プーチンは大国主義・拡張主義の権化だろうか?-その2-

2014.03.29

3月27日付の前回のコラムでは、キッシンジャーなど3人のアメリカ人のウクライナ・クリミア問題に対する見方を紹介しました。今回は中国研究者のこの問題に関する見方を紹介します。
米中におけるこの問題に対する見方を通観してすぐ分かることは、アメリカではこの問題に関するプーチン政権の行動を口を極めて非難・難詰するものが圧倒的に多く、このコラムで紹介したキッシンジャー以下の冷静な見方はごく少数にとどまるということです。
これに対して中国においては、プーチン政権の行動を全面的に批判するものは、私がこれまでに見てきた限りでは皆無です。中国の言論界においては、アメリカでは圧倒的に少数派の見方が逆に圧倒的に主流を占めているということです。そのことは、これまでにコラムで紹介した文章からもお分かりだと思います。ここでは、そのごく一例として、文龍杰・李亜南「誰がクリミアをロシアに追いやったのか」を紹介します。
しかし、そういう主流的な見方とは一線を画した文章も散見されます。中国を専門的に観察している人はともかく、一般的には、「中国は共産党の独裁国家だから、言論の自由はない」と思っている人がまだ多いのですが、その百花繚乱ぶりはウクライナ・クリミア問題に関する多様な文章の百家争鳴に現れています。
プーチン政権の行動に対して極めて高い評価を与えているものとして、許華「プーチン ロシアに大国としての発言権を回復」を紹介します。また、プーチン政権の行動を極めて批判的に捉えているものとして、趙楚「プーチン主義のピクライマックスと引き潮」を紹介します。ただし、この2つの文章を読んでいただければお分かりになると思いますが、中国研究者に共通するのは事実関係に対してはあくまで謙虚に臨むこと(「実事求是」)を心掛ける姿勢と他者感覚が豊かなことです(文中の強調は浅井)。
ちなみに、日本のメディアに報道だけを見ていると、プーチンのロシアは国際的に孤立に追い込まれているような印象を受けることになるのですが、国際的に言えば、必ずしもそうとは言い切れないと思います。国連総会が3月27日にロシア非難決議を多数決で採択したことは事実ですが、賛成100に対して反対11+棄権58の合計69ということは、ロシアが国際的に孤立していることを表す数字とはとても解釈できません。
ハーグで行われた核セキュリティ・サミットの際にBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)首脳会談も行われ、西側の対露制裁に反対する声明が出されたそうです。また、アルゼンチンのフェルナンデス大統領は自らのツイッターで、フォークランド(アルゼンチン名はマルビナス)問題でイギリスを支持し、クリミア問題でウクライナを支持した西側諸国の態度は二重基準だと批判し、電話で感謝表明したプーチン大統領と立場の一致を確認したそうです(いずれも私は中国メディアの報道で知りました)。
こういう国際的反応から見ても、私としてはますます『プーチン=大国主義・権力主義の権化』という決めつけには違和感が深まるばかりです。

1.文龍杰・李亜南「誰がクリミアをロシアに追いやったのか」

この文章は3月18日付で中国新聞網「国際観察」欄に掲載されたものです。文龍杰も李亜南も私にとっては初見の人物で、中国の検索サイト『百度』を調べても、ブロガーという簡単な紹介しかありません。しかし、この文章の内容自体は、中国における主流的な見方の最大公約数を反映していると思います。

