中国における対朝鮮政策をめぐる論争

2014.12.14.

11月28日付のコラムで、11月27日付の環球時報が掲載した「中国の対朝鮮政策:『朝鮮放棄論』批判文章」の内容を紹介しました。環球時報・網はその後も、南京軍区元副司令官の王洪光署名文章「朝鮮が崩壊するとしても中国は救いようがない 中国人は朝鮮のために戦う必要はない」(12月1日付環球網)と題する文章と、中国アジア太平洋学会朝鮮半島研究会委員・中国国際問題研究基金会研究員の曹世功署名文章「朝鮮を「恩知らず」と見るものは大局観が欠けている」(同2日付環球時報)と題する文章を掲載しました。
しかも念が入ったことに、12月3日付では環球網高級顧問(シニア・エディター)の老木(ペン・ネーム。本名は馬世琨)署名文章「「嫌朝」「棄朝」の主張が次から次へと現れるのはなぜか」(環球網)、また8日付では人民日報のシニア・エディターである丁剛署名文章「朝鮮の人々の真の生活をもっと考慮するべきだ」(環球時報)をも掲載しました。これらの一連の文章が発表されたことの含意をどのように読み解くかということは、一定の指針(モノサシ)を抜きにしては必ずしも容易なことではありません。
そういう時に、12月10日及び11日付の中国網に、暁岸署名文章「「習(近平)外交」のこの一年」が上下として掲載されました。この文章は習近平外交の一年間をまとめたものとして、改めてこのコラムで紹介するつもりです。しかしとりあえずは、対朝鮮関係を扱った以下のくだり(文章はヴェトナムと朝鮮をほぼ同じカテゴリーに属するものとして扱っていますし、そういう捉え方自体も興味深いことなので、そのまま訳します)は、上記諸文章を読み解く上での指針を提供するものだと思います。暁岸文章については、このコラムでもしばしば紹介していますし、特に朝鮮問題に関しても節目節目に文章を発表しています。しかもその内容的な特徴は、明らかに中国党政府の政策を強く反映していると理解されることです。

中国とヴェトナム及び朝鮮との関係は、それぞれ海上問題(領土問題)及び核問題故に長年にわたる中でまれに見る紆余曲折に遭遇した。中越関係に関しては、双方の努力のもと、両党間の接触、関係部門の協議、専門的交流を通じて事態の挽回を実現したが、中朝関係に関しては相変わらず低迷して徘徊している。歴史的かつ長期的な視野で中越及び中朝関係を観察するならば、表面的な浮き沈みの背後において、特殊な地縁政治及びイデオロギー的な同盟関係から正常な隣国関係に向かっての転換が起こりつつあるということにほかならない。とは言え、ヴェトナムと朝鮮は中国の大国外交がしっかりつかまえなければならない「カナメ」であり、二つの二国間関係は、歴史的な転換と調整という陣痛を経た後、最終的には新しい境地に踏みいっていくことになるだろう。
朝鮮半島の核問題を再び対話の軌道に乗せようとした「習外交」は、表面的にははっきりした進展を遂げていないし、中朝関係は引き続き膠着して冷え込んでいるが、中国が国連安保理決議を本気で履行し、朝鮮が核計画を推進するやり方を勝手にはさせず、しかも内部的には事務レベルにおける意思疎通を保つという太っ腹は、朝鮮の瀬戸際政策を大いに牽制し、朝鮮をして様々な方面に対して緩和的姿勢を示すことを余儀なくさせ、無条件で6者協議に復帰することへの地均しとなっている。

暁岸の以上の指摘から理解できる中朝関係に関するポイントは次のようにまとめることができるでしょう。
① 中国は、中朝関係を伝統的な同盟関係から正常な(浅井注:「脱イデオロギー」ということか)隣国関係に転換させていくという基本方針を確立している。
② しかし、大国外交を目指す習近平・中国にとって「カナメ」としての朝鮮の地位・重要性は変わらない。王毅外交部長は、2月14日に行ったアメリカのケリー国務長官との外相会談で、「我々は半島に乱が生じ、戦いが生じる(原文「生乱生戦」)ことを絶対に許さない」と述べた(2月24日付コラム参照)。上記暁岸文章を読むと、あたかも地縁政治上の特殊な関係という要素も「正常な国家関係」においては排除されるように読めるが、王毅発言は赤裸々な地縁政治的考慮に基づいた発言である。
