集団的自衛権と平和憲法の背反性

2014.09.22.

*『広島ジャーナリスト』という雑誌に寄稿した文章です。

<集団的自衛権行使容認の閣議決定の意味>

解釈改憲に反対する側とこれに賛成する側とを問わず広く受け入れられている議論の出発点は、憲法第9条の解釈として集団的自衛権の行使が認められるか否かということにある。さらに具体的に言えば、固有の自衛権(国連憲章の表現では「個別的自衛権」)及びその行使は第9条において認められているとしても、集団的自衛権及びその行使も認められるのかどうか、という点をめぐって議論が闘わされてきた。
  なぜその点が議論の中心になっているかと言えば、憲法解釈の責任を担ってきた内閣法制局が一貫して、"憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきもの"であると解しており、"自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利"である"集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない" (1981年5月29日付政府答弁書)という憲法解釈をとり、歴代政府はこの解釈を採用してきたからである。
  しかし、その法制局が、歴代政府の必要に応え、様々なレトリックを弄して、国際法において集団的自衛権の行使とされる領域に踏み込むことを正当化する役割を担ってきたことを忘れてはならない。そういう'前歴'があるからこそ、安倍政権は集団的自衛権行使も憲法解釈を変えさえすればできるという安易な発想に走ることになったのであるから。
  法制局の'前歴'を二つの事例で見ておく。
  (海外派兵か海外派遣か) 政府は早くから、"武力行使の目的をもって武装した自衛隊を他国の領土、領海、領空に派遣する"海外派兵は憲法上許されないが、"武力行使の目的をもたないで部隊を他国に派遣する"海外派遣は憲法上許されないわけではない、という憲法解釈を行った(1980年10月28日付政府答弁書)。
  この解釈自体は集団的自衛権行使そのものとかかわるものではない。しかし、この政府答弁書では、国連軍への自衛隊の参加について、"(国連軍の)目的・任務が武力行使を伴うもの"であれば、自衛隊の参加は憲法上許されない、しかし、"国連軍の目的・任務が武力行使を伴わないもの"であれば、自衛隊が参加することは憲法上許されないわけではない、とも解釈している(この解釈に基づいて自衛隊のPKO派遣を正当化)。「国連軍」を「米軍」に読みかえれば、集団的自衛権の行使についてもこの解釈がそのまま当てはまることは見やすい道理だ。
  しかし、国際法上、「武力行使を目的とするか否か」によって軍事組織の海外出動の性格が異なるかどうかという議論自体が存在しない。自衛権行使と称して行動する米軍と自衛隊が行動を共にすれば、その時点で集団的自衛権の行使とされるのだ。上記政府解釈は日本語の世界(つまり国会)ではまかり通ってきたが、国際的にはまったく通用しない代物なのだ。
  (武力行使との一体化) 政府は、地理的な要因、自衛隊が行う活動の具体的な内容、武力行使を行っている米軍との関係の密接さ、協力する米軍がどのような活動を行っているかなど、4つの事情を総合的に判断して、米軍の武力行使と一体化していると判断を受ける場合には、集団的自衛権の行使に当たるという憲法解釈を行った(1990年5月21日の法制局長官答弁)。
  アメリカが対テロ戦争を起こし、小泉政権が対テロ特措法を強行成立させて対米軍事協力の実を挙げようとした時、以上の憲法解釈がネックの一つとなった。そこで法制局が編み出したのが、「武力行使と一体化する対米軍作戦支援活動」と「武力行使と一体化しない対米軍作戦支援活動」とに分け、前者は集団的自衛権行使に当たるので憲法上許されないが、後者は集団的自衛権行使に当たらないので憲法上許されるという解釈だった。
  しかし、国際法上、「武力行使と一体化するか否か」という基準そのものが存在しない。米軍の軍事作戦に対して兵站活動(後方支援)を行えば、そのこと自体が集団的自衛権の行使に当たるのだ。法制局は日本語の世界(国会)では言い抜けた(?)つもりかもしれないが、これまた国際的にはまったく通用しない代物だ。
  以上のように、法制局自体が集団的自衛権行使の領域に踏み込む'前科'、ハッキリ言えば解釈改憲を繰り返すという'前科'を重ねてきた事実を知悉しているからこそ、安倍政権はもう一歩憲法解釈を進めて、集団的自衛権行使そのものを有り体に容認して何が悪いのか、という発想であるに違いない。これこそが集団的自衛権行使容認の閣議決定の意味するものである。
  「憲法第9条の解釈上の限界はどこにあるか」という土俵を議論の前提として据える限り、安倍政権の暴走に対して待ったをかけることは、主権者・国民が次の総選挙で安倍政権の閣議決定を無効とする閣議決定を行う政権を登場させない限り、政治力学としては絶望的である。
しかし実は、このような土俵の設定自体が根本的に間違っている。憲法第9条の解釈はより大きな客観的要素によって制約されているのだ。その点に関する国民的認識が深まれば、安倍政権の閣議決定は本質的に違憲、無効であることが理解されるはずだ。