 クリミアがなぜウクライナを離れ、ロシアのもとに入ったのかという疑問は何も今日に始まったことではない。人々がよく指摘することだが、歴史上クリミアはかつてロシアの一部だったし、文化的アイデンティティにおいてはロシア語を話す人々が大多数で、ロシア人でなくてもほとんどの人々が自らをロシア・クリミア人と考えているし、経済的にはキエフと比較して、ロシアに対する依存度が高い。そのほか、ロシアはクリミアに軍隊を駐屯させており、地域情勢を左右できる実力手段を持っている。
 ただし、以上のことはクリミアの人々がロシアを選択する上での必要条件である。クリミアがロシアを選択した直接の原因は何かを考える必要がある。
 専門家によれば、ウクライナ危機が今日の状況にまで至ってしまった重要な原因は外部の干渉にある。その中でも、西側諸国が関与したことが街頭デモを暴力に走らせた直接の原因だ。西側諸国はウクライナをして脱露入欧させることに熱心なあまり、キエフの反対派がデモを権力奪取に向けることを直接支持した。西側のハイ・レベルの指導者は、キエフの独立広場に赴いて反対派を激励したり、自国で反対派の指導者と会見する機会を与えたりしたし、様々な援助を提供し、同時にヤヌケヴィッチ政権に対しては極力圧力や打撃を与えることにより、情勢がコントロールできないようにした。また、西側が推進した「カラー革命」は、実際上は新たな対立ひいては国家の断片化という現象の出現を促した
 2013年末のウクライナ危機のはじめの段階では、街頭デモを行った人々は大統領の親露政策に反対を表明していた。ここで注意する必要があるのは、広場の反対派の大多数は、「反露」という極端な民族主義の色彩の強い旗印によって動員され、集められたということだ。確かにヤヌケヴィッチは多くの人々によって非難されていたけれども、クリミアのほとんどの人はこのデモの行列には参加していなかった。
 2014年2月にクリミア自治共和国主席団がヤヌケヴィッチに送った公開文書においては、「静かなクリミアはキエフの武装暴動によって再びかき乱されている」として、キエフの反対派の行動を「暴動」「内戦の開始」と見做していた。実際上、キエフの民族主義的傾向の反対派は、ロシアとの関係が緊密で、ロシア語を話す住民が絶対多数のクリミアの人々と対立関係にあったのだ。
 事態は、ヤヌケヴィッチが追い出された後、2月23日にウクライナ議会がロシア語を公用語と定める法律を廃止したことで起こった。ウクライナのあるウェブサイトには「ウクライナ人はウクライナ語だけを話し、ウクライナ語を話すもののみがウクライナ人である」と書き込まれたが、これこそはこの法律廃止決定の意味することに関するもっとも生々しい注釈だった。
 ロシアの評論家・ヤフリンスキーは、このウクライナ議会の行動を「反対派の民族主義的政策が極端に走ったもの」と評した。ロシア語の公用語としての地位を取り消すということは、ロシア語を話す人々を教育、就職、昇進など日常生活の各方面で不便と面倒に直面させるだけではなく、「ウクライナ語を話すものだけがウクライナ人」ということだから、ロシア語の人々のウクライナにおける地位を否定するということを意味する。
 反対派は2月21日にヤヌケヴィッチ政権との間で署名した危機解決の取り決めを遵守せず、非合法の暴力手段で権力を奪取した。このことに対して、クリミアの人々は、極端な民族主義の傾向をもつキエフの反対派はロシア語を話す自分たちにとって不利になることを恐れたのだ。クリミアの人々が街頭に繰り出したとき、キエフの反対派の極端な民族主義的政策がクリミアの人々をロシアに追いやり、その後のクリミアにおける一連の事態を引き起こす直接の誘因の一つになったことは認めざるを得ないことだ
 ウクライナで起こった今回の危機には一つの顕著な特徴がある。それは即ち、政治的要求の背景に極端な民族主義があるということだ。ウクライナのような移行国においては、民族主義は政治家にとって鋭利な刀である。今日のクリミアの情勢の下で、民族主義を利用しあるいは試したいと思う政治家は、この刀は諸刃であり、人を傷つけることもできるが自らをも傷つけうることを理解した方が良い。