③ 2月中下旬に劉振民外務次官が朝韓へのシャトル外交を行った(2月24日付コラム参照)ように、朝鮮半島の核問題を再び対話の軌道に乗せようとした「習外交」は、米韓合同軍事演習に対抗してミサイル発射を繰り返した朝鮮に対して国連安保理が非難を行うことを中国が阻止しなかったことを契機に暗転(4月3日付コラム参照)し、しかも「中国が国連安保理決議を本気で履行し、朝鮮が核計画を推進するやり方を勝手にはさせず」(上記暁岸文章)という対朝姿勢で臨んだために冷え込み、その状態がずっと続いたままになっている。
④ しかし、中国の判断としては、以上の中国の対朝鮮政策が朝鮮の多角的なソフト外交を余儀なくさせ、崔龍海特使の訪露における「無条件で6者協議に復帰すること」への同意を引き出した(上記暁岸文章)という成果を生みだしたのであり、今後も中国が対朝鮮政策の基調を改める必要はない。

それでは、冒頭に紹介した4つの文章はどういう主張を行っているのでしょうか。4つの文章はいずれも、上記ポイントの①については当然の前提、出発点としています。しかし、ポイントの②になると、王洪光署名文章は他の三つの文章と比較して、あまりにもかけ離れた主張を行っていることが分かります。
問題は、ポイントの③と④にかかわる中国の今後の対朝鮮政策のあり方についてで、曹世功、老木及び丁剛は、それぞれの視点を示しています。
曹世功は対米戦略的観点からの朝鮮重視論であり、上記ポイントの③及び④にとどまることに対しては批判的ニュアンスを感じさせます。老木は朝鮮に対する露骨な嫌悪感を示しながらも、「棄朝」論の論拠をしらみつぶし的に批判し、最終的には現在の対朝政策を維持することで良しとするニュアンスを感じさせます。また、丁剛は、習近平外交の着眼点はアメリカ流の権力政治ではなく、人であるとする(この点の指摘はひとり丁剛だけのものではなく、他の文章においても指摘されています)立場から、より積極的に対朝鮮アプローチを行うことを提起している印象を受けます。そういう意味では、上記ポイントの③及び④については改善の余地があるというニュアンスを感じます。

<王洪光署名文章>
最近、朝鮮問題専門家の李敦球教授が環球時報で文章を表し、「一部の戦略問題の学者が中国は朝鮮を放棄することを提案しており、問題は異常に深刻だ」という認識を示した。筆者は、李教授の見方には同意しない。
第一に、李教授の言う「中朝は2つの独立国だ」という点にはまったく賛成だが、「中朝両国の根本的利益は一致している」とする見解には軽々しく同調するわけにはいかない。例えば、朝鮮の核保有政策と中国が朝鮮の核放棄を要求する政策とはそれぞれの国家利益の違いに基づくものだ。重大な原則問題に関しては、中国は朝鮮の利益のために自らの利益を損なう必要はない。朝鮮の核保有は我が国の国境地域における核汚染という深刻な脅威を生んでおり、中国政府は、この地域の人々の安全のために、朝鮮の核保有を厳しく批判する必要があるだけではなく、朝鮮が核施設を中国から遠ざけて中国に核の脅威を与えないように要求する十分な理由がある。また、朝鮮の核保有は日韓の核保有意欲を刺激する可能性がある。ちっぽけな東北アジアで露中朝韓日が核を持ち、加えてアメリカの核の影があるとなれば、東北アジアは安寧であり得るだろうか。中国が一連の原則的問題において自国の立場を堅持し、朝鮮が中国の利益を損なうやり方をすることに反対することをもって朝鮮を放棄すると見なすことはできない。かつては朝鮮の「尻ぬぐい」をすることが多すぎたのであって、これからはそうする必要はまったくない。
