国家主権・領土保全原則と民族(人民)自決権
-ウクライナ問題における論点①-

2014.03.30

これまで7回にわたってウクライナ問題を取り上げてきましたが、この問題には、ウクライナあるいはロシアだけにとどまらない国際関係の根幹にかかわる論点が含まれています。それらの論点は中国人研究者も当然注目し、文章を発表しています。そういう文章を今後何回かに分けて紹介していきたいと思います。
 国際関係及び国際法の根幹にかかわる最大の問題の一つは、「主権国家の主権尊重と領土保全」という原則(つまり、独立した主権国家の主権を他の国々は尊重しなければならず、その内政に干渉してはいけないし、その領土を侵してはいけないという原則)と民族(人民)の自決権という原則(民族あるいは独自のアイデンティティを持つ人民には、独立を含め、自らの運命を自分で決定する権利があるとする原則)との衝突です。私たち日本人は「日本は単一民族国家だ」という通念に支配されている(実はそうではありませんが)ので、この2つの原則の衝突という問題を深刻に意識しない人がほとんどだと思いますが、いわゆる多民族国家においてはそうはいきません。正に「あちらを立てればこちらが立たず」ということになります。クリミアの独立を認めるか否かで国際的に議論が真っ二つに割れているのは、この2つの原則のいずれを重視するかという問題です。
 厄介なことは、この2つの原則の間の矛盾を解決する国際的努力はほとんど皆無だということ、したがって2つの原則の間で衝突が起こる問題(民族紛争)が発生すると、国際関係はたちどころに混乱とマヒに陥るというわけです。そして世界的に影響力をほしいままにしてきた西側諸国は自分の都合のいいように、国際法をつまみ食いしてきたのです。しかし、世界が多極化に向かい、西側諸国の相対的地位の低下に伴い、西側の主張が一方的に通る状況ではなくなりつつあります。今回のクリミアの独立及びロシア併合という事態は正にその端的な事例です。
 今回紹介する文章で紹介されているように、国際司法裁判所が勧告的意見を出したことはありますが、2つの原則の間の矛盾を正面から取り上げるものではありませんでした。米ソ冷戦終結後、世界各地で問題が頻発して、世界を不安定に陥れていることに鑑みれば、国連においてこの問題を正面から取り上げ、法的問題点を整理し、2原則の矛盾を合理的かつ公正に解決する指針・ルールを作ることは急務だと思いますが、そういう動きは残念ながら見当たりません。

以上をとりあえずの基礎知識として、甄鵬「コソボはクリミアの先例か否か」という文章を読んでいただきたいと思います。この文章は、シンガポール『聯合早報』3月21日付に掲載されたのを同日付環球網が転載したものです。筆者である甄鵬は山東大学政治学・公共管理学院研究員と紹介されています。文中で自己紹介があるように、中国共産党対外連絡部主管の雑誌『当代世界』にも文章が載るだけの実力の持ち主であることが分かります。また、文章からは彼の問題意識が鋭いことを理解させますし、内容も読み応えがあります。

