中日関係のあるべき形(環球時報社説)

2014.09.05.

全国人民代表大会(日本の国会に相当)が2月に9月3日を抗日戦争勝利記念日と決定してから最初となる、文字どおり国をあげて行われた記念行事及びそこでの習近平主席の演説は、中国の対日認識・政策の所在を明らかにするものでした。習近平演説の中身には特別驚くような意外性のある中身は含まれていませんが、尖閣問題を契機に最悪の状態に陥ってきた日中関係(その原因と責任は優れて日本側にある)が中国側をしてこのような行動をとらしめるに至ったということは、安倍政権の責任の重大さを余すところなく示すものだと思います。しかも中国は、明2015年には反ファシズム戦争勝利及び抗日戦争勝利70周年の大々的な国際的行事を行うことについてロシアと最高首脳レベルで合意しているわけですから、今回の行事は今後一年間続く対日キャンペーンの出発点であるということなのです。
  今回の自民党人事で、中国との関係を重視する谷垣幹事長及び二階総務会長が登場したことを以て日中関係に変化が生まれることを期待する論調・観測が出ていますが、日中関係改善の前提条件として中国が提起しているのは安倍政権(特に安倍首相自身)の歴史認識と領土問題(両者に通底するのがポツダム宣言)である以上、谷垣及び二階両氏がこの問題について凝り固まった立場の安倍首相に対して中国が納得するだけの「再考」を迫ることがない限り、日中関係が改善に向かう可能性は皆無だと思います。もちろん、習近平主席がAPEC首脳会議に出席する安倍首相と外交儀礼として会見・会談に応じる可能性はないわけではないと思いますが、その際の発言は厳しいものとなることは必定で、日中首脳が会見・会談するという事実だけを以て「日中関係が改善される」と早とちりするのは大間違いというものです。
  9月3日には日本問題にかかわる多くの文章が現れました。私は特に、①中国のナショナリズムは日本によって火をつけられた「受け身的ナショナリズム」であり、中国ナショナリズムが膨張するかしないかはひとえに火付け役である日本の対中姿勢・政策にかかっていると指摘した王柯署名文章(9月3日付環球網に転載された雑誌『文化縦横』所掲論文)、②日本及び国際社会(特にアメリカ)は、抗日戦争で犠牲になった中国人の尊厳を冒瀆していること、戦勝国である中国の立場を尊重していないこと、戦争体験に基づいて平和を守る固い決意を固めている中国の立場を認めていないこと、中国の領土主権をしきりに侵犯していること、抗日戦争勝利記念行事を対日政治キャンペーンとして歪曲すること(ノルマンディ上陸作戦にかかわる西側の取り組みと対比)の5点を指摘した李宗遠署名文章(同じく9月3日付中国網所掲。李宗遠は中国人民抗日戦争記念館副館長)に、私自身の認識の盲点を衝かれる思いを深くしました。
  また、9月3日付環球時報社説「中国は日本との戦争に勝利したが、日本には敗戦したことを認識させなければならない」は、「日本は完膚なきまでに打ちのめされた国家か、戦略的能力において日本よりはるかに優る国家以外には尊敬を払わない」国家であるという認識に基づき、「中国の力と規模が、日本としてはもはや中国にチャレンジすることはできないと確信させる時にのみ、半世紀以上前の抗日戦争について改めて終止符を打つことができることになる」として、中国の自強のみが日本の対中認識の根本的変化を導き、平和で安定した日中関係を新しい基礎の上に築くことが可能になるという主張を行っています。
  このような醒めた対日認識は、私が中国で勤務していた30年以上前には想像もできないことでした。中国人はとにかく戦略的思考が遺伝子に組み込まれている民族なので、当時の中国人は日本人もそうであるに違いないと思い込み、日本の対中政策はどのような戦略的判断に基づいて組み立てられているのかという質問を、意見交換の度に私にぶつけてくるのでした。私が残念ながら日本外交には戦略的思考は欠落しているのだといくら説明しても、彼らはまったく納得しなかったのです。
  そういう昔のことを記憶している私からすれば、この環球時報社説に現れている冷め切った対日認識は正に隔世の感があります。しかし同時に、国交正常化以来数十年の対日経験の蓄積、特に2010年の中国漁船衝突事件以後の日中関係の険悪化と、歴代政権(民主党及び自民党)の(中国的感覚では)理解不能な対応を目の当たりにして、中国人の対日認識が研ぎ澄まされてきたことを実感するのです。
  ということで、環球時報社説の内容を紹介しておきます。