<平和主義と集団的自衛権>

それでは、憲法第9条の解釈を制約するより大きな客観的要素とは何か。それは、国際的な戦争違法化という人類史的な大きな流れを背景とするポツダム宣言である。戦争違法化への国際的動きは、第一次大戦が途方もない人的物的被害を生みだしたことに直面したことから、「政治の継続」として正当化されてきた戦争観の見直しに迫られたことに始まった。詳述する余裕はないが、国際連盟規約(第16条1)、不戦条約(第1条)を経て、第二次大戦に当たって米英首脳が合意した大西洋憲章(第8項)ははじめて「世界ノ一切ノ国民ハ…強力ノ使用ヲ抛棄スルニ至ルコトヲ要ス」とする信念を表明した。この信念を継承した国連憲章(第2条4)は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定することによって戦争一般を違法化した。
  しかし、第二次大戦を戦った連合諸国は、戦争を違法化するだけでは戦争を根絶することができると単純に楽観視したわけではない。彼らは、戦争の違法化を実効あらしめるためには、人権・デモクラシーを国際標準として確立すること及び侵略戦争を引き起こした国々・勢力の武装解除が不可欠と認識していた。大西洋憲章は、前者については「一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ選擇スルノ權利ヲ尊重ス」(第3項)とし、また後者については「斯ル国ノ武装解除ハ不可欠」(第8項)という認識を明確にした。
そして日本に降伏を迫ったポツダム宣言は、人権・デモクラシーの確立に関しては、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ。言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」(第10項)と要求した。武装解除に関しては、「無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコト」を主張し、「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」(第6項)としたのだ。
  我々が厳粛に想起しなければならないのは、日本はこのポツダム宣言を受諾し、その条項を誠実に履行することを約束することによってはじめて降伏が国際的に承認されたということだ。即ち、昭和天皇の終戦詔書はポツダム宣言を受諾し、連合国との間で締結した降伏文書は、「「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト…ヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス」とした。人権・デモクラシーの確立及び徹底した非軍事化こそは、敗戦・日本が実現すべき国際公約だったのだ。そして、その国際公約を遵守することは今日まで日本の国際的義務であり続けている。
  ポツダム宣言の履行の確保を目的とする占領軍は、直ちに日本政府に対して明治憲法に代わる新憲法の制定を要求した。ところが日本政府の設置した憲法問題調査委員会が作成して占領軍総司令部に提出した「憲法改正要綱」は、明治憲法の原理・原則には手をつけず、その字句を若干修正したもの(杉原恭雄編著『資料で読む日本国憲法』)で、明治憲法の焼き直しに過ぎなかった。
  これに対してマッカーサーは、「マッカーサー3原則」(第2項が戦争放棄、第3項が民主化にかかわる)とも言われるメモを渡して総司令部自らが改憲案を起草することを命じた。日本国憲法はこの改憲案に基づいて作成されたために、今日まで続く「押しつけ憲法」という批判を生み、「自主憲法制定」の主張の根拠とされている。しかし当時の日本政府がポツダム宣言の条項を正確に理解し、そこに盛り込まれた原理・原則(その中心が人権・デモクラシーの確立と徹底した非軍事化)を反映する憲法案を作成していたならば、占領軍による「押しつけ」はあり得なかった。
  以上を確認した上で、以下は本稿の目的である自衛権とのかかわりにしぼって話を進める。マッカーサー・ノートの第2原則は次のとおりだ。

  「国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。」

ここで留意するべきことは、「紛争解決のための手段としての戦争」だけではなく、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」をも放棄すると明確に指摘していることだ。後者は自衛権及びその行使を放棄するという意味にほかならない。憲法第9条は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定める。つまり、マッカーサーの第2原則における「紛争解決のための手段としての戦争」を放棄することは明確にしたが、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」については明記しなかった(後述するように、このことに着目した法制局が先に紹介した憲法解釈を行うこととなる)。
  しかし、当時の日本政府の責任者がマッカーサー第2原則を体して第9条を理解していたことは、吉田首相の衆議院における以下の答弁に明らかだ。

  「直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄しものであります。」(1946年6月26日)
  「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりと…認むることが有害である…。近年の戦争は国家防衛権の名に於て行われたることは顕著な事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以である‥。」(同年6月28日)

また、集団的自衛権に関してではなく国連の軍事活動に対する参加についてだが、それもあり得ないという認識を当時の政府は明確に持っていた。次の幣原国務大臣の貴族院での答弁で確認しておこう。