第二に、李教授は「朝鮮は社会主義の政治体制であり、中国の地縁政治上のオプションとして代わりを見つけるのは難しい」と言う。しかし、朝鮮はとっくの昔にマルクス・レーニン主義を党の指導思想として放棄しており、イデオロギー的に中国と同じ要素はまったくなく、本当のプロレタリア政党でも社会主義国家でもない。朝鮮は、1972年憲法ではまだ、「マルクス・レーニン主義を創造的に我が国の現実に運用した朝鮮労働党の主体思想を活動方針とする」と規定していたが、1980年の朝鮮労働党第6回代表大会では、「金日成同士の革命思想、主体思想を唯一の指導方針とする」、「領袖は人民に生命を与える恩人であり、慈父である」として、この時にマルクス・レーニン主義を放棄した。中朝両国間には国家的利益という関係があるのみであり、社会主義政党間の同志的関係はない。これは朝鮮が自ら放棄したのだ。政治体制が異なる国家が仲良く共存するというのは世界中すべて同じである。朝鮮が自分で鎖国政策をとったことについては中国として責任を負ういわれはない。
第三に、中朝は1961年に中朝相互援助友好条約を締結した。条約では、一方の締約国が他国の武力侵攻を受け、戦争状態になったときには、他の一方の締約国は全力で軍事その他の援助を与えることを定めている。この条約は2021年まで有効だ。条約はさらに、両国にとって共通の利益にかかわるすべての国際問題について協議を行うことをも定めている。尋ねるが、朝鮮は核保有について中国と協議しただろうか。中朝の条約が今もなお有効である状況のもとでは、朝韓(米)が戦いを始めてしまったらどうなるか。朝鮮のやり方はすでに中国の根本的利益を傷つけているのであって、李教授は一体どのようにして「中朝両国の根本的利益は一致している」という結論を引き出したのか。
第四に、朝鮮が中国の「戦略的障壁」であるかどうかという点に関しては、グローバル化、情報化の時代においては、地縁関係の政治上、軍事上の朝鮮の重要性が大幅に低下していることも争いのない事実だ。軍事的に見ると、朝鮮半島の38度線から中国国境までは5~600キロであり、現代戦争においてどれほどの意味があるだろうか。
李教授は、「朝鮮放棄」は、朝鮮を第三国に追いやる、朝鮮崩壊、朝鮮の一か八かの戦争で朝鮮半島に再び戦火が燃えさかる、のいずれかの事態を生むと言う。
第一の可能性については、朝鮮は未だかつて中国の懐に抱かれるということはなかったのであり、何をもって第三国の懐に追いやるというのか。金日成が朝鮮戦争を始めたとき、中国の意見を十分に聞こうとしなかった。1960~70年代には対中態度は他の国に対するよりも冷淡だった。中国がアメリカと国交を結び、特に改革開放してからはさらに中国にシノコノ言うようになった。その状況はソ連が崩壊してから少し良くなっただけだ。
第二の朝鮮崩壊の可能性については、一国の崩壊は外の力によるのではなく、人民の支持がない政権は遅かれ早かれ崩壊するものだ。中国は朝鮮の救世主ではなく、朝鮮が崩壊するとなったら、中国はなんともしがたい。中国としてはその時に対する備えをするまでであって、朝鮮崩壊が中国の現代化のプロセスを断ち切ることはあり得ない。
第三の可能性について言えば、朝鮮が決死の戦いをするとなっても、交戦双方の目標は中国ではなく、中国としては自ら求めて火中の栗を拾う必要はない。
まとめて言えば、中朝両国両党関係は正常な国家及び党際という関係の基礎の上に営むということだ。中国の国家利益から出発し、同時に朝鮮(その他の国家)の利益にも配慮し、支持すべきは支持し、反対すべきは反対し、公平と正義を貫き、責任ある大国たるイメージを確立し、朝鮮を「引き寄せる」こともしなければ、朝鮮を「放棄する」こともしないというのが中国の基本的態度であるべきだ。

<曹世功署名文章>
「朝鮮放棄論」者は「国家利益」を掲げて論じているが、「朝鮮放棄論」に基づく処方箋で行動する結果は中国の国家利益に損害を与えるだけだ。
