「中国脅威論」検証
-(2)南シナ海における中越衝突-

2014.06.22.

中国経済の急台頭、日本を押し退けて世界No.2にのし上がったことを背景に、日本国内では「中国脅威論」が喧しく取り上げられるようになりました。アメリカ・オバマ政権が「アジア回帰」(第1期)及び「リバランス」(第2期)戦略のもとで中国を軍事的に牽制する政策を強め、中国がこれに対抗して軍事力強化に邁進していることも、多くの日本人にとっては「中国脅威論」を裏づけるものとして受けとめられていることを、私は様々な集会で会場から受ける質問を通じて実感しています。
 「中国脅威論」の広がりにおける特徴の一つは、日米軍事同盟の強化、憲法第9条の解釈改憲による集団的自衛権行使を目指す安倍政権の動きに反対する人たちの間でも真剣みをもって受けとめられているということです。そうした人たちの中には、「中国は大国になって変わってしまった」という失望感が働いているようです。こういう心情は、「中国脅威論」を大上段に振りかざして集団的自衛権行使(及びそのための第9条解釈改憲)に突っ走ろうとする安倍政権に対してどうしても受け身にならざるを得なくします。
 私は基本的に、「中国は大国になって変わってしまった」とする私たちの心情自体が基本的に大きな問題を抱えていると思います。
一つは、この心情の根底にあるのは、「大国」と「大国主義」とを一緒くたに捉えてしまう私たちの国際感覚における初歩的誤りです。国際関係においては、大国には中小国にはない大きな責任が伴います。分かりやすい譬えでいうならば、小さなアリが赤信号を無視しても車にひき殺されるのがオチですが、巨象が赤信号を無視して繁華街を横断しようとしたら大変な混乱が起こります。中国は、自らが押すに押されぬ大国になったことを認識して、国際関係において大国らしい振る舞いかたをしようとしているのです。それが「目障りだ」とするのは、あたかも成長した子どもに対して、「小さいときは親のことをよく聞く良い子だった」と慨嘆する身勝手な親と同じです。
もう一つは、この心情が根底にあると、安倍政権やメディアが意識的につくり出す「中国脅威論」の「証拠材料」を無批判に受け入れてしまうことになるということです。最近小野寺防衛相・防衛省が音頭をとった「中国軍機異常接近」、メディアが中国の「大国主義」「拡張主義」を喧伝する材料にしている「南シナ海における中越衝突」は、正に「中国脅威論」の正しさを示す「証拠材料」となっています。
そこで、この二つの事件が本当に「中国は脅威である」ことを証明するものであるのかを検証してみようと思います。今回は「南シナ海における中越衝突」問題を取り上げます。

1.日本・日本人が踏まえるべき出発点

私たちが西沙諸島及び南沙諸島にかかわる問題に向きあう上で踏まえるべき出発点は以下の事実関係です。

◯カイロ宣言(1943年11月27日):「(米英中の)目的は…第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取しまたは占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること並びに満州、台湾及び澎湖島の如き日本国が清国人より盗取した一切の地域を中華民国に返還することにあり。日本国はまた暴力及び貪欲により略取した他の一切の地域より駆逐せらるべし」
◯ポツダム宣言(1945年7月26日)第8項:「カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに我ら(米英中ソ)の決定する諸小島に局限せらるべし」
◯終戦詔書(1945年8月14日):「朕は帝国政府をして米英中ソ4国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」
◯降伏文書(1945年9月2日):「(下名(重光葵及び梅津美治郎は(米中英が発し、後にソ連が参加した)宣言の条項を、日本国天皇、日本国政府及び日本帝国大本営の命によりかつこれに代わり受諾す。」
 「下名は、ここにポツダム宣言の条項を誠実に履行すること…を天皇、日本国政府及びその後継者のために約す。」
◯対日平和条約(1951年9月8日)第2条(f):「日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」
◯日華平和条約(1952年4月28日)第2条:「日本国は、千九百五十一年九月八日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約(以下「サン・フランシスコ条約」という。)第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される。」

つまり、カイロ宣言及びこれを受けたポツダム宣言を受諾し(終戦詔書及び降伏文書)、誠実に履行することを約束した(降伏文書)ことにより、日本は西沙諸島及び南沙諸島(対日平和王役及び日華平和条約にいう「新南群島」)を含む日本が中国から「盗取」した一切の地域を中国に返還すべきことを約束したのです。そして中国は1951年以前に西沙及び南沙諸島に対する実効支配を回復しました。
対日平和条約には中国(中華人民共和国政府及び中華民国政府)は招請されず、参加していませんが、前者を代表して周恩来総理兼外相はサン・フランシスコ会議について声明を発表し、その中で、「西沙及び南沙諸島などが中国の領土であると指揮しました。また、日本は中華民国政府と日華平和条約を締結したのですが、その中でわざわざ西沙及び南沙諸島に対する放棄を確認しているのです。つまり、日本(及びアメリカ)は西沙及び南沙諸島が中国に属することについて何の異論もなかったということです。

