朝鮮経済の潜在力(中国側分析)

2014.03.01

*中国商務部研究院の梅新育研究員署名「朝鮮経済の発展潜在力を見くびることはできない」(2月21日付環球時報所掲)を紹介します。梅新育は国際問題に幅広く発言する研究者で、私が注目してきた一人なのですが、朝鮮経済についての文章は私としては初見です。しかし内容的には新鮮で、とても興味深いものでした。

現在の中国社会は朝鮮経済を軽視する見方が普遍的だ。しかし、朝鮮が近年陥っている経済困難ゆえにその経済的潜在力を低く評価するべきではなく、特にこの国家の開放経済としての潜在力は低く評価するべきではない。朝鮮の近年の経済困難は、進んで鎖国したために招いたものということではなく、開放経済及び石油農業のリスクが露呈したものである。元々朝鮮経済は必ずしも閉鎖的だったわけではなく、むしろ社会主義陣営内の国際分業システムにかなり参与していたのだ。
 工業の分野では、朝鮮は中国よりも早く工業化を完成させた。早くも1970年に朝鮮の国民所得における工業の比重は65%に達していたが、その年における中国GDPに占める第二次産業の比率は40.3%であり、そのうち工業が占める比率は36.6%だった。工業部門の中でもっとも抜きんでていた朝鮮の化学繊維工業は長期間にわたって中国に先んじていた。有名な咸興28ビニロン工場は1961年に操業を開始し、1970年に化学繊維が繊維製品に占める比率は70%以上だった。日本のプラントを導入した北京ビニロン工場は1967年になって操業開始したが、生産規模は長い間朝鮮と比べられる規模に達しなかった。
 農業の分野においては、中国の学者である温鉄軍の示した数字によれば、1980年代前半には朝鮮がすでに6万台のトラクターを備えて全面的な農業の機械化を実現し、一人当たりの年間所得は900米ドルだった。90年代中葉以後に朝鮮農業は壊滅的な打撃を被り、FAOの資料に拠れば、2010年における朝鮮の米、トウモロコシなどの生産量は452万トンに過ぎなかった。しかし朝鮮の外部貿易環境が正常だったときには、食糧生産は1976年には800万トンに達していた。ソ連が解体していた1993年にあっても、対外貿易システムはまだ完全に崩壊していたわけではなかったこともあり、食糧生産は913万トンの最高記録を達成した。
 工業及び農業で大きな発展を獲得した基礎の上で、朝鮮の都市人口比率は1970年代末から80年代初にかけてすでに70%に達していた。それと比べた中国の1978年段階の都市人口比率は17.9%に過ぎず、2011年末に51.3%とはじめて50%の大台をクリアしたのだが、それでもまだ朝鮮の30年前段階のレベルに達していなかったのだ。
 しかし、ソ連崩壊、朝鮮が参与していた国際分業システムの崩壊によって、朝鮮は経済危機に陥った。特に石油の基礎の上に建設された農業の現代化は伝統的な農業技術を朝鮮人から奪い去っていた。国際環境の激変によって石油輸入の源のほとんどが断ち切られ、農業は瞬時に全面的困難に陥った。
 深刻な軍事的脅威のもとで20年にわたる経済ショックと封鎖を経験したにもかかわらず、大規模な政治的動揺は起こらず、宇宙、核及びコンピューター・ネットワークの開発で成果を獲得したということそのものが、朝鮮社会の結束力を示すものであるし、危機を乗り切り、西側大国との関係が正常化した暁には、経済を復興させる潜在力を朝鮮がもっていることを証明するものだ。
 さらに重要なことは朝鮮の人的資源の基礎が相当にしっかりしているということだ。これは、千年に上る儒教文化と社会主義国家として教育普及並びに医療及び衛生を保障するという二重の伝統を重視してきたことに基づくものだ。長年にわたり、朝鮮は15才以上の成人の識字率が100%という記録を保持しており、UNDPのHDI(Human Development Index)の平均値においても93.2%という高い水準を実現している。米韓はしきりに朝鮮のサイバーの脅威を強調し、重大なネット上の故障を朝鮮のサイバー攻撃が原因だとする。これらは誇張なしとしないが、ある意味では朝鮮がこの分野で相当な成果を成し遂げていることの傍証とはなるだろう。
 同時に朝鮮人民は頑強かつ闘争心が強いが、これこそは国家が生存し、発展していく上で欠くことができない精神である。不確定要素が充ち満ちている世界において、いかなる人間、国家と言えども永遠に危機やショックから自由であることを望めないのであって、勇気と奮闘精神こそが危機に向きあう上での頼りになる支えである。朝鮮政権がもっている強力な動員能力を以てすれば、朝鮮が経済危機を完全に乗り切り、国際環境が正常化した後には、教育が普及し、勤勉で規律を守り、労働コストが低廉な朝鮮は、外向型製造業分野で強力な新しい力となる可能性は十分である。