日本国憲法と集団的自衛権
-社会新報(5月7日付)インタビュー記事-

2014.04.28.

<なぜ9条が邪魔なのか>
 集団的自衛権の問題は、「21世紀の世界で日本はどのような道を歩むのか」と問いかけています。人類の歴史は戦争の歴史でもありました。国連憲章は戦争そのものを違法とし(第2条4)、「戦争をする権利」は国際法で認められていません。一方で「集団的自衛権」は「自衛権」とともに違法となった戦争の例外として国連憲章で認められ(第51条)、「主権国家である限り当然持っている」と広く理解されていますが、中身についてはあいまいな部分があるので国際的に議論が分かれています。
 憲法改正に意欲を燃やす安倍首相ですが、世論が消極的だと分かると軌道修正して解釈改憲に的を絞っています。
 国内の経緯を振り返ると、政府(内閣法制局)は湾岸戦争が起きるまで第9条(力によらない平和)と日米安保(力による平和)との折り合いに苦慮し、「第9条は自衛権(個別的自衛権)を否定していないが、他国を守る権利(集団的自衛権)までは認めていない」としてきました。なぜ今、「どうしても乗り越えるべき課題」として浮上しているのか。これを考えるには、どのような国際的な背景のもとで9条があるのか、なぜ「9条が邪魔」とされるのか、という理解が必要です。
 これまで政府は何度も解釈変更改憲をしてきました(別表)。しかし今回、集団的自衛権の行使を容認するとなると、根本的な国の在り方を変えてしまうわけですから、歴代法制局長官は明文改憲が必要だというのです。

<水と油が同居する平和観>
 日本は1945年にポツダム宣言(※)を受け入れて降伏し、アメリカの指導のもとで「日本国憲法」が作られました。9条の戦争放棄と戦力不保持の意味を正確に理解するには、ポツダム宣言と9条との関係を忘れるわけにはいきません。
 戦後日本の「平和観」は、50年代まで「9条か、安保か」で世論は真っ二つでした。しかし60年代以降、政府・自民党が経済や生活重視の政策転換を推し進め、人々を脱政治化することに成功し、「日米安保によって平和と安全を維持する」という政策が受け入れられるようになりました。こうして、湾岸危機・戦争が起きる前までは、「日本が戦争に巻き込まれないのは9条のおかげ」と「日米安保のおかげで平和と安全が保たれている」という、水と油の平和観が平然と同居することになったのです。
  湾岸危機・戦争以降、さらに対米軍事協力を進めるために憲法上の制約を取り払いたい、という考えが登場します。国内の議論は、「どのような軍事的かかわりなら憲法上問題ないか」という形に変化しました。議論のあり方に影響を及ぼしたのはアメリカの戦略の変化、北大西洋条約機構(NATO)の動き、北東アジア情勢の3点です。
 これは、日本人の平和観がいい加減であることの証です。「戦争はもうこりごり(9条支持)」、「自分さえ平和であればいい(日米安保賛成)」というエゴイズムです。しかし実際は、日本はアメリカの戦争に協力してきたし、基地を押し付けられている沖縄は塗炭の苦しみを味わってきている。9条は風穴が開けられているという理解が必要で、9条を守るということは、9条に魂を吹き込むたたかいでなければいけない。解釈改憲によって集団的自衛権を認めてしまうと、9条は本当に息の根を断たれます。