  「日本が国際連合に加入すると云う問題が起って参りました時は我々はどうしても憲法と云うものの適用、第9条の適用と云うことを申して、之を留保しなければならぬと思います。…何処かの国に制裁を加えると云うのに、協力をしなければならぬと云うような…註文を日本にして来る場合がありますれば、それは到底出来ぬ、留保に依ってそれは出来ないと云うような方針を執って行くのが一番宜しかろう。」(1946年9月13日)

憲法第9条の本旨を理解し、認識する上では、ポツダム宣言に由来する以上の制約を踏まえなければならない。もう一度確認すれば、第9条は紛争解決のための手段としての戦争を放棄したことはもちろん、自衛権及びその行使すら放棄したのである。そうである以上、国連の軍事行動への参加もあり得ないし、他国のために戦うことを本質とする集団的自衛権及びその行使はおよそ論外であることが理解されるはずだ。安倍政権の閣議決定は違憲、無効なのだ。

<法制局による自衛権「正当化」の論理と「集団的自衛権行使」に関する禁忌>

それでは、法制局が自衛権及びその行使は憲法第9条のもとで許されるとする論理を編み出したのはいかなる状況のもとであったのか。そしてすでに述べたように、国際法上集団的自衛権の行使以外の何ものでもない領域に踏み込む解釈を送り返しながら、「集団的自衛権の行使は憲法上認められない」という立場を堅持しようと最後まであがいてきたのはいかなる理由によるものか。結論から言えば、ポツダム宣言(及びそれを体したマッカーサー第2原則)とアメリカの対日政策・要求という真っ向から対立・矛盾する命題との両立を図る努力だったと言うほかない。できる限り簡潔にまとめておこう。
  日本が降伏した直後から米ソ冷戦は次第に本格化していった(1947年3月12日のトルーマン・ドクトリン)。当初アメリカは、蒋介石の中華民国政府をパートナーとして対アジア政策を行うことを考えていた。ところが国共内戦の結果1949年10月に中国大陸に共産党政権が成立し、アメリカの対アジア政策の根底が揺るがされることになった。こういう国際情勢の変化に直面したアメリカは、日本を反ソ反共政策のアジアにおけるとりでとして独立させる政策を追求することになった。アメリカはポツダム宣言の作成を主導した当事者であるにもかかわらず、同宣言は今や邪魔者となったのだ。ポツダム宣言に基づく日本国憲法特に第9条も、アメリカにとっては今や邪魔な存在となった。
  アメリカの対日政策の転換をもっとも端的に表したのが、「この憲法の規定は…相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の…権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」とした、1950年のマッカーサーの年頭の辞だった。それを受けて吉田首相は「国が独立を回復する以上は、自衛権の存在することは明らか」(1950年1月28日)と第9条に関する立場を豹変させた。
  政府のこのような解釈の変更を行うに当たって、法制局が依拠したのがマッカーサーの第2原則と第9条明文との間の懸隔、即ち「自己の安全を保持するための手段としての戦争」(自衛権及びその行使)の有無だったに違いない。つまり、法制局は第9条においては自衛権及びその行使の放棄まで明確に言及していないことを根拠に、自衛権及びその行使は憲法上認められている、とする解釈を導き出したのだろう。しかし、ポツダム宣言に基づく日本の徹底した非軍事化という命題のもとにおいては、"憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきもの"であると解しており、"自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利"である"集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない" (前掲1981年5月29日付政府答弁書)とせざるを得ない。
ところが、アメリカの対日軍事要求はその後も限りなく拡大し続けたから、法制局としては、日本政府がその要求に応えることを正当化するための憲法解釈を編み出すことを強いられ続けたというわけである。しかし、日本政府がポツダム宣言を遵守することは降伏文書に基づく国際公約である以上、政府のいわば法の番人たる法制局がないがしろにすることは許されない。したがって、集団的自衛権行使への踏み込みだけは絶対に避け、すべてを「自衛権の行使」という範疇の枠内で言い抜けるほかはないというわけだ。
我々は長い間、アメリカが戦後の対日政策を転換し、サンフランシスコ対日平和条約で日本が独立を回復した時点を起点として、憲法問題を考えることを当然視するようになっていた。しかし、憲法第9条の本旨を理解し、認識する上での起点はポツダム宣言にある。皮肉なことだが、ポツダム宣言の制約を片時も忘れずに第9条と向きあってきたのは法制局自身でもあるのだ。
さらにもう2点指摘しておかなければならないことがある。集団的自衛権行使は第9条上認められないとするものの中にも、第96条に基づく憲法改正手続を踏まえれば、集団的自衛権行使は可能と理解するものが少なくない。しかし、ポツダム宣言はあり得べき憲法改正の中身をも制約しているという本質を忘れてはならず、集団的自衛権行使を可能にするような条文を設けること自体がポツダム宣言に基づく日本の国際公約に違反し、無効だということだ。
もう一点は、今更ポツダム宣言を持ち出してもどんな意味があるのかという反論についてだ。実は、ポツダム宣言を忘れているのは我々日本人だけだということだ。アメリカが日本の領土問題について「立場をとらない」としているのは、ポツダム宣言(第8項)で日本の領土主権の及ぶ範囲について明確に定めており、アメリカとしても無視できないからにほかならない。中国、ロシア、韓国などは、日本がポツダム宣言に基づく国際約束を遵守すること、即ち平和国家に徹することを明確に要求している。ポツダム宣言・降伏文書は死文書ではなく、今日なお日本を法的に縛る国際条約なのだ。
しかも、今日の国際情勢は、米ソ対立が深まりつつあった1940年代後半と異なり、国際的相互依存が深まり、戦争違法化という人類史の流れに有利な方向に向かっている。百歩譲って、米ソ冷戦時代にはポツダム宣言の予定した東アジア国際秩序が理想主義的すぎたとしても、今日の国際環境においては、ポツダム宣言に基づく平和で安定的な国際秩序を現実的に展望する条件がますます備わってきているのだ。ということは、日本が憲法第9条に基づく平和国家に徹することが極めて現実的選択になっているということである。
最後に、「集団的自衛権」及び国連の軍事活動についても簡単に説明しておく。集団的自衛権という国際法上の概念は、国連憲章(第51条)ではじめて登場した。憲章上は「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とされているが、正確には憲章で創設された権利である。
なぜこの権利が設けられたのか。それは憲章自らが戦争を違法化したことと密接にかかわっている。戦争の違法化は人類史の流れに即したものであることはすでに述べた。しかし、憲章作成時(1945年)には米ソ対立が決定的となっており、相互不信の高まりのもとで、戦争が違法化されるまでは天下公認だった軍事同盟を、戦争が違法化されたもとでも作ることを法的に正当化する根拠(有り体に言えば「法的抜け道」)を設けておく必要性が認識された。その法的根拠が集団的自衛権である。
憲章上は、違法化された戦争に訴える行為(武力攻撃)を第一義的・主体的に取り締まる役割を担うのは国連(安全保障理事会)だ。これを集団安全保障措置・体制という。個別的又は集団的自衛の固有の権利を行使することは、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」(第51条)に限って一時的に認められることになっている。
国連憲章上の集団的自衛権行使の以上の本質を踏まえれば、法制局が、その行使は憲法第9条のもとで認められないとすることがごくごく当たり前で、当然であることが理解される。また、ポツダム宣言に基づいて徹底した非軍事化を国際的に約束した日本は、たとえ国連の軍事活動であってもこれに参加する余地がないことも当然のこととして理解されるはずだ。法制局が集団的自衛権行使及び国連の集団安全保障措置に対する禁忌を自らに課すべく必死になってきたことは、ポツダム宣言という日本国憲法の原点に立てばしごく当然のことである。

