根本から見直す集団的自衛権―まだ何も終わっていない―(2)

2014.10.13.

4.安倍政権の外交・安保政策の問題点

 次に、安倍外交・安全保障政策の問題点という角度から、日本国憲法と集団的自衛権をどのように考えるかについてお話しさせていただきます。もちろん、先ほどお話ししたように、国家の自衛権ではなく人民の自衛権という理解に立ちますと、お話ししたい事柄はまったく違ってきます。しかし、現実問題として、日本国内における議論が日本という国家の自衛権の問題として扱われていますので、以下に申し上げますのは、その現実を踏まえて問題点を整理するということであります。

(1)内閣法制局の第9条拡大解釈

 まず、第9条についてであります。すでにお話ししたことのおさらいですが、第9条の制定当時、即ち1947年当時は自衛権そのものも保持しない、否定されるという認識、解釈を政府自体が明らかにしていました。しかし、1950年にその解釈はくつがえされ、1952年の対日平和条約及び日米安保条約となりますと、集団的自衛権も国連憲章上、国際法上認められている、しかし、日本国憲法第9条は認めていないということにされました。
  ところが内閣法制局はその後、第9条で認められるとする自衛権の中身を拡大解釈してきました。つまり、第9条で認められるとする「固有の自衛権」の内容を膨らませることによって、国際法上は集団的自衛権の行使以外の何ものでもない行動をも「自衛権の行使」の範囲内だと強弁してきたのです。
  一つは「後方地域支援」の問題です。いわゆる「後方支援」は軍事用語でいう「兵站」活動ですが、これは国際法上、軍事行動そのものです。日本の自衛隊が作戦活動しているアメリカ軍に対して行う後方支援は正真正銘の集団的自衛権の行使になります。
ところが法制局は、すべての後方支援が集団的自衛権の行使に当たるわけではないと強弁してきたのです。つまり、アメリカ軍が戦争をしている地域と明確に区別される後方地域でアメリカ軍に支援を提供するならば、それは憲法が禁じる集団的自衛権の行使には当たらない「後方地域支援」だと言うのです。要するに、集団的自衛権行使に当たる「後方支援」とその行使には当たらない「後方地域支援」とが区別されるという主張です。
しかし、このような珍妙な議論は国際法ではお目にかからない代物です。「後方支援」あるいは「兵站」という用語についての理解は国際法として定まっているのであって、国内的に憲法違反という批判を逃れるために「後方支援」と「後方地域支援」とを区別してみても、国際的には通用しません。
つまり、アメリカ軍と軍事的に対決している相手国からすれば、日本は掛け値なしにアメリカと「同じ穴の狢」であり、日本を軍事攻撃の対象と見なします。そのことに対して、日本としては集団的自衛権を行使しているつもりはないと弁解してもなんの意味もないのです。
「武力行使との一体化」あるいは「戦闘地域」という問題も同じです。日本政府としては、アメリカの軍事的要求に応えるという政治的要請を充たさなければならない。しかし、憲法第9条が禁じる集団的自衛権の行使には踏み込めないという法律的要件をも満足させなければならない。そのために法制局は、アメリカ軍の「武力行使と一体化」すると見なされる行動は集団的自衛権の行使として許されない。けれども、「武力行使と一体化しない」と認められる範囲内であれば、憲法上許されるとします。しかし、一体化すると「見なす」「見なさない」という議論は国際法上ありません。日本が勝手に線引きしたところでなんの意味もありません。
また、自衛隊をイラクに派遣するに当たっては、アメリカ軍が「武力行使を目的とする活動」を行っている「戦闘地域」に自衛隊を派遣することは憲法違反になるからできない。しかし、そういう戦闘地域と一線を画する「非戦闘地域」に派遣する場合は憲法違反にはならないとしました。自衛隊が派遣されるのは非戦闘地域だから問題がないとしたのです。しかし、自衛隊が派遣される地域が常に「非戦闘地域」である保証はまったくありません。有り体に言えば、戦闘地域は時々刻々変わっていくのは軍事常識のイロハです。
以上に見ましたように、法制局はいわば自家消費のための、国会論戦においてやり過ごすための屁理屈をこね上げて、国際的には集団的自衛権の行使とされる領域に際限なく踏み込んできたのです。なぜそういうことを法制局は無理やりしなければいけなかったのかと言えば、法制局としては、ポツダム宣言に基づき、憲法第9条が認めるギリギリの許容範囲は自衛権の行使までであって、集団的自衛権の行使(及び国連の集団安全保障措置への参加)はとうてい第9条のもとでは認められないということを認識してきたからだと思うのです。
もちろん、私の知る限り、法制局がポツダム宣言に基づく憲法解釈を口にしたことはありません。しかし、憲法をも縛るポツダム宣言の存在、及び同宣言を受け入れ、その各条項を誠実に履行することを約束した降伏文書という国際約束の存在を法制局が忘れるはずはありません。アメリカの対日政策の変更によってポツダム宣言はいわば「座敷牢」に入れられましたが、ポツダム宣言に基づいて徹底した非軍事化を国際社会に約束した日本の条約上の義務を履行する責任は今日もなお、そして将来にわたって続いていくのです。