<作られた「脅威」>
 9条の存在と「憲法も安保も」という国民感情とを変えようとして改憲派が煽ってきたのが「北朝鮮脅威論」です。彼らは最初から「中国脅威論」を言いたかったと思いますが、日中友好が支持されていた90年代にそれを言うのは憚られたわけです。
 「北朝鮮脅威論」は、アメリカの思惑(対朝鮮半島政策と対日軍事要求)と政府自民党の思惑がドッキングして作られた虚構です。朝鮮は建国以来アメリカに身構えてきました。特にソ連と中国という後ろ盾を失った90年代以降、核開発への関心を強めました。これは必死の自己防衛策であり、対米抑止力としての核開発です。仮に朝鮮が核ミサイルをアメリカに発射したら、次の瞬間に朝鮮は叩き潰されますから、攻撃を仕掛けることはあり得ません。
 1941年当時にアメリカに宣戦布告した東条英機は、戦争で国土が灰となる可能性を考える必要はまだなかった。しかし、核兵器の登場という人類史的意味が分かっている金正恩は自らの滅亡を早めるだけの戦争を仕掛けるはずはないのです。
 「何をしでかすか分からない北朝鮮」という私たちのイメージの背景にあるのは、根強い朝鮮蔑視、アジア蔑視と、加害の論理が抜け落ちた歴史観、国際感覚の欠如です。

<アメリカとの呉越同舟>
 「中国脅威論」が登場した決定的きっかけは、2010年の尖閣沖での中国漁船衝突事件で尖閣問題が浮上したことです。この時、民主党政権が日中間に「棚上げ」合意はなかったと主張し、尖閣諸島を国有化したことで、中国は怒り心頭となったのです。
「棚上げ」は、田中角栄と周恩来(1972年、日中国交正常化交渉)、福田赳夫と鄧小平(1978年、日中平和友好条約交渉)が了解しあったことです。私は、自民党の安倍政権になった時、民主党政権のヘマを修正するチャンスだと思いました。自民党政権が棚上げ合意したのだから、その合意に戻ります、と言いさえすればそれで事態の悪化は回避できたのです。
 ところが、安倍首相はもともと中国が気に入らないし、「中国脅威論」は人々に受け入れられやすく、ナショナリズムの感情に訴えやすいと見越しています。中国脅威を訴えて私たちを改憲に誘導したいのです。
しかし、日本が中国と戦火を交えるようなことになれば、東アジアのけん引力で辛うじてもっている脆弱な世界経済は崩壊します。ギリシャの財政危機でも世界は破綻の淵に瀕したのです。確かにアメリカは中国を警戒してアジア太平洋における軍事プレゼンスを強めていますが、尖閣のために中国と事を構える気持ちは毛頭ありません。

<「力によらない平和」を>
 先日、中国の学者と意見交換した時に「どうすれば日本の政治を変えられると思うか。どこに積極的な要素があると思いますか」と聞かれました。私は、「残念ながら、見つからないのです」と答えざるを得ませんでした。しかし、こんなに悪い状況であっても未来永劫続くことはあり得ないし、どんな歴史もどこかの時点で転換してきました。
私は、外部から急ブレーキをかけられる外科手術ではなくて、主権者が行動して日本を内側から変える内科的な治療を切に望んでいます。今、この国にそのような「芽」があるでしょうか。
 朝日新聞の最近の世論調査で、集団的自衛権の行使容認に63%が反対という結果が出ていました。非常にうれしかったです。世論の変化は一筋の光であり、芽ですね。
 もうひとつの芽は沖縄です。名護市の闘いは本当にすごい。何十年も闘ってきて、それが沖縄全体の民意を引っ張っています。そのエネルギーと粘りを日本人すべてが学ばなくては。私たちもできないはずがない。
もう一つの芽は、戦後日本において民主的要素を代表してきた女性です。男性中心で縦割りの組織社会で、女性の強みであるしがらみのない「個」の強さに可能性を感じます。日本では「個」を持つことは「わがまま」とされる偏見が根強いですが、そんな偏見をはね返し、一人ひとりが意見を持ち、切磋琢磨して政治力を強めていけば、日本も変わると思います。
 最後に、現在の「集団的自衛権」の議論で欠けているのは、ポツダム宣言という国際的な約束と日本が寄って立つべき平和観という物事の是非を判断するモノサシです。集団的自衛権の行使、日米安保・軍事同盟は「力による平和」であり、憲法は「力によらない平和」です。どちらをとるかは一人ひとりの世界観にかかわる問題であり、21世紀の国際社会に日本という国家をどのようにかかわらせるかという主権者としての意思決定の問題です。