<終わりに>

私が広島を離れてすでに3年以上になる。新聞報道で、今年の平和宣言において集団的自衛権行使の問題に触れるかどうかが問題となり、最終的にこの問題には触れないと市長が決めたという経緯があったことを知った(新聞報道なので、どこまで正確であるかは知らない)。私の受けた第一印象は「広島は相変わらず何も変わっていないようだな」ということだった。しかし、変化も感じた。安倍首相と会見した被爆7団体が集団的自衛権行使に対する反対を正面切って安倍首相に提起し、けんもほろろの対応をした首相の態度に坪井氏が怒りを露わにしたという記事を読んだ。
  広島の周囲の状況にも大きな変化が押し寄せているようだ。今朝(8月29日)のNHKのニュース報道で、岩国基地が嘉手納を抜く日本最大の米軍基地になろうとしていることを伝えていた。呉の海上自衛隊基地は、アメリカの中東における軍事活動を「支援」する日本最大の拠点となって久しい。しかし、このような日米軍事同盟強化の動きに対する広島の動きについては東京の片隅にいる私には何も聞こえてこない。
  しかし、広島だけを責めるのは酷だとも思う。広島にいる時から、「広島は日本の縮図だ」という認識を深めたが、その認識は、安倍政権の暴走に待ったをかけることもままならない日本の現状を前にしてますます深まるばかりだからだ。
  だが、こうも思い直す。日本のマスコミが安倍政治に対してまっとうな批判もできないままでいるのに、集団的自衛権行使に反対する世論が過半数を上回る状況が出てきている。それは被爆7団体の安倍首相に対する異議申し立てと同じ水脈なのではないのか。こういう世論に対して、以上に述べた私の問題提起が届くならば、もっと状況は変わる可能性があるのではないか。ということで、『広島ジャーナリスト』本号ができるだけ多くの読者を獲得することを願っている。