2.許華「プーチン ロシアに大国としての発言権を回復」

3月24日付の環球時報に掲載された文章です。許華は中国社会科学院ユーラシア研究所副研究員と紹介されています。恐らく3月21日のコラムで紹介した、「ウクライナ政権の危機とその'欧州ドリーム'」の筆者である張弘の肩書として紹介されていた「中国社会科学院ロシア東欧中央アジア研究所」のことだと思います。なぜその点にこだわるかと言いますと、同じ組織に属していてもこれほど異なった見方をする研究者がいるということ、つまり中国言論界の多様性を確認できる一つの材料だと思うからです。

 ソ連解体後、強力なメディアの伝播力を持つ西側の語りによってロシアの国家としてのイメージが「一方的に形作られ」てきた。しかし近年になって、シリア危機、ウクライナ危機及びクリミア情勢の動きの中で、ロシアは必死に劣勢を挽回し、世界は今やプーチンが代表する「ロシアの声」を傾聴しなければならなくなっている。最近の中国のネットやWeChat(中国の騰訊公司によるスマートフォン用テキスト・音声・画像・動画メッセンジャー・アプリ)では、プーチンが3月18日に行った演説の動画やテキストが広く伝わっており、メディアの中には、ソチ・オリンピックの成功とウクライナ情勢の逆転によって、ロシアと中国の人々のプーチン支持率の高さが塗り替えられていると評するものまでいる。
 2007年のミュンヘン安全保障会議における「一極世界の幻想を打破する」ことを宣言したスピーチから、2013年のニューヨーク・タイムズでの「懇願」と題する文章、さらには2014年3月のウクライナ情勢とクリミアのロシア編入問題に関するスピーチまでにおいて、プーチンの言動によってロシアは再び世界の政治強国として立ち現れた。プーチンは、幾度もの危機において断固とした姿勢、強硬な手段でロシア国家の戦略的利益を擁護し、その際だった外交的手腕はロシアの国際的影響力を大いに高め、西側の道徳的な権威と発言力に衝撃を与え、国際的特に非西側世界でのロシアの威信を高めた。
 プーチンの伸縮自在な政治上の風格と指導者としてのイメージは、現代ロシアの国家イメージという点で常に注目を集める焦点である。雑誌『フォーブス』が発表した「世界を動かす人物」リストにおいて、プーチンは常に上位にランクされており、2013年にはオバマを抜いて第1位にランクされた。『フォーブス』は、長期にわたって権力を掌握している人物であるプーチンは、巨大な資源をバックにして、その率いる人数、影響力を発揮する範囲、権勢を使って活躍する程度など各面において、一般の指導者のレベルをはるかに越えていると認めている。
 プーチンの発言には明確な風格と特徴がある。道理と根拠があり、道理で人を説得し、情義で人の心を動かす。友人隣人に対しては尊重し、礼をもって遇する一方、相手に対して反撃するときの言葉は厳しく、情けをかけない。例えば、プーチンが西側大国の二重基準を難詰するとき、「同じ事柄なのに、今日はシロと言い、明日はクロという」と言う。西側大国がコソボ及びクリミア問題でシノコノ言うことを、プーチンは国際原則を児戯と見做していると批判する。西側の批判や挑発に対しては絶対に沈黙せず、目には目を、歯には歯を以て対する。しかし、プーチンの風格は強硬一点ばりということではなく、時には暖かい情感を尽くす。「ロシアは現在もはや退路がない崖っぷちまで退却しており、それはあたかもバネがギリギリまで圧迫されたようなもので、猛烈に反発するしかないのだ」とプーチンが述べたとき、テレビに映ったプーチンの目元は潤んでいた。
 中国の格言は「その言うを聞き、その行うを見る」と言う。プーチンの発言及び風格が多くの人を動かす重要なポイントは言動と風格とが統一されていることである。10年来のプーチンの行いはロシアの民意に従ったものであり、ロシア人の信任と支持を獲得してきた。率直にして鋭い物言いは「プーチン式語り」という独特の風格を持っている。その語り口は外交文件よりも効果的にロシアの政治姿勢・立場を伝えてきた。一言に込められた深奥さが巨大な振動をもたらす様はあたかも「音叉反応」の如くであり、事物の間の脈動により、微妙なかく乱によって巨大な響きをもたらすのだ。
 プーチン独特の物言いは、指導者の政治的影響力を強めるだけにとどまらず、ロシアのソフト・パワーをも高め、世界の政治舞台におけるロシアの発言権を増大させてきた。西側との発言力に関する力比べにおいて、ロシアはチャンスと切り口を見定め、プーチンが先頭を切って他はそれに従い、リーダーがものを言えば人々がそれに呼応し、メディアがこれを増幅し、かくてロシア民族全体の団結力と求心力を高め、ロシアの政治的メッセージの影響力を拡大してきた。プーチンのやり方と経験は、中国の政治的伝播を研究するものにとって研究し参考にする価値がある。