(2)アメリカの対日軍事要求と安倍政権の解釈改憲

 アメリカの日本に対する軍事的要求は、1990年に起こったいわゆる湾岸危機を契機にして様変わりしました。なぜ湾岸危機以来なのかといいますと、1980年代までは米ソ冷戦が続いていて、軍事的な硬直状態が維持されていましたので、日米安保体制のあり方を見直す必要性をアメリカ自身が強く感じていなかったという事情が働いていたと思います。しかし、米ソ冷戦が終結して、ソ連の後に成立したロシアが弱体化し、中国も天安門事件で国際的に孤立するという状況のもとで、軍事的にはアメリカによる一極支配体制が生まれるとともに、国連安保理においてもアメリカをチェックする機能を営む国がなくなりました。そういう状況の変化が起こっている最中に湾岸危機が勃発したのです。
  同時にアメリカの国内事情にも重大な変化が起こっていました。即ち、1970年代からアメリカの経済力、財政力の衰えが進行し、湾岸危機・戦争に直面したアメリカは、世界最強の軍事力は持っているけれども、長期にわたる大規模の軍事力行使を単独で賄うことは困難になっていたのです。端的に言えば、例えばヴェトナム戦争、朝鮮戦争をやったようなときの国力はもはやないわけです。したがって、アメリカとしては同盟国、友好国を動員しなければまともな戦争をやれないという状況になったということです。このことが1980年代までの日米関係と1990年代以降の日米関係を徹底的に分けることになりました。アメリカとしては、日本にも戦争参加を求めるようになったということであります。
  具体的には、湾岸危機・戦争のときは「カネだけではなく、血も流せ」という要求が突きつけられて、日本国内ではいわゆる「軍事的国際貢献論」が登場し、1992年にはいわゆるPKO法ができました。そして1993年から94年にかけて起こったいわゆる「北朝鮮核疑惑」を受けて、ナイ・イニシアティヴから「日米防衛協力の指針」、つまり当時の新ガイドラインの作成につながりました。それを受けて周辺事態法もできます。それから、2001年の9・11事件、2003年の対イラク戦争に際しては、小泉首相がしゃかりきになって有事法制を推し進めました。
  若干乱暴なまとめ方をしますと、1980年代までの日米安保体制はアメリカによる日本防衛と東アジアに対する前方展開抑止を主眼とするものであったのに対して、1990年代以後の日米同盟体制は、日本防衛という性格が圧倒的に弱まり、東アジアひいては世界を睨んだ日米軍事同盟としての性格を顕著にしていくことになったのです。ということは、日米同盟が変質強化するということであり、まともな法治国家であれば、日米安保条約の改定手続を経て、主権者である国民の審判を仰がなければならなかったはずなのです。ところが、実際に行われたのはどういうことであったかと言えば、憲法違反の国内法を有事法制という形ででっち上げることによって、日米軍事同盟の変質強化を国内法的に担保するという仕組みをつくっていったわけです。
オバマ政権は、「アジア回帰」あるいは「リバランス」と名づける戦略を掲げています。その一つの重要な眼目は中国を抑止、牽制することにあります。この戦略を進めるに当たっては、アメリカとしてはますます日本の手助けを必要としています。オバマ政権が日本の集団的自衛権行使を積極的に支持するのは、そういう利害打算に立ってのことなのです。
  しかもアメリカは、すでに触れたことですけれども、アメリカの死活的利害にかかわる戦争は自らが主導して行うけれども、それ以外のケースについては手抜きをしたいと考えるのです。そういう場合には、NATO、日本などの同盟国にやらせる、あるいは国連にやらせるということを考えているのです。
  日米軍事同盟の変質と強化という問題を考える上では、NATOの動きを忘れることはできません。NATOは、ソ連の解体を受けた後の同盟のあり方を定めた新戦略概念を1991年に定めました。またその後も、その時々の実践を踏まえて、1999年及び2010年に新たな戦略概念を定めてきました。つまり、アメリカを中心とする同盟のあり方についてNATOで定式化し、それを日米同盟に持ち込むという形で、日米同盟の変質強化を進めてきているのです。ですから、私は、1990年代以後の日米同盟の変質強化を「日米同盟のNATO化」と言い表しています。要するにアメリカは、西のNATO、東の日米同盟を軸にして、アメリカ中心の世界軍事戦略体制を構築しようとしているのであります。
  安倍政権は、以上のようなアメリカの対日軍事要求、特にオバマ政権が求める集団的自衛権行使を可能にするために、憲法改正を行おうとし、それが現実政治として難しいことを踏まえて、第9条解釈改憲によってその実を挙げようとしています。そこで、すでにお話しした、従来の内閣法制局の憲法解釈という壁にぶつかるということであります。
もう一度前にお話ししたことのおさらいですけれども、法制局の第9条解釈は「固有の自衛権」のもとで認められる範囲を限りなく膨らませるという手法です。けれども、ポツダム宣言及びそれを体したマッカーサー・ノート第2原則の存在を無視できませんから、自分の国を守るのではなく、ほかの国を守るために武力行使を行う権利が認められるなどということは口が裂けても言えないわけです。ですから法制局は、集団的自衛権行使はだめ、国連の集団安全保障措置体制参加もだめと言わざるを得ないのです。
  ところがアメリカは、日本はアメリカのやる戦争、あるいはアメリカが手抜きしたい戦争にも積極的に参加できるようにしろと要求しています。それに積極的に応えようとする安倍政権が国内的に実現しようとしていることは、要するにいかなる武力行使にも参加することを可能にする解釈改憲を強行するということなのです。このようなオバマ政権及び安倍政権の動きは、戦争を違法化した国連憲章第2条4の趣旨を根底から突き崩すものであり、憲法第9条を完全に無意味化するものです。要するに戦争違法化という人類史の大きな流れに挑戦するものであることを、私たちは深刻に認識する必要があると思います。

