安保法制懇報告書

2014.05.20.

5月16日に発表された安保法制懇報告書について、私の気づきの点をまとめておきます。

1.報告書の特徴:2008年報告書との比較

安保法制懇は2008年に最初の報告書を出していますが、それとの比較における今回報告書の内容には次のような違いがあります。その違いが今回の報告書の特徴ともなっています。

<中国ファクターの突出>
 第一に、国際情勢認識において中国ファクターを突出させたことです(報告書「はじめに」)。報告書は、「我が国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間にいっそう大きく変化した」とし、「特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、我が国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化していることである」と述べています(さすがに「中国は脅威」と露骨に言うのは憚ったようですが)。
 この中国ファクターの突出は、報告書【2】3「我が国として取るべき具体的行動の事例」⑤及び⑥(いわゆる「グレー・ゾーン」)を掲げるための伏線にもなっています。

 事例⑤:我が国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊を継続する場合の対応
 事例⑥:海上保安庁が速やかに対処することが困難な海域や離島等において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応

逆に言いますと、報告書が示す国際情勢認識(報告書【1】2「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」)は、この点を除くほかの点では2008年当時と大きくは変わりません。というより、それ以外の点ではおおむねアメリカ(NATO)の国際情勢認識を踏襲しています。それはいわば当然なことで、それゆえにこそ「NATO並みの日米同盟」を目指す報告書の内容(報告書【2】3の事例①~④)となるのです。

 事例①:我が国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米鑑等への攻撃排除等
 事例②:米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援
 事例③:我が国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去
 事例④:イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加

私に言わせれば、ウクライナ内戦危機に至る同国のいわゆる「オレンジ革命」を含む旧ソ連邦諸国の一連の「カラー革命」、「アラブの春」と総称される中近東・北アフリカ情勢の激動は、2008年と2014年との間に起こったもっとも注目すべき問題群ですが、今回の報告書がまったく触れていないのは奇怪なことです。
 と言いますのは、西側デモクラシーを志向したはずの「カラー革命」にしても「アラブの春」にしても、当初は正に鳴り物入りで西側メディア(日本を含む)が喧伝したものですが、その現実は惨憺たるものであり、今やアメリカをはじめとする西側諸国にとっては対外政策上の「重荷」に化してすらいるからです。これらの今や「地域的不安定要因」化している問題群は、アメリカを中心とする西側の軍事偏重の対応では如何ともしがたい厳しい現実を突きつけています。今回の報告書が以上の問題を取り上げなかったのは、アメリカ以下の西側諸国との軍事的協力・協調路線を正当化しようとする報告書の基本的狙いにとって都合が悪いと判断したから、と思われます。

<憲法上の「制約」の全面的取っ払い>
 2008年報告書では4類型として、①公海における米艦の防護、②米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、③国際的な平和活動における武器使用、④同じ国連PKO等に参加している他国の活動に対する後方支援、が挙げられていました。以上に紹介した今回報告書の6事例は大幅に軍事的対処の範囲を拡大しています。しかも報告書は、「(これらの)事例はあくまで具体例…であり、これらの事例のみが合憲・可能とすべきとの趣旨ではない」と断っていますから、要するに日本が①アメリカ主導の武力行使及び②アメリカが積極的に支持する(≒安保理決議に基づく)国連主導の武力行使に全面的に参加することを意図していることは明々白々です。
 その点をハッキリさせた上で、今回報告書の6事例が2008年報告書の4類型と比較しても非常に重大な内容上の飛躍があり、集団的自衛権行使及び国連の集団安全保障措置参加を全面的に実現することを目指すものであることを確認します。

(4類型①→事例①)
 前者では「米艦の防護」だったのが、事例①では「米鑑等への攻撃排除等」となって米艦だけではなくなり、オーストラリアその他の国々をも含むことになっています。また、「防護」が「攻撃排除」等となって、日本の武力行使の中身が無制限に広がることを意味しています。
さらに重大なことに、4類型①ではなかった「有事が発生した際の船舶の検査」が事例①には明記されました。「船舶の検査」とは、「拡散に対する安全保障構想」(PSI)を念頭においていることは間違いありません。
PSIとは、アメリカのブッシュ政権が、対テロ戦争の一環として、イラン、朝鮮等を念頭に2003年に提唱したものです。その中身は「国際社会の平和と安定に対する脅威である大量破壊兵器・ミサイル及びそれらの関連物資の拡散を阻止するために、国際法・各国国内法の範囲内で、参加国が共同してとりうる移転(transfer)及び輸送(transport)の阻止のための措置を検討・実践する取組」と定義され、その狙いは「従来は、各国が自国の領域内において、国内管理、輸出管理等の措置を実施してきたが、PSIの下では、各国が、自国の領域内に限らず、自国の領域を越える範囲でも他国と連携して大量破壊兵器等の拡散を阻止する」こととされます(外務省不拡散・原子力課)。
 「船舶の検査」というときな臭さが目立ちませんが、有り体にいえば「臨検」であり、臨検は戦争の一環として行われてきたものです。朝鮮はかねてから、PSIを実行する行動を戦争行為と見なすとしていますが、当然です。報告書は「有事が発生した場合」としていますが、「有事」そのものが政府によっていかようにも解釈されるわけです。したがって、米日が臨検を朝鮮の船舶に対して行うことが戦争の発端になってしまうことがあり、それゆえにPSIそのものが国際法上も、また実際にも非常に重大な問題を含んでいるのです。報告書はそのPSIへの本格的参画を公言しているということなのです。