まず、朝鮮の核武装は「朝鮮放棄」の理由とはなり得ない。朝鮮の核保有は間違いなく半島及び地域の平和と安定を破壊するので断固反対しなければならない。半島の非核化を実現するためには、朝鮮に対して厳しい制裁を含めた政治的外交的圧力をかけることは非常に必要だ。しかし、事実がすでに証明しているように、武力に訴えることはできないし、圧力と制裁だけでも問題は解決できず、畢竟するに対話による平和的解決の道を歩む必要がある。朝鮮の核保有は半島及び地域の平和と安定に影響を与えている主要な問題点であるとしても、それが半島問題のすべてであるということでは決してなく、半島の非核化は、半島における冷戦の遺産を清算し、半島の恒久平和メカニズム構築と結び合わせてのみ実現可能だ。したがって、朝鮮の核保有が中国の「戦略的な負の遺産」となっているという理由だけをもって「朝鮮放棄」を主張するのは、あまりに感情に流れすぎており、戦略的思考を欠いている。
さらに朝鮮の地縁的戦略的角度から見た場合、冷戦の終結、中韓国交樹立と戦略的協力パートナーシップ発展及び米中間の「新型大国関係」構築などの要素により、朝鮮の地縁的戦略的価値が冷戦時代と比べて変化があることは確かだが、朝鮮を完全に無視することもまた誤りであるし、賢いことでもない。常識的にいって、今日の国際政治という「場」において、地縁政治という概念はいまだ時代遅れではないのであり、さもなくば、アメリカはなぜ米韓及び米日同盟を「アジア回帰」戦略のカナメとしているのだろうか。どうして米軍をグアムあるいはアメリカ本土まで移さないのだろうか。朝鮮半島が東北アジアの戦略的要衝であり、大国の利益が交錯する地域であることは否定できないところだ。中国が抗米援朝戦争によって確立した戦略的地位の重要性及びそれによって生みだした巨大な国際的影響は、朝鮮人民の心に植えつけられた影響を含め、計り知れないものがあるのであって、この戦略的資産を水に流すことは絶対にできない。
両国関係の発展の経緯から見た場合、冷戦終結後、中朝が国家統治及び対外戦略において異なる道を選択し、意見の対立、摩擦ひいては利益の衝突が生まれたのは怪しむに足りない。しかし、同時に見ておく必要があるのは、中朝の伝統的友好という紐帯は断ち切ることが難しいし、平和的発展及び国際正義を希求するという点では共通の利益を有しており、個別の問題あるいは一時的ないざこざ故に友が敵になるということがあってはならないということだ。中朝が仮にともに並び立たずとなれば、結果としては共に傷つくということだし、朝鮮にとっての損害は致命的になるだろう。米韓の論者の中には、「中朝を分離させる」ことが半島問題解決の重要な方法だと説くものがいることを重視するべきだ。
新しい歴史的な時代において、中国は対外的に同盟を結ばず、イデオロギーによって線を引かないが、このことは対朝関係において十分に体現されている。中朝の正常な国家関係を発展させることは両国の根本的利益に合致している。中国政府は、親・誠・恵・容のという周辺外交の理念を提起しかつ実践しており、その適用対象には朝鮮も当然に含まれる。朝鮮を放棄するべきだとする奇論怪論は大局的意識を欠いているし、中国外交の基本的戦略ともまったく相通じるところがない。

<老木署名文章>
最近、また「棄朝」「嫌朝」を主張する世論のちょっとした高まりが起こっている。こういう現象が生まれるのには朝鮮側の原因もあれば、我々が全面的、客観的、歴史的に朝鮮及び中朝関係を見ることができていないということに由来する面もある。
第一に、朝鮮が中国から得た利益は数え切れないのにもかかわらず、中国に対して感謝する気持ちがないどころか恨みの気持ちを持っている。過去数十年にわたって中国は朝鮮に対して、食糧、燃料、機械から日用品に至るまで数え切れない援助を行ってきた。品物によっては、当時の中国も不足し、非常に必要なものもあったが、それでも我々は痛みを忍んで分け与えた。頭にくることに、朝鮮は中国製という標識を切りとって朝鮮の人々に真相を隠すようなことも行った。対照的なのは、多くのアフリカ諸国は、中国から来た援助を人々に大々的に知らせ、中国に感謝したことだ。近年になって、中国は対外援助政策を見直し、互利互恵を主張し、援助の量を減らしたが、これによって朝鮮の不満は大きくなってきた。