(3)いわゆる「グレー・ゾーン」問題

 ここで、安倍政権が解釈改憲を正当化しようとする中で盛んに取り上げるいわゆる「グレー・ゾーン」という問題について少しお話しさせていただきます。 実はグレー・ゾーンという用語も、先ほど挙げました「後方地域支援」とか「武力行使の一体化」とかの問題と同じように、もっぱら日本国内でのみ通用させられているものであり、国際法上は「グレー・ゾーン」という概念はありません。
  国連憲章におきまして、いわゆるグレー・ゾーン問題を考える上で参考にすべき規定は第2条4と第51条であります。第2条4は戦争を違法化した規定であると申し上げましたが、規定の仕方としては「武力の行使を慎む」とされています。それに対して第51条では、「武力攻撃が発生した場合」には一時的な措置として個別的、集団的自衛権を行使することができるとしています。問題は、第51条に言う「武力攻撃」と第2条4に言う「武力の行使」の中身がピッタリ一致しない、さらに言えば、第2条4の「武力の行使」の意味するものは第51条の「武力攻撃」のそれよりも広いということです。
  具体的な問題としては、「武力攻撃に至らない武力の行使に対しては、誰がどう対処するのか」という疑問が起こるわけです。いずれの場合も、国連が最終的には集団安全保障措置を講じることで対処するという点に関しては問題がありません。問題は、武力攻撃に対しては、国連が集団安全保障措置を講じるまでの一時的な行動として、自衛権の行使が認められていますが、武力攻撃には到らない程度の武力行使に対しても自衛権の行使が認められるのか、ということです。
国際法の多数説は自衛権を行使することは認められないとします。これに対して、そういう場合も自衛権の行使は認められるべきだと主張するのがアメリカ、イギリス、イスラエルなどです。安倍政権あるいは歴代自民党政権はアメリカ、イギリス、イスラエルの立場に立っています。その点はともかく、武力攻撃に到らない程度の武力行使にどう対処するかが国際憲章上は問題になるということです。
この問題をいわゆる「グレー・ゾーン」として議論を提起したのが安保法制懇だったのです。報告書を丁寧に読みますと、法制懇が以上の国連憲章上の問題を明確に意識していることを読みとることができます。しかし、法制懇が「グレー・ゾーン」としてあげる具体例は憲章第2条4に言う「武力の行使」にはまったく当たらないものがあります。
  例えば、2013年の報告書が挙げている事例として、我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘回を継続する場合、あるいは海上保安庁が速やかに対処することが困難な海域や離島で船舶や民間人に対して武装集団が不法行為を行う場合というのがあります。これらは明らかに中国が念頭にあるわけですね。
  しかし、前者について言えば、潜っているだけですから、憲章第2条4に言う「武力の行使」に当てはまらないのは明らかです。無断で潜没航行するのは不法行為に当たるにしても、武力の行使ではない。それに対して自衛隊が出動して物理的に取り締まるなどということはあり得ません。万が一、自衛隊がそのような行動に出るとすれば、それこそが正しく第2条4で慎まなければならないとされた「武力の行使」に当たるわけです。
それから、武装集団の離島襲撃に関して言いますと、武装集団の行動に対して背後で国家が関与している場合には、「武力の行使」に当たる場合があるという国際司法裁判所の判決があります。しかし、ここでは国家が後ろにいる武装集団とは言っていません。例えば、香港の活動家たちが上陸しても自衛隊が対処すると言い出しかねないわけです。このようなことも「武力の行使」を一般的に禁じた国連憲章に違反するという批判を免れません。
このように、安保法制懇が提起したいわゆる「グレー・ゾーン」の問題は、以上に述べた国連憲章上の問題とは似て非なるものであると言わざるを得ません。その狙いは「中国脅威論」を鼓吹することによって自衛隊による武力行使の幅を際限なく広げようとすることにあるのです。このような発想は1937年の盧溝橋事件を彷彿させるものがあります。

