私の国際情勢認識
  3.日米中関係と東アジア

2014.06.18.

21世紀に入り、東アジア情勢を決定的に左右するのはアメリカ(世界No.1)と中国(世界No.2)にしぼられてきた。米中両国の東アジアを含む国際情勢認識においてもそういう確信が公然と語られる状況が生まれている。特に2013年6月にアメリカ・カリフォルニアで行われたオバマ・習近平会談において、習近平が提唱した米中新型大国関係構築をオバマが原則的に受け入れることにより、米中関係は新しい段階への第一歩を踏みだすかに見えた。しかし、その後の事態(東シナ海及び南シナ海の領土紛争のエスカレーション)は、「国際ルールに基づかない中国」を非難するアメリカと、「日比越の背後にアメリカがいる」と見る中国との間で冷戦まがいの状況を生んでいる。
東アジアの平和を考えるに当たっては、米中関係が今後どのように展開するかが事態を左右するだろう。アメリカは、対中牽制という観点から日米同盟を引き続き重視するが、それは米軍基地として及び対米軍事協力を惜しまない日本の役割を重視するのであって、安倍政権をまともな交渉相手と見なさない中国ともども、安倍政権を含む日本の当事者能力に対する米中両国の評価は極めて低い。
 日米中関係とは、具体的には米中、日米及び日中という三つの二国間関係から成り立っている。本来であれば、日米中という三国間関係という要素も考えるべきだ(例えば米中露及び米中欧関係においては、三つの二国間関係に加えて三国間関係という要素を抜きにすることはできない)が、日米関係が対等平等でないことによって、日米中関係はほぼ米中関係に吸収されてしまう。ちなみに、日米中関係が独立した要素として成立する可能性は、日本が今後さらに右傾化して対米「自主」性を強める場合、あるいは私たち主権者が主体的に行動することによって日本の対米従属を脱する場合のいずれかのケースにおいて、将来的に現実となりうる。

<アメリカ>
 アメリカには建国以来の牢固とした選良意識(世界に先がけて人権・デモクラシーを実現した国家として、これを世界に推し広める使命があるとする意識)がある。アメリカの国際関係に対するアプローチを特徴づけるのは、自らの価値観を基軸にして国際関係をリードしようとする「天動説的」国際観である。
即ちこの国際観は、ウェストファリア条約以後の欧州に成立した、主権国家の対等平等性を本質とする地平的な(horizontal)国際社会(the international society)という国際関係のあり方に対して極めて冷淡(無関心さらには敵対的)である。アメリカが実現しようとするのは、アメリカが中心となり、同国の価値観を共有し、受け入れる国々からなる垂直的な(vertical)国際共同体(the international community)である。
過去の経緯を捨象して現代に限局して言えば、唯一の超大国となったアメリカは、自らの価値観を世界に推し広め、世界を国際共同体化するために、各国に自らの価値観の受け入れを要求し、その価値観の受け入れを肯んじない存在(中国・ロシア、「ならず者」国家、テロリストなどの非国家主体等から成る「様々な不安定要因」) に対して軍事力を背景にした力による政治(power politics)を展開しようとする。
しかし、アメリカ経済力の衰え、それに起因する世界経済に占める同国経済の比重の相対的及び絶対的低下(例:G7からG20への重心移動)、そして前述した国際的相互依存の不可逆的進行は、アメリカをして力による政治の調整を余儀なくさせてきた。皮肉なことに、米ソ冷戦が終結してアメリカが追求してきた世界に対する一極支配が現実になろうとした矢先に、アメリカ経済の衰え・国際的地盤低下の構図が明確になり、一極支配の実現を阻む最大の原因として浮上してきたのである。
クリントン及びオバマ両政権(対テロ戦争に走ったブッシュ政権は除く)は、価値観及び力による政治に微修正・微調整を加えることで、世界支配(アメリカ的価値観に基づく国際共同体形成)の実現という政策を堅持してきた。価値観については、市場経済を人権・デモクラシーと同列の普遍的価値として据え、アメリカ主導の新自由主義グローバリゼーションを実現する(例:APRではTPP)形での修正が施される。力による政治に関しては、アメリカがあくまで主動権・指導権を確保する前提のもとで、同盟国の積極的関与を促す調整が行われている(例:APRでは日本、韓国、オーストラリア、インドなどを多角的に動員する軍事同盟網の形成)。

