日清戦争120周年(注目すべき中国側論説)

2014.07.28.

清朝中国が日本に敗れた日清戦争は中国では甲午戦争(甲午年に起こった戦争)と呼ばれ、甲午とは「国辱座標年」(7月25日付解放軍報所掲の解辛平署名文章)とされています。また、1894年とそれから2回目の甲午年である2014年については、前者が1840年(アヘン戦争)と1949年(新中国成立)の中間点、後者が1979年(改革開放政策の開始年)と2049年(新中国成立100周年)の中間点でもある(上記解辛平文章)という歴史的類似性においても注目されています。ちなみに、本年は盧溝橋事件(77事変)が起こった77周年にも当たりますから、歴史を重視する中国人にとってはことのほか歴史に思いを馳せる年であるのです。
特に7月25日は日清海戦で日清戦争が開始した日(両国が宣戦布告したのは8月1日)であることから、以下のような様々な文章が掲載されました。

◯人民日報「望海楼」文章「」中日甲午戦争120周年の啓示 戦争能力を備えて初めて戦争は阻止できる」(日本語訳掲載)
◯環球時報社説「甲午戦争の教訓をくみ取ることは容易なことではない」
◯人民日報「歴史を以て鑑と為す 警鐘を長く打ち鳴らそう」
◯新京報社説「甲午120周年 日本も歴史を以て鑑と為すべきだ」
◯新京報所掲の洪振快文章「甲午戦争の教訓 彼を知らざれば戦いに必ず敗れる」
◯人民日報所掲の呂岩松・呉綺敏・趙成・胡澤㬢文章「戦争と平和の弁証法を心に刻み込もう」
◯法制晩報所掲の程赤兵文章「失敗を記念することは再び失敗しないためである」
◯解放軍報所掲の解辛平文章「川の中央に到って水を打つ 甲午に再び巡り会って改革を論じる」
◯人民網・人民日報所掲の張軍社(海軍軍事学術研究所研究員)文章「甲午戦争120周年 日本右翼分子は再び中国に勝つことを期待している」
◯新華網所掲記事「120年前、日本は如何にして甲午戦争を通じて釣魚島をかすめ取ったか」
(以下は7月26日付)
◯新華網記事「歴史の硝煙を通り抜けた復興の道 中日甲午戦争勃発120周年祭」
◯解放軍報評論員文章「恥を知るは勇に近し 国民は自ら強くなるべし」
◯環球時報所掲の周永生(外行学院国際関係研究所口授)文章「日本人麻薬密売人処刑は政治化されるべきではない」

私が特に注目したのは最初の環球時報社説と最後の周永生文章です。

1.環球時報社説

環球時報社説はこのコラムでも度々取り上げてきましたし、ナショナリズムの色合いの濃い論説が多いのですが、この社説はむしろむしろ内省的な内容である点で出色だと思いました。

 今日は甲午戦争勃発120周年である。…中国は西洋に敗れただけではなく、軽蔑していた東洋の小国・日本にも勝てず、悠久の歴史によって支えられてきた中国人の優越感の惰性も急に終わることとなった。甲午戦争の完敗と領土割譲及び賠償支払いは中国社会を強烈に刺激し、人々ははじめて中国の落伍が全面的なものであることを悟った。…甲午戦争は東アジア地縁政治構造が書き改められる分水嶺でもあったし、日本はそれ以後東アジアの「一強」となった。甲午戦争後の東アジアにおけるパワー関係はその後長らく続き、最近になってようやく伝統的構造に戻る方向に向かっている。
 客観的に言って、甲午戦争の教訓及び経験をくみ取ることは簡単なことではなく、その点で中国も日本もともに同じである。中国はその後半世紀以上にわたる戦争と社会的混乱を経験し、国家は今ようやく徐々に踏みだそうとしている。日本は甲午戦争の勝利で極端に膨張し、対外拡張を開始すると収まりが効かず、遂には第二次大戦後期に世界大国の連合した打撃に見舞われて結局島国という原型に戻った。
 中国のこの100年以上の風雨はすべて甲午戦争と関係していると言うべきだが、我々のすべての見識を以てこの歴史の転換点を消化したかといえば、今もなお十分だとはとても言えない。中国の今日の歴史及び現実の地縁政治の方位をどのように見るか、甲午戦争の今日における我々にとっての「最大の意義がある教訓」は何かという点について、中国社会内部では様々な議論があり、共通認識などはとてもではないが語る段階になっていない。
 中国は新たな「甲午戦争」に遭遇する可能性があるだろうか。少なからぬ人がこの問題を提起している。当然のことながら、歴史の単純な繰り返しはあり得ないが、中国社会は相変わらず多くの不確定性に直面している。それらの性質とはいかなるものであるか、中国人の戦略的自信は何に基づいているかといった問題に関しても、世論は同じく意見がまとまっていない。
 甲午戦争または第一次大戦(本年は100周年に当たる)以前の歴史を以て今日の中国の境遇を類推するのは総じて幼稚だ。人類の政治的社会的構造にはかくも深刻な変化が起こっているし、物事の運行するロジックも異なる。甲午戦争は我々に突発的変化の可能性を告げているが、我々としては国家にとってのリスクの真実の暗証番号を解き明かすことも総括することもままならないでいる。
 今日の特徴は何かと言えば、中国は台頭しつつあるが、その台頭を邪魔する内外の要素は非常に多いということだ。甲午戦争の敗北は清朝を滅ぼしたが、世界には局地戦争で挫折を蒙った影響から脱した多くのケースが存在している。今の中国の力強い発展は国力を増強しているが、大量の問題をも生みだしている。これらのプラス及びマイナスの要素を相殺した後に国家が得たのは何であるのか。社会全体のレジリエンスは高まったのか、それともより弱まったのか。こういうことを考えるのはとても骨の折れることだ。
 日本列島は相も変わらず中国大陸の東北方向に位置しているが、日本はもはや中国の前途及び命運を決定する戦略的位置にはいない。当時の日本の位置にいるのはアメリカなのか。このような問題も同じように極めて興味深い。
 120年前の中国には欠けるものが非常に多かったが、我々にもっとも欠けているものは、重大な挫折に遭遇した後に整然と改革を推進する能力と思われる。中国は甲午戦争の極端な苦しみの中で数十年模索し、選択をする度に流血と対決を経験し、しかも日本の侵略のもとで亡国の瀬戸際にも立った。これらの沈痛な教訓を消化するためには思考が極めて重要だが、思考だけに頼ることでは到底足りない。
 甲午戦争後の中国は巨大な答案用紙を前にしているようなもので、今日に至っても相変わらず答を出し続けている。中国は30年以上にわたって続けてきた改革を推進し、完成し、我が国社会の様々な積弊を克服する効率を大いに高めなければならない。我々は腐敗に打ち克ち、社会的な公平と効率との間の安定した関係を打ち立て、歴代の革命家がすべて尊重したデモクラシーをこの国に本当に根を下ろさせなければならない、などなど。しかし、これらすべては社会の激動という代価と引き替えで手に入れることはできない。中国がこれらのことを成し遂げた時に初めて、甲午戦争及び中国近代のこれまでの教訓を十分くみ取ったと言えることになるのだ。