(4)安倍政権の目指すもの

 以上は、安倍政権の安保政策と憲法問題に即してお話ししてきましたが、さらに進めて、安倍政権は最終的に何を目指しているのかという問題について、少しお話しさせていただきます。
国内的には、第一に、敗戦史観を皇国史観に改める、第二に、主権者が国家の上に立つという国家観を、国家が国民の上に立つという国家観に改める。それから第三に象徴天皇を元首天皇にする、第四に日本国憲法を自主憲法に改める、という四点に集約できると思います。そして、これらすべては自民党の改憲草案に入っていることであります。
  国際的にはまず、戦争違法化、つまり「力によらない平和」という人類史の達成した成果をひっくり返して、再び1945年までの「力による平和」を根底に据えるということです。
  もう一つは、歴代自民党政権が当然視してきた対米追随路線を改め、安倍政権としては可能な限り対米対等に持っていきたいということがあると思います。そういう姿勢が具体的にあらわれているのは、最近で言えば拉致問題をめぐる朝鮮との外交開始でありますし、あるいはロシアとの関係で、ウクライナ問題で対ロ制裁に同調せざるを得ないけれども、何とかプーチンとの間で話し合いの余地を残したいという、そういうあがきであります。
また、中国との関係に関して言いますと、アメリカは中国を軍事的に牽制することに主眼があるのであって、戦争はしたくないわけです。よく言われることですけれども、尖閣のような岩のためにアメリカが戦争するなどということはあり得ないということは、アメリカ国内では常識です。しかし、安倍政権はまさに尖閣問題で中国と軍事的に対決するためには、アメリカを巻き込みたいと考えています。
以上をまとめて言えば、安倍政権が目指しているのは戦後国際秩序、つまり具体的にはポツダム宣言を全否定するということであります。具体的には靖国問題、領土問題、憲法問題のすべてに関して戦後体制をひっくり返していくということです。

