日中間の合意文書

2014.11.09.

11月7日に、中国の楊潔篪国務委員と日本の谷内正太郎国家安全保障局長との間で会談が行われ、合意文書が発表されました。今回の日中合意を手放しで喜んでいるのはアメリカです。
ホワイト・ハウスのNSCアジア担当補佐官のEvan Medeirosは7日、日中合意なかんずく危機管理メカニズムをつくる合意部分を歓迎すると述べ、アメリカはそういう措置を講じることを何度も日中両国に慫慂してきたとつけ加えました。国務省のサキ報道官も同日、世界の3大経済大国の二つである日中関係は地域だけではなく世界の平和と繁栄に影響を及ぼすとして、日中合意に歓迎の意を表明しました。
アメリカにとっては、その世界軍事戦略遂行上不可欠の日米同盟を強固にする方針(そのためには日本の集団的自衛権行使が不可欠)ではあっても、「たかが岩礁(尖閣)のために日中の軍事衝突に巻き込まれるのはまっぴらゴメン」というのがホンネです。ホワイト・ハウス高官の上記発言はアメリカ側の安堵感を包み隠さず反映していると言えるでしょう。
正直言って、私もこれほどの内容の日中合意が今回の谷内訪中で発表されるとは想像していませんでした。後で紹介しますが、8日付の環球時報社説が「4点の共通認識は中日間の意外なブレークスルー」という見出しを掲げたことに見られるように、中国国内においても大きな驚きをもって受けとめられたことが窺えます。
以下で詳しく見るように、日中の発表文はまったく同じであるわけではありませんし、同じ内容の部分でも字句上の微妙な出入りが散見されます。そういうこともあって、中国側の受けとめ方は総じて、「大きな前進への第一歩、しかし、中日関係が今後どのように展開するかは日本の誠意次第」とまとめることができるでしょう。
以下では、日中合意文書の内容を紹介した上で私が気づいたコメントを付し、その上で中国側の受けとめ方を紹介することにします。

1.日中合意文書の内容

<日中双方の発表文>

日本の外務省が発表したのは「日中関係の改善に向けた話し合いについて」と題するもので、その全文は次のとおりです(外務省WS)。

日中関係の改善に向けた話し合いについて
  日中関係の改善に向け、これまで両国政府間で静かな話し合いを続けてきたが、今般、以下の諸点につき意見の一致をみた。
  1.双方は、日中間の四つの基本文書の諸原則と精神を遵守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した。
  2.双方は、歴史を直視し、未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。
  3.双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。
  4.双方は、様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して、政治・外交・安保対話を徐々に再開し、政治的相互信頼関係の構築に努めることにつき意見の一致をみた。

中国外交部WSが公表した内容は、上記4点の合意内容に加え、楊潔篪と谷内の発言内容を紹介するものとなっています。8日付の環球網記事も、「中国側が発表した内容と異なるのは、日本の外務省WSが発表した内容には4点の共通認識に関する楊潔篪と谷内の発言が「欠落」していること」と指摘しています。その全文を翻訳紹介すると次のとおりです。文中の強調部分は要注目の意味です。