(4類型②→事例②③)
 前者では「弾道ミサイル迎撃」だったのが、後者では「米国が武力攻撃を受けた場合」とされています。しかも報告書は、説明として9.11事件を例に挙げています。アメリカが始めた対テロ戦争の正当性に関しては今日では国際的に多くの批判があり、オバマ大統領自身がその撤退に苦心しています。そういうことを一切無視して、相変わらず対テロ戦争を無条件に肯定する小泉政権当時のままの立場に立って、そういう類の戦争に全面参加すると公言しているのです。
分かりやすく言えば、事例②が意味することは、アメリカが自衛権を行使するとし、日本に集団的自衛権を行使してアメリカに加担しろと要求してくれば、それに無条件で応じるということです。つまり、「NATO並みの日米同盟」実現というアメリカの要求に応じるということなのです。当然のことながら、また、報告書も断りを入れているように、地理的制限はあり得ない(地球の裏側へも行く)のです。
 事例③について補足すれば、機雷除去については、これまで法制局の憲法解釈にしたがって、戦争が終わってからしかできないと政府が説明してきたことについて、そういう法制局の憲法解釈自体が間違いだという安保法制懇の立場から、わざわざ書き加えたものでしょう。

(4類型③④→事例④)
 安保法制懇は一貫して、アメリカ主導の集団的自衛権行使だけではなく、国連安保理決議によって組織される国連の軍事活動への参加も目指してきました。そのことは4類型③④として顔出ししたところです。しかし、2008年報告書ではまだ法制局の憲法解釈の苦しい説明(「いわゆる「武力行使との一体化」)による制約を取っ払うことに主眼を置いていました。
 しかし、国連の軍事活動は、冷戦終結前とその後とでは大きく様変わりしているのです。
簡単に言えば、1980年代までの国連の平和維持活動は、いわゆるPKO活動3原則(①紛争当事者の停戦合意、②紛争当事者のPKO受け入れ同意、③PKOの中立維持)に従って行われ、PKOとしての平和維持部隊(PKF)が武力行使することは原則として排除されていました(自衛のための場合を除く)。しかし、冷戦終結後は、平和強制・執行活動として上記3原則の枠が取っ払われてきたのです。しかもその部隊は、PKF組織による場合(安保理決議に基づいて、国連が各国から参加を募り、組織する)のほか、湾岸戦争の際にアメリカが最初に組織した多国籍軍方式や、地域的機構(多いのはアフリカのOAS)が組織する方式など、実に多様となっています。
 平たく言えば、アメリカが自ら手にかける場合は集団的自衛権行使で、アメリカが手抜きし、しかも軍事的対応が必要だと考える場合は国連の集団安全保障措置でそれぞれ対応するというわけです。したがって日本としては、単に集団的自衛権を行使するだけではアメリカの対日要求のすべてに応じるわけにはいかないということになりますから、報告書の事例④は「国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加」として、国連安保理決議に基づく軍事活動への全面参加を明確に打ち出したというわけです。
 こうして、事例①~④によって、安保法制懇報告書はアメリカ主導のすべての軍事活動に参加する意図を明確に示したということになります。ですから、報告書の公表に当たって、アメリカ政府がいち早く歓迎を表明したのは当然すぎることです。