5.「中国脅威論」再考:私たちの思想的問題点を考え直す

 安倍政権がポツダム宣言を根底から否定し、戦後体制を根本からひっくり返そうとする動きを国内向けに正当化する材料として中心に据えているのはいわゆる「中国脅威論」です。そこでお話しの最後として、「中国脅威論」についてお話しさせていただきたいと思います。
実は前回「中国脅威論」についてお話ししたときには、「中国脅威論」の証拠とされて挙げられる具体的な事例について、一つ一つしらみ潰しに潰す内容のお話をしました。しかし、「中国は脅威だ」と思っておられる方には「のれんに腕押し」で何の積極的反応もないということを思い知らされました。
これは、私がこの2年来いろいろなところでお話しして実感したことでもあります。それほどに圧倒的に多くの日本人の頭の中には「中国は脅威だ」という先入主がどっかり座っていて、いくら事実関係に基づいてその先入観念には問題があることについてお話ししても、自分の頭の中で出来上がっている中国に対するイメージをチェックし直してみようと考えてくださる方はほとんどいないというのが私の実感であります。
  そこで私としては、そもそも何故にこれほど「中国脅威論」が国民的に浸透しているのかということを問い直すことが先決だと考えるようになりました。この過程ではいろいろ試行錯誤がありましたし、正直申して、「これだ」という結論に到っているわけではありませんが、「中国脅威論」がかくも広範に共有される根っこには、日本人特有の思考上、認識上の問題があるのではないかという思いを強くするようになりました。具体的には5つの問題があります。
  まず、私がもっとも重要な要素として考えていますのは、日本人の思想には普遍という要素が欠落しているという問題です。「普遍」というのは、要するに普遍的な価値とか、客観的な、俗的にいえば私たちの上に立って絶対的に存在すると認識される正義とか、価値とか、あるいは歴史的法則とか人類史的法則とか、そういうものを指します。
もう一つは歴史意識にかかわる私たち日本人の特殊性という問題です。具体的にいえば、時間という要素をどのように受けとめるかという問題です。
三つ目は、普遍という要素が日本の思想にはないことに基づいて、公と私についての日本人特有の受けとめ方が私たちの思考を支配してきたという問題があります。
  四つ目は、これも普遍という要素とかかわるのですが、日本政治思想史の丸山眞男先生が強調していた「他者感覚」という問題があります。
五つ目も普遍という要素とかかわるのですが、日本人の国際関係のあり方についての見方の特殊性という問題です。
以上の5つの要素のそれぞれについて、アメリカ、中国と比較した日本の特殊性についてお話ししたいのです。その比較に基づいて、「中国脅威論」の下地・底流としてとしてこれらの要素の働きがあるのではないかということをお話ししたいと思います。

(1)普遍という要素

まず普遍についてですが、日本の思想には普遍という要素がないのです。これは私の実感としてずっと持っていたことですけれども、日本思想史の相良亨先生は、著書『日本の思想』の中で、「普遍的な法則・秩序を客観的原理的に追究する姿勢が、日本には基本的傾向として欠落している」と指摘しておられます。これは何も相良先生が思いつきで発言したことではなくて、万葉集から江戸時代に至る日本思想にかかわる文献を猟涉された上で、日本には普遍という要素がないと指摘されているわけです。
  丸山眞男先生も「普遍の意識欠く日本の思想」という文章の中で同じことを指摘しています。「日本の知性は魔術的なタブーの前に実にもろい」、「普遍的なものへのコミットだとか、…個性の究極的価値という考え方に立って、政治・社会の諸々の運動・制度を…批判してゆくことが」できないと述べているのです。
普遍という価値尺度(モノサシ)がないと、まず自分自身を客体視する視点を持つことができません。つまり、普遍的なものに照らして自分をどう位置づけるかという、自らを対象化し、批判的に見るという知的な営みは生まれようがないわけです。日本人には「個」を持つ人が極めて少ないのはこのことに由来すると私は考えています。
  また、普遍的な価値尺度があれば、対象を主観的に判断するのではなくて、その普遍的な価値尺度に照らして、それが正しいのか間違っているのかということを判断しようとする知的な営みが可能になります。ところが、そういう普遍的な価値尺度がない日本人は、常に物事を自分に都合のいいように理解しようとします。主観的な判断が優先してしまうということです。
以上の二つの働き、つまり、自らを客観視できず、対象・相手に対しても主観的判断しかできないという私たちの思考が、「中国脅威論」を生む根っこにあるのではないかということを私は言いたいのです。
  それに対して、アメリカ及び中国の思想においては普遍の要素が備わっています。アメリカの場合はキリスト教の神であったし、今日的には普遍的価値(universal values)とされるものです。中国の場合、古代には天という絶対的な存在があると観念され、宋という時代からは理という絶対的存在に変わってくるのですけれども、とにかく、人間の上に立つ客観的正義があるとされてきました。ですから、アメリカ人にしても中国人にしても、普遍的な価値尺度が備わっているのです。
もちろんアメリカ人の間でも「中国脅威論」はあるし、中国人は「アメリカ脅威論」について考えます。しかし、それは日本人のような主観的な思い込みとしての、先験的な「中国脅威論」ではありません。彼らなりの客体認識を踏まえた「中国脅威論」であり、「アメリカ脅威論」なのです。