  今日は中国人民の抗日戦争勝利記念日だ。これは厳粛で、中国民族にとって万感の思いを致す日である。…抗日戦争が我が民族と国家をして肝に銘じさせることは三つだ。一つは、戦争は極めて残酷であり、数千万人がなくなったこと。第二は、侵略者が海を隔てた中国人よりはるかに規模の小さい民族であったということ。第三は、あの戦争の余韻は今も消えておらず、日本は戦争に敗れたけれども、日本は不断にあの戦争の歴史について中韓に対して挑発を行い、「敗れはしたがなお栄える」という傲慢さを示していること。
  中国は近代に入ってひたすら衰亡の一途をたどり、苦難を嘗め尽くし、日本の中国に対する全面的侵略は中華民族の近現代の悲劇の頂点となった。落伍ということが何を意味するのか、20世紀3,40年代に日本人が我々に教えた。…
  中国は国際的な反ファシズム陣営と一緒になって日本を破ったが、日本人は中国が真の勝利者だと認めたことは一度としてない。彼らはアメリカに負け、ソ連にも負けたことを認めたが、中国と韓国に対しては負けを認めようとしない。中韓両国及び両国人民の第二次大戦の結果にかかわる様々な要求に対して、日本は一貫して馬鹿にする態度をとってきた。
  中国が抗日戦争の勝利を徹底するためには、明治維新以来の日本社会の中国に対する認識を徹底的にひっくり返させ、我々が主要な分野において日本に対して圧倒的な優位にあるようにしなければならない。日本は完膚なきまでに打ちのめされた国家か、戦略的能力において日本よりはるかに優る国家以外には尊敬を払わない国家である。日本がアメリカの今日に至る軍事占領下でかくも従順であること、日本が古代唐朝及び近代欧米文明の前において下に立つことに甘んじたことは、日本がそういう国家であることを説明する。
  抗日戦争勝利69年を経て、歳月の移り変わりを経験した中国はもはや昔の中国ではない。今日における中日の総合力比較においては歴史的な逆転が起こっており、中国は再びアジア最強の国家となった。ただし、日本はテクノロジーなどの核心的分野でなお優勢を保っており、日本には中国に対する危機感と優越感とが共存している。日本はなお中国を「唐朝」と見なすことに甘んじておらず、中日間の地縁政治上の競争は激化している。
  中国としては、米露のような「日本をやり込める」やり方で対中認識を改めさせる方法をとる必要はない。そういうやり方で国際的な衝突を解決する時代はもはや過去のものだ。しかし中国は、自らの力量の建設を通じて日本に対して大国としての威厳を確立する必要がある。中国の力と規模が、日本としてはもはや中国にチャレンジすることはできないと確信させる時にのみ、半世紀以上前の抗日戦争について改めて終止符を打つことができることになる。
  中日は最終的には友好であるべきだ。歴史が明らかに示すように、中国が強くて日本が弱い時の友好はアジア地域に平和と安寧をもたらすことが多い。中日両強並存というのは一種の一時的な状態で、バランスを打ち破ろうとする激烈な競争が不可避的となる。日本が強くて中国が弱い状況は東アジア地縁政治にとっての悪夢であることがすでに証明済みだ。
  一世紀以上にわたる中国の衰退は多くの後遺症を残し、中国が復興するからといって往時のすべての権利が元通りになるということを意味するものではない。日本に対しても、我々は将来にわたる競争の中でその「投降」を求めるべきではない。我々が求めるのは、日本が理性的に真の平和国家になることであり、アメリカを助けて中国の戦略的利益を損なう手先とはならないことだ。中国としては、日本が中国の台頭を拒絶する意思を実力で圧倒する必要があり、そうしてのみ中日友好は真新しい基礎を獲得することができる。
  中国としては日本を憎む必要はないのであって、日本をも自分自身をも正確に認識し、今日中国がどうして日本に対して「きちんと対応できていない」のかを知り、日本が長期にわたる友好的隣国となるためには中国としてはいかなる努力を行う必要があるのかを知ることが、中国にとってはもっと重要なことなのだ。