3.趙楚「プーチン主義のクライマックスと引き潮」

この文章は、3月27日付の環球網で私が読んだものですが、もともとは寧夏日報メディア集団が主管する『ブログ天下』という旬日発行の雑誌の3月25日版に掲載されたものの転載だそうです。執筆者の趙楚は国際軍事問題専門家ということで、2003年に中国共産党の中央党史文献出版社から出版された『イラク戦争』に共著者として名前を連ねています(中国の検索サイト「百度」)が、私にとっては初見です。プーチン主義に対しては極めて辛口の評価に徹していますが、見忘れてはいけないのは、その分析内容自体はリアリズムに徹していて、極めて説得力を持っているということです。

 1990年代はじめ、ソ連が解体してロシアの移行期においてもっとも難題だったのは、ソ連時代の制度が崩壊したことによって国内の社会構造が粉々になり、しかも解体に起因する惰性が過去においては高度の抑圧政策で無理やり維持してきた地域的及び派閥的利益が一気に吹き出し、この問題がコーカサス地域ではチェチェンなどの分離的傾向となって現れたことだった。当時手を焼いた第一次チェチェン戦争と普遍的な社会の貧困とが結びついたことにより、ロシアを統一国家として維持し、グローバルな大国としての地位を保つことができるかどうかについて、ロシアのエリート階級は深刻に受けとめることになった。今日、ウクライナ及びクリミアの危機を演出しかつ主役を務めるプーチン大統領は以上の背景のもとで登場したのだ。
 プーチンを押し上げ、連続して政権を担わせてきたのは、巨大な歴史的記憶に満たされたロシアのエリート階級及び苦難に満ちた生活のもとにあった一般大衆であり、そのことがプーチン主義における2つの主題を決定している。対内的には、強力な施策によって社会秩序及び国家制度を再建すること、対外的には、グローバルな国際関係に極力参与する以外に、かつてソ連の中にあった地域特にウクライナ、白ロシア、カザフスタンなどの国家において、歴史的つながり、実際的影響力及び軍事・経済・政治などの複合的手段を駆使して特殊な地位を保持することである。これらの基本的な政策理念に基づいて見れば、プーチンが政権を担って以来、今回のウクライナ及びクリミアに至る様々な動きについて容易に理解することが可能である。
 プーチンとロシアの運勢は、辛酸を嘗め尽くした後に幸運がやって来たということで、社会の上下の階層を問わず普遍的にボスを待ち焦がれるという心理的支持基盤に加え、1994年以後はエネルギー及び資源の国際価格が一貫して上昇したことがプーチン主義を実行するのに必要な物的条件を提供した。1999年にプーチンは、チェチェン分離主義勢力がコーカサス地帯に蔓延したのを契機に第二次チェチェン戦争を発動し、議論の余地がある厳しい手段でロシアが分裂崩壊する危機を押さえ込んだ。その後はプラグマチズムの政策を採用し、2008年以前のグローバル経済の成長著しい勢いにも乗じてロシアの経済及び社会の大きな回復を実現した。このように内部をうち固めたことにより、ロシアの国家的な政治的重心はプーチン主義の対外政策の方向に転換し、2008年のオリンピックの時に、ロシアは天下の道理から逸脱することを敢えてしてグルジアに出兵し、グルジアに実質的な飛び地を獲得した。グルジア戦争はプーチン主義が形をなしたシンボルと言える。