楊潔篪、日本の谷内正太郎国家安全保障局長と会見
中日は中日関係についての解決及び改善について4点の原則的共通認識を達成
  2014年11月7日、国務委員・楊潔篪は、釣魚島賓館において訪問した国家安全保障局長・谷内正太郎と会談を行った。
  楊潔篪は次のように指摘した。長期にわたる健全かつ安定した中日関係を発展させることは両国及び両国人民の根本的な利益に合致し、中国は一貫して、中日間の4つの政治文書の基礎の上で、「歴史を鑑とし、未来に向きあう」精神に基づいて中日関係を発展させることを主張している。周知の原因により、中日関係は深刻な困難な局面に持続して直面しており、最近数カ月、双方は外交チャンネルを通じて中日関係の政治的障碍を克服するために多くの協議を行い、中国は厳正な立場を重ねて述べ、日本が歴史、釣魚島などの重大なセンシティヴな問題を正視し、妥当に解決し、中国と共同して両国関係の改善と発展を推進するべく努力することを要求してきた。
  谷内は次のように述べた。日本は日中戦略互恵関係を高度に重視しており、大局に着眼し、中国との対話と協議を通じて共通認識及び相互信頼を増進し、不一致及びセンシティヴな問題を妥当に解決し、日中関係の改善プロセスを推進することを願っている。
  双方は、中日関係の解決及び改善について、以下の4点の原則的共通認識を達成した。
一、双方は、中日間の4つの政治文書の原則と精神を遵守し、中日戦略互恵関係を引き続き発展させることを確認する。
二、双方は、「歴史を正視し、未来に向きあう」精神に基づき、両国関係に影響している政治的障碍を克服することについていくつかの共通認識を達成した。
三、双方は、釣魚島などの東海海域で近年現れている緊張した情勢をめぐって異なる主張が存在することを認識し、対話と協議を通じて情勢の悪化を防止し、危機管理メカニズムをつくり、不測の事態が発生することを避けることに同意した。
四、双方は、様々なマルチ及びバイのチャンネルを利用して政治、外交及び安全保障の対話を段階的に再開し、政治的な相互信頼を作り上げることに努力することに同意した。
  楊潔篪は次のように強調した。双方は、的確に上述の共通認識の精神に従い、中日関係の政治的基礎を擁護し、両国関係の正しい発展方向を把握し、センシティヴな問題をこまめに妥当に解決し、実際的な行動によって中日間の政治的相互信頼を構築し、両国関係が段階的に良好な発展軌道を歩むことを推進するべきである。
  谷内は次のように述べた。以上の4つの原則的共通認識は非常に重要であり、日本は中国と同じ目標に向かって進むことを願っている。

<浅井コメント>

① 日中発表文内容が異なっているのはなぜか
  まず、中国側の発表文にある楊潔篪と谷内の発言部分が日本側発表文に欠落しているのはなぜかという疑問が起こります。私が注目するのは、楊潔篪の「歴史、釣魚島などの重大なセンシティヴな問題を‥妥当に解決」、「センシティヴな問題をこまめに妥当に解決」という発言部分と谷内の「不一致及びセンシティヴな問題を妥当に解決」という発言部分です(ちなみに私が「解決」と訳した箇所の中国語は「処理」であり、「解決する」という意味のほかに、日本語と同じく「処理する」という意味合いでも使われますので、谷内本人は後の意味合いとして発言したことは十分に考えられます)。
  谷内が「不一致」と「センシティヴ」とを使い分けたのは、おそらく前者については日中の立場が明確に異なる尖閣問題を念頭においたのでしょうし、後者については靖国を含む歴史認識問題を指しているのでしょう。
  その点はともかく、重要なことは、楊潔篪が一方的に主張しただけではなく、谷内自身も尖閣問題及び歴史認識問題の双方について「解決(処理)」を「願っている」と述べたことです。ところが、日本の外務省(そして日本政府)としては「日中間に領土問題は存在しない」という立場を崩したくなく、したがって上記谷内発言を日本側発表文に盛り込むことははなはだ不都合なのです。
  しかし、外交交渉における鉄則として、日中双方の発表文については互いに前もってチェックし合い、了承しあっているはずですから、谷内が以上の発言をしたことについて日本側が「そのようなことはなかった」と開き直ることはできないはずです(仮に日本側がそのような開き直りを今後するとしたら、今回の合意の基礎が崩壊し、中国側の対日不信はさらに高まることは不可避です)。政府・外務省としては、中国側発表文が日本国内で流布されることはないと高をくくり、対国内説明をもっぱら日本側発表文に依拠してやり過ごそうという魂胆だと思われます。
  現実に、8日付の朝日新聞によれば、外務省幹部は、「尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識」という「異なる見解」という部分について、「『緊張状態が生じている』にかかっている」とし、「尖閣の領有権をめぐるものではない」と説明し、「日本の立場が後退したとか損なわれたとかは一切ない」と強調したとあります。しかし、このような強弁は、中国側発表文にある谷内発言を踏まえれば成り立たないことは明らかだと言わなければなりません。