(事例⑤及び⑥)
 しかし、報告書が事例⑤及び⑥として示したケースは集団的自衛権及び国連の集団安全保障措置とは直接には関係しません。「グレー・ゾーン」と区分され、呼称される所以ですが、集団的自衛権行使及び集団安全保障措置参加とは関係がないという意味で「グレー」ということではありません。
 「グレーである」とされる所以は、国連憲章の第2条4と第51条の規定ぶりとの関係においてです。即ち、国連憲章第51条は、自衛権行使の要件として「武力攻撃」が行われることを規定しています。他方、憲章第2条4は戦争を違法化した規定ですが、そこでは一切の「武力の行使」をも慎まなければならないとしています。そうしますと、第51条に言う「武力攻撃」には当たらない、あるいはそのレベルまでには達していない「武力の行使」が行われる場合が出てきます。これが「グレー」とされる場合なのです。このようなケースに該当する「武力の行使」に対して各国は如何に対処するべきかが、国際法の解釈として問題とされてきた論点の一つです。
 つまり国連憲章上、日本が自衛権を行使して軍事的に反撃することが認められるのは「武力攻撃」があった場合だけです。しかし、「武力攻撃」までには至らないレベルの「武力の行使」(もっとも議論の対象になるのは、安保法制懇報告書も指摘するように「組織的計画的な武力の行使」です)が行われた場合にはどう対処するのかについては、国連憲章は定めていません。したがって、その場合にはある程度の武力の行使は認められるか、認められないかについて議論があるわけです。
国際法上の多数説は、戦争を違法化した国連憲章の原則的立場・精神からすれば、そういう場合に軍事的に対処することは認められないとしています。しかし、アメリカやイギリスなどは、そういう場合には一定の武力行使が認められるべきだとしてきました。そして今回の安保法制懇報告書は、日本も米英と同じ立場を取るべきだとしているのです(【2】8)。
問題は事例⑤が挙げた「潜水艦の潜航徘徊」、事例⑥が挙げた「離島等での武装集団の不法行為」が以上にいう意味での「グレー・ゾーン」に該当するかということであり、また、仮に該当するとしても、自衛隊の軍事的「対応」を正当化するものかどうかということです。報告書は、「「組織的計画的な武力の行使」かどうか判別がつかない侵害であっても、そのような侵害を排除する自衛隊の必要最小限度の国際法上合法な行動は憲法上容認されるべきである」と主張しています(【4】おわりに)。
この問題については、法的のみならず政治的にも考えなければなりません。
まず法的に言えば、「潜水艦の潜航徘徊」が国連憲章第2条4の禁止する「武力の行使」特に「組織的計画的な武力の行使」に該当するとは到底言えないでしょう。それは不法行為であるとしてもそれ以上のものではありません。それを自衛隊が軍事的に「排除する」というのは「国際法上合法な行動」とは到底言えないはずです。国際的にも、すぐに軍事力行使に訴えたがるアメリカを含めても、そういう実例を聞いたこともありません。
「武力集団の不法行為」に関しても、例えば香港や台湾の活動家が尖閣に上陸することを報告書が念頭においているわけではないでしょう。こういうケースは海上保安庁がこれまでも対処してきたことであり、自衛隊が出動することは考えられません。報告書がわざわざ言及した意図は、中国肝いりの「武力集団」による「組織的計画的な武力の行使」ということでしょう。しかし、中国の明確な立場は、「中国から事態をエスカレートすること(現状変更)はあり得ない。しかし、日本が事態をエスカレートすれば対抗措置を取る」ということです。したがって、報告書がいかにもありそうに描き出す「事例⑥」はフィクションであり、まともに検討するに値しないのです。
より重大なことは、政治的に言えば、事例⑤及び⑥は、日中軍事衝突に直結するということです。自衛隊が実力行使で「排除」しようとすれば、中国は間違いなく軍事的に対抗します。中国からすれば「安倍政権の好戦性」を露呈する以外の何ものでもありません。そういう意味で、事例⑤及び⑥は今回の報告書におけるもっとも危険な部分でもあります。
しかも、いったん日中の軍事衝突が起これば、その後の展開は誰にも予想がつきません。最悪の場合は、アメリカをも巻き込んだ本格的戦争にまで拡大しかねないのです。安倍政権の危険極まりないことは、そういう事態を招来させることをむしろ狙っていることです。そして、そこにこそ、オバマ大統領と安倍首相との根本的立場の違いがあります。

2.安倍政権とオバマ政権との思惑の違い

私はすでに、5月11日付のコラム「オバマ政権の対APR戦略」で、オバマ政権と安倍政権との対中アプローチの違いについて指摘しました。安保法制懇報告書を踏まえて問題点を整理すれば、次のとおりです。

<オバマ政権の対中認識・政策>
◯オバマ政権は世界唯一の軍事超大国として世界を軍事的に支配するという歴代米政権の戦略を踏襲しており、その上に「アジア回帰」「リバランス」と称するAPR重視をつけ加えている。その戦略の中心に座るのは台頭する中国であり、「航行の自由」を正面に押し立てて、東シナ海及び南シナ海で中国を牽制しようとする(「抑止」)。
◯世界を軍事的に支配する戦略を推進する上で、経済的財政的に構造的問題を抱えるアメリカにとって同盟国の全面的協力が不可欠である。NATO諸国との間では、湾岸戦争以来実戦を重ね、NATO戦略概念の3度にわたる制定を通じて理論化、政策化を行ってきた。アメリカがアジアにおいて1990年代以後一貫して追求してきたのは、オバマ政権も含め、「NATO並みの日米同盟」の実現である。そのために、日本が憲法第9条の制約から解き放たれ、集団的自衛権を行使できるようになることを求める。
◯しかし、オバマ政権にとっての最大のジレンマは中国の位置づけだ。アメリカ経済の回復にとって経済成長が著しく、いまや世界第2位の経済規模を持つ中国の存在は到底無視できない。経済的にはその台頭を歓迎するしかない(「関与」)。