2.周永生文章

周永生文章は甲午戦争そのものを扱ったものではなく、7月25日に大連で日本人の麻薬密売者が処刑されたことに関して、中国のネット上で、甲午戦争勃発120周年に当たってこの判決・死刑執行が行われたことは100年来の中国の恥辱を洗い流すものだという書き込みが行われている状況に対して、「こういった愛国の心情は理解できるが、今日においては中国の法律はすでに基本的に政治化路線を脱却しており、法律そのものの精神を基本とし、憲法及び刑法などに基づいて量刑を決めている状況のもとで、通常の刑事案件を政治化することは極めて不適切である」と強調する文章です。
周永生の法感覚は私たちには当たり前なのですが、「人治」が長らく支配してきた中国では、「法治」が強調される今日でも相変わらず上記のようなネット世論が「幅を利かす」状況があり、日本問題専門家の周永生がこのような傾向を強く戒める文章を環球時報に載せたことは、上記環球時報社説の内省的姿勢と軌を一にするものとして注目されるのです。

現地の法律機関がこの日本人の死刑を執行した時に甲午戦争120周年のことを考慮したかどうかは知らないが、筆者は、これは偶然の一致であって、意識的にそうしたのではないと考える。仮に意識的にそうしたと理解するのであれば、現今の中日関係と歴史的な悲惨な経歴とを混同して、すべてを政治化してしまう傾向に向かわせることになってしまう。また、日本人の麻薬密売人を死刑にするケースはこれがはじめてではなく、極刑に処せられた他の4人について執行時間が「精巧にアレンジされた」ということはない。以上から判断すれば、今回の死刑執行の時間と甲午戦争勃発120周年の一致は純然たる偶然だ。
我々が注意するべきは、この問題が甲午戦争120周年というセンシティヴな時間と重なっていることについて、とりわけ理性的かつ正確に今日の中日関係を位置づける必要があるということだ。
まず、甲午の惨敗が中国及び中国民族にもたらした悲惨な教訓について。我々が歴史を銘記するのは恨みを長続きさせるためではなく、歴史上の誤りを繰り返さず、経済を発展させ、国防を強化し、総合的国力を持続的に高め、人民をして富裕にして有徳にし、民族的な団結心を固め、地域及び世界の平和的発展の力を導くためである。
次に、我々は日本に正しく対することだ。日本は中国が引っ越しさせることができない隣国であり、日本の過去の軍国主義は中国人民に深刻な苦難と殺害を及ぼし、歴史の傷跡と痛みとは今日に到るも回復していない。なぜならば、日本の政府と社会が今日に到るもなお戦争が残した問題に適切に対処していないからだ。我が被害者と社会の正義の人士とはこれらの問題の解決を一貫して促進しており、あるいは良い方向に向かわせようとしている。しかし同時に、戦後60年以上の歴史の中で、日本は基本的に平和的発展の道を切りひらきかつ続けてきたことも見て取るべきだ。この点については基本的に肯定するべきである。
第三に、中日関係についても正しく向きあう必要がある。中日関係は近年多くの矛盾、争いに見舞われているが、このことは友好的な中日関係を望むすべてのものが見たくはないことだ。この事態をつくり出した直接の原因は、日本の一握りの右翼勢力及び安倍などの右翼政治指導者が日本を右傾化させ、不断に中国を挑発し、摩擦をつくり出したことである。…日本の右翼勢力は一時的には思いどおりにするかもしれないが、永遠に思いどおりになることはあり得ない。したがって、この大きな方向を見届けるべきだ。中日両国の2000年以上の交流の歴史の中では、戦争といがみ合いの歴史は極めて短いものであり、大部分の時間は平和的に付き合い、友好的に往来してきたのだ。
したがって、甲午戦争120周年に際して、我々は歴史を銘記すべきであり、国、軍及び民を強くすることを忘れないことだ。しかし同時に我々は、日本と「関係している」ことをすべからく政治化するべきではなく、識別し、切り分けるようにするべきだ。すべてのことを一緒くたにして論じることは全局をかき乱すことになってしまうだけである。