8月15日:中国側論評

2014.08.19.

日本の8月15日に際して、中国外交部の華春瑩報道官は、日本の一部閣僚が靖国参拝を行い、安倍首相が玉串料を奉納したことに対して断固反対するとした上で、「靖国神社問題の本質は日本政府が過去の侵略の歴史を正確に認識して対処することができるか否か、アジア被害国人民の感情を尊重できるか否か、これまでに歴史問題で行ってきた態度表明及び約束を厳守することができるかどうかということである」と述べ、「日本が過去の侵略の歴史をしっかりと正視し、深刻に反省し、軍国主義と徹底的に決別することによってのみ、中日関係は健康的かつ安定的な発展を実現できる」と指摘しました。また、中国全国人民代表大会が2月に9月3日を抗日戦争勝利記念日と確定したことに関して、「中国はその日に記念活動を行うことになっており、そのための準備が順調に行われている」ことも紹介しました。
  また、8月15日付人民網(WS)は、日本の政治家の靖国参拝問題に関して、中国外交部が2014年だけでも13回態度表明を行ってきたとして、その内容を改めてまとめて紹介する記事を流しました。
  8月15日から16日にかけて、私の目にとまった中国側の論評としては次のようなものがありました。ちなみに、鐘声文章が15日及び16日と続けて出ることはまれなことです。

(8月15日付)
◯環球時報・社説「8月15日 安倍が参拝しないことを以て善意を云々できない」
◯人民日報・評論員(曹鵬程)「速やかに責任を担ってのみ日本は『正常な国家』となる」
◯人民日報・鐘声「勝利は正義に属する 日本は戦争の道に再び戻ることを警戒すべし」
◯解放軍報・袁楊(軍事科学院)「日本は歴史の轍を踏むかも 中国は十分な準備をすべし」
◯中国青年報・社説「8月15日の日本投降記念 侵略者をやっつけるテレビドラマにとどまっていることはできない」
◯新華社・記事「『投降の玉音放送』という証拠」
◯新華社・記事「8.15 平和を記念するために」
◯人民日報・趙剛(中国社会科学院日本研究所)「『8月15日』 忘れることのできない記念のために」(人民日報・日本語版WSに掲載あり)
◯中国網・周成洋「中日関係の困難のポイントは日本にある」
(8月16日付)
◯人民日報・鐘声「正義に対抗する結果は失敗のみ」
◯人民日報・沈丁立(復旦大学国際問題研究院副院長)「靖国神社はなぜ日本の政治ショーの場になるのか」
◯人民網・記事「安倍の8月15日の不参拝≠侵略戦争に対する反省」
◯新華社・国際時評「安倍挨拶が放った危険信号」

これらの論評の中で、他者感覚を存分に働かせていることが手に取るように分かり、冷静な内容という点でももっとも読み応えがあったのは8月15日付の環球時報社説でした。こういう冷静な内容の文章は今の日本ではまずお目にかかることができないものだと思います。要旨を紹介します。

  今日は8月15日、日本の投降日であり、日本のナショナリストが態度をひけらかし、人々の注意を引きつける典型的な日でもある。日本の首相はこの日に靖国を参拝するか。この問題は今や東北アジアの地縁政治において人々を不安にさせる懸念事項となっている。安倍は今年靖国に行かないと前々から洩らしていたが、世論は彼がお供えをするだろうとみている。日本では、このことが安倍の中国に対する善意の表明であり、安倍としては北京で本年行われるAPEC会議の期間中に中国の指導者とバイの会合を実現することを期待しているというふうに受けとめている。
  歴史にかかわる争いは今やすでに中日間の消耗戦となってしまっている。この争いは、両国の交流において積み重ねられてきた友好的な要素をほとんど呑みこんでしまい、中日間のその他の争いに対する認識及び感情に対して深刻な影響を及ぼしている。
  歴史にかかわる争いはもはや認識にかかわる争いではなく、中日の地縁政治における争いの中の重要な表れの一つとなってしまった。冷静に考えると、歴史にかかわる争いは中日両負けをもたらしている。中韓の国際的なメッセージ発信能力の高まりに伴い、日本の歴史にかかわる態度はますますその国際的イメージを傷つけ、日本の負い目はますます明らかになっている。しかし、歴史問題に関する世論戦で勝つために中国は大量の外交上の集中力と資源を消耗してきたし、中日が長期的に対立してきたことによって中国が他の分野で競争する自由度も弱められてきたことも事実だ。
  とは言え、中日間の膠着状態を短期的に打破する見込みはなく、仮に安倍が靖国問題で去年より「少しはマシな」態度を示したとしても、また、仮にAPECの際に中国の指導者が安倍と単独で会うとしても、中日関係というコチコチに凍りきった体がふたたびもぞもぞと動き始めることは至難なことだ。
  事実が示すように、中国が日本社会の歴史認識に影響を与えることはあり得ないし、日本としても、中国がアメリカと同じように歴史問題における日本の動きを成り行き任せにすべきであると納得するように仕向けることはできない。この問題をめぐる論争はもはや相手側を説得することを目標にしてはおらず、国際社会の支持獲得をめぐる世論戦になっている。中日が相手に対して行使できるのは今や実力だけになっている。
  歴史問題でイニシアティヴを握っているのはもともとは日本だった。というのは、靖国に参拝するかしないか、教科書を変えるか変えないか、政治家が南京大虐殺問題で言いたい放題をするかどうかということの最終的な決定権は日本側にあるからだ。しかし、中国は次第に日本の政治家の行動に対する懲罰規準を設けるようになり、日本がこうすれば中国はこう反応するというルール・オブ・ゲームがおおむねはっきりしてきて、その結果主導権のかなりの部分を中国が手中にすることになった。
  もう一つ極めて重要なことがある。それは、中国が日本との政治的膠着状態に適応することにより、中日貿易がこの膠着状態によって絞め殺されるという局面は出現しておらず、両国間の経済的及び人的往来はおおむね正常だということだ。中日の緊張した情勢は中国の戦略的な感覚を損ないはしたが、中国が蒙った損失は実際的には必ずしも大きくはなく、それを消化することもそれほど難しいことではない。そのことにより、我々は日本との対立を長期的に維持していく能力を身につけてきた。
  20世紀後半の2,30年の一衣帯水の友好的隣国が今日はライバルになったということは遺憾なことであるが、我々としてはこの思わぬ出来事を精神的に受けとめる必要がある。中国の台頭という事実はかつての中日関係の基礎的条件を変えたのであり、現段階において両国間の友好的感覚を取り戻すことは、中日のいずれも力がないし、そういうことを考える余裕もない。
  中日関係の基本的様相を変えることができる最大の変数は中国がさらに台頭することであろう。この要素は日本の対中親近感をもたらすことはあり得ないが、日本が中国と対決することによってどのような結果になるかについて計算することに対して影響を及ぼすことはできる。しかし、このことは少なくとも10年ないし20年というプロセスを経ることが必要であり、我々としては焦りは禁物である。
  中国は、最近の2,30年間において、今日の中日関係のような緊張した関係を他のいかなる大国との間でも経験したことはなく、畢竟するに不案内ということであり、ということは一定の不確実性があるということだ。しかしながら、波風も立てず、外部と対立もしないで台頭した大国はかつて存在しないのであって、日本がこの程度のライバルとしてこの時期に出現したということは我々にとって重要な意義があるのかもしれない。つまり、中国がグローバルな大国として歩んでいく途上において、自信及び忍耐という点で経験しなければならない鍛錬の機会を日本がもたらしてくれているのである。