 しっかり認識しなければならないのは、ロシアが今日直面している様々な地縁環境上の問題は冷戦の結果であるということであり、したがって、冷戦の勝利者であるアメリカ及び欧州の同盟国のロシアに対する政策は無関係ではないということだ。冷戦終結によってアメリカは史上前例のないグローバルな単独覇権国家になったが、そのアメリカにとり、ロシアの復興あるいはグローバル大国として国際システムに再度加わる上で越えてはならない一線がある。それは、冷戦勝利の最大の成果である現在の独立国家共同体(CIS)及びかつてのソ連加盟国家の国境は確保されなければならないということだ。EU及びNATOの東方拡大というのはこの政策の具体化だ。ここに正に現在のウクライナ危機の深刻さがあるのであって、プーチン主義ロシアが米欧と対決する焦点もここにある。
 歴史、地縁及び現実的経済的利害という関連から、ロシアはウクライナのような国家との関係において特殊な国家利益があるというのは一つの現実である。しかし、ウクライナ等の新たに独立した国家としては自らの独立を確保したいのも、また、ロシアの長期にわたる帝国主義及びショービニズムの伝統に着目すれば、プーチン主義のロシアに対して深刻に身構えることもまたごく自然なことだ。特にグルジア戦争の後では、この種の猜疑心及び身構える心情はさらに燃えさかるわけだ。今回のロシアのウクライナにおける行動を観察するとき、経済手段で内政プロセスに関与し、ロシア人及びその居住地域を利用して実質的な分離活動を試み、その政策が失敗した後は軍事力出動をためらわなかったが、こうしたやり方はグルジア戦争の時と軌を一にしている。この点から言えば、今回のウクライナ危機はプーチン主義のクライマックス後の後退の始まりと見ることも可能だ。なぜならば、今後はこれらの独立国家にとって、安全保障の拠りどころを米欧に求め、米欧とのより直接的な連携を求めることが唯一の政策的オプションにならざるを得ないからだ。
 事実として、ウクライナ等の国家の親欧米政策はロシア及びプーチンを恐れたことに基づく選択であり、地理的及び経済的にロシアとの関係から逃れることができない以上、安全保障、政治及び経済において欧米との関係を強化することは欧米の政策的利益とも合致すると同時に、大国の狭間にあって相互の間でバランスを図ることは小国としてのありきたりの政策的選択である。しかしこのような政策は、冷戦において失敗した心理的な屈折があるプーチン主義のロシアからすると、ロシアを根こそぎ弱体化し、かつ抑止する行為であり、ロシアとしては力ずくでその根本的な利益を守らなければならなくなるわけだ。
 したがって、つまるところ、問題の核心はやはりロシア自身のアイデンティティ危機ということにある。力関係に鑑みれば、グルジアにおいても、ウクライナにおいても、ロシアは袋小路で不利と言うべきだ。グローバルな戦略という点に関しても、プーチン主義に固執することは、ロシアが帝国主義的政策を放棄することに対する米欧の不信感を高め、ロシアの隣国が脱ロシア化の足取りを加速させるという結果しかもたらさないだろう。これはプーチン主義が今日の世界において必然的に呈する逆説である。この背後にあるのは今日の世界秩序の根本的欠陥である。即ち、ロシアなどの地域大国は現存の秩序の中では納得できる地位を見つけることができない。しかも冷戦後の世界は交通、インフォメーション、利益等の分野で関係が緊密になっているが、信頼が置け、かつすべての国々を収容できる大きな枠組みがない。そのためにロシアのように久しく大国としての野心を暖めてきた、そして欧米主導の世界に対して猜疑心に満ちている大国としては、国際的な無政府主義という無責任な政策を採用するしかないのだ。そういう政策の結果は、危機が起こる度にすべてのものが敗者となる賭博ということになる。