(2)歴史意識

 次に、歴史意識、あるいは時間に関する感覚という要素について考える必要があります。丸山眞男先生の定式をそのままお借りすると、日本人の歴史意識は「おのずから」「つぎつぎとなりゆくいきおい」という4つの要素によって成り立っているとされます。日本人にとっては今がすべてであって、過去も未来も日本人の意識においては重要な位置を与えられないのです。
常に今が出発点になる。過去の出来事が今につながっているという意識は働かない。ですから、「歴史に学ぶ」という発想は生まれない。過去はいわば「ひからびた事実」でしかない。また、私たちはよく「未来思考」と言いますけれども、それは未来において到達すべき理想に向かっていくという意味での未来思考ではなくて、あくまで「今の延長としての未来」を主観的に表すものでしかない。
  それに対して中国の場合は、「歴史を以て鑑と為す」という、過去によって現在を批判的に照射するという歴史意識・感覚があります。この歴史意識は欧州においても存在していることは、かの有名なワイツゼッカーの「歴史を忘れるものはその歴史を繰り返す」という言葉に示されるとおりです。
  この歴史意識の有無が、靖国参拝とか侵略戦争をどのように位置づけるかということについての日中の対立の根本的な原因となっているのです。日本としては、1972年の日中国交正常化の共同声明で過去について謝ったことで決着済みであり、事あるごとに歴史問題を騒ぎ立てる中国はけしからんという発想になります。しかし、中国からすれば、過去の侵略の歴史から何も学ぼうとしない日本は再びその過去を繰り返す危険があると考えるのです。
  アメリカはどうかといいますと、アメリカは何せ国ができてから300年しかたっていないために、歴史意識はまだ未成熟です。ですから、歴史問題をめぐって緊張する日中、日韓関係に対するアメリカの曖昧模糊とした態度を示すことになります。

(3)公と私

 三つ目の「公と私」という問題につきましては、まず「公」の方からお話しします。
歴史的に公の頂点に位置するのは、中国では皇帝、日本では天皇ですが、両者の位置づけが中国と日本とではまるきり違います。天理という普遍的な価値尺度・モノサシが存在する中国においては、皇帝といえども絶対的な存在ではありません。中国においては、天理に背いた皇帝は打倒することが当然であるとされてきました。ところが普遍的な価値尺度を持たない日本では、公としての天皇、お上は絶対的存在として立ち現れるのです。
  それでは「私」についてはどうでしょうか。日本においては、私というのは、公と私という支配・被支配の関係概念において位置づけられるに過ぎません。お上の目が光っているところでは個々人はかしこまり、萎縮する以外にない。ただし、お上の目が届かないところでは自分勝手に振る舞い、欲するままに行動する。それが日本でいう「自由」ということでありました。今日でも、日本では相変わらず「お上」意識が私たちをがっちり縛っています。
しかし、アメリカの場合、独立宣言に端的に表明されているように、個人としての「私」は、「公」としての国家・政府と独立しており、国家・政府が主権者である人民の意思に反する存在となるときは、これを変える権利を有すると位置づけられています。
日本とアメリカとの間のこの違いを考える上では、「公共の福祉」という概念について考えると分かりやすいと思います。アメリカにおいては、個人の人権は他者の人権、尊厳を傷つけ、犯さない限りにおいて認められるということが当然の了解としてあります。人権相互の調整原理が「公共の福祉」と日本語に訳されているpublic welfareなのです。
 ところが、日本にはパブリックという概念がもともとありませんから、public welfareの意味が理解できない。したがって有事法制を議論した国家の論戦では、政府側は「公共の福祉」とは国益のことと平然と言ってのけたのです。「公共」ということを伝統的な「公」つまりお上と考えていることがはしなくも露呈されたのです。
  中国には「天下の公」という概念があります。中国思想史の溝口雄三先生の著作『中国思想のエッセンス』によりますと、「天下の公」という概念の意味内容は歴史的な変遷をたどったわけですけれども、明、清の時代になって「人々の私を集合したもの」という意味において捉えられるようになりました。そこでは、自分が好き勝手にしていいということではない、他者とのかかわりにおいて自らの存在も考えなければいけないという認識が共有されるのです。そういう意味では、アメリカのpublic welfareと中国の天下の公という二つの概念は接近していると言えるのです。少なくとも日本人の「公と私」という関係概念の仕方とはまったく違うのです。
  私は、日本において理屈抜きの「中国脅威論」が強い背景には、「お上」に弱く、「個」が欠ける日本人の周りに流されてしまう傾向も強く働いているのではないかと思います。

