していくのでしょうか?この流れをどう牽制し、阻止したらいいのでしょうか?

 実は、このような問いかけは、私が伺う講演会などで、会場の聴衆から常に出される質問でもあります。なんとか危険極まる保守反動政治を阻止したいと思う心ある日本人は確かにいます。しかし、そのような答が簡単にあるのであれば、実は日本の政治はこれほど悪化することはなかったわけです。
  私が尊敬する政治学者(日本政治思想史)の丸山眞男の言葉を借りるならば、「自らの責任において意思決定を行う能力を持つ」日本人が多数派にならない限り、選挙という手段を通じて日本政治を質的に転換することは至難です。ところが、劉さんも御存知だと思いますが、「自らの責任において意思決定を行う能力」、即ち個人として行動できる日本人は圧倒的に少ないのが現実です。
  日本人は集団の一員としては力を発揮しますが、集団から離れて個人として行動する能力は身につけたことが歴史的にないのです。ですから、中国語の「当家作主」や「主人翁精神」に当たる固有の日本語もありません。東日本大震災の際に整然と行動した日本人に、中国を含む国際社会は驚嘆し、高い評価を与えました。しかし、その同じ日本人が、人の目を気にしなくて良いところでは、パニック的・衝動的に日用品その他の必需品の買い占めに走ったのです。
  私は、今極めて苦しい状況にあるロシアで、ロシア人がパニックに陥らないで整然とした日常生活を過ごす姿に敬意を覚えます。やはり反ファシズム戦争を戦った歴史的体験がロシア人を強くしたのでしょうね(もちろん、果てしない長期戦を強いられれば、この先どういう変化が起こるかは分かりませんし、それ自体興味深い問題ですが)。日本人には、こうした歴史的体験もないので、人の目を気にしなくてはいけないときは秩序正しく行動するけれども、そうでなければ自分勝手な行動に走っても恬として恥じない人が多いのです。
  したがって、私としては、上記のご質問に対して、残念ながら答を持ち合わせていません。私が講演会で会場の質問に対して言うのは、「とにかく諦めないことです。諦めてしまったら何も変わらないことだけははっきりしている。何かを変えるためには、とにかくこつこつと頑張るほかはありません」ということであり、その際に「愚公山を移す」お話しをすることもあります。
  根本的に言えば、日本人が、市民運動などを実践する中で、個人として行動する自覚と能力を身につける努力を積み重ねること、そういう自覚的日本人が多数派になることが日本政治を生まれ変わらせる唯一の道だと思います。