<中国>
中国はかつて東アジア世界の華夷秩序の中心に君臨したが、19~20世紀に欧米日列強による侵略・支配によって国際関係の最底辺に突き落とされた。しかし中国共産党政権は、その屈辱に満ちた体験の中から、国家の大小・強弱・貧富の差異にかかわらない国際関係の実現を追求する認識・政策を確立した(「平和共存5原則」。中国の思想における他者包容性を理解する上では、溝口雄三『方法としての中国』(東京大学出版会)、『中国の衝撃』(同)、『中国思想史』(同)、『中国思想のエッセンスⅠ』(岩波書店)等が必読)。つまり、中国の国際関係に対するアプローチを特徴づけるのは主権国家の対等平等性を基底に据える「地動説的」国際観である。
この国際観は、改めて言うまでもなく欧州起源の国際社会という国際関係のあり方との親和性が強い。また、今日の多種多様な国家からなる国際関係のあり方に対する発信力も強い。アメリカ主導のメディアによって「洗脳」されている私たちには想像しにくいことだが、中国と非欧米の途上諸国との関係は良好である。
ここでも過去の経緯を捨象して現代に限局して言えば、改革・開放政策によって世界第2位の経済大国に急台頭した中国は、国際的相互依存の不可逆的進行という時代的特徴を明確にふまえ、相互尊重、共存共嬴を指導理念とする新しい国際政治経済秩序の建設を唱道する。それはアメリカ主導の既成の国際政治経済秩序に対する挑戦にほかならない。アメリカにとっては経済的要因が価値観及び力による政治に対する修正・調整を迫る要素として働いているが、中国にとっては経済的要因もまたその地動説的国際観を補強する要素となっている。
ちなみに中国は、アメリカの力による政治に屈伏してアメリカ主導の国際共同体入りを受け入れる意思は毛頭ない。中米間には台湾問題が一貫して存在すること、及びオバマ政権が推進するアジア回帰・リバランス戦略が中国の台頭を強く意識したものであることもあり、中国としてはアメリカの力による政治に対抗するべく、培われた経済力を背景に軍事力を充実することにも力を入れる。それが日本における「中国脅威論」の根拠とされるが、それは基本的に防衛志向型戦力である。

<日本>
明治維新及び第二次大戦敗北という深刻な試練を脱亜入欧(前者)及び対米従属(後者)という他力本願で乗り切ってきた日本は、「井の中の蛙大海を知らず」さながらにむきだしの自己中心主義の国際観に安住してきた。その本質は「天動説」である点でアメリカと同じだが、アメリカには人権・デモクラシーという自らが奉じる普遍的価値・客観的基準による自己検証の可能性があるのに対して、日本の場合は天皇中心主義(戦前)あるいはアメリカ中心主義(戦後)という主観的天動説であって、自らを普遍・客観的基準によって検証するという視座が欠落している(日本の思想に普遍・客観的基準が欠落していることに関しては、相良亨『日本の思想』(ぺりかん社)が非常に参考になる)。
この国際観は、欧州起源の地平的な国際社会という国際関係のあり方との接点をもたない。したがって日本人の国際観は、往々にして敵か味方かという二分法しか働かない(その点では力による政治のアメリカの国際観との親和性が強い)。
その典型が日中関係だ。対等平等な日中関係という視点を育てることができず、「尊敬・畏敬」(明治維新以前)か「軽蔑・敵対」(日清戦争以後)かのいずれかになってしまう。日本人に根強い「アジア蔑視」「朝鮮蔑視」もこの国際観にもともとの起源がある。対米関係も同様だ。鬼畜米英が一夜にして対米べったりとなる。その結果、アメリカ主導の国際共同体に進んで身を投じる(如何に表面的であるにせよ)ことになる。
また、日本の天動説的国際観の根底には、もともと客観的価値・普遍的存在を育みあるいは受容する思想的土壌が育っていないという日本独特の事情も働いている。例えば、安倍首相はしきりに「価値観外交」を強調するが、彼が人権・デモクラシーを薬籠中のものとしているとは、本人(及びアメリカ)を含め誰も考えていないだろう。安倍式「価値観外交」の普遍的価値(人権・デモクラシー)との無縁性は、歴史問題・いわゆる従軍慰安婦問題に対する彼の言動によって世界的に白日の下にさらされている。良し悪しはともかく、米中には対外関係において拠るべき原則が確立しているが、日本の戦後保守政治にとっての最大かつ深刻な問題は拠るべき原則(客観的価値)の備えがないことにある。