(4)他者感覚

四つ目の他者感覚の問題ですが、中国には、丸山眞男先生が言いだした「他者感覚」に相応する「換位思考」という言葉があります。他者感覚というのは、歴史を研究する場合にも、あるいは国際問題を考える場合にも、あるいは対人関係を考える場合にも、常に働かせることが求められる感覚です。他者が物事をどのように考えているかを徹底的に理解してのみはじめて意味のある人間関係が成り立つし、相互理解に立つ国際関係も成り立つし、歴史問題に主観を持ち込んで恣意的に解釈する危険性から解放されるのです。
ちなみに、私たちはよく「相手の立場になって考えてみろ」と言いますが、それだけでは他者感覚を身につけているとは言えません。相手の立場に立ったとしても、自分の考え方、いわば頭の配線構造を持ち込んでいるとしたら、それはしょせん自己中心の考え方であることに変わりはないわけです。
他者感覚の他者感覚である最大の所以は、限りなく他者になりきる努力をする知的な営みということにあります。歴史問題を扱う時には、その時代の価値基準を踏まえて物事を考える。国際問題、例えば中国問題を考えるときは、中国人になりきる努力をし、中国人の価値観、思考回路に基づいて、彼らの目で物事を見る努力をするということです。人間関係においては、限りなく相手になりきる努力をして相手をその内側から理解するということです。丸山先生はこのことを「他者を他在において理解する」と表現しています。
  中国の場合は、皆さんは「中華思想の中国人がまさか」と思われるかもしれませんけれども、他者感覚に相応する換位思考ということにすごくこだわっています。日中関係を考える場合にも、彼らの目線で一方的に決めつけるということではなく、日本は何を考えているのか、日本人は何を考えているのかということを、彼らなりに一生懸命考え、理解した上で、その日本とどうつき合うかということを考えています。
  ところが日本人には他者感覚が欠ける人が圧倒的に多く、何ごとにおいても「自分が正しいに決まっている」わけですから、何かいざこざが起これば相手が悪いということになってしまいます。その具体的な表れが「中国脅威論」の横行ということになるわけです。
  アメリカの場合は、普遍的価値というモノサシを備えてはいますが、他者感覚に関しては、歴史意識と同じようにまだ未成熟です。と言うよりも、アメリカは自らの価値観が世界的に正しいものだと思い込んでおり、その価値観を世界に広めるのが自分の使命だと確信しています。そういう先入主が他者感覚を育むのを妨げているのだと思います。
  ただし、私はアメリカもいずれ、イギリスが1957年に世界帝国の夢を捨てたように、パックス・アメリカーナの夢から醒めるときは来ると思います。現実に、シリア問題、イラク問題、ウクライナ問題、そして南シナ海問題、東シナ海問題等々、世界の至るところでアメリカの世界戦略は行き詰まっていますし、アメリカの国力は確実に衰えていますから、アメリカが自己を再認識しなければならなくなるときが必ずや遠からず来ると思うのです。そのときにはアメリカの思想には普遍的な価値尺度の備えがありますから、他者感覚を身につける可能性は、普遍を欠く日本人より大きいだろうと思います。

(5)国際関係規律原理

 五つ目の国際関係規律原理に関しては、日本の場合は普遍的なモノサシがありませんから、自己中心の世界観しかありません。これを私は天動説的国際観と呼んでいます。その際の拠りどころはもっぱら「力」であり、「力=正義」ということになります。したがって、日本より力がある存在に対してはへりくだり、それに近づこうとするのです。江戸時代までは中国、明治維新以後は欧州列強、そして第二次大戦に敗れてからはアメリカというように。
アメリカの場合も、国際関係の規律原理の中心に座るのはパワーです。しかし、「裸の力」を信奉する日本と違うのは、アメリカなりの普遍的価値による裏付けを伴ったパワーであるということです。
このように力・パワーを中心にして国際政治を考える立場、つまり権力政治の発想から必然的に出てくるのが、いわゆる「脅威」認識です。日本の場合は「目障りな存在」である中国を脅威として捉える傾向が強い。アメリカの場合は、アメリカの世界支配に挑戦しかねない存在としての中国を「潜在的脅威」として捉えることになります。
  それに対して中国はどうかといいますと、国際関係規律原則の中心に平和共存5原則を置いています。中国は歴史的に中華思想の権化でしたけれども、その思想の中心に座っていたのは「武」ではなく、「文」でした。また、アヘン戦争以来、欧米列強に半植民地化され、国際社会における底辺に突き落とされた中国は、パワーの支配する世界・国際社会を批判的に見る目を養ったのです。そして、中華人民共和国成立以後、平和共存5原則というものを打ち出しました。その根幹に座るのは国際関係を民主化するということです。ちなみに、このような国際関係に関する見方を、私は「地動説的国際観」と名づけています。
それはまさに国連憲章にも具現化されている内容です。主権国家の独立・主権は尊重しなければいけない、内政には干渉してはいけない、武力行使をしてはいけない、対等平等な国際関係を営むべきだ、話し合いによって問題を解決しようということです。この平和共存5原則は中国憲法にも明記されています。したがって中国はあくまでアメリカのパワー、権力政治に対峙するものとして平和共存5原則を考えています。
  もちろん中国は大国になっている。したがって皆さんは、そんな口先だけのきれいごとではないかとおっしゃるかもしれないけれども、平和共存5原則を、例えばこの前プーチンが中国を訪問したときの中ロ共同宣言で明確に確認しているのです。むしろ中国、ロシアは、今の国際関係を「やくざの世界」にしかねないのはアメリカの支配であると警戒しています。したがって、国際社会を「やくざの世界」にしないために中国、ロシア努力していかなければならないという問題意識です。それが平和共存5原則ということになります。
  もちろん、中国においても、日本及びアメリカを脅威として捉える認識がないわけではありません。しかし、少なくとも中国からすれば、「喧嘩をふっかけてくる日本(及びアメリカ)」を警戒して、身構えるということです。中国は、権力政治の発想は国際的相互依存が不可逆的に進行する21世紀の国際関係規律原理としての意味を失っていることを強調し、平和共存5原則に基づく民主的な国際関係をつくっていこうと呼びかけています。
  したがって私が申し上げたいことは、「中国脅威論」ということを考えなければ気が済まない私たちの認識のほうに問題がある可能性が大きいということです。むしろ、中国の備えている物事の考え方は、客観的に言って、人類史の歩みに即しているということです。そういうことを改めて考えていただきたいと思います。