 コソボが独立に至る過程で、西側が常に口にしたのは「コソボは特殊な事例であって先例とはならない」ということだった。例えば、当時アメリカの国務長官だったライスは、アメリカがコソボの独立を承認する声明において、「ユーゴスラヴィアの解体、コソボにおける民族浄化と一般民衆に対する犯罪、長期にわたる国連の管理などの状況は世界の他の地域には存在せず、したがって、コソボは特殊な事例だ」と述べている。
 今回、ウクライナ情勢が激動し、クリミアが独立を宣言したことで、コソボの例が再び焦点の一つとなっている。即ち、西側諸国及び一部の学者は、クリミアとコソボを同日に論じることはできないとしている(ある西側の歴史学者の「クリミアとコソボにはいかなる違いがあるか」という文章では8点の違いがあることを指摘していると紹介)。
 しかし、世界上まったく同じ事物というのはあり得ない。一卵性双生児の間でも違いはある。コソボの特殊性を分析するのは意味がないのであり、「コソボのこれらの特殊性はコソボが独立する理由となるか」という点にこそポイントがある。コソボの独立を支持した人たちがもっとも強調した点は、ミロケヴィッチによるアルバニア人に対する民族浄化である。国際法には「救済的分離」という説がある。(少数民族は多数派によって)深刻かつ不公平な取り扱いを受けたときには、自決権を行使して独立という目的を達成することができるというのが「救済的分離」である。
 しかし、国際社会においては、植民地以外に対して自決権及び救済的分離を認めるかどうかに関しては深刻な見解の対立がある。仮に植民地以外にも適用できるとした場合にも、「深刻さの程度」及び「時間」という問題がある。
まず、どの程度の不公正な取り扱いを受けたときに自決権を行使できるのかという問題だ。例えば、イラクのクルド人はサダム政権の残酷な鎮圧を受けたが、西側はなぜクルド人の独立を支持しなかったのか。
次に時効の問題がある。コソボのアルバニア人を鎮圧したのはミロシェヴィッチ政権だったが、コソボが独立を宣言したとき、セルビアはすでに公認された民主国家だった。10年前に行われた鎮圧行為を以て、それから10年後の独立の口実とするのは認められることだろうか。(それを認めるならば、西側が認めない)クロアチアのセルビア人が第二次大戦中のクロアチアによる民族浄化を以て自らの独立の口実とするのも認めるべきではないか。
私は2009年に『当代世界』で、「コソボ独立の法律上の難しさ」という文章を書いた際に、以下のように指摘した。
「世界のいかなる事件にも特殊性があるのであって、その点に着目すれば、コソボは特殊なケースだ。しかし、コソボが特殊であるということはその独立の理由となるだろうか。バスク、北アイルランド、北キプロス、南オセチア、アブハジア、クルドにおける矛盾は、その歴史と複雑さにおいてコソボに劣らないものがあるが、どうしてコソボは独立できて、これらの地域ではダメだと言うのか。」
西側諸国は、コソボは特殊なケースであり、他のいかなる衝突の当事者もコソボをタテに独立を要求することはできないとする。他方で西側諸国は、セルビア人が多数を占める北コソボがコソボから離脱することにも反対する。西側は、北コソボの独立を認めることはパンドラの箱を開けてしまい、マケドニア及びセルビア・プレセヴォ渓谷のアルバニア人の独立運動に勢いをつけさせてしまうと恐れているのだ。同じ時に同じ問題が起こっているというのに、コソボ独立は先例にはなり得ないと主張しながら、セルビア人が多数を占める北コソボが独立することは地域の安全を損なう先例となる(から認められない)と言うのは強盗のロジックではないだろうか。
2010年に国際司法裁判所(ICJ)は、国連総会の要請に応じて、コソボ問題に関する勧告的意見を出し、コソボの独立宣言は国際法に違反していないと見なした。私は、「コソボの事案に関するICJのプロセスと意義」と題する文章の中で、「(この勧告意見は)今後ますます多くの国家がコソボを承認することを促すだろうし、各国における分離運動を励ますことになるだろう」、「長期にわたって戦ってきた分離勢力については、暴力と大国の支持によって独立の目的を達成することが可能となる」と指摘した。今回のクリミアは私の予言が的中したものだ。
3月4日にプーチンは記者会見を行い、「コソボのアルバニア人が民族自決権を持っているとすれば、他の民族も持っている」と述べた。3月11日にクリミア共和国最高理事会は独立宣言を採択したが、その宣言はICJの勧告意見を引用している。
ICJの勧告意見に対しては多くの誤解がある。例えばイギリスの専門家キール・リンゼーは、次のように言う。
「ICJはテクニカルに「一方的に独立を宣言できる」としただけで、領土保全原則が自決権に優位するかどうかという問題は回避している。ということは、「コソボ独立は合法か否か」という問題については各国の判断に任せているのであって、承認したい国家は承認すればいいし、承認したくなかったら承認しないということだ。」
 このような誤った理解は広範に持たれているが、あまりにもお粗末だ。ICJの立場は、国連憲章上あるいはヘルシンキ最終文書上、「領土保全原則は国家間の関係においてのみ適用される」」ということだ。コソボは国家ではないのだから領土保全原則の違反(云々という問題)はない。しかし、コソボの独立を支持したアメリカなどは、(ユーゴスラビアの)領土保全という原則を明確に侵犯した。 領土保全原則は公認された国際法上の原則であり、民族自決権行使を安易に支持することはできない。チェチェンはその一例だ。ところが西側は、コソボ問題で真っ先にこの国際法原則を破った。彼らはコソボが先例にならないと言うが、世界のあらゆる事柄が関係あるのであって、もしも西側がコソボは特例だと言うのであれば、クリミアとロシアはごく当然にクリミアも特例だと言うだろう。西側はコソボに武力干渉し、コソボの独立を認めることによって、パンドラの箱を開け、悪しき先例を作り出したのだ。
ロシアはすでにクリミアの独立を承認した。クリミアは、アブハジア、南オセチアと同じく、事実上の独立単位かロシアの一部になるだろう。それが国際社会の認知を得ることができるかどうかは、長期にわたる駆け引きのプロセスとなるだろう。メディアの中には、西側諸国は最終的にロシアと取引する可能性があると見ているものもある。その取引とは、西側がクリミアを認める代わりにロシアはコソボを認めるということだ。この取引は双方が受け入れ可能な妥協の結果となるだろうが、最悪なもので、国際法原則及び国際秩序を深刻に損なうことになるだろう。