② 同じ内容の部分において表現の違いがあるのはなぜか
  日中の発表文の中で表現が異なる箇所に関しては、中国側が「中日関係についての解決及び改善について4点の原則的共通認識を達成」というタイトルにしているのに対して、日本側は「改善に向けた話し合いについて」というタイトルにしているところに双方の意図の違いが凝縮して表されていると思います。
  即ち、中国側は日中双方の重要な合意であること、したがってその内容が政治的な拘束力を伴うものであることを強調しようとしているのに対して、日本側は話し合いの中身を記録としてまとめたに過ぎず、したがって日本政府として政治的に縛られるような筋合いのものではないと言い逃れる余地を最大限残しておきたいという意図が丸見えだということです。
  そのことを端的に示すのは、次の諸点です。
  4点の性格について、中国側は「4点の原則的共通認識を達成した」としているのに対して、日本側は「以下の諸点につき意見の一致をみた」としていること。
  第2項については、中国側が「共通認識を達成した」であるのに対して日本側は「認識の一致をみた」、第3項と第4項に関しては、中国側が「同意した」であるのに対して日本側は「意見の一致をみた」と表現されていること。

2.中国側の受けとめ方

中国政府の公式な立場としては、8日に王毅外交部長が記者の質問に答えて、「昨日、中日双方は、現在両国関係の発展に影響を及ぼしている主要な問題を如何に解決するかについて4点の原則的共通認識を発表した。日本側が真剣に対応し、しっかりと遵守し、実行に移し、両国指導者の会見にとって必要かつ良好な雰囲気をつくり出すことを希望する」と述べたことが伝えられました(同日付外交部WS)。
  メディア及び専門家の反応も注目されます。メディア関連では8日付だけでも、人民日報社説「4点の原則的共通認識はしっかりと守り従う必要がある」、環球時報社説「4点の共通認識は中日間の意外なブレークスルー」、中国網所掲の国平署名文章「中日の共通認識達成は大勢の赴くところ」(「国平」は検索サイト「百度」によりますと、党政府に極めて近い筋のペンネームとあります)、人民日報所掲の賈秀東署名文章「4点の共通認識は日本の誠意を試す」、新華国際時評「行動によって中日関係改善を推進するべし」が掲載されています。また、専門家の見解としては、7日付の人民網が中国社会科学院日本研究所副所長・高洪、中国国際問題研究院院長・曲星、中国社会科学院日本研究所副所長・楊伯江のテーマごとの見解を紹介し、8日付の新華網も上記3名の見解を紹介しています。
  これらの文章の中では、国平文章が日中関係の先行きに対して極めて楽観的な見方を示している以外は、冒頭に私がまとめましたように、「大きな前進への第一歩、しかし、中日関係が今後どのように展開するかは日本の誠意次第」という見方で一致しています。そのことをもっとも端的に述べたのが人民日報社説の最後の文章で、「言ったことは必ず守り、行うことは必ず結果を伴わなければならない。これは、信義を語り、守る国家が請け合うべきことだ」とあります。
  環球時報社説は、今回の文書は靖国神社には直接言及していないが、「政治的障碍を克服する」ということは安倍首相の靖国参拝に対する束縛となるものであると指摘しています。また、釣魚島に明確に言及したことは中日間の文書では初めてのことであるとするとともに、釣魚島に関して「異なる主張が存在すること」を認めたこと及び危機管理メカニズムをつくることに合意したことも日本としては初めてのことだと指摘し、「日本側がこうした新しい姿勢を示したために、中国も積極的な姿勢で応えることが可能になった」と指摘しています。しかし社説は、安倍首相の価値観が変わる可能性は低く、今後は中韓に対する姿勢を緩和させるゼスチャーと国内で強硬姿勢を誇示することとのバランスを弄ぶだろう」と冷静です。結論として社説は、「中国はすでに歴史的に中日関係において戦略的主導権を握っており、このことについて我々はますます自信を深めているし、日本側もますますそのことを認識しつつある」と結んでいます。
  賈秀東署名文章はもっと率直です。即ち、「仮に日本側が再び4点の共通認識に違う行動をとるならば、中日関係に新たな衝撃を与えるだろう。…中日関係が本当に良性の発展軌道に乗っていけるかどうかは、日本が中国と同じ目標に向かって歩み、実際の行動で両国関係の改善に努力することができるかどうか次第だ」と指摘しています。

結論として、安倍首相の訪中の際に日中首脳会見または会談が行われることはほぼ確実になったとは言えるでしょう。しかし、それで「万事めでたしめでたし」ということではありえません。安倍首相としては、とにかく習近平との会見・会談が実現すればそれでOKという安易な気持ちかも知れません。しかし、その後に今回の合意に背く言動を重ねるならば、日中関係はさらに深刻な状況に逆戻りすることは避けられません。安倍首相にはそれだけの痛切な自覚があるかどうかを私たちは厳しく監視していかなければならないのです。