<安倍政権の対中認識・政策>
◯安倍政権が追求する目標はいわゆる「普通の国家」実現であり、「積極的平和主義」の名のもとにおける「戦争できる国」実現である。そのためには第9条を含む憲法の全面的改定(自民党憲法草案)を不可欠とする。
◯具体的には、アメリカが世界唯一の軍事大国であり続ける限り、安倍政権としてはアメリカの世界軍事戦略に同調し、その対日軍事要求に応じる形での軍事大国としての復権(「普通の国家」実現)を追求する。つまり、オバマ政権が目指す「NATO並みの日米同盟」実現は、安倍政権自身にとっての上記目標実現のための手段として位置づけられる。
◯しかし、「アメリカの対日軍事要求に応じる」というホンネ・ベースでは日米同盟強化について国民的支持を得ることは至難(「戦争巻き込まれ」に対する国民的警戒感は大きい)であるから、安倍政権としては、「北朝鮮脅威論」そして「中国脅威論」を前面に押し出して国民の支持を取り付けようとする。だが安倍政権にとっての「中国脅威論」は、対国内説得材料である以上に政権の根幹的認識である。安倍政権にとって日米同盟は対中対抗同盟という位置づけである。

<日米間の齟齬>
◯オバマ政権としては、「NATO並みの日米同盟」実現のためには、安倍政権が対国内説得材料として「中国脅威論」を利用することに対しては理解を示す。また、オバマ政権自体も台頭する中国を軍事的に牽制・抑止することが「アジア回帰」「リバランス」戦略における最大の眼目だから、その限りでは安倍政権が「中国脅威論」を突出させることに対しては違和感があるわけではない。
◯しかし、対中関係を「抑止と関与」という二面性において規定し、対中直接軍事対決を基本的に政策的選択肢から排除するオバマ政権にとって、中国との軍事的対決を強調する安倍政権は厄介な存在となる。逆に、日米同盟を対中対決同盟としたい安倍政権にとっては、オバマ政権の二面性を持つ対中政策こそが不満材料となる。
◯安保法制懇報告書が提起した事例⑤及び⑥は、日米間の齟齬をもっとも際立たせる事例である。安倍政権としては、中国との軍事対決においてオバマ政権の意向に左右されないという意思表明だ。しかし、オバマ政権としては、アメリカを軍事的に巻き込みかねない安倍政権の軍事的暴走を許す意思も余裕もない。

以上のように判断する私にとって、集団的自衛権にかかわる自公協議が「グレー・ゾーンの取り扱い」から始められるという展開は理解不能です。すでに述べたように、事例⑤及び⑥は直接的には集団的自衛権行使の問題ではなく、基本的に国連憲章第2条4(「武力の行使」)及び第51条(「武力攻撃」)という条文をどのように理解するかという問題です。
公明党の支持母体である創価学会が解釈改憲に反対する姿勢を明確にした(このこと自体、最近の各種世論調査に明確に示されるようになった解釈改憲に反対する民意を創価学会として無視できなくなったことを示しています)以上、公明党としては、自公協議においては何よりもまず、解釈改憲に反対する民意に対して自公という政権与党がどう向きあうかを取り上げるべきだという態度を明確にするべきでしょう。自民党としても、国民世論を無視して解釈改憲の道を突っ走るべきではありません。
もちろん、自公両党がそれだけの良識を持ち合わせているならば、安倍政権の暴走自体があり得なかったわけですから、自公両党に対して「べき」論を言っても無意味であることは私も分かっています。私としてはむしろ、創価学会が国民世論を無視できないようになったという事実の意味することを重視したい思いです。つまり、健全な国民世論は政治を動かす最終的力であるということです。
正直言って、集団的自衛権に関する国民世論の変化には私も嬉しい驚きを感じています。安倍政権の暴走はもはや押しとどめられず、日本は落ちるところまで落ちなければならない(どん底に落ちなければ覚醒しない)のかなと考えるようになっていました。しかし、ここ数カ月来の各種世論調査における明確かつ力づけられる変化を見て、勝負はまだまだこれから、という気持ちになっています。世論の力が政治を動かすという真理、安倍政治の危険性そのものが安倍政治にストップをかけるという政治の弁証法が、今日本に起こりつつあるのではないでしょうか。