<終わりに>

 お話しのまとめとして、私たちの歴史意識における特殊性ということと私たちの憲法論のあり方の間にも関係があるということを指摘させていただきたいと思います。
私たちの歴史意識の特殊性、つまり常に今しかなく、今が出発点になってしまうということ、それが最初にお話しした、私たちが日本国憲法、集団的自衛権を考える場合にも憲法第9条が出発点になってしまって、ポツダム宣言が出発点にならないということの根底にあるのではないかと思うのです。なぜならば、私たちにとってポツダム宣言は過去のものであって、下手に触ると、いわゆる「押しつけ憲法論」とか、領土問題とかの都合が悪い問題が出て来てしまうからです。
  しかし、例えば領土問題をとりますと、ポツダム宣言の第8項は日本の主権の及ぶ範囲を本州、北海道、九州、四国に限定し、ほかの諸小島の帰属については連合国が決定すると明記しているのです。つまり、ポツダム宣言の当事国であるアメリカ、イギリス、中国、ソ連、今のロシアが決めたら、それで終わりなのです。 日本はそのポツダム宣言を終戦詔書で受け入れ、降伏文書でこの宣言に盛り込まれている条項を誠実に履行すると約束したのです。ですから我々にとっては固有の領土であろうとなかろうと、私たちが口出しすることではないのです。ポツダム宣言は、日本国憲法を考えるときのモノサシ、基準であるし、領土問題を考えるときのモノサシ、基準でもあるということです。
  今皆さんがいろいろ議論される西沙問題、南沙問題についても、ポツダム宣言及びその前のカイロ宣言に基づいてその帰属先を考える必要があります。ポツダム宣言を無視して作られた対日平和条約でさえ、日本は南沙、西沙についての権利を放棄すると規定しています。そして、日本が中華民国政府と結んだ日華平和条約の中で日本は、南沙、西沙に対する権利を放棄したことが確認されると規定しているのです。なぜ中国相手の条約にそれを書かなければいけないのか。それは南沙、西沙がずっと中国のものだったことを日本は認識しているからです。そのことに対してアメリカも何も言っていません。
  ですから、中国からすれば、もともと中国領である南沙、西沙の島々に、後からヴェトナムやフィリピンなどが勝手に侵入を試みてきたということなのです。中国・ヴェトナム、中国・フィリピン等のいわゆる領土問題というのは1970年代以降の産物です。
  ですから国連海洋法条約で中国は、歴史的、法的に明確にされている中国の権利については妥協しないという留保条項を入れています。中国にしてみれば、南沙、西沙でアメリカや日本がヴェトナム、フィリピンなどの肩を持つのはおかしいということなのです。私は、中国が主張していることに無理はないと思います。「中国の言っていることはけしからん」、「中国はやっぱり拡張主義だ、侵略主義だ」という議論の方が、国際法的に問題があるということを、私ははっきり申し上げておきたいのです。
このように、ポツダム宣言に立ち返れば多くの問題について皮を剥ぐように問題が見えてくる、論点が見えてくるのです。それは集団的自衛権の問題もそうであります。
  以上でお話を終わります。