2.ヴェトナム側主張に対する中国側立場

私はヴェトナム語はまったく分かりませんし、ヴェトナム側の主張に関する文献に直接当たる機会もありません。そういう中、5月27日以後に中国が西沙諸島海域で石油採掘作業を開始してから、中越間の衝突が大きく報道されました。
中国外交部は6月14日にこの問題に関する内外記者に対するプレス・ブリーフィングを行い、「中国は西沙群島は中国領であり、いかなる紛争もないと言うが、ヴェトナムは自国領であり、少なくとも紛争があるという立場で、自らの主張の根拠としてサン・フランシスコ会議、ジュネーヴ協定、中越指導者会談を挙げている」という指摘・質問に対して、次のように中国側の立場を明らかにしました。
以下の中国側主張・指摘に関して、このコラムを読まれた方から指摘がいただければとてもありがたいです。

 第一に、西沙群島の発見、命名、開発経営がもっとも早かったのは中国であり、早くも西暦10世紀には中国の管轄下に置いており、ヴェトナムが主張する17世紀より700年早い。
 第二に、ヴェトナム側は、フランスの植民地統治時代に、フランスが西沙に対する主権を主張したことがあり、ヴェトナムの主張は植民地政府の権利を継承するものだとも言う。しかし、これはまったく根拠がない。1921年8月22日、ブリアン首相兼外相は、中国政府が1909年には西沙諸島に対する主権を確立しており、フランスが要求を提起することは不可能であることを承認した。その後フランス政府は様々な行動をとったが、中国政府は断固反対して申し入れ及び闘争を行った。その点については大量の歴史的史実がある。
 第三に、カイロ宣言等一連の国際文書は、西沙及び南沙諸島を含む、日本が侵略占領した中国の領土はすべて中国に返還すべきことを規定している。ヴェトナムは1951年のサン・フランシスコ平和条約を提起しているが、中国は1951年以前に西沙及び南沙諸島に対する回収作業を終えていた。西沙諸島最大の島嶼を永興島と言うが、その由来は、1946年から48年にかけて西沙及び南沙諸島に対する回収に当たった4隻の軍艦の一つである永興の名にちなんでつけたものだ。南沙の中業島、太平島なども、これら島嶼を回収した軍艦または軍人に由来する。
 1954年のジュネーヴ会議について言うならば、この会議の目的は朝鮮問題及びインドシナ問題の平和的解決にあり、西沙及び南沙と一切関係なく、協定には西沙及び南沙にも言及がない。
 第四に、1970年代以前におけるヴェトナム側の公的文書、教科書、地図などは西沙及び南沙諸島が中国領土であることを明確に承認している。1958年、ファン・バンドン総理は周恩来総理に対する口上書で、中国が1958年9月4日に発表した了解に関する声明に関し、西沙及び南沙が中国の領土であることを明確に承認した。
 この点についてヴェトナム側は、当時承認したのは中国の領海が12カイリであり、これを承認し、尊重するとしただけで、領土主権に対する確認は含まれていないとしている。しかし、この主張も通用しない。なぜならば、この声明中には明確に西沙諸島、南沙諸島、中沙諸島、東沙諸島その他一切の中国の島嶼が12カイリの領海の権限を持つことを述べているからだ。
 第五に、ヴェトナム側は最近になって突然、中国が武力で西沙諸島を占領したと言いだしたが、これは事実ではない。1974年1月、中国の西沙守備隊が西沙諸島の珊瑚島及び甘泉島を侵略しようとした南ヴェトナム軍を撃退した。「守備隊」ということは、中国軍が元々居たということであり、南ヴェトナム軍が侵略しようとしたのは30以上ある西沙諸島の中の2つだったということである。
第六に、ヴェトナム側は、1975年9月の中越首脳の会見における言葉を引用して、中国側が西沙について話し合うことができると言ったと主張しているが、これはまったく間違っている。ヴェトナムが根拠にしているのは1988年5月13日付の人民日報に載ったメモランダムだ。しかしこのメモランダムには、西沙及び南沙諸島が古来中国の領土であることを証明する十分な材料があり、これが前提であると中国指導者が述べたことを明確に記載している。ヴェトナム側はつぎはぎして事実を歪曲し、中国指導者の発言を曲解しているが、まったく通らない。
以上の諸事実から、西沙諸島についてはいかなる紛争もなく、中国が西沙について交渉することはあり得ない。中越間の紛争の重点は南沙諸島であり、特にヴェトナムが中国の29島嶼を侵略占拠していることである。中国の主権擁護の決意は変わらないが、直接かつバイの交渉で紛争を解決する用意がある。