しかし正直に言って、朝鮮のこの種の問題の大きな部分は中国がつくり出したのであって、我々にも責任がある。相当に長い期間にわたり、朝鮮が何かを欲しいと言えば何でも与え、どれだけ欲しいと言えばそれだけ与え、何ごとにつけても細やかに気遣いをし、相手のやり方があんまりだと分かっていても率直に指摘することもできなかった。そういうことが積み重なった結果、朝鮮は法外な要求をすることも当たり前だと見なし、満足が得られないと、自分のことは棚に上げてもっぱら中国を恨んだ。しかし、こういう状況から分かることは、朝鮮とやりとりする仕方を改善する必要があるということであって、「棄朝」の理由にはなり得ないということだ。
第二に、朝鮮は自らの戦略的地位を過大評価しており、中国の「戦略的障壁」及び「最前線基地」としての役割をあまりにも誇張しており、それに対していかなる報酬を求めることも当然だとし、得られないとすぐ不快な顔をし、つむじを曲げる。
朝鮮の戦略的地位に関して、朝鮮の5~600キロの縦深ということはとっくの昔に「戦略的障壁」としての価値を失っていると指摘する専門家もいる(浅井注:上記王洪光署名文章の指摘)。実際のところ、今日における朝鮮の重要性はどれぐらいの縦深があるかということにあるのではない。譬えでいうと、朝鮮半島情勢は3本足のイスのようなもので、朝鮮はその一つであり、どの足を一本へし折ってもイスそのものが倒れてしまうのだ。朝鮮は孤立して弱く、仮に中国が放棄するならば支えることは難しくなり、危険が至るところに埋まっている半島の平和で安定して局面には巨大な変数が現れ、結果については想像することも難しい。そして、半島の激動と混乱は、中国にとって必ずや百害あって一利なしである。
第三に、朝鮮は昔から中国にとってお荷物であり、随唐の時代から明清に至るまで、さらには20世紀の抗米援朝に至るまで、中国は何度も朝鮮によって戦争を強いられ、甚大な代価を支払ってきたのだから、できるだけ早く放棄するのが得策だと主張するものもいる。
今日的な試点で以て歴史の是非を評価するのは明らかに誤りだし、偏っている。中国と朝鮮はかつて朝貢関係にあり、朝鮮に内乱が起こり、外敵を防ぐ上では、中国が手をこまねいて傍観するわけにはいかなかった。抗米援朝に関して言えば、当時は東西両陣営の対決がはっきりしていた時代であり、しかも戦火が門口まで押し寄せてきていたのであるから、中国としては出兵する以外にどんな方法があっただろうか。
第四に、朝鮮は中国の改革開放政策及び外交戦略に対して、陰でシノコノ言う一方、自分の鎖国と内政外交についてはこれ以上大切なものはないという態度であり、甚だしくは、対中友好及び中国の経験に学ぶことを主張するものを厳罰に処したのであり、このことは特に中国人の反感を買った(浅井注:この最後のくだりは張成沢処刑を指すことは明らかですが、環球網高級顧問(シニア・エディター)という党政府に極めて近い人物がこれほど明確に張成沢処刑問題を取り上げたのは、私は初めて見ました)。 しかし、これもまた「棄朝」の理由とはなり得ない。中国は善隣友隣の政策を奉じており、朝鮮を例外とするべきではないことは当然であり、ましてや朝鮮は国境を接し、関係も久しきにわたる隣国である以上なおさらだ。中国はまた、各国が自ら選択した発展の道と政治体制を尊重することを一貫して主張してきたのであり、この主張は朝鮮にも当てはまる。
特に指摘する必要があるのは、朝鮮を普通の国家と見なす必要があるということだ。今日、中朝双方は、イデオロギー、政治体制、国家統治戦略、外交戦略など様々な領域において、互いを自分とは異なる存在と見なしている。中国としては、大国としての矜恃をもって朝鮮を扱うべきであり、朝鮮が中国を傷つけることをしない限りは、朝鮮のことをことのほか意にかけたり、色眼鏡で見たりする必要はないし、どのような道を歩むかということは朝鮮のことなのだ。「棄朝」とか「擁朝」とかのことは今後も論じない方が良かろう。