<東アジア>
 米ソ(東西)冷戦は終結したが、東アジアには今日なお米中日絡みの、武力衝突を引き起こしかねない緊張要因が数多く存在する。 東北アジアでは、今日なお台湾問題及び朝鮮半島の南北分裂という冷戦時代の負の遺産が解決されないままである。台湾問題に関しては、中台間の経済関係が深まり、政治的接触も試みられるようになった。しかし、日米同盟が台湾海峡有事を視野に収める方針を放棄しない限り、中国が軍事的警戒を弛めることはあり得ず、核戦争がらみの緊張の根本的解決・解消を展望する可能性は生まれない。
朝鮮半島においては、1953年の休戦協定によって辛うじて戦争再発が回避される極めて不安定な状態が60年以上にわたって続いている。1990年代以後は朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の核開発問題が加わって、朝鮮半島有事は核有事となる危険性が増している。中国がイニシアティヴをとって2003年に開始された、朝鮮半島の非核化及び同半島の平和と安定の実現を目指す6者協議(南北朝鮮プラス米中日露)は、米朝間の相互不信が根強いことが主な原因となって成果を挙げていない。
東北アジアではさらに、2010年以後は尖閣問題を契機に日中間に一触即発の緊張が加わった。日韓間ではかねてから竹島問題が存在する。尖閣及び竹島問題は、日本の歴史認識が異常さを増す(安倍首相の靖国参拝はその端的な表れ)ことに対する中韓の警戒感の増大によってさらに緊張の度合いを増している。
ちなみに、領土問題を考える原点はポツダム宣言である。ポツダム宣言を受諾して降伏した日本には領土問題(尖閣、竹島、北方4島)について国際的に主張する資格・権利はない(第8項)にもかかわらず、「固有の領土論」がまかり通り、中国、韓国、ロシアを一方的に非難する世論が圧倒的な日本の現実は異常を極める。私たちは、ポツダム宣言に戦後日本の原点・出発点があることを再認識・再確認することから始めなければならないことを強調しておきたい。
東南アジアでは、ASEANの台頭及び国際的発言力の向上によってヴェトナム戦争の後遺症が克服され、経済を中心とする地域協力及び域外諸国(米中日韓印豪EU)との協力関係が進展してきた。しかし、オバマ政権がアジア回帰(第1期)・リバランス(第2期)戦略を推進し、「航行の自由」を押し立ててこの地域に対する軍事プレゼンスを強化する政策を推進していることを背景に、南シナ海の島嶼の帰属をめぐって権利を主張するヴェトナム、フィリピンと、これら島嶼は古来中国領とする中国との間にやはり領土問題をめぐる緊張が生まれている。
以上の緊張要因のすべてが米中(日)絡みであることは見やすい。したがって、これらの緊張要因を解決・解消して東アジアの平和を展望する上でも、米中(日)関係の今後の展開如何が大きなカギを握る。