<丁剛署名文章>
最近の環球時報に、中朝関係に関する観点の異なる2つの文章が発表された。一つの文章は朝鮮を「放棄」するべきではないとするものだ。中国が朝鮮を「放棄」すれば、アメリカは朝鮮戦争当時でも得られなかった戦略的利益を改めて手にする可能性があると言う。
もう一つの文章は、今の中国には「棄朝」という問題は存在しないとする。中朝の国家関係及び党関係は、正常な国家及び党際関係という基礎の上で営むべきだ。支持すべきは支持し、反対すべきは反対するのであり、朝鮮を「懐柔」することもなければ、「放棄」することもないと言うのだ。
この二つの文章が発表されたことにより、中朝関係に対する人々の関心が再び高まっている。前者はアメリカの戦略にどう対処するかに基づいて提起された議論であり、後者は国家政府レベルからのみ対朝関係を見ている。しかし両文章は朝鮮の人々の利益に対してあるべき考慮という要素を見逃している。
朝鮮などの周辺国家の問題を観察する場合、中国の利益を守るという出発点に立つことについては何も間違っていない。しかし、中国の利益をより良く守るためには、周辺国の人々の利益についてもっともっと考えを及ぼすべきである。
朝鮮においてなお一部の人々が飢えや飢饉の脅威に直面しているというのに、我々はのんびりと朝鮮を「放棄」するべきだとか、中国の周りにアメリカと駆け引きするための戦略的障壁を作るべきだとか論じている。ちょっと尋ねるが、仮にそういう障壁を作ることができるとしても、それは堅固なものでありうるだろうか。
アメリカは今、軍事同盟関係に依拠してアジアでリバランスとやらをやっている。この戦略が引き起こしている問題は、中国を狙い撃ちしているという一面だけではなく、より大きくは、アジア諸国をしていずれかの側に立つという選択を強いており、アジアの共同発展を阻害している。アメリカのこの戦略が自己崩壊するようにさせるためには、我々としてはアメリカの敷いた土俵で相撲を取るばかりでは埒が明かないのだ。中国の経済的実力の上昇に伴い、中国の軍事力が向上するのは必然の成り行きだ。世界的に、軍事的に中国とバランス争いをしようとする国があるとしても、それはますます不可能になる。この点について我々は自信がある。
アジアの秩序を新しく構築する上でのカギは、アジア諸国が運命共同体を形成することができるか否かにある。その帰趨を決めるのは、中国がいかにして、周辺の発展を図る大戦略を通じて共同の繁栄を確保することができるかということだ。アメリカがさらに多くの軍事力を投入して中国の台頭に対する戦略バランスを実現しようとするとき、我々がするべきことは、平和発展の分け前を不断に周辺にまで広げていくことだ。
過去においてこう考えるのは、実力がまだ足りなかったから、理想主義的に過ぎたかもしれない。今は違う。中国の高速鉄道は東南アジアに延びようとしているし、アジア・インフラ投資銀行はすでに起動している。さらに遠い南太平洋の島国に対しても、中国は資金を提供して気候の変化に対応する援助をしている。
試みに、中国の援助のもと、朝鮮がさらに開放され、朝鮮の人々が中国や韓国の人々と同じ生活を過ごすことができるようになることを考えて見ようではないか。アジアの他の国々の人々は中国をどのように見るだろうか。逆に、朝鮮の人々の生活が韓国の人々からひどく立ち遅れたままならば、アメリカの弄ぶ勢力バランス戦略がどうして崩壊させられるだろうか。
対朝鮮関係の問題に関しては、我々の戦略はもっともっと朝鮮の人々の実際の生活水準を考慮し、どうしたら朝鮮が改革開放を通じて経済を引き上げ、アジアの発展という主流の中に溶け込むことができるかをもっともっと考えるべきだろう。
中国はこの地域の核心的な国家であり、中国が周辺との関係を発展させるときには、周辺国の人々の利益に立脚する政策を増やすことであり、それが積み重ねられることにより、中国と共に発展していこうという人々の確信も生まれ、そこからアジア新秩序の民意という基礎も形成されるだろう。