<安倍政権の危険性>
 安倍外交は、主観的天動説の国際観の権化であることにおいて戦後保守政治の典型と位置づけられる。安倍外交に特色があるとすれば次の危険性にある。
即ち、歴代政権においては対外的及び対内的考慮に基づき、あるいは自民党の思想的雑居性もあって、反動性を露わにすることを制御する機能が曲がりなりにも働いていた。ところが、1990年の湾岸危機を契機とした軍事国際貢献論を皮切りにして国内世論そのものが保守化傾向を強めたこと(それ自体が長年にわたる保守政治の執拗な政策の結実でもある)、自民党における思想的雑居性の雲散霧消と右傾化の顕著な進行(安倍政権登場自体がこうした変化の産物と言える)を背景にして、安倍政権は反動的な対外政策を臆面なく追求しようとしている。
安倍外交の危険性を際立たせる特徴的要素としては次の諸点を挙げることができる。
 まず、歴代政権が控えていたことで安倍外交が露骨に実現しようとしていることの最大のものは、ポツダム宣言で否定された戦前政治へ日本を回帰させようとしていることである。ポツダム宣言は、日本に対して軍国主義(思想・組織・人脈)の徹底した清算及び非軍国化と民主国家への生まれ変わりを要求した。日本国憲法特に第9条はポツダム宣言の要求の具体化であるということに一つの本質を持つ。そうであればこそ、戦前政治への回帰を目指す安倍政権は憲法改正(特に第9条改正)に照準を合わせるのだ。そして安倍政権が「積極平和主義」を掲げるのは、平和憲法の理念に基づく外交の否定、そしてポツダム宣言に基づく戦後東アジア国際秩序に対する正面からの挑戦という意図の露骨な表明である。
 第二に、安倍外交は、オバマ政権のアジア回帰・リバランス戦略が日本の協力なしには成り立たないことを捉え、この戦略に全面的に協力する中で可能な限りの対米対等自主性の実現を目指している。日米防衛協力指針見直しに関する日米合意、集団的自衛権行使を可能にするための第9条の解釈変更追求姿勢等はその具体的表れである。  ちなみに、安倍政権の対露外交、対中外交、対朝鮮外交はそういう視点で捉える必要がある。アメリカ主導の対ロシア経済制裁には同調する。しかし、ロシアとの領土問題交渉に望みをつなぐ安倍政権は、アメリカの制裁対象となったロシア下院議長の訪日を受け入れる。アメリカの対中軍事牽制政策にはもちろん同調する。しかし、それだけにとどまらず、むしろ中国を挑発する政策を行い、中国との軍事衝突を絶対に回避したいアメリカの警戒を招くことをもいとわない。アメリカ主導の対朝鮮制裁に参加するが、拉致問題解決に動くことで国内の支持を確保するためにはアメリカの疑念を招くことも意に介さない。
 これらの行動に一貫しているのは、日米軍事関係において、今やアメリカが日本に求めることの方が多い(日本の基地機能及び対米協力・支援なくしてアメリカの対APR軍事戦略は成り立たない)という安倍政権なりのしたたかな判断があると思われる。そして確かにアメリカは安倍政権に対して強硬なアプローチが取れない現実がある。
第三に、安倍外交は、「中国脅威論」を強調し、中国周辺の国々との関係強化を積極的に進め、対中包囲網を形成することに異常なまでのエネルギーを傾ける。それは、中国の軍事的台頭を警戒し、牽制しようとするオバマ戦略に即応する限りでアメリカの評価を得るが、日本の独自性の主張、日中激突へのアメリカの巻き込みの可能性、戦後東アジア国際秩序に対する挑戦という意味において、中国は当然として、アメリカ自身の懸念(ひいては警戒)を引き起こさずにはすまない。安倍政権がさらに暴走するとなれば、米中が結束して日本を抑えにかかるという可能性は決して絵空事ではない。
 第四に、安倍外交は偏狭なナショナリズムに基づく自己主張を積極的に行うことをためらわない。すでに述べたように、歴史認識問題(安倍首相の靖国参拝)及び領土問題をめぐって、日中及び日韓関係は最悪な状態に陥っている。中国との一触即発の状況はアメリカをも巻き込みかねない危険水位に達しており、日韓関係の冷却化はアメリカが意図する米日韓の緊密な同盟関係の実現可能性を遠ざける。かつてであれば、アメリカの重大な利益を損なうこのような行動を日本が取ることは考えられなかった。それだけ、安倍外交の自己主張は露骨になっているということだ。
 第五に、安倍外交は優れて政治的軍事的考慮によって支配されており、経済的考慮が著しく欠落している。すでに述べたことの繰り返しだが、いわゆるアベノミクスで国内経済の建て直しに取り組む姿勢を取る安倍政権が外交に関しては経済的考慮が欠落しているのは矛盾している。しかし、経済政策としてのアベノミクスに対する国際的評価は高いものではなく、安倍首相がどこまで経済を分かっているかについても疑問符がつけられる。オバマ政権高官が「国際経済は極めて脆弱であり、日中が角突き合わせるのを見過ごすだけの余裕はない」と繰り返し行う警告は、安倍外交における経済不在の本質を突いている。
 最後に、主観的天動説的国際観の宿命として、安倍外交には指導理念が欠落しているために、その外交は、本来は手段として位置づけられるべき、大国・日本の国際的地位を回復することが目標そのものとなってしまっている。したがって安倍外交は、これまでの歴代政権の外交と同じく、自家消費用であって国際的アピール力を持ち得ないのみならず、以上に述べた危険性をいっそう際立たせることになっている。